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第一部 旅立ち篇
一二の扉 茶番は終わった
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そして、ラベルナの(無実の)罪を裁くための二度目の裁判が開かれた。今回は前回とは異なり、広く一般に門を開いての公開裁判である。
注目の裁判とあって早くから押すな押すなと人が押し寄せ、傍聴人席は市民でいっぱいになっている。
そのなかにはメリッサをはじめとするカーディナル家の使用人たちもいた。皆、一様に複雑な表情を浮かべている。不安と緊張、主人を心配する思い、敬愛する主人をそんな目に遭わせた国王に対する怒り、しかし、場を荒げてはまずいとの配慮から怒りをこらえている……それら、幾つもの思いが入れ替わり立ち替わり表情に表れ、一時も落ち着くと言うことがない。
別の一画には市民団の代表が並んでいる。いずれも、単なる抗議活動ではなく、武力によって王家を打倒することも辞さない武闘派革命集団の指導者たちである。
そんな人間たちに傍聴を許可することは警備上の理由から反対する声も多かった。しかし、国王アルフレッドはこともなげに答えた。
「危険な武闘派だからこそ、魔女の証言を直に聞かせて納得させる必要があるのではないか」
結局、国王の意向と言うことで警備責任者たちも認めざるを得なかった。
その国王アルフレッドは貴族専用の二階席に陣取っていた。まわりには近しい関係にある貴族たち。息子であり、王太子であるアルフォンスの姿もある。
アルフォンスはいかにもオドオドした怯えた様子でひとり、被告人席に立つかつての婚約者を見下ろしていた。どうやら『自分は魔女に操られていたのだ!』という嘘を相変わらず信じ込んだままでいるらしい。新たな婚約者となった『クリーム令嬢』ことティオル公爵令嬢ピルアの腕にしっかりとしがみついている。その姿は控えめに言って『母親にすがりつく幼子』なのであった。その『母親』はと言えば、『クリーム令嬢』などと揶揄されるとおり、事態がわかっているのかいないのか、よくわからないぽやあっとした表情を浮かべているばかりだった。
そして、もうひとり。
目立たないが重要な人物がいた。
目立たないのは大柄な兵士たちに囲まれ、その小さな体が隠されているためである。
重要なのはその血統ゆえである。
ユーマ。
今年一〇歳になるラベルナの弟。
その年端もいかない少年はいま、兵士たちに囲まれ、国王アルフレッドにほど近い席に座っていた。
もちろん、人質としてである。
ラベルナが約束とちがう言動をとれば即座に殺す。
そのためにこの場に置いてある。
ユーマはもちろん、自分が人質であることを知っていた。知った上でカーディナル家の矜持を守ろうと必死に毅然たる態度を取り繕っている。
――決して、うろたえたり、怯えたりする姿を見せるものか。
小さいながら、全身にその決意がみなぎっている。
決意と覚悟を定めたその態度は、一〇歳以上も年上のアルフォンスなどよりよほどおとなびた、男らしいものだった。
そして、裁判ははじまった。
「静粛に、静粛に」
裁判長の木槌を叩きながらのその宣告も、今回は単なる儀式とは言えなかった。市民であふれる傍聴人席は高まる緊張からか裁判のはじまるずっと前からざわめいていたからである。
その裁判のはじまりを国王アルフレッドはニヤニヤと賤しい笑みを浮かべながら眺めている。
自分の勝利を確信した故の勝利の笑みである。
大切な弟であるユーマを人質にとっている以上、いかに生意気な小娘であろうと約束を反故には出来まい。裁判長とその他の裁判官にもたっぷりと鼻薬を効かせてある。必ずや、自分の思い通りの結果となる。
そのことを疑っていなかった。
年端のいかない子供を人質にとるなどいかがなものか。
そんな感情はチラとも浮かばない。そんな上等な精神の持ち主ならラベルナひとりに罪をかぶせ、自分の失政を覆い隠そうなどとするはずがない。『良心の目覚め』などを期待するには、すでに手遅れな人種だった。
裁判官がラベルナの罪状を読みあげた。
装飾過剰で仰々しい、傍聴人席の市民のほとんどには理解出来ないような長ったらしい言説だったが、要するに『代々、伝わる薬物を使い、王族方の意思を奪い、操った』と言っているのである。
「その罪を認めるか?」
裁判長が尋ねた。
ラベルナは何も言わなかった。黙ってうつむいていた。やがて、顔をあげた。キッとした視線で裁判長を睨み付けた。
右手をあげた。
その手には小さな香炉がもたれていた。
香炉から白い煙が漂いはじめる。
人々がその煙を吸い込んだとき、異変は起こった。
突然、傍聴人席で悲鳴が起こった。傍聴人席の一画で殴り合いが起こり、巻き込まれた女性が悲鳴をあげたのだ。
それを皮切りに傍聴人たちは暴徒の群れと化した。
至る所で殴り合いがはじまり、拳の打ち合う音が響き、血の匂いが立ちこめた。
アルフレッドが満足げに指示を下した。待機していた衛兵たちがその場に殺到し、傍聴人たちを捕えていった。傍聴人たちが捕えられ、ひとり残らずいなくなったその場でラベルナの追放刑は決まった。ただし、理由は最初に言われていた『王家を操った罪』ではない。そんなことにはもはや一言も触れられなかった。
ラベルナが追放刑に処された罪状。
それはただひとつ。
『裁判の場において市民を操り、混乱を招いた罪』だった。
王宮の一室。
そのなかで国王アルフレッドは優雅にお茶を楽しんでいた。
目の前にはひとりの女性。若く、美しく、いかにも貴族の令嬢らしい高貴な印象。洗練された雰囲気。上品かつ洗練された立ち居振る舞い。
すべてが『貴族令嬢』という言葉にふさわしい。
カーディナル家当主ラベルナである。
どれだけ振りだろう。追放刑に処されたラベルナはいま、久し振りに貴族の令嬢らしい装いに身を包み、国王アルフレッドと同席していた。拷問に次ぐ拷問の日々ですっかりやせ衰えていた肉体もいまではある程度、回復している。
『あまりにやつれた様子では拷問にかけたことを疑われるからな』
という、いかにもアルフレッドらしい姑息な思惑によって裁判まで日を置き、まともな生活を送らせた結果である。
アルフレッドはすべてが望む通りに行ったことに対する満足の笑みを浮かべていた。
「しかし、面白い薬物があったものだな。人と人を争わせる香りとは」
「南の野人族が戦の際に用いる薬です」
ラベルナはそう説明した。
「およそ五〇年前、南の野人族が我が国に攻め込んできたときのこと。野人族は死を怖れず、怯むことなく押し寄せて参りました。その理由がこの薬品です。この薬品には人の理性を麻痺させ、闘争心を掻きたて、むやみやたらに暴れさせる効力があります。そのことを知ったカーディナル家のものが命を懸けて潜入し、持ち帰り、その製法を分析しました。そして、この薬品の効果を打ち消す新たな薬品を開発したのです。それによって五〇年前の戦は我が国の勝利となりました」
「ほう。そのようなことがあったのか。なかなか興味深い話だな」
アルフレッドは素直に感心して見せた。
それだけを見れば『勉強熱心な良き人物』と見えないこともない。しかし、いまから五〇年前と言えばアルフレッドはすでに生まれていたのである。ごく幼かった頃のこととはいえ、自分の生まれて以後の国の歴史も知らない。アルフレッドがいかに国王としての自覚に欠ける人物であるかを示す例であった。
「もちろん、今回、用いたものは本来の薬品に手を加え、効果を低くしたものです。殺し合いをさせることが目的ではありませんから」
「ふむふむ、なるほど。しかし、面白い薬ではある。それを使えば王家に歯向かう不届き者どもを互いに争わせ、自滅させることも可能だな」
ほくそ笑むアルフレッドに対し、ラベルナはピシャリとした口調で言った。
「そうはさせません。この薬品の製法はカーディナル家当主にのみ受け継がれてきました。いまでは製法を知るものは、わたしただひとり。決して、あなたには教えませんし、あなたのために使用することもありません」
ふん、と、ラベルナに強い口調で言われてアルフレッドは拗ねたように鼻を鳴らした。
だが、すぐに気を取り直した。何しろ、今日はラベルナにすべての罪を押しつけることの出来た記念すべき日なのだ。その程度のことでヘソを曲げてはいられない。
「それにしても、つくづくそなたも頑固よな。どうあっても『王家を操った罪』を認めるわけにはいかんとは」
「そんなことはしておりませんから。してもいない罪を認めることは断じてできません」
それが、ラベルナがアルフレッドに対して出した条件。
『王家を操った罪』を認めることはしない。
そのかわり、裁判の席で市民を操ってみせる。
そして、その罪によって追放処分を受ける。
カーディナル家当主として犯してもいない罪を認めることは決して出来ない。しかし、現実に行った罪で流罪とされるなら話は別。もちろん、カーディナル家は代々、人々の身命を守るために尽くしてきた家柄。そのカーディナル家の当主が人々を争わせるなど言語道断。しかし――。
カーディナル家は同時に王家を守ってきた守護者としての一族でもある。守護者として、王家に敵対するものを害する限りにおいては……。
そのために、市民のなかでも特に王家に対する敵対意識の強い指導者たちを招くよう要求した。たったひとりの弟の生命を犠牲には出来ない。かと言って、カーディナル家の矜持を捨てるわけにはいかない。弟の生命とカーディナル家の矜持。双方を守るためのぎりぎりの妥協だった。
「まあ、そなたの思いなどどうでもよい。肝心なのは、そなたが実際に人間を操って見せたこと。市民どももそなたを正真正銘の魔女と信じおったしな」
殴り合いを演じた市民たちには我に返ったあと、一連の事態を説明した。
『魔女ラベルナは秘伝の薬物を使って裁判の席を混乱に陥れ、その隙に逃れようとしたのだ。ラベルナこそ国を傾けようとした魔女である!』」と。
実際に、薬物で人を操ることなどできるのか?
そう疑っていたものたちも、実際に自分自身が操られたとあっては信じるしかなかった。この一件でカーディナル家とラベルナに対する疑惑は決定的なものとなり、王家に対する敵対心は一気に薄れたのである。
「王家への敵対感情が薄れたのはようございました」
ラベルナは表情を消した顔でそう言った。
「カーディナル家は代々、王家を守護し奉ってきた一族。その役割を果たせこと、重畳に存じます。ですが……」
『ですが……』と、わざわざラベルナが付け加えたその理由を、アルフレッドは理解出来ただろうか。
「その義理は果たした。わたしはそう考えております」
王宮の一室。
軟禁されているその一室で、ラベルナはたったひとりの弟と相対していた。
「ユーマ。あなたはアンバー子爵夫妻のもとにお戻りなさい」
「姉上……」
「あなたは生まれこそカーディナル家であっても、戸籍上はすでにアンバー子爵夫妻の子。わたしの罪に連なる必要はありません。アンバー子爵夫妻のもとで幸せにお過ごしなさい」
「姉上!」
ユーマは叫んだ。
姉が驚くほどの大声で。その表情はまだ一〇歳の少年とは思えない決意と覚悟に満ちていた。
「僕も姉上と一緒に参ります」
「ユーマ!」
「姉上が罪をかぶったのは僕をかばってのことではありませんか。それなのに、僕ひとりのうのうと逃げ延びるなど。そんな情けないことはありません。僕もお供します」
「いけません! あなたにはあんなにも愛してくださるアンバー子爵夫妻がいらっしゃるではありませんか。義理とは言え、まぎれもなくあなたのご両親。そのご両親を悲しませるつもりなのですか」
ラベルナは弟を叱ったつもりだった。しかし、そのとうの弟は晴れやかな笑顔を向けてきた。
「義父上と義母上の許しは得ております」
「ユーマ⁉」
「どこまでも姉上のお供をする。その許しを得た上で僕は、この地へとやってきたのです」
驚くラベルナの前にユーマは跪いた。
それは守るべき貴婦人に対する騎士の振る舞いだった。
「ユーマ・ヴァン・カーディナル・アンバー。何があろうとあなたを守る。その誓いを立て、やって参りました。これからは、私があなたを守ります」
「……ユーマ」
ラベルナは弟を見つめた。
そこにいたのはもはや小さくて弱々しい、病弱な子供などではなかった。見た目こそ小さいが覚悟を決めたひとりの立派な騎士だった。
「……わかりました」
ラベルナは言った。
この小さな騎士を前にしてその意思を奪うなど明らかな侮辱。そんな真似は出来なかった。
「この生命はあなたに託します。我が第一の騎士として、何があろうとわたしを守りぬきなさい」
「はい!」
注目の裁判とあって早くから押すな押すなと人が押し寄せ、傍聴人席は市民でいっぱいになっている。
そのなかにはメリッサをはじめとするカーディナル家の使用人たちもいた。皆、一様に複雑な表情を浮かべている。不安と緊張、主人を心配する思い、敬愛する主人をそんな目に遭わせた国王に対する怒り、しかし、場を荒げてはまずいとの配慮から怒りをこらえている……それら、幾つもの思いが入れ替わり立ち替わり表情に表れ、一時も落ち着くと言うことがない。
別の一画には市民団の代表が並んでいる。いずれも、単なる抗議活動ではなく、武力によって王家を打倒することも辞さない武闘派革命集団の指導者たちである。
そんな人間たちに傍聴を許可することは警備上の理由から反対する声も多かった。しかし、国王アルフレッドはこともなげに答えた。
「危険な武闘派だからこそ、魔女の証言を直に聞かせて納得させる必要があるのではないか」
結局、国王の意向と言うことで警備責任者たちも認めざるを得なかった。
その国王アルフレッドは貴族専用の二階席に陣取っていた。まわりには近しい関係にある貴族たち。息子であり、王太子であるアルフォンスの姿もある。
アルフォンスはいかにもオドオドした怯えた様子でひとり、被告人席に立つかつての婚約者を見下ろしていた。どうやら『自分は魔女に操られていたのだ!』という嘘を相変わらず信じ込んだままでいるらしい。新たな婚約者となった『クリーム令嬢』ことティオル公爵令嬢ピルアの腕にしっかりとしがみついている。その姿は控えめに言って『母親にすがりつく幼子』なのであった。その『母親』はと言えば、『クリーム令嬢』などと揶揄されるとおり、事態がわかっているのかいないのか、よくわからないぽやあっとした表情を浮かべているばかりだった。
そして、もうひとり。
目立たないが重要な人物がいた。
目立たないのは大柄な兵士たちに囲まれ、その小さな体が隠されているためである。
重要なのはその血統ゆえである。
ユーマ。
今年一〇歳になるラベルナの弟。
その年端もいかない少年はいま、兵士たちに囲まれ、国王アルフレッドにほど近い席に座っていた。
もちろん、人質としてである。
ラベルナが約束とちがう言動をとれば即座に殺す。
そのためにこの場に置いてある。
ユーマはもちろん、自分が人質であることを知っていた。知った上でカーディナル家の矜持を守ろうと必死に毅然たる態度を取り繕っている。
――決して、うろたえたり、怯えたりする姿を見せるものか。
小さいながら、全身にその決意がみなぎっている。
決意と覚悟を定めたその態度は、一〇歳以上も年上のアルフォンスなどよりよほどおとなびた、男らしいものだった。
そして、裁判ははじまった。
「静粛に、静粛に」
裁判長の木槌を叩きながらのその宣告も、今回は単なる儀式とは言えなかった。市民であふれる傍聴人席は高まる緊張からか裁判のはじまるずっと前からざわめいていたからである。
その裁判のはじまりを国王アルフレッドはニヤニヤと賤しい笑みを浮かべながら眺めている。
自分の勝利を確信した故の勝利の笑みである。
大切な弟であるユーマを人質にとっている以上、いかに生意気な小娘であろうと約束を反故には出来まい。裁判長とその他の裁判官にもたっぷりと鼻薬を効かせてある。必ずや、自分の思い通りの結果となる。
そのことを疑っていなかった。
年端のいかない子供を人質にとるなどいかがなものか。
そんな感情はチラとも浮かばない。そんな上等な精神の持ち主ならラベルナひとりに罪をかぶせ、自分の失政を覆い隠そうなどとするはずがない。『良心の目覚め』などを期待するには、すでに手遅れな人種だった。
裁判官がラベルナの罪状を読みあげた。
装飾過剰で仰々しい、傍聴人席の市民のほとんどには理解出来ないような長ったらしい言説だったが、要するに『代々、伝わる薬物を使い、王族方の意思を奪い、操った』と言っているのである。
「その罪を認めるか?」
裁判長が尋ねた。
ラベルナは何も言わなかった。黙ってうつむいていた。やがて、顔をあげた。キッとした視線で裁判長を睨み付けた。
右手をあげた。
その手には小さな香炉がもたれていた。
香炉から白い煙が漂いはじめる。
人々がその煙を吸い込んだとき、異変は起こった。
突然、傍聴人席で悲鳴が起こった。傍聴人席の一画で殴り合いが起こり、巻き込まれた女性が悲鳴をあげたのだ。
それを皮切りに傍聴人たちは暴徒の群れと化した。
至る所で殴り合いがはじまり、拳の打ち合う音が響き、血の匂いが立ちこめた。
アルフレッドが満足げに指示を下した。待機していた衛兵たちがその場に殺到し、傍聴人たちを捕えていった。傍聴人たちが捕えられ、ひとり残らずいなくなったその場でラベルナの追放刑は決まった。ただし、理由は最初に言われていた『王家を操った罪』ではない。そんなことにはもはや一言も触れられなかった。
ラベルナが追放刑に処された罪状。
それはただひとつ。
『裁判の場において市民を操り、混乱を招いた罪』だった。
王宮の一室。
そのなかで国王アルフレッドは優雅にお茶を楽しんでいた。
目の前にはひとりの女性。若く、美しく、いかにも貴族の令嬢らしい高貴な印象。洗練された雰囲気。上品かつ洗練された立ち居振る舞い。
すべてが『貴族令嬢』という言葉にふさわしい。
カーディナル家当主ラベルナである。
どれだけ振りだろう。追放刑に処されたラベルナはいま、久し振りに貴族の令嬢らしい装いに身を包み、国王アルフレッドと同席していた。拷問に次ぐ拷問の日々ですっかりやせ衰えていた肉体もいまではある程度、回復している。
『あまりにやつれた様子では拷問にかけたことを疑われるからな』
という、いかにもアルフレッドらしい姑息な思惑によって裁判まで日を置き、まともな生活を送らせた結果である。
アルフレッドはすべてが望む通りに行ったことに対する満足の笑みを浮かべていた。
「しかし、面白い薬物があったものだな。人と人を争わせる香りとは」
「南の野人族が戦の際に用いる薬です」
ラベルナはそう説明した。
「およそ五〇年前、南の野人族が我が国に攻め込んできたときのこと。野人族は死を怖れず、怯むことなく押し寄せて参りました。その理由がこの薬品です。この薬品には人の理性を麻痺させ、闘争心を掻きたて、むやみやたらに暴れさせる効力があります。そのことを知ったカーディナル家のものが命を懸けて潜入し、持ち帰り、その製法を分析しました。そして、この薬品の効果を打ち消す新たな薬品を開発したのです。それによって五〇年前の戦は我が国の勝利となりました」
「ほう。そのようなことがあったのか。なかなか興味深い話だな」
アルフレッドは素直に感心して見せた。
それだけを見れば『勉強熱心な良き人物』と見えないこともない。しかし、いまから五〇年前と言えばアルフレッドはすでに生まれていたのである。ごく幼かった頃のこととはいえ、自分の生まれて以後の国の歴史も知らない。アルフレッドがいかに国王としての自覚に欠ける人物であるかを示す例であった。
「もちろん、今回、用いたものは本来の薬品に手を加え、効果を低くしたものです。殺し合いをさせることが目的ではありませんから」
「ふむふむ、なるほど。しかし、面白い薬ではある。それを使えば王家に歯向かう不届き者どもを互いに争わせ、自滅させることも可能だな」
ほくそ笑むアルフレッドに対し、ラベルナはピシャリとした口調で言った。
「そうはさせません。この薬品の製法はカーディナル家当主にのみ受け継がれてきました。いまでは製法を知るものは、わたしただひとり。決して、あなたには教えませんし、あなたのために使用することもありません」
ふん、と、ラベルナに強い口調で言われてアルフレッドは拗ねたように鼻を鳴らした。
だが、すぐに気を取り直した。何しろ、今日はラベルナにすべての罪を押しつけることの出来た記念すべき日なのだ。その程度のことでヘソを曲げてはいられない。
「それにしても、つくづくそなたも頑固よな。どうあっても『王家を操った罪』を認めるわけにはいかんとは」
「そんなことはしておりませんから。してもいない罪を認めることは断じてできません」
それが、ラベルナがアルフレッドに対して出した条件。
『王家を操った罪』を認めることはしない。
そのかわり、裁判の席で市民を操ってみせる。
そして、その罪によって追放処分を受ける。
カーディナル家当主として犯してもいない罪を認めることは決して出来ない。しかし、現実に行った罪で流罪とされるなら話は別。もちろん、カーディナル家は代々、人々の身命を守るために尽くしてきた家柄。そのカーディナル家の当主が人々を争わせるなど言語道断。しかし――。
カーディナル家は同時に王家を守ってきた守護者としての一族でもある。守護者として、王家に敵対するものを害する限りにおいては……。
そのために、市民のなかでも特に王家に対する敵対意識の強い指導者たちを招くよう要求した。たったひとりの弟の生命を犠牲には出来ない。かと言って、カーディナル家の矜持を捨てるわけにはいかない。弟の生命とカーディナル家の矜持。双方を守るためのぎりぎりの妥協だった。
「まあ、そなたの思いなどどうでもよい。肝心なのは、そなたが実際に人間を操って見せたこと。市民どももそなたを正真正銘の魔女と信じおったしな」
殴り合いを演じた市民たちには我に返ったあと、一連の事態を説明した。
『魔女ラベルナは秘伝の薬物を使って裁判の席を混乱に陥れ、その隙に逃れようとしたのだ。ラベルナこそ国を傾けようとした魔女である!』」と。
実際に、薬物で人を操ることなどできるのか?
そう疑っていたものたちも、実際に自分自身が操られたとあっては信じるしかなかった。この一件でカーディナル家とラベルナに対する疑惑は決定的なものとなり、王家に対する敵対心は一気に薄れたのである。
「王家への敵対感情が薄れたのはようございました」
ラベルナは表情を消した顔でそう言った。
「カーディナル家は代々、王家を守護し奉ってきた一族。その役割を果たせこと、重畳に存じます。ですが……」
『ですが……』と、わざわざラベルナが付け加えたその理由を、アルフレッドは理解出来ただろうか。
「その義理は果たした。わたしはそう考えております」
王宮の一室。
軟禁されているその一室で、ラベルナはたったひとりの弟と相対していた。
「ユーマ。あなたはアンバー子爵夫妻のもとにお戻りなさい」
「姉上……」
「あなたは生まれこそカーディナル家であっても、戸籍上はすでにアンバー子爵夫妻の子。わたしの罪に連なる必要はありません。アンバー子爵夫妻のもとで幸せにお過ごしなさい」
「姉上!」
ユーマは叫んだ。
姉が驚くほどの大声で。その表情はまだ一〇歳の少年とは思えない決意と覚悟に満ちていた。
「僕も姉上と一緒に参ります」
「ユーマ!」
「姉上が罪をかぶったのは僕をかばってのことではありませんか。それなのに、僕ひとりのうのうと逃げ延びるなど。そんな情けないことはありません。僕もお供します」
「いけません! あなたにはあんなにも愛してくださるアンバー子爵夫妻がいらっしゃるではありませんか。義理とは言え、まぎれもなくあなたのご両親。そのご両親を悲しませるつもりなのですか」
ラベルナは弟を叱ったつもりだった。しかし、そのとうの弟は晴れやかな笑顔を向けてきた。
「義父上と義母上の許しは得ております」
「ユーマ⁉」
「どこまでも姉上のお供をする。その許しを得た上で僕は、この地へとやってきたのです」
驚くラベルナの前にユーマは跪いた。
それは守るべき貴婦人に対する騎士の振る舞いだった。
「ユーマ・ヴァン・カーディナル・アンバー。何があろうとあなたを守る。その誓いを立て、やって参りました。これからは、私があなたを守ります」
「……ユーマ」
ラベルナは弟を見つめた。
そこにいたのはもはや小さくて弱々しい、病弱な子供などではなかった。見た目こそ小さいが覚悟を決めたひとりの立派な騎士だった。
「……わかりました」
ラベルナは言った。
この小さな騎士を前にしてその意思を奪うなど明らかな侮辱。そんな真似は出来なかった。
「この生命はあなたに託します。我が第一の騎士として、何があろうとわたしを守りぬきなさい」
「はい!」
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たしかに私は王妃になった。
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夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
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