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第二部 絆ぐ伝説

第四話一〇章 戦の跡

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 ロウワン、ビーブ、トウナ、野伏のぶせ
 自由の国リバタリアの代表として外交旅行の途上にある四人はいま、アドニス回廊のローラシア側、イスカンダル城塞じょうさいぐんの前にやってきていた。
 アドニス回廊のパンゲア側には、パンゲアの前線拠点である雷霆らいていじょうが存在し、さらにその前には『雷霆らいてい長城ちょうじょう』と言われる長大な障壁が築かれ、サラスヴァティー長海ちょうかいと北方の紅蓮ぐれん地獄じごくとをつないでいる。
 本来、このような障壁は火器類の発達する以前の時代の代物であり、大砲による砲撃が当たり前になった現在では意味がないと言える。ただ、この長城ちょうじょうが作られたのは未だ大砲が一般化する以前のことであるし、なによりも『防衛のため』のものではなく、『出撃のための拠点』として存在していた。事実、雷霆らいてい長城ちょうじょうがローラシア側からの攻撃を受けたことは一度もなく、その壁に大砲の弾どころか銃弾一発、受けたことがないのがほまれである。
 それは要するに『戦争を起こすのは常にパンゲアの側』という意味でもあるのだが、とにかく、雷霆らいてい長城ちょうじょうはパンゲアの威信の象徴として数百年の時を超えて存在しつづけている。
 雷霆らいてい長城ちょうじょうにはやはり、『悪魔が作ったのではないか』と疑いたくなるほど巨大で、豪壮な作りの門がある。長城ちょうじょうの門はこのひとつだけであり、この門をくぐり抜ける以外、アドニス回廊のローラシア側に抜けることは出来ない。平時であれば開け放たれ、誰もが自由に通ることのできるその門も、いざ戦争となれば固く閉ざされ、開かれることはない。
 パンゲアの誇る騎士団が『世界統一』という『神のご意志』を実現するべく、胸を張って出撃していくそのときをのぞいては。
 いまはまさに戦時中であり、パンゲアからローラシアに渡るにせよ、その逆にせよ、兵士以外で通ることを許されるのは特別な許可を得た特別な人間だけ。ロウワンたちはその『特別な許可証』をルキフェルから贈られていたので、問題なく通ることが出来た。
 筆頭将軍の署名を見た兵士たちはたちまち雷に撃たれように居住まいを正し、ロウワンたちをまるで国賓こくひんででもあるかのように丁寧に送り出したものである。その一件はルキフェルの人望の高さと、パンゲア騎士団の規律正しさを示していた。
 雷霆らいてい長城ちょうじょうとイスカンダル城塞じょうさいぐんの間には、普通に歩いて半日程度の距離しかない。その短い距離の間で幾度となく激しい戦闘が繰り広げられてきた。
 ほんの少し前まで難攻なんこう不落ふらくを謳われ、ローラシアだい公国こうこくの最前線の防衛拠点であった城塞じょうさいぐん。最新鋭の装備に身を固めた兵士たちがたむろし、生き死にの緊張感に包まれていた城塞じょうさいぐんもいまや、人っ子ひとりいない無人の廃墟である。
 これまで、この地を舞台に幾度となく繰り広げられてきた両国の激闘。血と硝煙しょうえんの匂いが入り交じり、無数の死者と、寡婦かふと、孤児と、そのすべてが合わさった数の怒り、憎悪、無念を生みだしてきたその歴史が嘘のように静まり返っている。
 在りし日の激闘を忍ばせるものは大地に染み込んだ無数の血の跡と、細かすぎて回収されなかった兵士たちの肉片や骨の欠片。そして、打ち捨てられた無数の武器や防具類。いまは、それらの武器や防具を使うものもなく、まばらに生えた草を揺らす風だけが吹き抜けている。
 「……まさか、こんな日が来ようとは、この城塞じょうさいぐんも思わなかっただろうな」
 ロウワンが沈痛ちんつうな面持ちで呟いた。
 思わず城塞じょうさいぐんを人のように扱ってしまったが、少し前までの無数の兵たちで賑わっていた様子と、いまのあまりにもうら寂しい様子とを想像してみれば、ついつい擬人化してしまうのも致し方ない。いっぱしの詩人であれば、吹き抜ける風のなかにイスカンダル城塞じょうさいぐんのむせび泣く声を聞きとっていたことだろう。
 「……ひどいものね」
 あたりを見回していたトウナが眉をひそめた。
 「これまでにいったい、どれだけの人がここで死んでいったのかしら」
 大胆で勇敢なトウナであるが、冷酷なわけでも、好戦的なわけでもない。生きた人間がモノのように壊され、死んでいった跡を見れば胸が締めつけられる。
 「ここで死ねた兵士たちはむしろ、幸せだったと言うべきだな」
 野伏のぶせ太刀たちを鳴らしながら答えた。
 「戦いで死ぬ兵士は実は少ない。本当に、死ぬ兵士が多いのは戦いのあとだ。手足を失い、内臓をえぐられ、頭を吹き飛ばされ……二度とえぬ傷を負い、治療するすべもなく苦しみながら死んでいく。医師に出来るのことは一刻も早く苦しみから解放してやるために殺すことだけ。
 たとえ、生き残ったところで『運良く』と言えるかどうか。二度と元に戻らぬ体を抱え、ズタズタにされた心をいだきながら生きていくことになるのだからな。おれなら、戦場で一思いに死ねることこそ『運が良かった』と思うだろうな」
 「どっちも最低よ」
 トウナが悲しみよりもむしろ、怒りを込めて答えた。
 「あたしもいずれは子を産む。その子がそんな死に方をするなんて耐えられない」
 「おれだってそうさ」
 「キキキッ」
 ロウワンが言うと、ビーブもうなずきながら同意の声をあげた。
 ビーブはロウワンやトウナとは異なり、すでに結婚している。子どもが生まれるのも時間の問題だろう。それだけに、よけい切実に感じられるにちがいない。
 「キキキッ、キイ、キイ、キイ」
 ――大体、なんだって人間は自分の子どもを死なせるために送り出したりするんだよ。おれたちはそんなこと絶対しないぞ。
 ビーブが手話でそう疑問を呈した。
 「……耳が痛い」
 「……まったくね」
 「それが人のさが……というところだな」
 ロウワン、トウナ、野伏のぶせが、それぞれに答えた。
 「だけど……」
 ロウワンが決意を込めて言った。
 「おれたちは、そのために『人と人が争う必要のない世界』を作ることにしたんだ。おれたちの子どもが戦争で死ぬか、それとも、死なずにすむか。それは、おれたちがその目的を実現できるかどうかにかかっている」
 ロウワンのその言葉に――。
 ビーブ、トウナ、野伏のぶせはそれぞれにうなずいた。
 ロウワンたちはなんとなしに城塞じょうさいぐんを構成する城のひとつに入った。城のなかも壁が崩され、柱が砕かれ、武器や防具類が散乱し外と同様、破壊と殺戮さつりくの跡だけが空しく残っていた。
 「なかもひどいな。よくこれだけ破壊したものだ」
 「しかも、道具を使った跡がない。これは、素手で壊したものだ」
 「素手って……こんな頑丈そうな建物を素手で壊したって言うの?」
 野伏のぶせの声に、トウナが尋ねた。
 「普通なら考えられん。これだけ頑丈な壁を素手で殴って壊すなど、おれでも無理だ。それが出来るのが〝神兵〟とやらの力、と言うことだな」
 「野伏のぶせでも出来ないことを平気でやってのける、か。そんな兵が自由に使えるならなるほど、アルヴィルダが力による統一に自信をもつのも納得だな」
 ロウワンはそう言ったあと改めて城のなかを見回した。人ひとりいる気配のない城のなかを。
 「だけど、おかしいな。パンゲア兵のひとりもいないなんて。てっきり、大軍を送り込んで占拠しているものだと思っていたけど。難攻なんこう不落ふらくで知られるイスカンダル城塞じょうさいぐんだ。パンゲアのものにすればローラシア側に相当な圧力をかけることができるだろうに」
 「そうでもない」
 「そうでもない? どういう意味だ、野伏のぶせ
 「いくら兵が強くても水と食糧がなければいくさは出来ん。イスカンダル城塞じょうさいぐんの水はすべて、ローラシア側から地下水路を使って引かれている。ローラシア側からすれば水を断つこともできるし、毒を混ぜることも出来る。水の上に油を流して火攻めにすることも可能だ。
 パンゲア側からすれば難攻なんこう不落ふらくでも、ローラシア側からすれば攻め手はいくらでもある。そんなところに兵を配置して危険にさらす必要はない。遠くはなれた前線、と言うならともかく、半日ていど歩いた場所にパンゲア側の拠点があるわけだしな」
 「ああ、なるほど。そういうものか」
 「でも……」
 と、今度はトウナが首をかしげた。
 「パンゲアがローラシアに攻め込めなかったのは、このイスカンダル城塞じょうさいぐんがあったからなんでしょう? その邪魔な拠点を制圧したのに、どうして一気に攻めこまないの?」
 「戦争は戦闘だけではない。常に交渉と一体の政治活動だ。おそらく、イスカンダル城塞じょうさいぐんを制圧したという現実を突きつけ、ローラシアに降伏を迫っているのだろう。アルヴィルダの目的はあくまでも世界の統一。戦うことなく交渉によって支配下に置けるならそれに越したことはないだろう」
 「なるほど。水面下ではいろいろと交渉や駆け引きが行われていると言うことか」
 「恐らくは、だがな」
 野伏のぶせはそう言ったあと、今度は自分自身の疑問を口にした。
 「しかし、ローラシア側の動きはせんな。パンゲアが占拠していないなら兵を送って再び守りを固めそうなものだ。それをしていないと言うことは……」
 「言うことは?」
 「とりあえず、三つの可能性が考えられる。ひとつは単純に送るべき部隊がない。この地を守っていたのはローラシアのなかでも最精鋭だったはず。練度、装備、指揮官の質、すべてにおいてローラシアの最高峰だったろう。その部隊が全滅したとなればおいそれと代わりを送れないのも納得が行く。
 ふたつ目は、すでに交渉が進んでいて、ローラシアの降伏を前提とした停戦が行われている……」
 ロウワンは小首をかしげた。
 「それは考えにくいな。ローラシアは、と言うより、ローラシアの支配階級である貴族たちは、とにかく特権意識が高い。自分たちの特権が失われる降伏を選ぶとは考えにくい」
 「だろうな。おれとしては第三の可能性が一番、高いかと思う」
 「第三の可能性って?」と、トウナ。
 「イスカンダル城塞じょうさいぐんなど放置してもかまわないほど強力な戦力がある」
 「……強力な戦力。メリッサ師が言っていた秘匿ひとくしていた天命てんめい使つかたち、か」
 「天命てんめいことわりってそんなに強力な武器になるの?」
 「普通はならない。そもそも、戦いのための技術じゃないしな。でも、使い方によっては恐ろしい武器になる。事実、ハルキス先生はうみ雌牛めうしの子どもを『歳をとる』という天命てんめいに干渉して一気に歳をとらせ、衰弱死させた」
 「一気に歳をとらせる……。そんなことが可能なのね」
 「ああ。ハルキス先生は相手にふれることで歳をとらせた。でも、もし、遠くはなれた相手の天命てんめいに干渉することが出来たなら……」
 「遠くはなれた……。そんなことができるの?」
 「わからない。でも、メリッサ師の言葉通りならハルキス先生は天命てんめいことわりが最も使いにくくなっていた時代の使い手だ。それでも、あれだけのことが出来た。それなら、そのもっと前、天命てんめいことわりが全盛期だった頃の使い手たちが保存されているなら……可能かも知れない」
 しん、と、その場が静まり返った。
 ロウワンの言葉はあまりにも不吉なものだった。
 「遠くはなれた相手に一気に歳をとらせる……か。確かに、そんなことができたら一方的だな」
 野伏のぶせがそう言ったそのときだ。ビーブが『キッ!』と、小さいが鋭い声をあげた。手足を床に踏ん張り、尻尾を高くもちあげ、牙をむきだし、臨戦態勢である。
 「敵か⁉」
 ロウワンが叫んだ。両腰に差したカトラスを抜き放った。トウナも同じようにカトラスを構えた。全員で背中合わせになり、死角が出来ないように円陣を組んだ。
 「どうした⁉ なにがあった?」
 などと尋ねる必要はなかった。ビーブが臨戦態勢をとった以上、いま、この場になにかか、少なくとも『味方』とは言えないなにかがいることは確実。ならば、言葉を使う前に守りを固めるべきだった。
 最初に動いたのはやはり、野伏のぶせだった。
 「そこか!」
 その叫びと共に――。
 己の背骨を削って作りあげた太刀たちが振るわれた。
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