壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第一五話一三章 魂の力で

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 大陸を引き裂いて噴き出した、膨大な量の海水。
 その海水が壁となって天へとのぼり、やがて、弧を描いて落下する。
 滝のような雨、どころの話ではない。
 土砂崩れのような雨。山肌を怒濤どとうの勢いで流れ落ちる岩塊のような、それほどの密度の塊となった海水が天から落ちて、叩きつけられ、結晶化した大地を海へとかえた。
 海は荒れくるい、波を起こし、その波の激しさに大気までもが揺らされて、突如として突風が吹き荒れる。波が、突風が、その場にいるすべてを押し流そうとするかのように荒れくるう。
 そのなかでうみ雌牛めうし、船乗りたちの間で伝説の怪異として語られてきた怪物がいま、その全身を海水に濡らし、四本の脚を踏ん張ってその場に立っている。二体の〝すさまじきもの〟の眼前に立ちはだかっている。
 〝すさまじきもの〟から兵士たちを、この世界そのものを守るかのように。兵士たちは果たして、これほどまでに頼もしい姿を見たことがあったろうか。
 ぞわり。
 音を立ててうみ雌牛めうしの体毛がもちあがった。
 長い体毛が絡みあい、ドレッドヘアのようになって何十本、何百本とたれさがるその体毛。
 海水を吸ってずっしりと重くなり、先端からはその一滴いってきで何人もの人間を押しつぶし、殺すことができそうなほどに大きく、重い水滴をボタボタと落としているその体毛。
 その体毛が一斉にもちあがった。体毛の一本いっぽんが鎌首をもちあげる大蛇と化したかのように。
 大気を裂く、いや、砕く、いや、それでさえ足りない。世界を埋め尽くす大気の壁を震わせ、ぶち抜き、押しのけて、何百という数の絡みあった棒と化した体毛が〝すさまじきもの〟めがけて叩きつけられた。
 おお。
 なんということだろう。
 〝すさまじきもの〟。
 『もうひとつの輝き』の技術のすいを集めて作られた最強の大砲、爆砕ばくさいしゃ。その爆砕ばくさいしゃの砲弾を何百と受けてさえ揺らぐことのなかった〝すさまじきもの〟の巨体が、よろめいたではないか。ぐらりと音を立てて揺れたではないか。後方に向けて、押し出されさえしたではないか。
 世界中の船乗りたちが、
 「さすが、おれたちを長年、恐れさせた怪物だぜ!」
 と、腕を振りあげて歓喜の声をあげるようなその光景。
 〝すさまじきもの〟を打ち据えた体毛がはじけた。いや、噴火した。そうとしか言えない勢いで絡みあった体毛がほどけ、〝すさまじきもの〟に襲いかかった。
 それはまさに、想像を絶するほどに巨大なヘビが獲物めがけて飛びかかり、その身が千筋にわかれて全体が口となり、獲物を呑み込もうとするかのようなそんな姿。
 ほどけた体毛は一体、何万本あったのだろう。
 何十万本かも知れない。
 そんな、数えることもできないような本数の体毛が〝すさまじきもの〟を呑み込み、絡みつき、その巨体を縛りあげた。ギリギリと音を立てて巨体を締めあげた。
 グオオ、というあまりにも不吉な海鳴りのような音は果たして、〝すさまじきもの〟のあげた苦悶くもんの声だったのだろうか。
 もちろん、〝すさまじきもの〟とて黙って締めあげられているわけではない。
 ほどこうとしている。
 ほどこうとはしているのだ。
 山のような巨体を揺るがせ、ちぎろうとしている。しかし――。
 足をもたず、そのかわりに拳を地について立っている〝すさまじきもの〟。体毛をつかみ、引きちぎるための手をもたない。その巨体を震わせるばかりで、なんら有効な手を打てない。もっとも――。
 体毛をつかむことのできる手があったところで、引きちぎれたかどうか。
 そのことは世界中に鳴り響いたその言葉を聞けばわかるだろう。
 ――女の髪から逃れられるとは、思わぬことだ。
 まさに『女王』なその台詞。
 男たちにとって、〝すさまじきもの〟とどちらが恐怖だったろう。
 その光景は地上を歩くすべての小さな生き物たちにとって、驚異以外のなにものでもなかった。
 「なに、あの怪物?」
 さしもの〝ブレスト〟・ザイナブが、顔中に巻きつけた布からのぞく目に驚嘆の色を浮かべて見つめている。
 〝ブレスト〟・ザイナブのその声に、ビーブがやけにはしゃいだ様子で言った。
 ――よおよお、うみ雌牛めうしじゃねえか。故郷の島を出るときにやり合って以来だな。懐かしいじゃねえか。もう、一〇〇年ぶりぐらいか?
 「……うみ雌牛めうし。あれが、数百年にわたって船乗りたちに恐れられつづけてきた海の怪異」
 「マークスⅡの言っていたサライサ姫か。千年の過去、騎士マークスの婚約者だったという」
 騎士マークスの『捨てられた』婚約者にして、亡道もうどうに侵食され尽くした世界を復興させた偉大なる王。そして、騎士マークスへの復讐のために自らを亡道もうどう怪物かいぶつへとかえた存在。
 その伝説の存在を前に、さしもの〝ブレスト〟・ザイナブや野伏のぶせでさえ、威に打たれようにその姿を見上げている。
 もちろん、ヴァレリや方天ほうてん将軍も同じようにその巨体を見上げている。
 「おお、あの巨体、あの姿、あれはまさしく伝説にあるうみ雌牛めうし!」
 「なんと。うみ雌牛めうしの名は我が東方世界でも知らぬものはありませんぞ。そのような伝説の怪異をの当たりにできるとは」
 「伝説が助けに来てくれるとはまさに僥倖ぎょうこう。これも、マークスⅡ卿の人徳ですかな。しかし、これはまさに天の助け。方天ほうてん将軍、いまのうちに全軍を後退させましょう」
 「うむ。まさに。いまはとにかく距離をとり、体勢を立てなおすのが肝要」
 ふたりの名将は兵士たちを指揮し、全軍を後退させていく。〝すさまじきもの〟に襲われる心配がなくなったために、後退は迅速に行われた。
 もっとも、うみ雌牛めうしの出現によって海へとかえられた大地を泳いで後退するのはそれなりに骨だったが、
 「がんばれ! 力尽きたものは言うがよい! このヴァレリのとっておき、東方の寺院からとりよせた滋養強壮の丸薬を飲ませてやるぞ!」
 そんなアヤシイものを飲まされてはたまらない、と思ったのかどうか、兵士たちは必死に力を振りしぼって泳ぎぬき、距離をとることに成功した。
 そして、マークスⅡは、
 「はあ、はあ、はあ……」
 必死に肩で息をしていた。
 〝鬼〟の大刀たいとうを両手にもったまま。
 脂汗が滝のように流れ、限界まで見開かれた両目は充血している。顔色は真っ青で、大きく口を開けてあえいでいる。その姿は控えめに言って『ようやく、最悪の憑きものから解放された』というものだった。
 その横では行者ぎょうじゃが大地を飲み込んだ海水で顔を洗い、髪をなおし、自慢のかんざし飾りを付け直していた。海水に自慢の美貌を映し、ニッコリと微笑んだ。
 「うん。これでようやく、いつもの絶世の美少年に戻ったね」
 いい性格振りも戻ったようである。
 改めてかんざしを髪に挿し、マークスⅡを見た。クスリ、と、微笑んだ。
 「どうやら、暴走はさせずにすんだようだね」
 「あ、ああ……」
 マークスⅡは『憑き物が落ちた』表情のままに答えた。
 「な、なんとか、寸前で押さえ込むことができた。本当にヤバかった。サライサ姫が叱咤しったしてくれたおかげだ。でなければ、原初の混沌こんとんがあふれ出していた」
 「やれやれ。本当にギリギリだったわけだ。サライサ姫とやらには感謝かんしゃだね」
 「そのとおりだ。だけど……」
 「だけど?」
 「暴走を抑えるために、いつもの力まで封じなければならなかった。しばらくの間はいつもの力は使えない。ただのデカいだけの刀だ」
 「ふむ。それは困ったね」
 心底、困った状況だというのに全然、困った様子ではないのが行者ぎょうじゃらしいところ。
 「うるわしの女王陛下が助けに来てくれたのはいいけど、『倒す』とまではいかないようだし」
 行者ぎょうじゃの言うとおり、状況はさして楽観視できるものでもないようだった。
 二体の〝すさまじきもの〟は全身に絡みついた体毛をふりほどけないとみるや、まとめて引きちぎる手に出た。大地に穴を穿うがつほどの力を拳に込めて後退し、無理やりに引きちぎろうとしている。
 うみ雌牛めうしは四肢をふんばってもちこたえているが二対一ではやはり、分が悪いらしい。体毛は限界まで引き延ばされ、普段の半分ほどの細さとなり、ミシミシと音を立てている。大量の海水が水滴となってボタボタと流れ落ち、音を立てて何本かの体毛がちぎれていく。
 「まずいね。このままだと女王陛下の大切な御髪おぐしが引きちぎられる。かと言って現状、手を出す手段はないし……とりあえず、距離をとって体勢を立てなおすぐらいしかできる事はないかな」
 「そうだな。とにかくいったん、さがって……」
 マークスⅡがそう言った、そのときだ。
 ――ふがいない。
 『女王』のお言葉が再び、響きわたった。
 ――倒すべき敵を前に後退するとは。それでも、『マークス』の名を継いだ現代の英雄か。恥を知るがよい。
 「……サライサ姫」
 言われて、マークスⅡは思わず真っ赤になっていた。それはまさに、貫禄の差。現代を守る英雄も、世界を復興させた偉大なる王の前ではまだまだ子どもだった。
 ――マークスⅡ。わたしと精神を同調させなさい。
 「えっ?」
 ――このものたちは、この世ならざる存在。いまだ生まれぬ未来の亡霊。通常の手段では倒せぬ。わたしの精神を仲介としてこのものたちの精神に入り込み、魂の力で倒すのだ。
 「わ、わかりました……!」
 ――だが、マークスⅡ。〝すさまじきもの〟の心にふれれば、貴公はひとつの試練を迎えることになる。なぜ、戦うのか。なんのために、亡道もうどうつかさを倒そうとしているのか。そのことを改めて胸に刻み、断固たる決意のもと、〝すさまじきもの〟の心に入り込むだぞ。
 「はい。サライサ姫」
 マークスⅡはうなずいた。そして――。
 心の旅ははじまった。
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