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第二部 絆ぐ伝説
第三話一二章 次なる旅路
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――死なせるもんか!
ロウワンの頭のなかはその一言でいっぱいになっていた。
――この人を死なせるわけにはいかない!
その思いのままにマークスの船長服を脱ぎ、うずくまる野伏の身にかぶせた。さらにその上から〝鬼〟の大刀の腹を押し当てる。
――頼む! マークス、〝鬼〟、どうか、この人を助けてっ!
騎士マークスの船長服。
〝鬼〟の大刀。
そのふたつの『神器』とも言うべき器物がロウワンの必死の思いに応えたのだろう。船長服から暖かな波動が放たれて野伏の身を包み、〝鬼〟の大刀が光を放った。そして――。
野伏は立ちあがった。その身からはもう腐り果てた肉片がしたたり落ちることはない。
――信じられない。
野伏の表情がそう言っていた。
「……妖怪たちがおれの身に戻った」
生け贄の一行が鬼の館へとやってきたのはそれからしばらく後のことだった。ロウワンたちは一行を出迎え、野伏に言われたとおりに鬼は自分たちが倒したと告げた。
「もう生け贄を差し出す必要はありません。安心して暮らしてください」
ロウワンのその言葉に――。
男たちは狂喜乱舞した。手足を振りまわし、踊るようにして村に帰っていった。そんななか、ユキだけが静かな瞳でじっとロウワンを見つめていた。
「……ありがとう。わたしは村の男と結婚して子どもを生み、この地に根を生やして生きていくわ」
まるで、すべてを見透かしているかのような言葉を残し、ユキは男たちと共に村に帰っていった。その姿がひどくロウワンの印象に残った。
ユキたちを見送ったあと、ロウワンは野伏に尋ねた。
「その、本当によかったのか? ユキさんに会わなくて……」
「無用だ」
野伏は短く、それだけを言った。
「おれの身はすでに妖怪の塊。ここにいるのは人間の振りをしている妖怪の群れに過ぎん。人と共に生きていくことはできない」
その言葉にはロウワンも、トウナも、そして、ビーブも、なにも言えなかった。天帰教のシスターであるアイヴィーにとっても、なにも言えることはないようだった。
「おれからも聞きたい。ロウワン。お前はあのとき、なにをした? いったい、どうやって、おれの身に妖怪を戻した?」
それは、あり得ないことのはずだった。
鬼を倒すまでこの身に宿り、この身を動かす。
それが、自らの身を食わせたかわりに妖怪たちと交わした契約。その目的が果たされた以上、妖怪たちが野伏の身に宿る理由はない。
妖怪たちは野伏の身からはなれ、野伏は本来の死体に戻る。
それが、あり得べき唯一の結果。契約に厳しい妖怪たちが、その契約を超えて野伏の身に宿りつづけるなどあるはずがないのだから。
その、あるはずのないことが起きた。
いったい、なにがあれば契約を超えて妖怪たちを野伏の身に縛りつけることが出来ると言うのか。
「おれにもわからない」
ロウワンはそう答えた。
「ただ、夢中だったんだ。あなたほどの覚悟があればマークスも、〝鬼〟も、あなたを助けてくれるはず。そう思って、とっさにやっただけなんだ」
「マークス? 〝鬼〟?」
ロウワンは説明した。千年前の英雄と、現代に生きる災厄のことを。
野伏は説明を聞き終えると感慨深げに言った。
「……なるほど。そのような存在がいるのか。この世にはまだまだ興味深いことがあると見える」
「わたしも勉強になりました」
アイヴィーが言った。ほう、と、溜め息をついてみせる。
「ひどいことをするからには、それだけの事情があるはず。ずっと、そう思ってきました。でも、ちがった。なんの理由も、事情もなく、人を殺すクズもいる。そのことを知れたのは貴重な経験でした」
「あの鬼は、鬼としての習性に従っただけだ。クズだの、カスだの言うのとはちがう」
「いいえ! そんなことはありません。あの鬼は鬼族のなかでも邪悪で非道なただのクズなんです。他の鬼さんならあんなことは言いません。そうに決まっています!」
アイヴィーは迷いなくそう断言した。そんなアイヴィーにロウワンは尋ねた。
「シスター。あなたはこれからどうするんです?」
「もちろん。これからも天帰教の教えを説きつづけます」
「世界をひとつにするために?」
「そうです。天帰教の教えのもと、ひとつになってこそ世界は幸福になるのです」
アイヴィーはそう言いきるとロウワンたちと別れてひとり、山をおりていった。その後ろ姿を見ながらビーブが手話で語った。
――やれやれ。あいつは一生、『サルもイヌも同じ生き物です!』とか言っていそうだな。
「……そうだな」
ロウワンはそう答えたあと、野伏に尋ねた。
「野伏。あなたはこれからどうするんだ?」
「さて」
と、野伏は遠い彼方を見ながら答えた。
鬼を倒したあとのことなど考えたこともなかったのだろう。本来であれば、野伏の『死後の生』はそこで終わっていたのだから。
だが、幸か不幸か野伏の死後の生はつづくこととなった。生涯のすべてを懸けた目的を果たしたあと、野伏は再び別のなにかを求めて存在しつづけなくてはならなくなったのだ。おいそれと答えが出てくるはずもなかった。
「……お前に繋ぎとめられた命だ。おれの死後の生がどれだけつづくかわからないが、お前のために使うとするか」
「……ロウワン」
トウナがロウワンを見た。
ロウワンは野伏を見た。きっぱりと言った。
「それは、断る」
「なに?」
「ロウワン?」
「キキキッ?」
あれほど野伏のことを『自由の国の顔』として欲しがっていたロウワンかそれを断る。そのことにみんな、疑問をもった。
ロウワンは答えた。
「おれがほしいのは仲間だ。自由の国の、都市網国家の理念に共感し、その理念を実現するために、自ら尽力する同志なんだ。恩だの、義理だの、そんなことで動く部下がほしいわけじゃない」
その言葉に――。
野伏はロウワンの前にまっすぐに立った。両手を胸の高さにあげ、まっすぐに立てた左手の平に右拳を当てた。荘厳な口調で言った。
「失礼した。貴公を見くびっていた。貴公の、いや、都市網国家の理念は『人と人の争いをなくす』ことだったな」
「そうだ」
「おれの姉が生け贄にされたのも、ユキが生け贄にされるところだったのも、元を正せばヌーナの国内で争いが起き、そこから逃れたためだった。ヌーナでの争いさえなければ、そんな必要はなかった。ならば、『人と人の争い』はおれにとっても仇。仇は討つ。人と人の争いを終わらせるため、おれのもつすべての力を捧げよう」
「ありがとう!」
今度こそ――。
ロウワンは満面の笑みで右手を差し出した。野伏はしっかりとその手を握りしめた。トウナが安堵の表情を浮かべ、ビーブが楽しげに飛びまわる。そして、野伏は言った。
「さっそくだが、貴公の役に立てるかも知れん」
「役に?」
「貴公は『妙な集団』とやらを探しているのだろう?」
「そうだけど……」
「妙な集団は知らん。だが、『妙な場所』と『妙な女』は知っている」
「なんだって⁉」
「ヌーナのさらに奥。そこに『ドラゴンの棲む谷』と呼ばれる谷がある。その谷では日々、ドラゴンの息が吹きあがり、ドラゴンの咆哮が響くそうだ。そして……」
「そして?」
「その谷からはときおり女がやってきて、男と交わっていくそうだ」
ロウワンの頭のなかはその一言でいっぱいになっていた。
――この人を死なせるわけにはいかない!
その思いのままにマークスの船長服を脱ぎ、うずくまる野伏の身にかぶせた。さらにその上から〝鬼〟の大刀の腹を押し当てる。
――頼む! マークス、〝鬼〟、どうか、この人を助けてっ!
騎士マークスの船長服。
〝鬼〟の大刀。
そのふたつの『神器』とも言うべき器物がロウワンの必死の思いに応えたのだろう。船長服から暖かな波動が放たれて野伏の身を包み、〝鬼〟の大刀が光を放った。そして――。
野伏は立ちあがった。その身からはもう腐り果てた肉片がしたたり落ちることはない。
――信じられない。
野伏の表情がそう言っていた。
「……妖怪たちがおれの身に戻った」
生け贄の一行が鬼の館へとやってきたのはそれからしばらく後のことだった。ロウワンたちは一行を出迎え、野伏に言われたとおりに鬼は自分たちが倒したと告げた。
「もう生け贄を差し出す必要はありません。安心して暮らしてください」
ロウワンのその言葉に――。
男たちは狂喜乱舞した。手足を振りまわし、踊るようにして村に帰っていった。そんななか、ユキだけが静かな瞳でじっとロウワンを見つめていた。
「……ありがとう。わたしは村の男と結婚して子どもを生み、この地に根を生やして生きていくわ」
まるで、すべてを見透かしているかのような言葉を残し、ユキは男たちと共に村に帰っていった。その姿がひどくロウワンの印象に残った。
ユキたちを見送ったあと、ロウワンは野伏に尋ねた。
「その、本当によかったのか? ユキさんに会わなくて……」
「無用だ」
野伏は短く、それだけを言った。
「おれの身はすでに妖怪の塊。ここにいるのは人間の振りをしている妖怪の群れに過ぎん。人と共に生きていくことはできない」
その言葉にはロウワンも、トウナも、そして、ビーブも、なにも言えなかった。天帰教のシスターであるアイヴィーにとっても、なにも言えることはないようだった。
「おれからも聞きたい。ロウワン。お前はあのとき、なにをした? いったい、どうやって、おれの身に妖怪を戻した?」
それは、あり得ないことのはずだった。
鬼を倒すまでこの身に宿り、この身を動かす。
それが、自らの身を食わせたかわりに妖怪たちと交わした契約。その目的が果たされた以上、妖怪たちが野伏の身に宿る理由はない。
妖怪たちは野伏の身からはなれ、野伏は本来の死体に戻る。
それが、あり得べき唯一の結果。契約に厳しい妖怪たちが、その契約を超えて野伏の身に宿りつづけるなどあるはずがないのだから。
その、あるはずのないことが起きた。
いったい、なにがあれば契約を超えて妖怪たちを野伏の身に縛りつけることが出来ると言うのか。
「おれにもわからない」
ロウワンはそう答えた。
「ただ、夢中だったんだ。あなたほどの覚悟があればマークスも、〝鬼〟も、あなたを助けてくれるはず。そう思って、とっさにやっただけなんだ」
「マークス? 〝鬼〟?」
ロウワンは説明した。千年前の英雄と、現代に生きる災厄のことを。
野伏は説明を聞き終えると感慨深げに言った。
「……なるほど。そのような存在がいるのか。この世にはまだまだ興味深いことがあると見える」
「わたしも勉強になりました」
アイヴィーが言った。ほう、と、溜め息をついてみせる。
「ひどいことをするからには、それだけの事情があるはず。ずっと、そう思ってきました。でも、ちがった。なんの理由も、事情もなく、人を殺すクズもいる。そのことを知れたのは貴重な経験でした」
「あの鬼は、鬼としての習性に従っただけだ。クズだの、カスだの言うのとはちがう」
「いいえ! そんなことはありません。あの鬼は鬼族のなかでも邪悪で非道なただのクズなんです。他の鬼さんならあんなことは言いません。そうに決まっています!」
アイヴィーは迷いなくそう断言した。そんなアイヴィーにロウワンは尋ねた。
「シスター。あなたはこれからどうするんです?」
「もちろん。これからも天帰教の教えを説きつづけます」
「世界をひとつにするために?」
「そうです。天帰教の教えのもと、ひとつになってこそ世界は幸福になるのです」
アイヴィーはそう言いきるとロウワンたちと別れてひとり、山をおりていった。その後ろ姿を見ながらビーブが手話で語った。
――やれやれ。あいつは一生、『サルもイヌも同じ生き物です!』とか言っていそうだな。
「……そうだな」
ロウワンはそう答えたあと、野伏に尋ねた。
「野伏。あなたはこれからどうするんだ?」
「さて」
と、野伏は遠い彼方を見ながら答えた。
鬼を倒したあとのことなど考えたこともなかったのだろう。本来であれば、野伏の『死後の生』はそこで終わっていたのだから。
だが、幸か不幸か野伏の死後の生はつづくこととなった。生涯のすべてを懸けた目的を果たしたあと、野伏は再び別のなにかを求めて存在しつづけなくてはならなくなったのだ。おいそれと答えが出てくるはずもなかった。
「……お前に繋ぎとめられた命だ。おれの死後の生がどれだけつづくかわからないが、お前のために使うとするか」
「……ロウワン」
トウナがロウワンを見た。
ロウワンは野伏を見た。きっぱりと言った。
「それは、断る」
「なに?」
「ロウワン?」
「キキキッ?」
あれほど野伏のことを『自由の国の顔』として欲しがっていたロウワンかそれを断る。そのことにみんな、疑問をもった。
ロウワンは答えた。
「おれがほしいのは仲間だ。自由の国の、都市網国家の理念に共感し、その理念を実現するために、自ら尽力する同志なんだ。恩だの、義理だの、そんなことで動く部下がほしいわけじゃない」
その言葉に――。
野伏はロウワンの前にまっすぐに立った。両手を胸の高さにあげ、まっすぐに立てた左手の平に右拳を当てた。荘厳な口調で言った。
「失礼した。貴公を見くびっていた。貴公の、いや、都市網国家の理念は『人と人の争いをなくす』ことだったな」
「そうだ」
「おれの姉が生け贄にされたのも、ユキが生け贄にされるところだったのも、元を正せばヌーナの国内で争いが起き、そこから逃れたためだった。ヌーナでの争いさえなければ、そんな必要はなかった。ならば、『人と人の争い』はおれにとっても仇。仇は討つ。人と人の争いを終わらせるため、おれのもつすべての力を捧げよう」
「ありがとう!」
今度こそ――。
ロウワンは満面の笑みで右手を差し出した。野伏はしっかりとその手を握りしめた。トウナが安堵の表情を浮かべ、ビーブが楽しげに飛びまわる。そして、野伏は言った。
「さっそくだが、貴公の役に立てるかも知れん」
「役に?」
「貴公は『妙な集団』とやらを探しているのだろう?」
「そうだけど……」
「妙な集団は知らん。だが、『妙な場所』と『妙な女』は知っている」
「なんだって⁉」
「ヌーナのさらに奥。そこに『ドラゴンの棲む谷』と呼ばれる谷がある。その谷では日々、ドラゴンの息が吹きあがり、ドラゴンの咆哮が響くそうだ。そして……」
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「その谷からはときおり女がやってきて、男と交わっていくそうだ」
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