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第二部 絆ぐ伝説

第五話最終章 三国同盟と恋の花

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 レムリア兵が屋敷のすべてを制圧し、屋敷のあるじであるゴーリキをはじめ、その場にいた全員を拘束し、連行していく。押収した証拠物件も続々と運び出されていく。その様子を見届けて、ロウワンが息を吐き出した。
 「終わったみたいだな」
 「ああ。クナイスル伯の指揮振りもなかなかだったが、レムリア兵の一糸乱れぬ働きぶりは見事の一言だった。あれは、相当に訓練されているぞ」
 百戦ひゃくせん錬磨れんま野伏のぶせもそう認める、レムリア兵たちの奮闘振りだった。
 「キキキッ」
 と、声をあげながらビーブが走ってきた。ロウワンは身をかがめて、きょうだい分を迎えた。
 「やあ、ありがとう、ビーブ。ビーブが連中の隙を作ってくれたおかげでうまく行ったよ」
 「キキキッ」
 ――なあに、気にすんな。おれはお前の兄貴分だからな。これぐらい、当たり前さ。
 と、まるで蝶ネクタイを直すような気取った姿勢を取りながら、そう言ってのけるビーブであった。
 そのなかでただひとり、いまだ状況がつかめていないメリッサが戸惑った声をあげた。
 「ちょ、ちょっとまって! いったい、なにがどうなったの⁉」
 「なにがって……ビーブが教えてくれたとおりですけど?」
 「えっ?」
 「えっ?」
 ロウワンの方こそメリッサがなにを言っているのかまるでわかっていない。ふたりは、お互い、『わけがわからない』という表情で見つめあった。
 行者ぎょうじゃがおかしそうに笑いながらロウワンに教えた。
 「ロウワン。ビーブとの付き合いの浅いメリッサに、ビーブの言葉は理解できないよ」
 「あ、ああ、そうか!」
 行者ぎょうじゃに言われてロウワンはようやく、そのことに気がついた。
 「失礼しました、メリッサ師。ビーフがキイ、キイ、騒いだでしょう。あのとき、ビーブはこう言っていたんですよ。
 『こいつらはパンゲア派だ。ロスタムはこいつらを捕えるために罠にかけたんだ。従う振りをしろ。そうすれば、おれたちで隙を作る』ってね」
 「それで、わかったの⁉」
 「そうですよ」
 ロウワンはこともなげにうなずいた。野伏のぶせ行者ぎょうじゃも当たり前のようにうなずく。
 「あなたたち、サルの言葉がわかるの?」
 「長い付き合いですからね。なんとなくは」
 「それに」と、野伏のぶせが声を重ねた。
 「ビーブ自身、人間の言葉を理解していることもあって、人語に近いサル語を話しているからな。慣れれば案外、簡単に意味がわかるようになる」
 「そ、そういうものなの……?」
 「そういうものだよ」
 と、行者ぎょうじゃが片目をつぶりながら答えてみせる。
 「キキキ、キイ、キイ」
 ――しょうがねえ姉ちゃんだなあ。おれの言葉がわかるように、個人教授してやろうか?
 「えっ? え、ええ、そうね、その方がいいかも……」
 自分がそう言ったことに、誰よりもメリッサ自身が驚いた。目をまん丸に開き、手を口元に当てて叫んだ。
 「わたし、いま、ビーブの言葉、わかった⁉」
 メリッサが目を丸くして驚き、ロウワンたちがひとしきり笑ったそのときだ。クナイスルとソーニャが寄り添いながらやってきた。
 「ロウワン卿」
 そう言ってロウワンを見つめるその姿は無邪気な好青年のものでも、油断ならない策士のものでもなかった。堅苦しいほどに誠実な、ひとりの青年の姿だった。
 「ロウワン卿。あなたになにも知らせず囮としたこと、謝罪いたします。申し訳ありませんでした」
 「わたくしからもお詫び申しあげます。まことに申し訳ありませんでした」
 伯爵夫妻はそう言って、そろって頭をさげた。それから、事情を説明した。
 「ヘイダール議長からパンゲアの怪物兵について聞かされたとき、私は決意したのです。
 『かようなおぞましい兵を使う国と関わることは出来ない。国民くにたみを守るためにパンゲアと戦う』と。
 しかし、そのためには国内のパンゲア派を一掃いっそうしなくてはならない。そして、そのためには、かのたちに実際に反逆を起こしてもらう必要があったのです」
 「もちろん、パンゲア派が数々の陰謀を企んでいたことは承知しておりました。ですが、パンゲア派もまた我がレムリアの民。公式に認められた政治集団。ただ『企んでいた』と言うだけでは『根こそぎ逮捕する』というわけにはいかなかったのです。それに、『陰謀を企んでいる』という点では、独立派も同じことですし」
 ソーニャが恥ずかしさと情けなさの入り交じった表情でそう告げた。
 母性あふれるかのにしてみれば、自国民が二派にわかれて争い、互いに謀略を巡らしているなど恥ずかしくてたまらないのだろう。
 「ですから……」と、クナイスルが妻の言葉を引き取った。
 「パンゲア派を一網打尽にするために、実際に行動を起こさせる必要があったのです。そのためには相応の囮が必要。そのために……」
 「私を囮にした。そういうことですか」
 「そうです。まことに申し訳ないことをいたしました。改めて、お詫びいたします」
 伯爵夫妻はそう言って、そろって頭をさげた。
 「ロウワン卿」
 と、今度はロスタムがやってきた。
 神妙なその態度。
 覚悟を決めたその表情。
 『砂漠の王子さま』な美貌の持ち主だけに、そんな姿を見せると国民くにたみを守るためにその身を差し出そうとする悲運の王子に見える。
 『悲運の王子』はロウワンの前にひざまづいた。
 「一国の、それも、同盟国の主催たる方を騙し、危機に追いやり、しかも、ごきょうだい分であらせられるビーブ卿を誘拐した。その罪、万死に値します。どうか、お気のすむままに」
 お望みとあらばどうぞ、この首をおねください。
 そう言って、首を差し出す。
 「キイ、キイ、キイ」
 ――おいおい、お前はおれを誘拐したわけじゃないだろ。最初にちゃんと事情を説明して、芝居を頼んだんじゃないか。それで、おれは納得して協力したんだぞ。
 ビーフがあわててそう説明した。
 「同盟者たるロウワン卿を騙したことは事実。その罪はなくなるものではありません。ただ、これだけは申しあげておきます。ご両親たるムスタファ卿とアーミナさまはなにも知らないこと。すべては、ヘイダール議長と私の独断です。どうか、私の首ひとつにてお怒りをお収めください」
 「いや、ロウワン卿」
 クナイスルが前に進み出た。ロスタムと並んでロウワンの前にひざをつく。
 「今回の件はあくまでも私とヘイダール議長の間で取り決めたこと。ロスタム卿は私たちの間を取り持ったに過ぎません。罰するならば、どうか私を」
 「わたくしも妻として同罪にございます。どうか、お気のすむままに」
 ソーニャも夫の横に並んでひざをつき、その細い首を差し出した。
 ロウワンは身を屈め、両腕を差し出した。
 「どうか、お立ちください、クナイスル閣下。ソーニャさま。あなた方はご自分の国民くにたみを守るために必要なことをされただけ。なんの罪がありましょう。それに、ロスタム卿」
 「はっ」
 「あなたがご自分で言っていたとおりです。あなたはあくまでもヘイダール議長の部下。主人たるヘイダール議長の命に従っただけ。あなたに罪はありません」
 「畏れ入ります」
 「ただし」
 「はっ」
 「ヘイダール議長に対しては後日、きちんと落とし前をつけさせていただきます」
 「……ははっ」
 言われてロスタムはすっかり恐縮きょうしゅくていだった。
 「さて、ロウワン卿」
 と、人好きのする好青年の姿に戻ったクナイスルが声をかけた。
 「このようなことになりましたが、三国同盟を望む心に一切の偽りはございません。どうか、レムリアとの同盟はご承知ください」
 「もちろんです。私たちはそのために来たのですから」
 「ありがとうございます。ですが、ひとつ、言っておかなくてはなりません。私はレムリアのあるじとして代々、受け継いできたこの領地を守らなくてはなりません。領地の分割につながりかねない都市としもう社会しゃかいに参加することは出来ません。そのことが問題なら……」
 「クナイスル閣下。
 『誰もが自分の望む暮らしを作ることができる』
 それが、都市としもう社会しゃかいの理念です。参加したくないなら参加しなくていい。参加したい人だけが参加してくれればいい。それが、都市としもう社会しゃかいの在り方です。
 都市としもう社会しゃかいの在り方が正しいなら、都市としもう社会しゃかいは他のどの世界よりも繁栄することでしょう。それを見れば人々は真似たくなる。こぞって参加しようとする。我々はあくまでも自らの実績をもって都市としもう社会しゃかいの正しさを証明し、そう証明することによって、人々が自ら参加する気になることをまちます。
 我々が参加を強制することはありません。レムリアが都市としもう社会しゃかいに参加するか否かが同盟の行く末に関係することはありません。そんなこととは関係なく、我々は世界の脅威に対抗する同志です」
 「畏れ入ります。そのお言葉、胸に染み入りました。ロウワン卿」
 「ところで……」と、ロウワン。
 「なにか?」
 「捕えた人たちはどうするのです?」
 「さて。それが少々、困っておりまして」
 「困っている?」
 「はい。反逆はもちろん死罪。しかし、一口にパンゲア派と言っても数は多く、女子どもも少なくありません。まさか、そのすべてを死罪にするわけにはいきません。かと言って、国内に残しておくわけにもいかない。最初はパンゲアに送り込もうかと思っていたのですが……」
 「なにぶん、そのパンゲアの情報がなにも入らなくなってしまいまして」
 ソーニャが夫の言葉を引き継いだ。
 「やはり、レムリアでもパンゲアの情報はつかめていないのですか」
 「はい。まるで、パンゲアという国そのものがなくなってしまったかのように、なんの情報も入ってこないのです」
 クナイスルにそう言われて、ロウワンは指をあごに当てて考え込んだ。
 ――レムリアでもそうか。ブージも似たようなことを言っていたし、本当にパンゲアはどうなってしまったんだ?
 そう思うとなにやら不吉な思いのするロウワンだった。
 「ですから……」と、クナイスルがつづけた。
 「送り込む先がなくなってしまったのです。さすがに、なんの情報も入ってこなくなった場所に、多くの人間を無理やり送るわけにはいきませんから。このような場合、都市としもう社会しゃかいではどのように対処なさるのです?」
 「都市としもう社会しゃかいにおいては、誰もが自分の国を作る権利があります。ですから、都市としもう社会しゃかいの精神が根付いた場所では自分の住んでいる国が気に入らないという人は、追い出されるまでもなく自分から出て行って、自分の好きなところに、自分の好きな国を作ります。ですから、追放云々うんぬんは最初から起こりようがありません」
 「ふむ。なるほど。しかし、その方法は今回の参考にはなりそうにないですね」
 クナイスルの言葉に、ロウワンも同意のうなずきをした。
 「そうですね。いまのやり方はあくまでも『領土』というものをもたない都市としもう社会しゃかいだからこそ、出来ること。世界中が満遍まんべんなく『領土』によって占められている国家社会においては不可能です。ただ……」
 「ただ?」
 「自由の国リバタリアにおいては現在、南の島での鉱山や農場を開発するために多くの人手を求めています。お望みとあれば、こちらで受け入れることは出来ます」
 「おお、そうですか! それは助かる。信じる道はちがえども、同じく国を思う仲間。つらい目に遭わせるのは本意ではありませんからね。自由の国リバタリアで生活していけるというなら、私も気がとがめずにすみます」
 「では、手続きのほうをよろしくお願いします。もちろん、実際に犯罪に手を染めた人間を野放しにするわけにはいきませんので……」
 「ご心配なく。実行犯は我が国で責任をもって処罰します。自由の国リバタリアに送り込むのは犯罪に手を染めていない人間だけです」
 「ご配慮、痛み入ります。それと、ロスタム卿」
 「はっ」
 「あなたはあくまでもヘイダール議長の部下。ヘイダール議長の命に従うべき立場の人だ。今後も同じように我々を囮に使う必要が出てくるかも知れない。しかし、その場合でもメリッサ師を利用することだけは許さない。今回はビーブだったからよしとします。
 ですが、もし、メリッサ師に対して同様のことを行ったならそのときは容赦しない。どんな事情があろうと、この手であなたの首をね飛ばす。そのことは覚えておいていただく」
 「……承知いたしました」
 ロスタムは恐縮きょうしゅくていで深々とこうべれた。
 その側で、いきなりそんなことを言われたメリッサは、頬を赤くしてそっぽを向いている。『どんな顔でロウワンを見ればいいのかわからない』と言った様子。
 そのありさまを見て、野伏のぶせ行者ぎょうじゃが言葉を交わした。
 「……ロウワンのやつも、意外と『たらし』だな」
 野伏のぶせが腕組みしながら言うと、行者ぎょうじゃも苦笑した。
 「まったくだね。まさか、本人の前であんなことを堂々と言ってのけるなんてね。いやあ、無自覚って怖いねえ」
 自慢のかんざし飾りをシャラシャラ言わせてひとしきり笑ったあと、行者ぎょうじゃはつづけた。
 「だけど、ロウワンの相手はてっきりトウナだと思っていたんだけどね。メリッサのほうがお好みだったのかな?」
 「メリッサは、天命てんめい巫女みことやらによく似ているそうだ」
 行者ぎょうじゃは納得したように破顔した。
 「ああ、なるほど。初恋の君の面影をもつお姉さま、か。それはたしかに、少年にはたまらないものがあるね」
 行者ぎょうじゃがそう言うと、野伏のぶせがやけにしみじみした口調で言った。
 「……恋か。そう言えば、恋など久しくしていないな」
 「おや? なにか思い出がありそうだね。僕もこの長い人生のなかで、幾度となく激しい恋をしたよ。どうだい? 今夜は酒を酌み交わしながら昔語りを語るというのは?」
 「ふむ。それも一興いっきょうか」
 野伏のぶせが答えるとビーブがよってきて話しかけた。
 「キキキ、キイ、キイ」
 「うん? ビーブ、お前も加わるか?」
 野伏のぶせは言ったが、行者ぎょうじゃは気取った様子で指など振って見せた。
 「おっと、ビーブ。君はもう妻帯者だろう。現役じゃないんだから恋の話は法度はっとだよ」
 「もっともだ。では、幸せな女房持ちはおいておいて、さびしい独り者同士、しみじみと酒を酌み交わすとするか」
 「そうしよう。では、行こうじゃないか」
 「ああ」
 そう言って、野伏のぶせ行者ぎょうじゃは並んで屋敷をあとにした。その背に向かって、
 「キキキイ、キイ、キイ、キイ!」
 と言う、ビーブの怒りと抗議の声が鳴り響いたのだった。
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