192 / 411
第二部 絆ぐ伝説
第七話二一章 我らは永遠に
しおりを挟む
「ルドヴィクス⁉」
ローラシア大公国の総首都ユリウス。その最奥にある大公邸。さらに、その最上階にある天界。〝賢者〟たちが数百年の長きにわたって潜みつづけた禁断のその区域のなかで、ロウワンの叫びが響いていた。
叫ぶロウワンの視線の先。そこには、ローラシアの抵抗の象徴、ルドヴィクスが『なにが……?』という表情を浮かべたまま固まっていた。
ルドヴィクスの腹のど真ん中。そこを、大蛇のような木の枝が貫いていた。完全に胴体を貫通し、その先端はルドヴィクスの身長ほども背中の側から突きだしている。傷口からは滝のように血が流れ、バシャバシャと音を立てて床にこぼれ落ちている。その顔は唇までもが紙のように真っ白になっていた。
――これはもう、助からない。
少しでも戦場に立ち、人の死に様を見てきた人間であれば誰もがそう理解する。それほどの深手だった。
ルドヴィクスの腹を貫いた木の枝。
それは、世界樹の枝だった。
〝賢者〟たちがまるで、身を休める親のひさしででもあるかのように常に寄り添い、その身を委ねていた巨大な木。天界の中心にそびえ、そのすべてを支配しているかのような巨木。〝賢者〟たちによって『世界樹』と名付けられたその木の枝が、まさにヘビのように動いてルドヴィクスの腹を貫いたのだ。
ずるり。
音を立てて世界樹の木の枝が動いた。そのなめらかな動きは固い樹皮に覆われた木の枝のものではなかった。まぎれもなく、しなやかなヘビの動きだった。
木の枝は身をくねらせ、音を立ててルドヴィクスの腹から自らを引き抜いた。傷口が開き、ルドヴィクスの体内に残っていた最後の血液が一斉に噴き出した。ローラシアの抵抗の象徴は――。
その場に前のめりに倒れた。
ボコ。
ボコボコ。
ボコボコボコボコ。
まるで、腐り果てた汚水のなかにガスが湧いて泡立つような音を立てて、世界樹の表面に人の顔が浮かびあがった。
いくつも、いくつも。
いくつも、いくつも。
それはすべて、ちょっと前まで一度も見たことのなかった顔。
たったいま、激しい怒りと憎しみをもって睨みつけた顔。
〝賢者〟たちの顔だった。
はははっ。
はあーはっはっはっはっ!
世界樹の表面に浮かびあがった〝賢者〟たちの顔が一斉に笑い声を立てた。魔界の悪魔たちでさえそのおぞましさに怖気をふるい、地上へと逃げ出してくるような、そんな声だった。
「なんてこと!」
その声を打ち消そうとするのかのように、メリッサがありったけの声を張りあげた。
「〝賢者〟たちはすでに自分たちの天命、自分たちの本質をその木に植えつけていたんだわ!」
「なんだって⁉ どういうことです、メリッサ師⁉」
「〝賢者〟たちは『死』を拒否していた、永遠に生き存えようとしていた。そのために、人間の体をすてたのよ! もろく、か弱い、人間の体を。何千年という時を生きる樹木とひとつになることで、永遠の生命を手に入れようとしたのよ」
〝賢者〟たちの人としての姿は、ただの見せかけ。そのなかに入り込んだ世界樹の細根によって操られるだけのただの肉の塊。ローラシアの権力者たちを支配するために打ち捨てずにおいた見せかけの姿。ロウワンたちもまた、その見せかけの姿にまんまとだまされたのだ。
ははは。
はあーはっはっはっはっ!
閉ざされた天界のなか。そこに〝賢者〟たちの笑い声が響く。
響く。
響く。
響き渡る。
声が閉ざされた空間のありとあらゆる場所に反響し、乱れ飛び、世界を支配する。
その場の空気そのものが笑い声と化していた。メリッサはとても耐えきれず、両耳を押さえてしゃがみ込んでしまった。その表情がいまにも泣き出しそうな幼女のようになっている。
メリッサだけではない。ロウワンも、野伏や行者でさえ、できればそうしてしまいたかった。百戦錬磨のかの人たちにして、〝賢者〟たちの笑い声にこうして立ちつづけているのには必死の勇を奮い起こさなければならなかった。それほどに、おぞましい笑い声だった。
「ははははは。そのとおり! 我らは人の肉体を捨てたのだ。この世界樹こそは我らが数百年の時をかけて育てあげた新しき体。その根はすでにローラシア全土に伸びている。世界樹のさらなる成長に伴い、根は伸びつづけ、いずれはこの大陸そのものを、この惑星そのものを根で包み込む! そのとき、我らはこの星とひとつになる。星そのものとなって永劫の生命を手に入れるのだ!」
「なんて……」
ロウワンは呻いた。若々しいその表情にこれ以上ないほどに脂汗が浮いている。
――人はここまで、浅ましくなるものなのか。
これが、失うことを怖れる人間の姿。
失うことを怖れることで、こうも浅ましく、おぞましい存在になり果てる。
その事実に対する嫌悪感。
その思いがあふれさせた汗だった。
「なんてこと……」
メリッサが呟いた。両耳を押さえてしゃがみ込み、苦しみのなかでどうにか片目だけをかすかに開き、唇を歪ませながら。その声は悔しさとそれ以上に、自分のうかつさを呪う思いに満ちていた。
「……〝賢者〟たちの本質が、木の方にあることに気付かなかったなんて」
天命の博士たる自分が気付かなければいけないことだったのに。
そのために、戦士でもないのにロウワンたちについて、ここまでやってきたというのに。
自分が気がついてさえいれば、ルドヴィクスを死なせずにすんだはずなのに。
『悔やむ』というのも生温い感情が胸の内で荒れ狂い、メリッサの心を押しつぶした。
「君だけではないよ。メリッサ」
そう言ったのは行者である。
「僕も気がつかなかった。この空間は天命の理の気配に満ちている。その気配に溶け込んで判別できなくなっていた。これでは、気付きようがない。仕方がない」
仕方がない。
行者がそう言ったのはあくまでもメリッサを慰めるためであって、内心では行者もまたメリッサ同様、自分のうかつさを呪っていた。そのことは、唇を噛みしめたその表情を見れば一目でわかる。
ははは。
はあーはっはっはっはっ。
〝賢者〟たちの笑い声とともに世界樹の無数の枝がザワザワと動きはじめた。それはまるで、そのすべてが生きたヘビでできた怪物メドゥーサの髪の毛が逆立つようなありさまだった。
「はははははっ! さあ、我らからすべてを奪おうとする不埒なものよ。ひれ伏すがよい。膝をつき、そのすべてを我らに捧げよ! 世界樹の根が、この星そのものを包み込むほどに生長するためには多くの滋養がいる。それこそ、この星の生きとし生けるものすべてを呑み干しても足りないほどのな。きさまらの命をそのための滋養として捧げるのだ!」
「いい趣味してるね」
行者が顔をゆがめたまま、せいぜいの皮肉を込めて呟いた。
「化け物たちを操ってローラシア人を殺戮したのも、侵略させようとしたのもすべてはそのため。ありとあらゆる命を大地にこぼし、世界樹の根に吸わせるためだったわけだ」
言うほどに、賢者の顔が嫌悪感に歪んでいく。
「僕もあきれるほどに長く生きてきたけど、ここまでやった人間ははじめてだよ。いっそ、あっぱれと言えないこともないけど……粋ではないね」
「くそっ! そんなことをさせたまるか!」
ロウワンが〝鬼〟の大刀を両手で握りしめて叫んだ。
「この星は、この世界はお前たちのためだけにあるんじゃない! 多くの命が住み、暮らしていく大切な場所なんだ! お前たちの好きにさせてたまるか! 行者! あなたの力でやつの力を呑み干してくれ!」
「実は、さっきからやっているんだけどね」
行者は苦笑気味に答えた。言われてみればなるほど、行者の喉元。そこに、すべてを呑み干す貪欲の土曜の空が開いていた。
「さすがに、数百年にわたって育てられてきた妄執だよ。量がとんでもない。これはちょっと、呑み尽くせそうにないね」
行者がそんな弱音を吐くのは、ロウワンの知る限りはじめてのことだった。
「わ、わたしも……」
メリッサが悔しさに顔を歪ませながら言った。
「……わたしも、さっきから〝賢者〟たちの術を中和しようとしているけど、とても歯が立たない。どうしようもない」
「くっ……」
ふたりの言葉に――。
ロウワンは唇を噛みしめた。
そのロウワンをめがけて、無数の世界樹の枝が襲いかかる。数えることもできないほどの枝が、生きたヘビと化して食らいつこうとする。
「ちいいっ!」
野伏が叫んだ。手にした太刀を縦横に振るい、次々と枝を斬り落としていく。それでは足りない。刃の嵐をかいくぐった枝が野伏を食いものにしようと躍りかかる。
ざわっ。
音を立てて野伏の漆黒の長髪が逆立った。
毛羽毛現。
野伏の体に潜み、野伏の髪のふりをしている妖怪、毛羽毛現。
その毛羽毛現が自らの身を立ちあげ、世界樹の枝に絡みつけ、宿主を守りはじめた。
木の枝と髪の毛の壮絶な争い。互いに相手を食らおうと躍りあがり、巻きつき、絡みあう妖物同士の争い。
そのなかでロウワンもまた、自らに食らいつこうとする世界樹の枝を〝鬼〟の大刀を振るって必死に打ち払っていた。
「行者! メリッサ師を連れて外へ!」
「わかった!」
「ロウワン!」
ロウワンの言葉に二種類の叫びが返る。
行者はためらわなかった。メリッサの胴体に自分の右腕を巻きつけると、そのまま抱きかかえた。このたおやかな少年のどこにこんな力が秘められているのか。そう思わせる光景だった。
「はなして! わたしだけ逃げるなんて……!」
メリッサが抱きかかえられた格好で叫んだ。しかし、行者は厳しく叱りつけるように言った。
「ここでは君は足手まといだ。君を守りながら戦わなくてはならないとなったら、とてもではないけど持ちこたえられない。いまは、この場をはなれることだけが君にできる唯一の貢献だ」
そう言って、メリッサを抱えたまま外に向かって走り出す。
その間もロウワンと行者は襲い来る無数の世界樹の枝を必死に打ち払っていた。
「くそっ! 切りがない!」
ロウワンが叫んだ。
いくら斬っても、刈り払っても、世界樹の枝は後からあとから無数に伸びてくる。まるで、斬られるほどに数を増やして伸びてくる伝説の怪物、ヒドラの首のように。
いや、それどころではない。ヒドラの首であれば斬り捨てた傷を火で焼いてしまえば二度と生えてくることはない。この世界樹はちがう。斬られた枝が再生するだけではない。幹から次々と新しい枝を伸ばしてくるのだ。いくら、ロウワンと野伏と言えど、ふたりだけで凌ぎきれるものではなかった。
――くそっ! せめて、ビーブがいてくれれば。
ロウワンはそう思った。
人よりはるかに敏捷なビーブであれば、ロウワンと野伏が枝を切り払っている間にその隙を突いて懐に飛び込み、幹に直接、一撃を加えることができただろう。
しかし、ビーブはいま、この場にいない。ロウワン自身が大公邸の入り口を守る役目を任せた。いまも必死に、外の化け物どもが大公邸に侵入しないよう、壁役を務めているにちがいない。
――せめて、行者が戻ってくるまで持ちこたえられれば……!
行者にメリッサを託したのは、メリッサの身の安全を守ってもらうため。しかし、そのまま逃げ出すなどとは思っていない。行者であれば、メリッサを安全な場所に届けたあと戻ってくるはずだ。〝賢者〟たちの固まりとなった世界樹を斃す、なんらかの手段をもって。
――それまで、凌ぎきれれば……!
ロウワンはそう思い、必死に〝鬼〟の大刀を振るう。しかし――。
とても、持ちこたえられそうにない。
ロウワンはもちろん、野伏と言えど無限の体力をもっているわけではない。やがては疲れ、身動きとれなくなる。まして、いまのように必死の奮闘をつづけていれば疲労の限界はすぐにやってくる。とても、行者が戻ってくるまで持たないだろう。
――くそっ! どうすれば……。
ロウワンは歯がみしながら心のなかで叫んだ。
そのロウワンに向かって、野伏が叫んだ。
「根を断ち切れ、ロウワン! 化け物であろうと植物。根を切り捨てられれば生きてはいられまい。お前の〝鬼〟の大刀なら斬れる。懐に飛び込んで根を断ち切るんだ!」
「そんなこと言ったって……!」
襲い来る無数の枝を切り払うのが精一杯。とてもではないが、その攻撃をかいくぐって根元に近づくことなどできはしない。できもしない指示を出すほどに、百戦錬磨の野伏ですら余裕をなくしているのだ。
このままではロウワンと野伏が世界樹の枝に貫かれ、世界を支配するための滋養とされるのは必定。だが、そのとき――。
天界の片隅において、誰もが失念していた存在がゆっくりと這いずりはじめていた。
ローラシア大公国の総首都ユリウス。その最奥にある大公邸。さらに、その最上階にある天界。〝賢者〟たちが数百年の長きにわたって潜みつづけた禁断のその区域のなかで、ロウワンの叫びが響いていた。
叫ぶロウワンの視線の先。そこには、ローラシアの抵抗の象徴、ルドヴィクスが『なにが……?』という表情を浮かべたまま固まっていた。
ルドヴィクスの腹のど真ん中。そこを、大蛇のような木の枝が貫いていた。完全に胴体を貫通し、その先端はルドヴィクスの身長ほども背中の側から突きだしている。傷口からは滝のように血が流れ、バシャバシャと音を立てて床にこぼれ落ちている。その顔は唇までもが紙のように真っ白になっていた。
――これはもう、助からない。
少しでも戦場に立ち、人の死に様を見てきた人間であれば誰もがそう理解する。それほどの深手だった。
ルドヴィクスの腹を貫いた木の枝。
それは、世界樹の枝だった。
〝賢者〟たちがまるで、身を休める親のひさしででもあるかのように常に寄り添い、その身を委ねていた巨大な木。天界の中心にそびえ、そのすべてを支配しているかのような巨木。〝賢者〟たちによって『世界樹』と名付けられたその木の枝が、まさにヘビのように動いてルドヴィクスの腹を貫いたのだ。
ずるり。
音を立てて世界樹の木の枝が動いた。そのなめらかな動きは固い樹皮に覆われた木の枝のものではなかった。まぎれもなく、しなやかなヘビの動きだった。
木の枝は身をくねらせ、音を立ててルドヴィクスの腹から自らを引き抜いた。傷口が開き、ルドヴィクスの体内に残っていた最後の血液が一斉に噴き出した。ローラシアの抵抗の象徴は――。
その場に前のめりに倒れた。
ボコ。
ボコボコ。
ボコボコボコボコ。
まるで、腐り果てた汚水のなかにガスが湧いて泡立つような音を立てて、世界樹の表面に人の顔が浮かびあがった。
いくつも、いくつも。
いくつも、いくつも。
それはすべて、ちょっと前まで一度も見たことのなかった顔。
たったいま、激しい怒りと憎しみをもって睨みつけた顔。
〝賢者〟たちの顔だった。
はははっ。
はあーはっはっはっはっ!
世界樹の表面に浮かびあがった〝賢者〟たちの顔が一斉に笑い声を立てた。魔界の悪魔たちでさえそのおぞましさに怖気をふるい、地上へと逃げ出してくるような、そんな声だった。
「なんてこと!」
その声を打ち消そうとするのかのように、メリッサがありったけの声を張りあげた。
「〝賢者〟たちはすでに自分たちの天命、自分たちの本質をその木に植えつけていたんだわ!」
「なんだって⁉ どういうことです、メリッサ師⁉」
「〝賢者〟たちは『死』を拒否していた、永遠に生き存えようとしていた。そのために、人間の体をすてたのよ! もろく、か弱い、人間の体を。何千年という時を生きる樹木とひとつになることで、永遠の生命を手に入れようとしたのよ」
〝賢者〟たちの人としての姿は、ただの見せかけ。そのなかに入り込んだ世界樹の細根によって操られるだけのただの肉の塊。ローラシアの権力者たちを支配するために打ち捨てずにおいた見せかけの姿。ロウワンたちもまた、その見せかけの姿にまんまとだまされたのだ。
ははは。
はあーはっはっはっはっ!
閉ざされた天界のなか。そこに〝賢者〟たちの笑い声が響く。
響く。
響く。
響き渡る。
声が閉ざされた空間のありとあらゆる場所に反響し、乱れ飛び、世界を支配する。
その場の空気そのものが笑い声と化していた。メリッサはとても耐えきれず、両耳を押さえてしゃがみ込んでしまった。その表情がいまにも泣き出しそうな幼女のようになっている。
メリッサだけではない。ロウワンも、野伏や行者でさえ、できればそうしてしまいたかった。百戦錬磨のかの人たちにして、〝賢者〟たちの笑い声にこうして立ちつづけているのには必死の勇を奮い起こさなければならなかった。それほどに、おぞましい笑い声だった。
「ははははは。そのとおり! 我らは人の肉体を捨てたのだ。この世界樹こそは我らが数百年の時をかけて育てあげた新しき体。その根はすでにローラシア全土に伸びている。世界樹のさらなる成長に伴い、根は伸びつづけ、いずれはこの大陸そのものを、この惑星そのものを根で包み込む! そのとき、我らはこの星とひとつになる。星そのものとなって永劫の生命を手に入れるのだ!」
「なんて……」
ロウワンは呻いた。若々しいその表情にこれ以上ないほどに脂汗が浮いている。
――人はここまで、浅ましくなるものなのか。
これが、失うことを怖れる人間の姿。
失うことを怖れることで、こうも浅ましく、おぞましい存在になり果てる。
その事実に対する嫌悪感。
その思いがあふれさせた汗だった。
「なんてこと……」
メリッサが呟いた。両耳を押さえてしゃがみ込み、苦しみのなかでどうにか片目だけをかすかに開き、唇を歪ませながら。その声は悔しさとそれ以上に、自分のうかつさを呪う思いに満ちていた。
「……〝賢者〟たちの本質が、木の方にあることに気付かなかったなんて」
天命の博士たる自分が気付かなければいけないことだったのに。
そのために、戦士でもないのにロウワンたちについて、ここまでやってきたというのに。
自分が気がついてさえいれば、ルドヴィクスを死なせずにすんだはずなのに。
『悔やむ』というのも生温い感情が胸の内で荒れ狂い、メリッサの心を押しつぶした。
「君だけではないよ。メリッサ」
そう言ったのは行者である。
「僕も気がつかなかった。この空間は天命の理の気配に満ちている。その気配に溶け込んで判別できなくなっていた。これでは、気付きようがない。仕方がない」
仕方がない。
行者がそう言ったのはあくまでもメリッサを慰めるためであって、内心では行者もまたメリッサ同様、自分のうかつさを呪っていた。そのことは、唇を噛みしめたその表情を見れば一目でわかる。
ははは。
はあーはっはっはっはっ。
〝賢者〟たちの笑い声とともに世界樹の無数の枝がザワザワと動きはじめた。それはまるで、そのすべてが生きたヘビでできた怪物メドゥーサの髪の毛が逆立つようなありさまだった。
「はははははっ! さあ、我らからすべてを奪おうとする不埒なものよ。ひれ伏すがよい。膝をつき、そのすべてを我らに捧げよ! 世界樹の根が、この星そのものを包み込むほどに生長するためには多くの滋養がいる。それこそ、この星の生きとし生けるものすべてを呑み干しても足りないほどのな。きさまらの命をそのための滋養として捧げるのだ!」
「いい趣味してるね」
行者が顔をゆがめたまま、せいぜいの皮肉を込めて呟いた。
「化け物たちを操ってローラシア人を殺戮したのも、侵略させようとしたのもすべてはそのため。ありとあらゆる命を大地にこぼし、世界樹の根に吸わせるためだったわけだ」
言うほどに、賢者の顔が嫌悪感に歪んでいく。
「僕もあきれるほどに長く生きてきたけど、ここまでやった人間ははじめてだよ。いっそ、あっぱれと言えないこともないけど……粋ではないね」
「くそっ! そんなことをさせたまるか!」
ロウワンが〝鬼〟の大刀を両手で握りしめて叫んだ。
「この星は、この世界はお前たちのためだけにあるんじゃない! 多くの命が住み、暮らしていく大切な場所なんだ! お前たちの好きにさせてたまるか! 行者! あなたの力でやつの力を呑み干してくれ!」
「実は、さっきからやっているんだけどね」
行者は苦笑気味に答えた。言われてみればなるほど、行者の喉元。そこに、すべてを呑み干す貪欲の土曜の空が開いていた。
「さすがに、数百年にわたって育てられてきた妄執だよ。量がとんでもない。これはちょっと、呑み尽くせそうにないね」
行者がそんな弱音を吐くのは、ロウワンの知る限りはじめてのことだった。
「わ、わたしも……」
メリッサが悔しさに顔を歪ませながら言った。
「……わたしも、さっきから〝賢者〟たちの術を中和しようとしているけど、とても歯が立たない。どうしようもない」
「くっ……」
ふたりの言葉に――。
ロウワンは唇を噛みしめた。
そのロウワンをめがけて、無数の世界樹の枝が襲いかかる。数えることもできないほどの枝が、生きたヘビと化して食らいつこうとする。
「ちいいっ!」
野伏が叫んだ。手にした太刀を縦横に振るい、次々と枝を斬り落としていく。それでは足りない。刃の嵐をかいくぐった枝が野伏を食いものにしようと躍りかかる。
ざわっ。
音を立てて野伏の漆黒の長髪が逆立った。
毛羽毛現。
野伏の体に潜み、野伏の髪のふりをしている妖怪、毛羽毛現。
その毛羽毛現が自らの身を立ちあげ、世界樹の枝に絡みつけ、宿主を守りはじめた。
木の枝と髪の毛の壮絶な争い。互いに相手を食らおうと躍りあがり、巻きつき、絡みあう妖物同士の争い。
そのなかでロウワンもまた、自らに食らいつこうとする世界樹の枝を〝鬼〟の大刀を振るって必死に打ち払っていた。
「行者! メリッサ師を連れて外へ!」
「わかった!」
「ロウワン!」
ロウワンの言葉に二種類の叫びが返る。
行者はためらわなかった。メリッサの胴体に自分の右腕を巻きつけると、そのまま抱きかかえた。このたおやかな少年のどこにこんな力が秘められているのか。そう思わせる光景だった。
「はなして! わたしだけ逃げるなんて……!」
メリッサが抱きかかえられた格好で叫んだ。しかし、行者は厳しく叱りつけるように言った。
「ここでは君は足手まといだ。君を守りながら戦わなくてはならないとなったら、とてもではないけど持ちこたえられない。いまは、この場をはなれることだけが君にできる唯一の貢献だ」
そう言って、メリッサを抱えたまま外に向かって走り出す。
その間もロウワンと行者は襲い来る無数の世界樹の枝を必死に打ち払っていた。
「くそっ! 切りがない!」
ロウワンが叫んだ。
いくら斬っても、刈り払っても、世界樹の枝は後からあとから無数に伸びてくる。まるで、斬られるほどに数を増やして伸びてくる伝説の怪物、ヒドラの首のように。
いや、それどころではない。ヒドラの首であれば斬り捨てた傷を火で焼いてしまえば二度と生えてくることはない。この世界樹はちがう。斬られた枝が再生するだけではない。幹から次々と新しい枝を伸ばしてくるのだ。いくら、ロウワンと野伏と言えど、ふたりだけで凌ぎきれるものではなかった。
――くそっ! せめて、ビーブがいてくれれば。
ロウワンはそう思った。
人よりはるかに敏捷なビーブであれば、ロウワンと野伏が枝を切り払っている間にその隙を突いて懐に飛び込み、幹に直接、一撃を加えることができただろう。
しかし、ビーブはいま、この場にいない。ロウワン自身が大公邸の入り口を守る役目を任せた。いまも必死に、外の化け物どもが大公邸に侵入しないよう、壁役を務めているにちがいない。
――せめて、行者が戻ってくるまで持ちこたえられれば……!
行者にメリッサを託したのは、メリッサの身の安全を守ってもらうため。しかし、そのまま逃げ出すなどとは思っていない。行者であれば、メリッサを安全な場所に届けたあと戻ってくるはずだ。〝賢者〟たちの固まりとなった世界樹を斃す、なんらかの手段をもって。
――それまで、凌ぎきれれば……!
ロウワンはそう思い、必死に〝鬼〟の大刀を振るう。しかし――。
とても、持ちこたえられそうにない。
ロウワンはもちろん、野伏と言えど無限の体力をもっているわけではない。やがては疲れ、身動きとれなくなる。まして、いまのように必死の奮闘をつづけていれば疲労の限界はすぐにやってくる。とても、行者が戻ってくるまで持たないだろう。
――くそっ! どうすれば……。
ロウワンは歯がみしながら心のなかで叫んだ。
そのロウワンに向かって、野伏が叫んだ。
「根を断ち切れ、ロウワン! 化け物であろうと植物。根を切り捨てられれば生きてはいられまい。お前の〝鬼〟の大刀なら斬れる。懐に飛び込んで根を断ち切るんだ!」
「そんなこと言ったって……!」
襲い来る無数の枝を切り払うのが精一杯。とてもではないが、その攻撃をかいくぐって根元に近づくことなどできはしない。できもしない指示を出すほどに、百戦錬磨の野伏ですら余裕をなくしているのだ。
このままではロウワンと野伏が世界樹の枝に貫かれ、世界を支配するための滋養とされるのは必定。だが、そのとき――。
天界の片隅において、誰もが失念していた存在がゆっくりと這いずりはじめていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ハズレ職業の料理人で始まった俺のVR冒険記、気づけば最強アタッカーに!ついでに、女の子とVチューバー始めました
グミ食べたい
ファンタジー
現実に疲れた俺が辿り着いたのは、自由度抜群のVRMMORPG『アナザーワールド・オンライン』。
選んだ職業は“料理人”。
だがそれは、戦闘とは無縁の完全な負け組職業だった。
地味な日々の中、レベル上げ中にネームドモンスター「猛き猪」が出現。
勝てないと判断したアタッカーはログアウトし、残されたのは三人だけ。
熊型獣人のタンク、ヒーラー、そして非戦闘職の俺。
絶体絶命の状況で包丁を構えた瞬間――料理スキルが覚醒し、常識外のダメージを叩き出す!
そこから始まる、料理人の大逆転。
ギルド設立、仲間との出会い、意外な秘密、そしてVチューバーとしての活動。
リアルでは無職、ゲームでは負け組。
そんな男が奇跡を起こしていくVRMMO物語。
魔力ゼロの英雄の娘と魔族の秘密
藤原遊
ファンタジー
魔法が支配する世界で、魔力を持たない少女アリア・マーウェラ。彼女は、かつて街を守るために命を落とした英雄的冒険者の両親を持ちながら、その体質ゆえに魔法を使えず、魔道具すら扱えない。しかし、彼女は圧倒的な身体能力と戦闘センスを武器に、ギルドでソロ冒険者として活動していた。街の人々やギルド仲間からは「英雄の娘」として大切にされつつも、「魔力を捨てて進化した次世代型脳筋剣士」と妙な評価を受けている。
そんなある日、アリアは山中で倒れていた謎の魔法使いイアンを助ける。彼は並外れた魔法の才能を持ちながら、孤独な影を背負っていた。やがて二人は冒険の中で信頼を深め、街を脅かす魔王復活を阻止するため、「カギ」を探す旅に出る。
しかしイアンには秘密があった。彼は魔族と人間の混血であり、魔王軍四天王の血を引いていたのだ。その事実が明らかになったとき、アリアは「どんな過去があっても、イアンはイアンだよ」と笑顔で受け入れる。
過去に囚われたイアンと、前を向いて進むアリア。二人の絆が、世界を揺るがす冒険の行方を決める――。シリアスとギャグが織り交ざる、剣と魔法の冒険譚!
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる