神の物語

藍条森也

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第二部

《スサノオ》(3)

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 侍の似顔絵書きが終わった後、シュランドとカグヤは寝所に案内された。ふたりはそこで今後のことについて話し合った。
 「ミカゲさまはああおっしゃったけど……」
 シュランドは決まり悪そうに出雲の王の言葉を思い出した。
 『おふたりには早々に旅立たれるがよかろう』
 ミカゲはそう言ったのだ。
 『そなたらはわが姫の恩人。本来ならば盛大な宴をもって恩に報いるべきところなのだが、いまは事情が事情だ。留まればとどまるほど御身に危険が及ぼう。恩人を傷つけたとあってはわが出雲の名折れ。怪我などせぬうちに立ち去られよ。
 今宵はひとまずわが城でゆるりと休み、明日の朝早くに立たれるがよい。むろん、出立に際して必要なものはすべてとりそろえよう。なんなりと申しつけてくれ。くれぐれも言っておくが、遠慮などしてはならぬぞ。わが姫の恩人どのとなれば全財産を差しあげても足りぬほどなのだからな』
 ミカゲはそう言って闊達に笑ったものだ。
 正体不明の化け物に襲われ、自身も右の手足を失うほどの大怪我を追いながらなお、他人の身を案じ、力強く笑って見せる。なんて肝の座った大人物なのだろう。シュランドはそう思った。ミカゲを尊敬する気になった。それだけにその温情が気にかかった。
 「このままよそへ行っちゃっていいのかな? 大勢の人がこんな大変な目に会ってるのに……」
 シュランドはカグヤの表情をうかがうように言った。
 「埋葬したはずのご先祖たちが怪物となって襲ってくるなんて……つらいでしょうね」
 「うん。それも、自分たちの手で倒さなければならないなんて」
 倒した尸解仙の群れのなかに母の姿を認めたときのタマモの気持ちを思うと……。
 ふたりは沈痛な表情で押し黙った。シュランドはふいに叫んだ。
 「いや、やっぱりだめだ!」
 「シュランド?」
 「こんな目にあってる人たちを見捨てて逃げるなんてできないよ。おれも戦う。ミカゲさまにそう言ってくるよ」
 「シュランド!」
 カグヤが止める間もなく、少年は寝所を飛び出していた。
 シュランドは足に羽の生えたような勢いで城の渡り廊下を駈けて行った。警備の兵士にでも呼びとめられるかと思ったが、そんなこともなかった。尸解仙たちとの熾烈な戦いに消耗して城内の警備などしている余裕はないのだろう。悲惨な出来事ではあるが、おかげで呼びとめられずにすむとすればこの際はありがたい。
 高揚した気分のままに突っ走り、謁見の間にたどり着く。その直前でさすがにこのまま突っ込んでは無礼だと気がついて急停止。襖の前で深呼吸する。息を整えてから襖に手をかける。そのとき、
 「では、やはり……」
 タマモの声がした。
 「……うむ」
 娘の声にうなずく、ミカゲの重々しい声がした。
 シュランドは思わず襖越しに耳をそばだてた。本来なら盗み聞きなど、まして、父と娘の会話に聞き耳を立てるような少年ではない。すぐに立ち去っているところだ。だが、ふたりの声に込められた、ただならぬ緊張感がシュランドを引きつけた。襖にぴったりと耳をはりつけ、聞き取らずにはいられなかった。
 ミカゲの声がつづいた。
 「かつて、毎年行なわれた生贄の儀式。新生・出雲が打ち建てられたとき、ヤチホコさまによって廃止されたが、そのために宿儺人の怒りを買ってのこたびの件だ、というのが博士たちの見解だ」
 「………」
 「むろん、納得できることではない。生け贄を廃止したせいだというなら百年も立ってから怒りをあらわにするなど不自然この上ないからな。まして、つい昨年まで宿儺人はわれらが守り神でありつづけたのだから。だが、原因がわからぬ以上、どんな小さな可能性でも手を打たねばならん」
 「それでは、生け贄の儀式を……?」
 「うむ。復活させる。心苦しいことではあるが、過去の例にのっとり、生娘を捧げねばなるまい。いま、博士たちがその選定を……」
 「それには及びませぬ、父上」
 「うん?」
 「わたくしが贄となりましょう」
 「タマモ⁉」
 ミカゲは叫んだ。
 シュランドも息を呑んだ。
 タマモの毅然とした声が襖ごしに届いた。
 「民人の安全を守るはわが一族の神聖なる使命。王族に生まれながらわが身かわいさに他の娘に犠牲を強い、のうのうと生き延びるなどわたくしの体に流れる血が許しませぬ。なにとぞ、わたくしを贄にお使いください」
 「し、しかし……」
 「父上! いえ、ミカゲさま。ミカゲさまはわたくしの父である前に出雲の王であらせられます! 領主たる身が私事を優先し、民に犠牲を強いるおつもりか! そのようなことでは天下に笑われましょうぞ。父上にそのような恥をかかせたとあってはわたくしも生きてはおられませぬ。この場で喉を突いて果てる所存!」
 ミカゲを貫くタマモの激しい視線が目に浮かぶ声だった。
 謁見の間は沈黙に包まれた。ミカゲの内心で王としての自分と父親としての自分が激しく葛藤しているのだろう。シュランドは心臓をばくばくさせながらミカゲの言葉をまった。シュランドは疑ってはいなかった。全身が震え、溶けくずれるような不安にさいなまれながらも、それでも信じていた。
 ついには父親としてのミカゲが勝ち、タマモの訴えをしりぞけることを。牢に閉じこめてでも愛しい娘の生命を救おうとすることを。たとえ、卑怯者とののしられ、恥知らずと言われようと、娘を守るためにその汚名を甘受することを。
 そうでなければならない。そうでなければ。親にとってわが子ほど大切な存在はないのだから。親がわが子のために身勝手な恥知らずになれるのでなければ、いったい誰が人の一生で味方になってくれると言うのだろう?
 ――そんな親はおれの父親だけでたくさんだ!
 内心で吐き捨てるシュランドだった。
 やがて、ミカゲの声がした。
 「……すまぬ」
 それが出雲の王の答えだった。
 「そなたを贄にするなどわが身を裂かれるよりもつらきこと。だが、そなたがそこまでの決意をしているというのなら、わしもまた王としての責務を全うせねばならぬ。民人のため、死んでくれ。タマモよ」
 「御意」
 父の言葉に答える娘の声は、わが意を得た晴れやかさに満ちていた。
 襖の外に立ちながらシュランドの全身ががくがく震えていた。あってはならない、絶対に起きてはいけないことがいま、襖一枚へだてたその向こうで進められている。そのことが信じられなかった。どんな事情があろうと、親がわが子を生け贄にするなどとは……。
 凄絶な父娘の会話はつづいていた。
 「では、儀式の日取りだが……」
 「一日でも早いほうがようございます。いつまた尸解仙どもが襲ってくるとも知れませぬ。可能ならば明日にでも……」
 「明日か。それはあまりにあわただしいが、一刻も早いほうがよいのはたしか。さっそく、博士たちに告げて……」
 限界だった。それ以上、聞いていることはとてもできなかった。頭のてっぺんから爪先まで怒りの固まりと化して、シュランドは謁見の間に飛び込んだ。
 「だめだ!」
 叫んだ。
 力のかぎりに叫んだ。
 突然のことにタマモもミカゲも呆気にとられてシュランドを見た。怒りに狂った少年は相手の様子などかまわず、叫びつづけた。
 「だめだ、だめだ、だめだ! そんなことだめだ! ミカゲさま、タマモ姫はあなたの娘じゃないか、その娘を生け贄に捧げるなんてそれでも親か⁉ 人間のすることじゃない!」
 「だまれ!」
 叫んだのはタマモだった。女性らしくたおやかな、それでいて豪奢な絹服に包んだ身を乗り出し、少年の怒りから父をかばうように叫び返した。
 「さては盗み聞きをしておったのか! いかに恩人どのとはいえ無礼であるぞ、シュランドどの! まして、国王陛下を前に何たる暴言! すぐに詫びをいれい。さもなくばわらわが許さぬ!」
 「うるさい、だまってろ!」
 「なに……?」
 姫として生まれ、いままで誰にも怒鳴られたことなどないタマモである。生まれてはじめの経験にとまどい、呆気にとられ、さしもの武門の姫が息を呑むばかりだった。
 「おれはミカゲさまと話してるんだ! ミカゲさま、あなたはまちがってる! どんな事情があったって、親が自分の子供を生け贄にするなんてあっちゃいけない!」
 「だまれ!」
 再び、タマモが叫んだ。
 「贄になることを望んだのはわらわ自身じゃ! 父を責めるにはあたらぬ。おぬしには王として親の情をふみにじらねばならぬ父上の苦渋がわからぬか!」
 「だまれ!」
 シュランドもまた、力のかぎりに叫んだ。
 「どんなに苦しんだって関係ない! やっちゃいけないことはいけないんだ! ミカゲさま、あなたにはそれがわからないのか!」
 「まだ言うか、この……!」
 タマモは怒りにかられ、凛々しい顔を真っ赤に染めて立ち上がった。シュランドにつめよろうとする。それより早く、ミカゲが残った左腕をあげて娘を制した。
 「やめよ、タマモ。シュランドどのの言葉は正しい」
 「父上……」
 なおも叫ぼうとするタマモを視線で制し、ミカゲはシュランドに顔を向けた。
 「シュランドどの。そなたの言い分はもっとも。実の娘を贄にするなど人間のすることではない」
 ミカゲはあっさりとシュランドの主張を認めた。この物分かりのよさはシュランドにとっても意外だった。弾劾するのも忘れてミカゲの言葉に聞き入ってしまった。
 「だが、これは必要なことなのだ。わしが娘を惜しめば他の親が大切な娘を差し出さねばならぬ。親子の情は誰も同じ。その思いを踏みにじるもまた人の道に外れる。同じ外道となるならばせめて、他人に累を及ぼしたくはないのだ」
 「そ、そんな……」
 シュランドはどう理解していいのかわからず途方に暮れた。どうしてミカゲはこんなことを平然と言えるのだろう? 娘といつまでも一緒に暮らしたいとは思わないのだろうか? わからなかった。なにもかもわからなかった。わからないまま立ち尽くしていた。
 「シュランドどの」
 タマモが言った。
 「われらのことを思ってくれるそなたの気持ちはありがたく受け取らせていただく。感謝もしよう。だが、この件はわれらの問題。失礼ながら、旅人の口出しは無用。そなたたちは我が事だけを考えておればよい。やはり、今夜のうちにでも立ち去られるがよい」
 『小僧が。生意気いわずにとっとと出ていけ』
 タマモの穏やかな言葉もシュランドにはそう聞こえた。頭に血がのぼった。心が怒りに震えた。絶対にだめだ。その思いが身を貫いた。ミカゲも、タマモも、まちがった道を進もうとしている。そんなことは許してはいけない。なんとしても説得し、考えなおさせないといけない。
 「だめだ! そんなことは……」
 叫びながらミカゲにつめよった。
 そこへ、騒ぎを聞きつけた警備隊がやってきた。彼らが見たものは右の手足を失い、自分ひとりでは動くこともままならぬ王を目掛け、突進している少年の姿だった。
 もちろん、シュランドにはミカゲに危害を加える気などなかった。すがりついてでも説得しようとしただけだ。だが、兵士たちにはそうは見えなかった。
 槍をかまえた隊士長が叫んだ。
 「おのれ、逆賊! ミカゲさまには指一本ふれさせぬぞ!」
 叫びとともに警備隊が殺到した。多勢に無勢、しかも、一方は武器をかまえた生粋の兵士たちであり、一方は屈強な体をもつとはいえ丸腰の少年。たちまちのうちに槍の柄で殴られ、たたき伏せられ、畳の上にはいつくばされていた。槍の柄で背中を押さえつけられ、身動きひとつできなくされていた。
 「痴れ者め! 地下牢に放り込んでおけ」
 隊士長の叫びとともに、シュランドは兵士たちに引きずり出されて行った。
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