壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第三話二二章 粋だ

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 「では、呼び出すとしよう。あの怪物、〝すさまじきもの〟を」
 行者ぎょうじゃはそう言うと、自ら名付けた怪物を呼び出すべく北を向いて立った。顔をあげ、神の住まうとされる北天を見つめた。道標とされる極星の輝く場所を。
 行者ぎょうじゃの隣にはすでに太刀たちを引き抜いた野伏のぶせが口を真一文字に引きしめて立っている。全身を緩め、手足の関節をわずかに曲げ、いつでも太刀たちを振るえるよう準備している。
 その後ろにはロウワン。〝鬼〟の大刀たいとうはまだ背負ったままだ。その威力を思えばこの大刀たいとうはまさに諸刃の刃、最後の手段。『そのとき』が来るまで、抜いていいものではなかった。
 ロウワンの右隣にはいつものようにビーブがいる。その横には見つけたばかりの嫁が寄り添っている。
 そして、左隣にはトウナ。自分が武器をもっても無意味だと自覚しているので腰に差したカトラスは抜いていない。
 さらに、その後ろにはメリッサをはじめとする『もうひとつの輝き』の人員たち。一応、銃は構えているが『どうせ、無駄だから撃たないように』と、行者ぎょうじゃから言われている。メリッサも、その仲間たちも、研究者らしい合理的精神の持ち主なので無意味な行為に走って貴重な弾薬を浪費するつもりはない。
 ――戦いは任せるわ。わたしたちの出番はそのあと。
 資料さえ手に入れば、なんとしてもあの怪物の正体をつかんでみせる。
 研究者の矜持きょうじに懸けてメリッサはそう決意している。
 そして、オオワシの風切かざきまる。ハイイロオオカミのロボ。ホラアナグマのバルバルウたち、勇敢なる山の生き物たちも共に並んで控えている。いかに鋭い爪も、牙も、嘴も、あの怪物には文字通り歯が立たないことは獣の直感でわかっている。自分たちの縄張りである山を、自分たちの力で守れないことへの無念さをにじませながら、この戦いを見守るべく控えている。
 「さあ、はじめるよ」
 行者ぎょうじゃが言った。わざとなのか、無自覚の癖なのか、聞く人を勘違いさせるような楽しげな声だった。
 行者ぎょうじゃは服のえりもとを大きくはだけた。生まれてからこの方、一度たりと日の光を浴びたことがないのではないか。そう思えるほどに白く、なめらかな肌がのぞいた。そして――。
 ぽっかりと、みぞおちに穴が空いた。その穴にひとつのくうが満ちた。
 「人の身に七曜しちようくう在り。そのうちのひとつ。みぞおちに宿るは蠱惑こわくなる金曜のくう。その魅了の力をもちて万物を惹きつく」
 行者ぎょうじゃのみぞおちに空いた穴からくうがもれだし、世界の隅々まで広がっていく。現世とくう。ふたつの世界が交わり、呑まれ、呑み込み、ひとつに溶けあっていく。そして――。
 ズン!
 音を立てて濃密な気配がロウワンたちの上にのしかかった。
 いきなり、自分の体重が一〇倍にもなったかのような感覚。ともすれば、その場でひざを折り、押しつぶされてしまいそうな重さ。そして、なによりも、この世界すべてに対するすさまじいまでの怒り、恨み、憎しみ……。
 ――来た!
 その身を押しつぶそうとする濃密な気配と、心を壊そうとするすさまじい憎悪。
 ロウワンは、いや、その場にいる全員――鳥や獣たちも含めて――が、脂汗をにじませ、歯を食いしばって耐えながら、そのことを悟った。
 そして、それは現れた。
 全身の半分を占める巨大な頭部。
 虚無きょむを詰め込んだかのようなうつろな目。
 風洞ふうどうのような口。
 胴体にはむき出しの心臓がドクドクと脈打っている。
 その胴体は先に行くほど細くすぼまり、先端は尻尾のように丸まっている。
 肩からは恐ろしく太い腕が伸び、巨大な拳を地面につけて立っている。
 山ほどもある異形いぎょうの胎児。
 〝すさまじきもの〟。
 ッ……。
 〝すさまじきもの〟が唸った。
 この世界に対する限りない憎悪が放たれる。ただそれだけで木々が枯れ、草がしおれ、鳥獣たちが病み、心の弱い人間であれば精神をむしばまれる。
 そんなすさまじい憎悪の嵐をしかし、行者ぎょうじゃ野伏のぶせすずやかに受けとめる。
 「うん。いい風だ」
 「怒りと憎しみ。心地よい」
 行者ぎょうじゃすずやかな笑みを浮かべながら、野伏のぶせは重々しい口調で、それぞれに言った。
 このふたりにとって、怒りと憎しみほど馴染みのある感情はなかった。
 「さて。妖怪のお兄さん。ロウワンの準備が整うまでは僕たちふたりで〝すさまじきもの〟の攻撃をしのがなくてはならない。準備はいいね?」
 「むろんだ」
 ヒュン、と、鋭くも重々しい音を立てて野伏のぶせ太刀たちを振るった。自らの背骨を削って作りあげた自らの分身を。
 風が動き、野伏のぶせえりもとをはためかせた。それを見た行者ぎょうじゃが『ふふっ』と、感服したように笑った。
 「なんだ?」
 野伏のぶせが尋ねると、行者ぎょうじゃは目を閉じて答えた。
 「最上質の布地を使いながら、あえてくすんだ色合いにすることで華美になることを避けた奥ゆかしさ。えりもとがはだけたほんの一瞬、その奥からのぞく裏地に描かれた鮮やかな牡丹ぼたん。粋だ」
 その言葉に――。
 野伏のぶせは思わず、見直した目で行者ぎょうじゃを見た。
 「ほう、わかるか。なるほど。その、かんざしの質の良さは伊達ではないと言うことか」
 「ふふっ」
 「ふっ」
 〝すさまじきもの〟の胸が光った。ドクドクと脈打つむき出しの心臓に稲妻が走る。幾筋もの閃光が放たれ、ロウワンたちに襲いかかる。
 「人の身に七曜しちようくう在り。のどに宿るは貪食どんしょくの土曜のくう。その貪欲どんよくをもってすべてを呑み干す」
 行者ぎょうじゃのどにひとつのくうが生まれ、〝すさまじきもの〟の放った稲妻がことごとく吸い込まれていく。
 ッ……!
 怒りか、
 恨みか、
 憎しみか。
 そのすべてか。
 〝すさまじきもの〟は声をあげて唸った。それだけで大気が震え、大地が揺れるほどの音量だった。
 〝すさまじきもの〟は片方の拳をもちあげた。それだけで城ほどもある拳が真横に振るわれた。あまりの風圧に木々が吹き飛び、大地がえぐられ、そのすべてがロウワンたちめがけて降りそそいだ。
 「シャアッ!」
 裂帛れっぱくの気合いと共に野伏のぶせ太刀たちを振るった。昼に輝く月のような白い刀身が縦横に振るわれ、小枝一本、小石ひとつに至るまでことごとく斬り落とす。それは、まさに刃の結界。いかなるものも侵入出来ない絶対なる守りの壁だった。
 「さすがだな、ふたりとも」
 ロウワンが呟いた。背中の大刀たいとうを引き抜いた。
 「だが、今度はおれの番だ」
 〝鬼〟の大刀たいとうつかを両手でしっかりと握りしめる。息を吸い、吐いた。下腹部をへこませ、丹田に気を溜めた。
 「ビーブ。トウナ。力を貸してくれ。おれと一緒につかを握り、それぞれの覚悟を大刀たいとうに伝えてくれ」
 「わかったわ」
 トウナはすぐに答え、ロウワンに寄り添った。両手を伸ばし、ロウワンの手に重ねるようにして大刀たいとうつかをつかむ。しかし、ビーブは――。
 その場で、嫁と見つめあっていた。
 「キキキッ」
 「キキィッ」
 ――行ってくるぞ。お前のために、必ず勝つ。
 ――あなた。お気をつけて。
 「……ビーブ。お前って」
 ロウワンはさすがにあきれた声を出した。ビーブはさっとロウワンの体を駆けのぼると肩の上に乗った。そこから腕を伸ばし、大刀たいとうつかをつかんだ。
 「どういうことなの?」
 後ろから、メリッサが声をかけた。
 「この〝鬼〟の大刀たいとうは使い手の覚悟に反応するんです。覚悟が深ければふかいほど多くの力を出せる。だから、ビーブとトウナの覚悟も借りて力を引き出すんです」
 「そう」
 と、メリッサはうなずいた。
 「それなら、わたしも参加させてもらうわ。『もうひとつの輝き』の代表として。亡道もうどうつかさからこの世界を守る。その覚悟なら誰にも負けないつもりよ」
 メリッサはロウワンの後ろから腕を伸ばし、大刀たいとうつかをつかんだ。自然と、メリッサの胸がロウワンの背中を包み込む格好になる。
 ――あっ。
 ロウワンは心に呟いた。
 生まれてはじめて感じる柔らかいふくらみの感触。その感触に――。
 ロウワンは人生初の血のたぎりを感じた。
 ビリッ。
 大刀たいとうつかをつかむロウワンの両手にしびれが走った。命の一滴を吸われた気がした。それが、ロウワンを我に返した。
 ――な、なにを考えてるんだ、おれは! 集中しろ。〝鬼〟の大刀たいとうはそんなに甘くない。この大刀たいとうをもっているときに覚悟が弱まれば、命のすべてを吸い取られるぞ!
 ロウワンは自分を叱咤しったした。舌を噛み、その痛みで雑念を振り払った。カッ、と、目を見開いた。
 「行くぞ、ビーブ、トウナ、メリッサ師。それぞれの覚悟をありったけ大刀たいとうに注ぎ込むもんだ。
 その声を受けて――。
 ビーブが、
 トウナが、
 メリッサが、
 それぞれの覚悟を大刀たいとうに込めた。
 覚悟を注ぎ込まれた反動であるかのように、大刀たいとうのなかから力が吹き出した。
 それはまさに力。
 そうとしか言いようのない純粋な力だった。
 「おおおおおっ!」
 ロウワンが叫ぶ。
 大刀たいとうから吹き出した力が光の刀身となり、ふくれあがり、〝すさまじきもの〟を襲う。
 ッ……!
 〝すさまじきもの〟が吠えた。
 しかし、その声は怒りでも、恨みでも、憎しみでもない。それはまぎれもない――。
 悲鳴だった。
 光の刀身が〝すさまじきもの〟の巨体を真っ二つに斬り裂いた。豪雨のような膨大な血をほとばしらせて、〝すさまじきもの〟の身は両断された。
 その身が渦に呑まれた紙のようにバラバラにちぎれ、溶けていき、北天に開いた巨大なくうに呑み込まれていく。
 ビーブがすかさずロウワンの肩から降りて、尻尾に握った容器に降りそそぐ血を受けとめていく。
 ふう、と、行者ぎょうじゃが息をついた。
 「……あれも、ちがった」
 流れる血のように紅い唇からその一言がもれだした。
 「あのくうも、僕の故郷を呑み込んだくうではなかった」
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