壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第七話二一章 我らは永遠に

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 「ルドヴィクス⁉」
 ローラシア大公国の総首都ユリウス。その最奥さいおうにあるだい公邸こうてい。さらに、その最上階にある天界。〝賢者〟たちが数百年の長きにわたって潜みつづけた禁断のその区域のなかで、ロウワンの叫びが響いていた。
 叫ぶロウワンの視線の先。そこには、ローラシアの抵抗の象徴、ルドヴィクスが『なにが……?』という表情を浮かべたまま固まっていた。
 ルドヴィクスの腹のど真ん中。そこを、大蛇のような木の枝が貫いていた。完全に胴体を貫通し、その先端はルドヴィクスの身長ほども背中の側から突きだしている。傷口からは滝のように血が流れ、バシャバシャと音を立てて床にこぼれ落ちている。その顔は唇までもが紙のように真っ白になっていた。
 ――これはもう、助からない。
 少しでも戦場に立ち、人の死に様を見てきた人間であれば誰もがそう理解する。それほどの深手だった。
 ルドヴィクスの腹を貫いた木の枝。
 それは、世界樹の枝だった。
 〝賢者〟たちがまるで、身を休める親のひさしででもあるかのように常に寄り添い、その身を委ねていた巨大な木。天界の中心にそびえ、そのすべてを支配しているかのような巨木。〝賢者〟たちによって『世界樹』と名付けられたその木の枝が、まさにヘビのように動いてルドヴィクスの腹を貫いたのだ。
 ずるり。
 音を立てて世界樹の木の枝が動いた。そのなめらかな動きは固い樹皮に覆われた木の枝のものではなかった。まぎれもなく、しなやかなヘビの動きだった。
 木の枝は身をくねらせ、音を立ててルドヴィクスの腹から自らを引き抜いた。傷口が開き、ルドヴィクスの体内に残っていた最後の血液が一斉に噴き出した。ローラシアの抵抗の象徴は――。
 その場に前のめりに倒れた。
 ボコ。
 ボコボコ。
 ボコボコボコボコ。
 まるで、腐り果てた汚水のなかにガスが湧いて泡立つような音を立てて、世界樹の表面に人の顔が浮かびあがった。
 いくつも、いくつも。
 いくつも、いくつも。
 それはすべて、ちょっと前まで一度も見たことのなかった顔。
 たったいま、激しい怒りと憎しみをもって睨みつけた顔。
 〝賢者〟たちの顔だった。
 はははっ。
 はあーはっはっはっはっ!
 世界樹の表面に浮かびあがった〝賢者〟たちの顔が一斉に笑い声を立てた。魔界の悪魔たちでさえそのおぞましさに怖気をふるい、地上へと逃げ出してくるような、そんな声だった。
 「なんてこと!」
 その声を打ち消そうとするのかのように、メリッサがありったけの声を張りあげた。
 「〝賢者〟たちはすでに自分たちの天命、自分たちの本質をその木に植えつけていたんだわ!」
 「なんだって⁉ どういうことです、メリッサ師⁉」
 「〝賢者〟たちは『死』を拒否していた、永遠にながらえようとしていた。そのために、人間の体をすてたのよ! もろく、か弱い、人間の体を。何千年という時を生きる樹木とひとつになることで、永遠の生命を手に入れようとしたのよ」
 〝賢者〟たちの人としての姿は、ただの見せかけ。そのなかに入り込んだ世界樹の細根によって操られるだけのただの肉の塊。ローラシアの権力者たちを支配するために打ち捨てずにおいた見せかけの姿。ロウワンたちもまた、その見せかけの姿にまんまとだまされたのだ。
 ははは。
 はあーはっはっはっはっ!
 閉ざされた天界のなか。そこに〝賢者〟たちの笑い声が響く。
 響く。
 響く。
 響き渡る。
 声が閉ざされた空間のありとあらゆる場所に反響し、乱れ飛び、世界を支配する。
 その場の空気そのものが笑い声と化していた。メリッサはとても耐えきれず、両耳を押さえてしゃがみ込んでしまった。その表情がいまにも泣き出しそうな幼女のようになっている。
 メリッサだけではない。ロウワンも、野伏のぶせ行者ぎょうじゃでさえ、できればそうしてしまいたかった。百戦ひゃくせん錬磨れんまのかのたちにして、〝賢者〟たちの笑い声にこうして立ちつづけているのには必死の勇を奮い起こさなければならなかった。それほどに、おぞましい笑い声だった。
 「ははははは。そのとおり! 我らは人の肉体を捨てたのだ。この世界樹こそは我らが数百年の時をかけて育てあげた新しき体。その根はすでにローラシア全土に伸びている。世界樹のさらなる成長に伴い、根は伸びつづけ、いずれはこの大陸そのものを、この惑星そのものを根で包み込む! そのとき、我らはこの星とひとつになる。星そのものとなって永劫えいごうの生命を手に入れるのだ!」
 「なんて……」
 ロウワンは呻いた。若々しいその表情にこれ以上ないほどに脂汗が浮いている。
 ――人はここまで、浅ましくなるものなのか。
 これが、失うことを怖れる人間の姿。
 失うことを怖れることで、こうも浅ましく、おぞましい存在になり果てる。
 その事実に対する嫌悪感。
 その思いがあふれさせた汗だった。
 「なんてこと……」
 メリッサが呟いた。両耳を押さえてしゃがみ込み、苦しみのなかでどうにか片目だけをかすかに開き、唇を歪ませながら。その声は悔しさとそれ以上に、自分のうかつさを呪う思いに満ちていた。
 「……〝賢者〟たちの本質が、木の方にあることに気付かなかったなんて」
 天命てんめい博士はくしたる自分が気付かなければいけないことだったのに。
 そのために、戦士でもないのにロウワンたちについて、ここまでやってきたというのに。
 自分が気がついてさえいれば、ルドヴィクスを死なせずにすんだはずなのに。
 『悔やむ』というのも生温なまぬるい感情が胸の内で荒れ狂い、メリッサの心を押しつぶした。
 「君だけではないよ。メリッサ」
 そう言ったのは行者ぎょうじゃである。
 「僕も気がつかなかった。この空間は天命てんめいことわりの気配に満ちている。その気配に溶け込んで判別できなくなっていた。これでは、気付きようがない。仕方がない」
 仕方がない。
 行者ぎょうじゃがそう言ったのはあくまでもメリッサを慰めるためであって、内心では行者ぎょうじゃもまたメリッサ同様、自分のうかつさを呪っていた。そのことは、唇を噛みしめたその表情を見れば一目でわかる。
 ははは。
 はあーはっはっはっはっ。
 〝賢者〟たちの笑い声とともに世界樹の無数の枝がザワザワと動きはじめた。それはまるで、そのすべてが生きたヘビでできた怪物メドゥーサの髪の毛が逆立つようなありさまだった。
 「はははははっ! さあ、我らからすべてを奪おうとする不埒ふらちなものよ。ひれ伏すがよい。膝をつき、そのすべてを我らに捧げよ! 世界樹の根が、この星そのものを包み込むほどに生長するためには多くの滋養がいる。それこそ、この星の生きとし生けるものすべてを呑み干しても足りないほどのな。きさまらの命をそのための滋養として捧げるのだ!」
 「いい趣味してるね」
 行者ぎょうじゃが顔をゆがめたまま、せいぜいの皮肉を込めて呟いた。
 「化け物たちを操ってローラシア人を殺戮さつりくしたのも、侵略させようとしたのもすべてはそのため。ありとあらゆる命を大地にこぼし、世界樹の根に吸わせるためだったわけだ」
 言うほどに、賢者の顔が嫌悪感に歪んでいく。
 「僕もあきれるほどに長く生きてきたけど、ここまでやった人間ははじめてだよ。いっそ、あっぱれと言えないこともないけど……粋ではないね」
 「くそっ! そんなことをさせたまるか!」
 ロウワンが〝鬼〟の大刀たいとうを両手で握りしめて叫んだ。
 「この星は、この世界はお前たちのためだけにあるんじゃない! 多くの命が住み、暮らしていく大切な場所なんだ! お前たちの好きにさせてたまるか! 行者ぎょうじゃ! あなたの力でやつの力を呑み干してくれ!」
 「実は、さっきからやっているんだけどね」
 行者ぎょうじゃは苦笑気味に答えた。言われてみればなるほど、行者ぎょうじゃの喉元。そこに、すべてを呑み干す貪欲どんよくの土曜のくうが開いていた。
 「さすがに、数百年にわたって育てられてきた妄執もうしゅうだよ。量がとんでもない。これはちょっと、呑み尽くせそうにないね」
 行者ぎょうじゃがそんな弱音を吐くのは、ロウワンの知る限りはじめてのことだった。
 「わ、わたしも……」
 メリッサが悔しさに顔を歪ませながら言った。
 「……わたしも、さっきから〝賢者〟たちの術を中和しようとしているけど、とても歯が立たない。どうしようもない」
 「くっ……」
 ふたりの言葉に――。
 ロウワンは唇を噛みしめた。
 そのロウワンをめがけて、無数の世界樹の枝が襲いかかる。数えることもできないほどの枝が、生きたヘビと化して食らいつこうとする。
 「ちいいっ!」
 野伏のぶせが叫んだ。手にした太刀たちを縦横に振るい、次々と枝を斬り落としていく。それでは足りない。刃の嵐をかいくぐった枝が野伏のぶせを食いものにしようと躍りかかる。
 ざわっ。
 音を立てて野伏のぶせの漆黒の長髪が逆立った。
 毛羽けう毛現けげん
 野伏のぶせの体に潜み、野伏のぶせの髪のふりをしている妖怪、毛羽けう毛現けげん
 その毛羽けう毛現けげんが自らの身を立ちあげ、世界樹の枝に絡みつけ、宿主を守りはじめた。
 木の枝と髪の毛の壮絶な争い。互いに相手を食らおうと躍りあがり、巻きつき、絡みあう妖物同士の争い。
 そのなかでロウワンもまた、自らに食らいつこうとする世界樹の枝を〝鬼〟の大刀たいとうを振るって必死に打ち払っていた。
 「行者ぎょうじゃ! メリッサ師を連れて外へ!」
 「わかった!」
 「ロウワン!」
 ロウワンの言葉に二種類の叫びが返る。
 行者ぎょうじゃはためらわなかった。メリッサの胴体に自分の右腕を巻きつけると、そのまま抱きかかえた。このたおやかな少年のどこにこんな力が秘められているのか。そう思わせる光景だった。
 「はなして! わたしだけ逃げるなんて……!」
 メリッサが抱きかかえられた格好で叫んだ。しかし、行者ぎょうじゃは厳しく叱りつけるように言った。
 「ここでは君は足手まといだ。君を守りながら戦わなくてはならないとなったら、とてもではないけど持ちこたえられない。いまは、この場をはなれることだけが君にできる唯一の貢献だ」
 そう言って、メリッサを抱えたまま外に向かって走り出す。
 その間もロウワンと行者ぎょうじゃは襲い来る無数の世界樹の枝を必死に打ち払っていた。
 「くそっ! 切りがない!」
 ロウワンが叫んだ。
 いくら斬っても、刈り払っても、世界樹の枝は後からあとから無数に伸びてくる。まるで、斬られるほどに数を増やして伸びてくる伝説の怪物、ヒドラの首のように。
 いや、それどころではない。ヒドラの首であれば斬り捨てた傷を火で焼いてしまえば二度と生えてくることはない。この世界樹はちがう。斬られた枝が再生するだけではない。幹から次々と新しい枝を伸ばしてくるのだ。いくら、ロウワンと野伏のぶせと言えど、ふたりだけでしのぎきれるものではなかった。
 ――くそっ! せめて、ビーブがいてくれれば。
 ロウワンはそう思った。
 人よりはるかに敏捷なビーブであれば、ロウワンと野伏のぶせが枝を切り払っている間にその隙を突いて懐に飛び込み、幹に直接、一撃を加えることができただろう。
 しかし、ビーブはいま、この場にいない。ロウワン自身がだい公邸こうていの入り口を守る役目を任せた。いまも必死に、外の化け物どもがだい公邸こうていに侵入しないよう、壁役を務めているにちがいない。
 ――せめて、行者ぎょうじゃが戻ってくるまで持ちこたえられれば……!
 行者ぎょうじゃにメリッサを託したのは、メリッサの身の安全を守ってもらうため。しかし、そのまま逃げ出すなどとは思っていない。行者ぎょうじゃであれば、メリッサを安全な場所に届けたあと戻ってくるはずだ。〝賢者〟たちの固まりとなった世界樹をたおす、なんらかの手段をもって。
 ――それまで、しのぎきれれば……!
 ロウワンはそう思い、必死に〝鬼〟の大刀たいとうを振るう。しかし――。
 とても、持ちこたえられそうにない。
 ロウワンはもちろん、野伏のぶせと言えど無限の体力をもっているわけではない。やがては疲れ、身動きとれなくなる。まして、いまのように必死の奮闘ふんとうをつづけていれば疲労の限界はすぐにやってくる。とても、行者ぎょうじゃが戻ってくるまで持たないだろう。
 ――くそっ! どうすれば……。
 ロウワンは歯がみしながら心のなかで叫んだ。
 そのロウワンに向かって、野伏のぶせが叫んだ。
 「根を断ち切れ、ロウワン! 化け物であろうと植物。根を切り捨てられれば生きてはいられまい。お前の〝鬼〟の大刀たいとうなら斬れる。懐に飛び込んで根を断ち切るんだ!」
 「そんなこと言ったって……!」
 襲い来る無数の枝を切り払うのが精一杯。とてもではないが、その攻撃をかいくぐって根元に近づくことなどできはしない。できもしない指示を出すほどに、百戦ひゃくせん錬磨れんま野伏のぶせですら余裕をなくしているのだ。
 このままではロウワンと野伏のぶせが世界樹の枝に貫かれ、世界を支配するための滋養とされるのは必定ひつじょう。だが、そのとき――。
 天界の片隅において、誰もが失念していた存在がゆっくりと這いずりはじめていた。
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