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第二部 絆ぐ伝説
第五話一八章 さらば、ガレノア。さらば、ボウ
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「……そうですか。〝鬼〟の襲撃を」
「……はい」
ゴンドワナに着いたロウワンはすぐに議事堂に向かい、評議会議長ヘイダールに報告した。ロウワンの隣にはロスタムが並んで座り、その美貌には似つかわしくない沈み込んだ姿をさらしていた。
「〝鬼〟の噂は聞いていましたが……」
ロスタムはそう切り出した。
「……噂どころではありませんでした。一撃で吹っ飛ばされただけですが、それだけではっきりとわかりました。『あれ』は人間の身でどうこうできる存在ではありません。いえ、そもそも、人の世にいていい存在ではない」
もっとなにか根本的にちがう、名状しがたい『なにか』です……。
〝鬼〟についてそう語るロスタムの顔には、大きな痣がついたままだ。ロスタムを慕う女性たちが見れば悲鳴をあげて嘆き悲しみ、泣き叫ぶにちがいない。それほどに大きく、はっきりとした痣。
しかし、『たかが痣』ですんだのは、〝鬼〟にとってロスタムがその程度の存在だったから。わざわざ殺すほどの価値もない雑魚だったからに過ぎない。そのことをロスタム自身がはっきりと感じとっていた。
そのことに対する悔しさとか、屈辱感。そんなものは心のどこにもありはしなかった。あの野伏が認めるほどの男である。素質も、才能も、鍛錬に費やした時間も常人の比ではない。そんな自分に対する自負と気概はもちろん、持ち合わせている。
それなのに、『舐められて悔しい』とか、『今度は負けない』とか、そんな思いはどこからも湧いてこない。
――まあ、当然だな。
自分でも不思議なぐらい、そう納得している。
考えてみるといい。いくら腕自慢だからと言って、人間の身であるものが巨大な人食い熊に吹っ飛ばされたからといって『悔しい!』などと思うだろうか。『次は勝ってやる!』などと復讐心に燃えるだろうか。
そんなはずはない。
それと同じ、いや、人間と〝鬼〟の間にはそれ以上の巨大な差がある。決して、埋めることの出来ない差が。ロスタムはそのことをただ一撃を食らっただけで悟っていた。並外れた戦士であるロスタムだからこそ、なおさらにはっきりとそう感じるのだ。
「……あれは、人の世にいていい存在ではありません」
ロスタムはそう繰り返した。
ヘイダールも無言でうなずいた。
ロウワンが、ヘイダールにまっすぐに視線を向けながら断言した。
「確かに、自由の国の船団は〝鬼〟の襲撃によって多くの被害を受けました。いくつもの大型船を破壊され、多くの船員が殺されました。ですが、ガレノアとボウが盾になってくれたおかげで壊滅は免れました。まだ充分な戦力は維持しています。ゴンドワナへの援軍は約束通り、送らせていただきます」
「感謝しますぞ。ロウワン卿」
ヘイダールは孫のような年齢の若者に対し、いたって礼儀正しく返答した。
「我々からも約束させていただきますぞ。今回の件でどれだけの被害が出たにせよ、我々の自由の国への信頼が揺らぐことはありません。〝鬼〟を相手に生きのこった。それだけで充分、信頼に値するのですからな。両国の同盟は揺るぎませんぞ。頼りにさせていただきます」
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
ロウワンはそう言ってから、さらにつづけた。
「それに、今回の件で痛い目を見るのはローラシアも同じ」
「ですな。人ならざるものへの願いの代償は常に同じ。己の生命。少なくとも、大公サトゥルヌスの命はない。もし、それを拒めば、さらに多くの命が奪われることになる。ローラシアの指導部は壊滅することでしょう」
「そのとおりです。ある意味、ガレノアとボウが自分の命を懸けてローラシアを倒してくれた。この機会を逃すわけにはいきません。ふたりに報いるためにも必ず、望んだ未来は手に入れます」
「それでこそ、ですぞ」
ヘイダールが豊かな顎髭を伸ばした顔で、重々しくうなずいたときだ。部屋の扉が音高く開けられてプリンスが飛び込んできた。血相をかえた顔で叫んだ。
「ロウワン! 『海の女』号が港に流れ着いた!」
その言葉に――。
ロウワンは立ちあがった。その姿はもはや、一〇〇万の兵を指揮する将軍のものだった。
サラフディンの港。
そこに、『海の女』号は流れ着いていた。
港はいまだ、パンゲアの〝神兵〟の襲撃からの痛手が癒えておらず、『海の女』号がつけることのできる桟橋はない。それを知ってのことか一定距離からは近づかず、波に揺られて浮かんでいる。
ロウワン、ブージ、メリッサ、野伏、行者、ミッキー、ドク・フィドロ、ブージ、プリンス、〝ブレスト〟・ザイナブ。それに、ボーラとロスタム。
主立ったものたちが港に集まり、波にたゆたうその姿に視線を向けている。
その表情は一様に厳しい。『期待』とか『願望』とか、そんなものはどこにもない。
「もしかしたら……」
などと言う期待を抱くような甘っちょろい精神の持ち主は、このなかにはひとりもいなかった。
そして、小舟を使って『海の女』号に乗り込んだ一行の見たもの。それはまぎれもなく予想通りの光景。甲板の上に並ぶガレノアとボウの遺体……。
いつも、ガレノアの肩の上にいた鸚鵡だけが長年、連れ添った相棒の死を悼んでその分厚い胸の上にとまり、うなだれている。
遺体を確認したドク・フィドロが弱々しくかぶりを振った。医学の限界そのものを嘆き悲しむかのように。
「……完全に死んでおる。蘇生うんぬんを試せる段階ではない」
一目見てわかることではあったが、こうして医者の口からはっきり言われるとやはり、その現実が心のなかに押しよせてくる。
「提督……」
最初に口を開いたのは『ガレノアの腰巾着』と呼ばれながらその実、陰でずっとガレノアを支えてきた料理長のミッキーだった。
「くれぐれも言っときますぜ。あの世じゃあ決して、『おれは女だ!』なんて言わないでくださいよ。死んだあとに夢と浪漫を壊されたとあっちゃあ、死んだ連中が気の毒すぎます」
「……ガレノアがねえ。こいつでも死ぬんだねえ」
しみじみと――。
そう言ったのは、ガレノアとふたり、『女海賊の双璧』として名を競ってきたボーラである。
「……純情可憐な乙女だそうだからな」と、ロウワン。
「……なるほどね。可憐な乙女かどうかは人によるだろうけど、純粋でまっすぐなやつだったことはまちがいないよ」
「たしかに」
「でも……」
と、メリッサが口にした。一歩前に進み出て、ふたりの顔をのぞき込んだ。
「ふたりとも笑っている。殺されたのに満足しきっている」
「ああ。その通りだ。ガレノアも、ボウも、負けて殺されたんじゃない。〝鬼〟という最強の敵との戦いで、海の漢としての人生を全うしたんだ」
そういうロウワンの後ろでは、空狩りの行者がじっと野伏の顔を見つめていた。
「なんだ?」
「……いや。ここは『おれさえいれば、こんなことにはさせなかった』とか言うところじゃないかと思ってね」
「お前の力さえ通用しなかったんだろう。おれがいたところで、なにがかわったとも思えん」
「へえ。なんだか意外だな。僕のことをそんなに高く評価してくれていたんだ。ハッ! まさか、これは恋……」
「勝手に世界をねじ曲げるな!」
野伏と行者。
人ならざるふたりの漫才にロウワンは叫んだ。
「そうだ、それでいい! しんみりした弔いなんてガレノアには似合わない! ありったけの酒を用意しろ! 誰でもいいからどんどん人を呼べ! 今日は自由の国の祭日だ、盛大な祭りで送り出すんだ!」
そして、サラフディンの港はかつてない盛大な祭りに包まれた。
誰も彼もが仕事を忘れ、唄い、踊り、酒を酌み交わした。いつ果てるともない陽気な笑い声が響き、紙吹雪が舞いあがる。そこかしこで殴り合いの喧噪まで起きたのはまさに、ガレノアの葬儀にふさわしい光景だった。
丸一日、騒ぎつづけたあと、ロウワンたちはガレノアとボウの遺体を『海の女』号に乗せて大海原へと送り出した。ガレノアの望み通り、ラム酒をたっぷり詰め込んだ山のような酒樽と共に。
「ふたりの偉大なる海の漢、ガレノアとボウに敬礼!」
ロウワンの号令に従い、メリッサが、野伏が、行者が、ミッキーが、ドク・フィドロが、プリンスが、〝ブレスト〟・ザイナブが、ボーラが、あのブージまでもが手を掲げて『海の女』号を送り出した。
いつも、ガレノアと一緒だった鸚鵡は、いまでは〝ブレスト〟の肩にとまり、長年の相棒を見送っている。
ロウワンたちはゆっくりと海の向こうに去っていく『海の女』号をいつまでも見送っていた。その姿が波間の向こうに消えてなくなり、後を追うカモメの群れたちも見えなくなる、そのときまで。
その日――。
ローラシア大公サトゥルヌスは自らの屋敷にひとりの客人を迎えていた。首輪ひとつつけただけの全裸の少女を従えた巨漢の男。
〝鬼〟。
「なんだ、いまさら。なんの用だ?」
サトゥルヌスは面倒くさそうにそう尋ねた。自慢の鷲鼻がヒクヒクとうごめいている。
〝鬼〟は分厚い唇に愛嬌のある笑みを浮かべて答えた。
「なあに。おめえの頼みを聞いた代償がまだなんでな。受け取りに来ただけさ」
「ああ……」
と、サトゥルヌスはつまらなさそうに答えた。戸棚を開けるとなかの札束をつかみ出し、〝鬼〟の足元に放り投げた。
「そいつをくれてやる。さっさと帰って、次の命令があるまで控えておれ」
サトゥルヌスがそう言って放り投げた札束はたしかに、普通の無法者なら小躍りして喜ぶほどの量ではあった。しかし――。
〝鬼〟は札束も、サトゥルヌスの態度もせせら笑った。
「あいにくだがよ。おれの受けとる代償はこんなもんじゃねえ」
「札では不満か? ならば、金でも、宝石でも、好きなだけもっていけ」
「おれの受けとる代償はただひとつ。おめえの命、さ」
「なんだと⁉ ふざけたことを抜かすな! 寄る辺もない海賊の分際で。分をわきまえてさっさと金を受けとって引っ込むがいい」
「情けねえ」
「なに?」
「あいつらは自分の望んだ未来のために命を懸けたぜ。おめえにはそれだけの気概もねえのか?」
ニヤリ、と、〝鬼〟は笑った。
その笑顔を見たとき、サトゥルヌスはようやく悟った。
自分が死神相手に取り引きしてしまったことを。
その日――。
大公サトゥルヌスをはじめとするローラシアの六公爵は全滅した。
「……はい」
ゴンドワナに着いたロウワンはすぐに議事堂に向かい、評議会議長ヘイダールに報告した。ロウワンの隣にはロスタムが並んで座り、その美貌には似つかわしくない沈み込んだ姿をさらしていた。
「〝鬼〟の噂は聞いていましたが……」
ロスタムはそう切り出した。
「……噂どころではありませんでした。一撃で吹っ飛ばされただけですが、それだけではっきりとわかりました。『あれ』は人間の身でどうこうできる存在ではありません。いえ、そもそも、人の世にいていい存在ではない」
もっとなにか根本的にちがう、名状しがたい『なにか』です……。
〝鬼〟についてそう語るロスタムの顔には、大きな痣がついたままだ。ロスタムを慕う女性たちが見れば悲鳴をあげて嘆き悲しみ、泣き叫ぶにちがいない。それほどに大きく、はっきりとした痣。
しかし、『たかが痣』ですんだのは、〝鬼〟にとってロスタムがその程度の存在だったから。わざわざ殺すほどの価値もない雑魚だったからに過ぎない。そのことをロスタム自身がはっきりと感じとっていた。
そのことに対する悔しさとか、屈辱感。そんなものは心のどこにもありはしなかった。あの野伏が認めるほどの男である。素質も、才能も、鍛錬に費やした時間も常人の比ではない。そんな自分に対する自負と気概はもちろん、持ち合わせている。
それなのに、『舐められて悔しい』とか、『今度は負けない』とか、そんな思いはどこからも湧いてこない。
――まあ、当然だな。
自分でも不思議なぐらい、そう納得している。
考えてみるといい。いくら腕自慢だからと言って、人間の身であるものが巨大な人食い熊に吹っ飛ばされたからといって『悔しい!』などと思うだろうか。『次は勝ってやる!』などと復讐心に燃えるだろうか。
そんなはずはない。
それと同じ、いや、人間と〝鬼〟の間にはそれ以上の巨大な差がある。決して、埋めることの出来ない差が。ロスタムはそのことをただ一撃を食らっただけで悟っていた。並外れた戦士であるロスタムだからこそ、なおさらにはっきりとそう感じるのだ。
「……あれは、人の世にいていい存在ではありません」
ロスタムはそう繰り返した。
ヘイダールも無言でうなずいた。
ロウワンが、ヘイダールにまっすぐに視線を向けながら断言した。
「確かに、自由の国の船団は〝鬼〟の襲撃によって多くの被害を受けました。いくつもの大型船を破壊され、多くの船員が殺されました。ですが、ガレノアとボウが盾になってくれたおかげで壊滅は免れました。まだ充分な戦力は維持しています。ゴンドワナへの援軍は約束通り、送らせていただきます」
「感謝しますぞ。ロウワン卿」
ヘイダールは孫のような年齢の若者に対し、いたって礼儀正しく返答した。
「我々からも約束させていただきますぞ。今回の件でどれだけの被害が出たにせよ、我々の自由の国への信頼が揺らぐことはありません。〝鬼〟を相手に生きのこった。それだけで充分、信頼に値するのですからな。両国の同盟は揺るぎませんぞ。頼りにさせていただきます」
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
ロウワンはそう言ってから、さらにつづけた。
「それに、今回の件で痛い目を見るのはローラシアも同じ」
「ですな。人ならざるものへの願いの代償は常に同じ。己の生命。少なくとも、大公サトゥルヌスの命はない。もし、それを拒めば、さらに多くの命が奪われることになる。ローラシアの指導部は壊滅することでしょう」
「そのとおりです。ある意味、ガレノアとボウが自分の命を懸けてローラシアを倒してくれた。この機会を逃すわけにはいきません。ふたりに報いるためにも必ず、望んだ未来は手に入れます」
「それでこそ、ですぞ」
ヘイダールが豊かな顎髭を伸ばした顔で、重々しくうなずいたときだ。部屋の扉が音高く開けられてプリンスが飛び込んできた。血相をかえた顔で叫んだ。
「ロウワン! 『海の女』号が港に流れ着いた!」
その言葉に――。
ロウワンは立ちあがった。その姿はもはや、一〇〇万の兵を指揮する将軍のものだった。
サラフディンの港。
そこに、『海の女』号は流れ着いていた。
港はいまだ、パンゲアの〝神兵〟の襲撃からの痛手が癒えておらず、『海の女』号がつけることのできる桟橋はない。それを知ってのことか一定距離からは近づかず、波に揺られて浮かんでいる。
ロウワン、ブージ、メリッサ、野伏、行者、ミッキー、ドク・フィドロ、ブージ、プリンス、〝ブレスト〟・ザイナブ。それに、ボーラとロスタム。
主立ったものたちが港に集まり、波にたゆたうその姿に視線を向けている。
その表情は一様に厳しい。『期待』とか『願望』とか、そんなものはどこにもない。
「もしかしたら……」
などと言う期待を抱くような甘っちょろい精神の持ち主は、このなかにはひとりもいなかった。
そして、小舟を使って『海の女』号に乗り込んだ一行の見たもの。それはまぎれもなく予想通りの光景。甲板の上に並ぶガレノアとボウの遺体……。
いつも、ガレノアの肩の上にいた鸚鵡だけが長年、連れ添った相棒の死を悼んでその分厚い胸の上にとまり、うなだれている。
遺体を確認したドク・フィドロが弱々しくかぶりを振った。医学の限界そのものを嘆き悲しむかのように。
「……完全に死んでおる。蘇生うんぬんを試せる段階ではない」
一目見てわかることではあったが、こうして医者の口からはっきり言われるとやはり、その現実が心のなかに押しよせてくる。
「提督……」
最初に口を開いたのは『ガレノアの腰巾着』と呼ばれながらその実、陰でずっとガレノアを支えてきた料理長のミッキーだった。
「くれぐれも言っときますぜ。あの世じゃあ決して、『おれは女だ!』なんて言わないでくださいよ。死んだあとに夢と浪漫を壊されたとあっちゃあ、死んだ連中が気の毒すぎます」
「……ガレノアがねえ。こいつでも死ぬんだねえ」
しみじみと――。
そう言ったのは、ガレノアとふたり、『女海賊の双璧』として名を競ってきたボーラである。
「……純情可憐な乙女だそうだからな」と、ロウワン。
「……なるほどね。可憐な乙女かどうかは人によるだろうけど、純粋でまっすぐなやつだったことはまちがいないよ」
「たしかに」
「でも……」
と、メリッサが口にした。一歩前に進み出て、ふたりの顔をのぞき込んだ。
「ふたりとも笑っている。殺されたのに満足しきっている」
「ああ。その通りだ。ガレノアも、ボウも、負けて殺されたんじゃない。〝鬼〟という最強の敵との戦いで、海の漢としての人生を全うしたんだ」
そういうロウワンの後ろでは、空狩りの行者がじっと野伏の顔を見つめていた。
「なんだ?」
「……いや。ここは『おれさえいれば、こんなことにはさせなかった』とか言うところじゃないかと思ってね」
「お前の力さえ通用しなかったんだろう。おれがいたところで、なにがかわったとも思えん」
「へえ。なんだか意外だな。僕のことをそんなに高く評価してくれていたんだ。ハッ! まさか、これは恋……」
「勝手に世界をねじ曲げるな!」
野伏と行者。
人ならざるふたりの漫才にロウワンは叫んだ。
「そうだ、それでいい! しんみりした弔いなんてガレノアには似合わない! ありったけの酒を用意しろ! 誰でもいいからどんどん人を呼べ! 今日は自由の国の祭日だ、盛大な祭りで送り出すんだ!」
そして、サラフディンの港はかつてない盛大な祭りに包まれた。
誰も彼もが仕事を忘れ、唄い、踊り、酒を酌み交わした。いつ果てるともない陽気な笑い声が響き、紙吹雪が舞いあがる。そこかしこで殴り合いの喧噪まで起きたのはまさに、ガレノアの葬儀にふさわしい光景だった。
丸一日、騒ぎつづけたあと、ロウワンたちはガレノアとボウの遺体を『海の女』号に乗せて大海原へと送り出した。ガレノアの望み通り、ラム酒をたっぷり詰め込んだ山のような酒樽と共に。
「ふたりの偉大なる海の漢、ガレノアとボウに敬礼!」
ロウワンの号令に従い、メリッサが、野伏が、行者が、ミッキーが、ドク・フィドロが、プリンスが、〝ブレスト〟・ザイナブが、ボーラが、あのブージまでもが手を掲げて『海の女』号を送り出した。
いつも、ガレノアと一緒だった鸚鵡は、いまでは〝ブレスト〟の肩にとまり、長年の相棒を見送っている。
ロウワンたちはゆっくりと海の向こうに去っていく『海の女』号をいつまでも見送っていた。その姿が波間の向こうに消えてなくなり、後を追うカモメの群れたちも見えなくなる、そのときまで。
その日――。
ローラシア大公サトゥルヌスは自らの屋敷にひとりの客人を迎えていた。首輪ひとつつけただけの全裸の少女を従えた巨漢の男。
〝鬼〟。
「なんだ、いまさら。なんの用だ?」
サトゥルヌスは面倒くさそうにそう尋ねた。自慢の鷲鼻がヒクヒクとうごめいている。
〝鬼〟は分厚い唇に愛嬌のある笑みを浮かべて答えた。
「なあに。おめえの頼みを聞いた代償がまだなんでな。受け取りに来ただけさ」
「ああ……」
と、サトゥルヌスはつまらなさそうに答えた。戸棚を開けるとなかの札束をつかみ出し、〝鬼〟の足元に放り投げた。
「そいつをくれてやる。さっさと帰って、次の命令があるまで控えておれ」
サトゥルヌスがそう言って放り投げた札束はたしかに、普通の無法者なら小躍りして喜ぶほどの量ではあった。しかし――。
〝鬼〟は札束も、サトゥルヌスの態度もせせら笑った。
「あいにくだがよ。おれの受けとる代償はこんなもんじゃねえ」
「札では不満か? ならば、金でも、宝石でも、好きなだけもっていけ」
「おれの受けとる代償はただひとつ。おめえの命、さ」
「なんだと⁉ ふざけたことを抜かすな! 寄る辺もない海賊の分際で。分をわきまえてさっさと金を受けとって引っ込むがいい」
「情けねえ」
「なに?」
「あいつらは自分の望んだ未来のために命を懸けたぜ。おめえにはそれだけの気概もねえのか?」
ニヤリ、と、〝鬼〟は笑った。
その笑顔を見たとき、サトゥルヌスはようやく悟った。
自分が死神相手に取り引きしてしまったことを。
その日――。
大公サトゥルヌスをはじめとするローラシアの六公爵は全滅した。
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