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第一部 旅立ち篇
一の扉 癒やしの女公爵
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フィールナル王国。
大陸中央北寄りに位置する屈指の大国。歴史と伝統を誇るその国はいまや風前の灯火だった。
怒りに燃える民衆の群れが手に手に鋤や鍬、伐採用の斧などをもち、王宮へと押し寄せているのだ。食い止めるべき軍も民衆の怒りの前に士気を失い、とめようともせずに後退をつづけるありさま。このままでは民衆が王宮になだれ込むのも時間の問題。そうなれば、フィールナル王家は……。
まさに、存亡の危機。
そのとき――。
国王アルフレッド三世は全国民に対し、ひとつの布告を発した。
「今回の一件はすべて我が息子、王太子アルフォンスの婚約者であるカーディナル公爵家の魔女、ラベルナの仕業である! 民衆よ、騙されるな。我らは共に被害者なのだ!」
その布告ののち――。
ひとりの女性が王宮の地下牢に幽閉された。
カーディナル女公爵ラベルナ。
フィールナル王国の歴史において、王家を操り、民衆を苦しめた史上最大の悪女として伝えられる女……。
《逆襲の悪役令嬢物語 ~家門の矜持、守るためなら鬼となります~》
「しっかりなさいませ、殿下! この危急存亡のときに王太子たるあなた様がうろたえていてどうしますか!」
フィールナル王国の王宮。
その足元にいままさに怒りに燃える市民の群れが押し寄せ、抗議の声を張りあげている。その怒号にかき消されそうになりながら、カーディナル女公爵ラベルナは、未来のフィールナル王であり、自身の婚約者でもある第一王子アルフォンスを叱咤した。
「し、しかし……」
未来の妻の毅然とした態度とは対照的に、本来であれば自分こそが主導権を握らなければいけない王太子アルフォンスはうろたえるばかり。幼い子供のように部屋のなかをウロウロし、顔色は青くなったり、赤くなったり。不安そうに窓の外を見ては、部屋の奥に引っ込み、また窓から外の様子を覗いては、また引っ込み……を、繰り返している。
ラベルナはさすがにうんざりした。アルフォンスに知られないようにこっそり溜め息をついた。
アルフォンスとは生まれる前から婚姻が決まっていた許嫁同士。当然、物心付いたときから未来の夫婦として一緒に過ごしてきた。しかし――。
決して、悪い人間ではないし、愚劣というわけでもない。それはわかっている。しかし、この気の弱さと肚の座らない態度には苛々させられる。
ラベルナはその思いを隠すために深呼吸して気を落ち着けた。そうしないと、立場の差を越えて怒鳴ってしまいそうだ。
フィールナルはいまや国家的な危機を迎えていた。
市民たちが至る所で暴動を起こし、取り締まろうとする軍との間で衝突を繰り返す。厳しく取り締まれば取り締まるほど市民の反発は強まり、暴動は大きくなっていく。それに対抗するために取り締まりはより厳しくなり、その分、反発もさらに強くなり……その悪循環。
そして、暴徒と化した市民たちはついに王宮の間近にまで迫ってきた。
いまや、王宮の窓から見えるのは手にてに鍬やら鉄の棒やらをもって怒りの声と共に振りまわす市民の群れ。このままにしておけば市民の群れが王宮になだれ込み、破壊を行うのも時間の問題だろう。取り締まるべき軍もどれだけ頼りになるか……。
ラベルナは深呼吸を繰り返したあと、改めてアルフォンスに告げた。
「殿下。恐れながら今回の件、責任はあげて国王陛下にございます」
「ち、父上に……⁉」
アルフォンスの顔色が赤や青を越えて真っ白になった。この気弱な王太子にとって国王たる父を非難するなど、精神的な許容量をはるかに超えた出来事だったのだ。
それを承知でしかし、ラベルナはつづける。なぜなら、それは国のため、アルフォンス自身のために必要なことだったから。
「さようです。国王アルフレッド三世陛下はお若い頃から遊興にふけり、先祖代々蓄えられてきた財を湯水のごとく使い果たしてしまわれました。しかも、北の一つ目巨人族を討伐しようと兵を挙げ、大敗を喫された……」
「し、しかし、あれは……あの北の一つ目巨人どもは毎年のように我が国に侵入し、略奪を働く蛮族どもだ。ち、父上は国民のためにあの蛮族どもを退治しようとなされたのだ、ち、父上はまちがってなど……」
いない、と、そう断言できないところがアルフォンスの気の弱さ。
――『まちがってはいない』。ここでそう断言できるだけの強さがあれは、わたしも支えがいがあるのだけど。
子供の頃から何度も繰り返し、ある意味、もう慣れてしまった失望を噛みしめながらラベルナはつづけた。
「一つ目巨人族との関係はもう何百年もつづいていること。その間、ただの一度として軍事的に勝利したことはございません。あの巨人族は力も強く、統率もとれており、なにより、住み処である極北の大地は広く、寒く、制圧するなど人の力では到底、不可能。そのことは陛下以外の誰もが知るところ。文武を問わず、すべての重臣方がそのことを指摘し、お諫めしておりました。その声を一切聞かず、陛下は軍を派遣なさいました。そして、二〇万を越える兵のほとんどが戻ってこないという大敗を喫したのです。それでもまた、陛下はまちがっていなかったと仰るのですか?」
「そ、それは……」
未来の妻から手厳しく指摘されて、アルフォンスはまたも顔色を赤くしたり、青くしたりした。
「その上、大敗による損失を埋めようと巨額の増税をなされた。そのことが市民の怒りに火を付けたのです。大切な家族を奪われ、巨額の税まで課される。怒って当然。アルフレッド陛下の退任を求めて当然。いまこそ、殿下。あなた様がお起ちになるときです」
「わ、私が……?」
「さようです。いますぐ、陛下のもとに赴き、禅譲を要求なさいませ」
「ぜ、禅譲……! わ、私に王位を譲るよう求めろと言うのか⁉」
「さようです。幸い、民衆はまだフィールナル王家そのものを敵視しているわけではありません。かの人たちが求めているのはアルフレッド陛下の退任のみ。殿下がアルフレッド陛下に退任を要求し、王位を継げば、殿下は民衆の味方となります。そうなれば、民衆の代表と交渉し、対話による解決を模索することも可能となります」
「わ、私に民衆の代表と交渉しろと言うのか……!」
「もちろん、殿下おひとりにその責を負わせはしません。殿下には我がカーディナル家が付いております。カーディナル家は代々、薬師として王家のみならず、民衆の生命をも守って参りました。民衆からは一定の信用を得ております。そのカーディナル家が支持しているとなれば、民衆も殿下を信頼します。交渉を成功させることは決して難しくはございません」
「ほ、本当だな……? 本当に私を支えてくれるのだな?」
「もちろんです」
ようやく覚悟を決めたらしい未来の夫に対し、ラベルナは声援を送るようににっこりと微笑んで見せた。
「我がカーディナル家は代々、薬師として王家に仕え、王家の方々の身命を守って参りました。フィールナル王家と、王家の方々をお守りすること、それがカーディナル家の使命。その矜持がございます。まして、わたしは殿下の妻となる身。妻たる身が夫を支えなくてどうしますか」
「わ、わかった……。それでは父のもとに行ってくる。王位を譲るよう進言してくる」
「よくぞ、ご決心なさいました、殿下。それでこそ、この国の王太子たるお方です」
「う、うむ……」
アルフォンスは呻くように言うと一歩、踏み出した。
チラリ、と、未来の妻を振り返る。
「ほ、本当に私を支えてくれるのだな?」
「もちろんです、あなた」
あなた。
その一言に安心したのだろう。
アルフォンスははにかんだ笑顔を浮かべ、部屋を出て行った。
ひとり、部屋に残されたラベルナはギュッと両拳を握りしめた。表情がたちまち引き締まり、アルフォンスに向けていたやさしい笑顔とは対照的に厳しい面持ちとなった。美しい顔が凜々しく引き締まる。
「戦いがはじまる。でも、負けるわけにはいかない。フィールナル王家と、王家の方々をお守りする。それこそが、カーディナル家代々の使命。その矜持に懸けて」
大陸中央北寄りに位置する屈指の大国。歴史と伝統を誇るその国はいまや風前の灯火だった。
怒りに燃える民衆の群れが手に手に鋤や鍬、伐採用の斧などをもち、王宮へと押し寄せているのだ。食い止めるべき軍も民衆の怒りの前に士気を失い、とめようともせずに後退をつづけるありさま。このままでは民衆が王宮になだれ込むのも時間の問題。そうなれば、フィールナル王家は……。
まさに、存亡の危機。
そのとき――。
国王アルフレッド三世は全国民に対し、ひとつの布告を発した。
「今回の一件はすべて我が息子、王太子アルフォンスの婚約者であるカーディナル公爵家の魔女、ラベルナの仕業である! 民衆よ、騙されるな。我らは共に被害者なのだ!」
その布告ののち――。
ひとりの女性が王宮の地下牢に幽閉された。
カーディナル女公爵ラベルナ。
フィールナル王国の歴史において、王家を操り、民衆を苦しめた史上最大の悪女として伝えられる女……。
《逆襲の悪役令嬢物語 ~家門の矜持、守るためなら鬼となります~》
「しっかりなさいませ、殿下! この危急存亡のときに王太子たるあなた様がうろたえていてどうしますか!」
フィールナル王国の王宮。
その足元にいままさに怒りに燃える市民の群れが押し寄せ、抗議の声を張りあげている。その怒号にかき消されそうになりながら、カーディナル女公爵ラベルナは、未来のフィールナル王であり、自身の婚約者でもある第一王子アルフォンスを叱咤した。
「し、しかし……」
未来の妻の毅然とした態度とは対照的に、本来であれば自分こそが主導権を握らなければいけない王太子アルフォンスはうろたえるばかり。幼い子供のように部屋のなかをウロウロし、顔色は青くなったり、赤くなったり。不安そうに窓の外を見ては、部屋の奥に引っ込み、また窓から外の様子を覗いては、また引っ込み……を、繰り返している。
ラベルナはさすがにうんざりした。アルフォンスに知られないようにこっそり溜め息をついた。
アルフォンスとは生まれる前から婚姻が決まっていた許嫁同士。当然、物心付いたときから未来の夫婦として一緒に過ごしてきた。しかし――。
決して、悪い人間ではないし、愚劣というわけでもない。それはわかっている。しかし、この気の弱さと肚の座らない態度には苛々させられる。
ラベルナはその思いを隠すために深呼吸して気を落ち着けた。そうしないと、立場の差を越えて怒鳴ってしまいそうだ。
フィールナルはいまや国家的な危機を迎えていた。
市民たちが至る所で暴動を起こし、取り締まろうとする軍との間で衝突を繰り返す。厳しく取り締まれば取り締まるほど市民の反発は強まり、暴動は大きくなっていく。それに対抗するために取り締まりはより厳しくなり、その分、反発もさらに強くなり……その悪循環。
そして、暴徒と化した市民たちはついに王宮の間近にまで迫ってきた。
いまや、王宮の窓から見えるのは手にてに鍬やら鉄の棒やらをもって怒りの声と共に振りまわす市民の群れ。このままにしておけば市民の群れが王宮になだれ込み、破壊を行うのも時間の問題だろう。取り締まるべき軍もどれだけ頼りになるか……。
ラベルナは深呼吸を繰り返したあと、改めてアルフォンスに告げた。
「殿下。恐れながら今回の件、責任はあげて国王陛下にございます」
「ち、父上に……⁉」
アルフォンスの顔色が赤や青を越えて真っ白になった。この気弱な王太子にとって国王たる父を非難するなど、精神的な許容量をはるかに超えた出来事だったのだ。
それを承知でしかし、ラベルナはつづける。なぜなら、それは国のため、アルフォンス自身のために必要なことだったから。
「さようです。国王アルフレッド三世陛下はお若い頃から遊興にふけり、先祖代々蓄えられてきた財を湯水のごとく使い果たしてしまわれました。しかも、北の一つ目巨人族を討伐しようと兵を挙げ、大敗を喫された……」
「し、しかし、あれは……あの北の一つ目巨人どもは毎年のように我が国に侵入し、略奪を働く蛮族どもだ。ち、父上は国民のためにあの蛮族どもを退治しようとなされたのだ、ち、父上はまちがってなど……」
いない、と、そう断言できないところがアルフォンスの気の弱さ。
――『まちがってはいない』。ここでそう断言できるだけの強さがあれは、わたしも支えがいがあるのだけど。
子供の頃から何度も繰り返し、ある意味、もう慣れてしまった失望を噛みしめながらラベルナはつづけた。
「一つ目巨人族との関係はもう何百年もつづいていること。その間、ただの一度として軍事的に勝利したことはございません。あの巨人族は力も強く、統率もとれており、なにより、住み処である極北の大地は広く、寒く、制圧するなど人の力では到底、不可能。そのことは陛下以外の誰もが知るところ。文武を問わず、すべての重臣方がそのことを指摘し、お諫めしておりました。その声を一切聞かず、陛下は軍を派遣なさいました。そして、二〇万を越える兵のほとんどが戻ってこないという大敗を喫したのです。それでもまた、陛下はまちがっていなかったと仰るのですか?」
「そ、それは……」
未来の妻から手厳しく指摘されて、アルフォンスはまたも顔色を赤くしたり、青くしたりした。
「その上、大敗による損失を埋めようと巨額の増税をなされた。そのことが市民の怒りに火を付けたのです。大切な家族を奪われ、巨額の税まで課される。怒って当然。アルフレッド陛下の退任を求めて当然。いまこそ、殿下。あなた様がお起ちになるときです」
「わ、私が……?」
「さようです。いますぐ、陛下のもとに赴き、禅譲を要求なさいませ」
「ぜ、禅譲……! わ、私に王位を譲るよう求めろと言うのか⁉」
「さようです。幸い、民衆はまだフィールナル王家そのものを敵視しているわけではありません。かの人たちが求めているのはアルフレッド陛下の退任のみ。殿下がアルフレッド陛下に退任を要求し、王位を継げば、殿下は民衆の味方となります。そうなれば、民衆の代表と交渉し、対話による解決を模索することも可能となります」
「わ、私に民衆の代表と交渉しろと言うのか……!」
「もちろん、殿下おひとりにその責を負わせはしません。殿下には我がカーディナル家が付いております。カーディナル家は代々、薬師として王家のみならず、民衆の生命をも守って参りました。民衆からは一定の信用を得ております。そのカーディナル家が支持しているとなれば、民衆も殿下を信頼します。交渉を成功させることは決して難しくはございません」
「ほ、本当だな……? 本当に私を支えてくれるのだな?」
「もちろんです」
ようやく覚悟を決めたらしい未来の夫に対し、ラベルナは声援を送るようににっこりと微笑んで見せた。
「我がカーディナル家は代々、薬師として王家に仕え、王家の方々の身命を守って参りました。フィールナル王家と、王家の方々をお守りすること、それがカーディナル家の使命。その矜持がございます。まして、わたしは殿下の妻となる身。妻たる身が夫を支えなくてどうしますか」
「わ、わかった……。それでは父のもとに行ってくる。王位を譲るよう進言してくる」
「よくぞ、ご決心なさいました、殿下。それでこそ、この国の王太子たるお方です」
「う、うむ……」
アルフォンスは呻くように言うと一歩、踏み出した。
チラリ、と、未来の妻を振り返る。
「ほ、本当に私を支えてくれるのだな?」
「もちろんです、あなた」
あなた。
その一言に安心したのだろう。
アルフォンスははにかんだ笑顔を浮かべ、部屋を出て行った。
ひとり、部屋に残されたラベルナはギュッと両拳を握りしめた。表情がたちまち引き締まり、アルフォンスに向けていたやさしい笑顔とは対照的に厳しい面持ちとなった。美しい顔が凜々しく引き締まる。
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