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第二部 絆ぐ伝説

第三話一章 商人事始

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 「我らと取り引きできないとはどういうわけだ!」
 「何度も説明したでしょう。わたしたちタラの居留きょりゅうは今後、我々の得る産物のすべてを我々自身であきなうこととしたのです。あなた方、商人の手をわずらわせることはありません」
 激昂げっこうする商人を、タラの居留きょりゅうの若き村長となったトウナは冷たく突き放した。
 もともと、南洋の漁村ぎょそんの生まれとあって貴族令嬢のようなたおやかな美しさではなく、力強く、野性的な魅力に富んでいたトウナだが、村長となって以来、責任感からかよりいっそう凛々しさを増していた。もともとの顔立ちもあって『きれい』というより『格好良い』といった印象になっている。そのせいで、島の女性たちから人気急上昇だったりするのだが……。
 商人は若き村長相手に食いさがった。
 「し、しかし、我が商会は何十年も前からこの島の産物を扱ってきて……」
 「それは、先代村長であるコドフの時代のことでしょう。わたしには関係のないことです」
 「しかし、タラの島はパンゲアの居留きょりゅうだ。そむくような真似をするのは……」
 「パンゲアにそむくなどとは言っていません。パンゲアから義務づけられているのは毎年、決まった産物を、決まった量、納めること。それだけです。その納付さえ行えば、それ以上の産物に関してはこちらの裁量に任されています。いままでは、あなたたちに売っていたわけですが……」
 「それがなぜ、急に打ち切りなどいうことになったんだ⁉」
 「ですから、言っているでしょう。よその商人を通さず、わたしたち自身であきなうことにしたのだと」
 「長年つづいてきた我々の友誼ゆうぎを踏みにじると言うのか⁉」
 「友誼ゆうぎ? 相手の無知につけ込み、適正価格を知らせず、買いたたく。それが、友人のやることだと言うのですか?」
 「失礼な! 我々がいつ、不当に買いたたいたと言うのだ⁉」
 「ずっとそうしていたではありませんか。コーヒー豆ひとつとっても、あなたたちはわたしたちから買う価格の一〇倍以上の値で販売してきた」
 「そ、それは不当なのではない! コーヒー豆を製品として販売するまでには多くの手間と費用がかかるのだ。焙煎ばいせんし、粉にし、包装し、店舗に並べ……そのすべてに経費がかかる。そのために、販売価格が跳ねあがるのだ」
 「そうですね。たしかに、原料を加工して販売するには費用がかかります。でも、逆に言えば経費のかかる段階ごとに利益を得られると言うこと。ですから、加工から販売までを自分たちでやることで、すべての利益を得ることにしたのです。もう、あなた方、外部の商人の手は不要です」
 「馬鹿な! 素人がそんなことをしてもうまく行くはずが……」
 「すでに我々自身の手でコーヒーハウスを運営することで、あなたたちに原料を売るよりも何十倍という大きな利益を得ています。この利益を捨て、あなたたちと商売をつづける理由はありません。お引き取りください」
 「……この小娘が」
 商人は小声で呟くと、憎々にくにくしげな表情を浮かべた。その表情はもはや商人のそれではなく、盗賊のかしらのものだった。
 もとより、海賊たちの横行おうこうする南の海で商売してきた身。きれい事だけで出来るはずもなく、賄賂わいろに略奪、襲撃と、荒事あらごとにも散々さんざん、手を染めてきた。その意味では商人とも言えるが、盗賊とも言える。その商人兼盗賊は憎々にくにくしい表情のまま若き村長に向かって吐きかけた。
 「小娘がいい気になりおって! 世間というものを教えてやるぞ。そのときになってから後悔しても遅いのだからな!」
 商人はそう吐き捨てて村長宅を出て行った。わざわざ、乱暴な音を立てるよう扉を叩きつけていったのはせめてもの嫌がらせであろう。トウナはそんな商人を見送り、肩をすくめた。

 商人は港にいたる砂浜を、腹立ちまぎれの大股で歩いていた。『ドスドス』と表現したいところだが、足元が柔らかい砂地とあってはそうはいかない。『グズグズ』という景気の悪い音しかしないのが残念なところである。
 それでも、両肩は大きく怒らせているし、顔は怒りのあまり真っ赤に染まっている。カッカカッカと頭の上から噴き出す蒸気が目に見えるよう。それほど、頭にきていた。
 「おのれ、生意気な小娘め。どう思い知らせてくれよう」
 トウナの言い分は居留きょりゅうの利益を考える村長としては当然のものであったし、この商人が北の大陸におけるコーヒーの人気を一切、知らせることなく、原料を買いたたいていたのも事実。取り引きを打ち切られたからと言って文句を言えた義理ではないのだが、そんなことは考えもつかないぐらい頭にきていた。
 そもそも、北の大陸の商人たちは南の島の居留きょりゅうの住人たちを『対等の人間』とは見ていない。海の彼方の未開人、とでも思っていればましな方。ほとんどの商人にとって、居留きょりゅうの住人は『自分に利益をもたらす道具』でしかない。
 その『道具』が『主人』である自分に逆らったのだ。
 許せるはずがない。
 怒らないはずがない。
 商人の頭のなかにはもはや、『主人に逆らう』という道具として許されざる罪を犯したタラの島の住人に対して、どのような罰を与えてやるか。
 それだけしかなかった。
 トウナはまだ若く生硬な分、先代村長であり祖父でもあるコドフのように、世知に長けた駆け引きを繰り広げ、ことを穏便におさめる、などという真似はとうてい出来ず、正面から突っぱねてしまう。
 その態度もまた、商人の怒りに拍車はくしゃをかけていた。
 「海の商人をめるな。海賊渦巻く南の海で商売をつづけるためには、海賊たちを手懐てなずけることも必要だ。おれの一言で動く海賊は何人もいる。そいつらを動かしてこの島の船を襲い、商売など出来なくしてやる。そして、借金づけにして、言いなりにしてやる」
 生意気な小娘だが見た目はいい。貴族の令嬢にはない力強く、野性的な美貌びぼうは貴族の男たちには新鮮に映るだろう。体のほうもなかなか。さぞかし、高い金で売れるにちがいない。イッヒッヒ……。
 そうほくそ笑んでいたそのときだ。ヌッと、商人の全身を陰が包み込んだ。驚く間もなく太い腕が肩にまわされ、首根っこをつかまれていた。一瞬、窒息ちっそくの恐怖に襲われたほどの力だった。あえぎながら上を見上げる。そこにいたのはいかつい風貌ふうぼうの巨漢だった。
 筋骨きんこつ隆々りゅうりゅうの体躯、右目には眼帯がんたい、肩には鸚鵡おうむ。その出で立ちを見たとき、商人の顔に恐怖が広がった。
 「ガ、ガレノア……」
 このあたりの海を活動範囲としている商人であれば、そのいかつい風貌ふうぼうと肩の鸚鵡おうむを見てガレノアだとわからないものはいない。そして、敵にまわしたときのガレノアの恐ろしさを知らない商人も。
 「よう、商人どの。景気はどうだい?」
 ニヤリ、と、ガレノアは野太い笑みを浮かべながら商人に話しかけた。その笑顔は獰猛どうもうな肉食獣そのものであり、向けられた人間は例外なく自分が食われる恐怖に襲われるのだ。
 「ガ、ガレノア……。なんで、あんたがここに」
 「なあに、おれもいまじゃあ海賊をやめて自由の国リバタリアの提督さまでよ。タラの居留きょりゅうとは契約を交わしているのさ。島の治安と船の安全を守るってことでな。それでまあ、ときおりこうして島を見回っているわけだがよ。最近はどうにも物騒ぶっそうでなあ。なにしろ、新村長のトウナがよその商人を排除はいじょして自分たちで商売するなんて言い出したもんだからよ。逆恨さかうらみして、良からぬことを企んでいる商人が多いのさ」
 ガレノアはそう言ってニヤリと笑う。獰猛どうもうな肉食獣が人食い鬼へと進化する。商人の顔が恐怖に強張こわばった。
 ふいに、ガレノアは相好そうごうを崩した。打って変わって人を安心させるような笑みになった。
 「もちろん、あんたみたいな道理のわかった賢い商人がそんなことをするわけねえよな。若い村長の挑戦を応援してくれるわけだよな」
 「も、もちろん……ですよ、ガレノア……さん」
 商人は引きつった笑みでそう答える。
 ガレノアは豪快に笑いながら商人の背をバンバン叩く。商人としてはそれだけで息が詰まるほどの衝撃だった。
 「ガッハッハッハッ! そうこなくっちゃなあ。若者の挑戦は応援してやるのがおとなってもんだ。みんながあんたみたいな善良な商人ならおれさまも苦労しねえんだがなあ」
 「は、はははは……」
 商人は引きつった笑みを浮かべる。そんな商人の前にヒョコっと顔を出したものがいる。ガレノアの相方あいかた、コックのミッキーだった。
 「そんな、善良な商人さん限定、とっておきの儲け話があるんだけどね」
 と、いつもの飄々ひょうひょうとした口調で話しかける。
 「儲け話……?」
 ギラリ、と、商人の目が欲望にきらめく。たとえ、獰猛どうもうな肉食獣や、人食い鬼の存在に怯えていても『儲け話』と聞けば本能が目覚める。それでこそ、商人というものだった。
 「ま、こんなところで立ち話もなんだしな。飯でも食いながらゆっくり話そうじゃないか」

 ガレノアとミッキーは商人を小屋のひとつに連れ込んだ。そこで、ミッキー自慢の魚料理を振る舞いながら話をもちかけた。
 「噂ぐらいは聞いていると思うが、おれたちは自由の国リバタリアを立ちあげた。おれたち自身で作る、おれたち自身の国さ。だが、なにしろ出来たてなんで資金繰りが厳しくてな。でっ、ものは相談なんだが、あんた、金山の開発に興味ないかい?」
 「金山?」
 「そうとも。南の海にはおれたち海賊しか知らない宝の島が幾つもある。この金山の島もそのひとつでよ。山から流れる川からは豊富な砂金がとれることで知られていた。昔は、朝から晩まで川底をさらっているやつもけっこういたもんだ。ま、そんなことしてるより商船のひとつも襲った方が楽だし、早いし、稼ぎになるってんで誰もやらなくなっちまったけどよ。けど、有望な金山であることにちがいはねえ。その金山の開発をあんたにやってもらいてえのさ」
 「そ、そんな有望な金山なら、どうしてあんたたち自身で開発しないんで?」
 「そりゃあ、もちろん、おれたちには山を掘る技術なんてないし、それができる人間をそろえるツテもないからな。あんたなら必要な人間をそろえて送り込むことが出来るだろう。でっ、おれたちに関しては、人と物を運ぶ輸送屋として雇ってもらいてえわけさ。そうすりゃあ、あんたは金山からの収益を得られる。おれたちも報酬を得られる。お互いに得な話だ。そうじゃないかい?」
 ミッキーはニコニコと人好きのする笑みをたたえながらそうもちかける。その横ではガレノアも酒の入った杯をあおりつつ、見定めるように笑みを浮かべている。
 商人はミッキーの言葉に考え込んだ。
 たしかに、悪くない話だ。金山の話がどこまで本当かはわからない。しかし、南の海に関して海賊ほどくわしいものはいないのは事実。宝の島の情報ぐらい握っていてもおかしくない。金山の島以外にも幾つもの宝の島を知っているだろうし、ここで話に乗っておけばそれらの島について知ることも出来るだろう。そうなれば、膨大ぼうだいな利益が見込める。タラの島とのあきないから得られる利益など、子どもの小遣いにしか見えなくなるような。
 海賊たちが輸送を請け負うというのも心強い。なにしろ、海賊たちほど南の海を知り尽くし、高度な航海技術をもっている人種はいないのだから。
 もちろん、危険はある。なんと言っても海賊だ。いつ、その本性を現わし、荷を丸ごと奪うかも知れない。しかし、それは大した問題か? どうせ、南の海で商売しようと思えば、海賊に襲われる危険は付きものなのだ。それなら、最初から金で雇ってしまった方が安全というものだ。まして、相手はガレノア海賊団。ガレノアは敵にまわせば恐ろしいが、味方につければ頼もしい存在であることも知られている……。
 にっこりと、商人は愛想あいそのいい笑みを浮かべた。つい先ほどまでのトウナに対する怒りなどどこへやら。愛想あいそを棚に並べて大安売りしているような、そんな笑顔だった。
 「それはたしかにいい話ですな。よろしい。商人の名にかけて請け負わせていただきますよ」
 「そうこなくっちゃな!」
 「おう、だったら前祝いといこうじゃねえか。パアッーと行こうぜ!」

 ひとしきり酒をわしたあと、ガレノアとミッキーは船出する商人を見送った。去っていく船をにらみながらガレノアは忌々いまいましそうに吐き捨てた。たらふく酒を飲んでいながら、酔っている様子がいささかもないのがさすがである。
 「チッ、気に入らねえ。なんだって、宝の島を商人連中なんぞにくれてやらなきゃならねえんだ」
 「仕方ないっすよ、提督。商人を敵にまわすのは得策とは言えないですからね。いままでの利益を奪う分、ちがう利益を与えて味方にしておかないと。それに、おれたちには金山を開発する技術も、技術者を集めるツテもないのは事実なんですから」
 「そりゃあ、そうだがよ」
 ガレノアはさらに言った。
 ミッキーの言っていることはわかるし、理解出来る。しかし、やはり、気に入らない。
 そういう口調であり、表情だった。
 「やっぱ、悔しいじゃねえか。おれたちの仲間の見つけた宝島をよそ者にくれてやるなんざよ」
 「少しの辛抱ですって。自由の国リバタリアの噂が広まって人が集まるようになれば、おれたち自身で開発できる。鉱山の開発だけでなく、コーヒーや砂糖の栽培も出来る。そうなりゃあ、よその商人に頼む必要もなくなる。利益を丸ごと手に入れられるようになりますよ」
 「それだけの人はいつ、集まる?」
 「コーヒーハウスを通じて宣伝してますからねえ。その成果次第でしょうが……」
 ミッキーがそう言ったそのときだ。見張り台の鐘の音が島中に鳴り響いた。
 「『輝きは消えず』号が戻ってきた! ロウワンが戻ってきたぞおっ!」
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