逆襲の悪役令嬢物語 ~家門の矜持、守るためなら鬼となります〜

藍条森也

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第二部 北の王国篇

一五の扉 王太子の報い

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 ラベルナとユーマが極北の地で必死に生き延びようとさ迷っている頃――。
 ふたりを極寒ごくかんの地へと追放したフィールナル国王アルフレッドは我が世の春を満喫まんきつしていた。少なくとも、本人はそのつもりだった。
 ラベルナひとりを悪役に仕立て、民衆とは和睦わぼくした。
 これからは民衆の代表との会合を定期的に開催し、その意見を取り入れて政を行う。
 その条件で民衆側は一応、矛を納めた。おかげで、連日のように王宮を囲んでいた暴徒と化した民衆や抗議の声は影を潜めた。王宮はとりあえず、かつての平穏を取り戻していた。
 「さあ、これでようやく……」
 騒ぎが収まったことで国王アルフレッドは晴れ晴れとした表情で言った。
 「心置きなく楽しみにふけることができるぞ」
 国王らしく政務にいそしもう。
 二度とこのような混乱を起こさないよう、民政に気を配ろう。
 そんな殊勝しゅしょうな心持ちは欠片もないアルフレッドである。そんな国王のもとでさえ国としてまとまっていたのだからある意味、大したものだと言えるかも知れない。フィールナル王国を支える官僚機構のおかげだったろう。しかし――。
 このような人物が国王として即位し、しかも、これほどの混乱を招いても取って代わるものもいない。その事実それ自体が、すでにしてフィールナル王家が命数めいすうを使い果たしていることを示していたのだろう。
 本来であれば王太子として、次代の王として、父王をいさめ、場合によっては父王を倒してでも国を建て直さなければならない立場にいる長子アルフォンスは、ただひたすらに父王に頼るばかり。新たな婚約者となったピルアと共に父王のもとを訪れてはオドオドした様子でご機嫌をうかがい、守ってもらおうとするばかり。王太子としての自覚どころか、ひとりのおとなとしての自覚すら示すことはなかった。
 アルフレッドにしてみれば誠に結構なことである。王太子たる身がこのていたらくであれば自分の地位を脅かすものなどどこにもいない。立場の心配なしに思う存分、遊興ゆうきょうにふけることが出来る。
 「やはり、あの生意気な小娘を生け贄い にえとしたのは良い考えだったわい。あの小娘とカーディナル家ぐらいのものだったからな。余の立場を脅かす可能性のある不忠ものは」
 他人の金を使って遊びほうける。
 それができるいまの立場を守る。
 それしか頭にないアルフレッドだが、そんな自己保身の塊であるからこそ、自分の敵となるものには敏感なのだろう。自分の立場を脅かす可能性のある相手のことは明確に意識していた。その唯一の『敵』であったラベルナとカーディナル家はもはやいない。
 ラベルナは遙か北の地に追放してやった。いずれは、寒さにやられるか、野蛮な巨人族に食い殺されるかして死ぬにちがいない。
 カーディナル家は取りつぶし、その財産はすべて我が物としてやった。
 自分の敵を葬り去り、その敵から奪った財で遊びほうけることが出来るのだから、アルフレッドにしてみれば我が世の春と思うのも無理はない。
 そう言うわけで、アルフレッドはいまや何の心配もなく、遊興にふけっていた。政を行うべき王宮の会議室に博打ばくち仲間なかまたちを集めて朝から晩まで酒を飲んでは賭博とばくにハマり、いかがわしい店に出向いては女たちと共に怪しい薬を試す。
 そんな毎日だった。
 国王たるものがそんなありさまでは心あるものが王宮から離れていくのも当然である。王宮からは日いちにちと、まるでくしの歯が欠けるかのように廷臣ていしんたちが欠けていった。もちろん、国王アルフレッドはそんなことは気にもしなかったし、そもそも、気が付きさえしなかったわけだが。
 しかし、いかにアルフレッドと言えど民衆の怒りには気が付かないわけには行かなかった。一度は和睦し、矛を収めた民衆たちだが、長続きするはずもなかった。『諸悪しょあく根源こんげん』とされたラベルナが追放されてもなにも良くならず、生活は苦しくなるばかり。おまけに国王は政務の場にも姿を現わさず、民衆の意見を聞くと約束したにも関わらず定期的に開かれる会合にはただの一度も顔を見せたことすらない。
 となれば、民衆の怒りが再燃さいねんするのも当然だった。
 そこに、国王を見限り、王宮を離れていった廷臣たちの内幕ないまく暴露ばくろが加わった。
 巨人族討伐の遠征が最初からいかに無謀でずさんな計画であり、成功の見込みのないものだったか、それによって実際に出た被害はどれほどのものか、国王の遊興によって無駄に消えた税金はいかほどのものか。そのすべてが赤裸々せきららに語られたのだ。
 その数字に民衆は目をむいた。
 「なんだとおっ! ほんとかよ、この数字」
 「おれたちの一年の稼ぎが一晩の賭け事で消えていったってのか⁉」
 「しかも、それが毎日、アルフレッド王の即位以来、つづいてきたってのか⁉」
 廷臣たちによる暴露話はいずれも内心ではうすうす気が付いていたことではあった。それにしても、そこに記されている数字はあまりにも莫大なもので、民衆にとってはいっそ非現実的なほどのものだった。
 そんな数字を見せつけられて怒り狂わないはずがなかった。増税に継ぐ増税によってまともに食糧を買うことすら出来ず、子供が飢えて死んでいくのをただ黙って見ているしかなかった人たちなのだ。
 「おれたちの金を返せ!」
 「国王アルフレッドは退任しろ!」
 民衆の怒りは再び燃えあがり、王国全土を覆い尽くした。
 王宮は再び、暴徒と化した民衆に取り囲まれるようになった。
 王宮に残った廷臣たちからその報告を聞いた国王アルフレッドは面倒くさそうに一言、言っただけだった。
 「まったく。おちおち賭け事を楽しむこともできんのか」
 アルフレッドにとっては理不尽極まりない話である。
 自分は国王であり、国王とは国中の誰よりも尊く、重要な存在なのだ。その自分を楽しませるために日々、働き、税を納め、遊ぶための金を提供することこそ民衆の存在意義ではないか。そのことを忘れ、文句を付けるとはなんとけしからん連中か。
 民衆から見てどれほど腹正しいことであっても、アルフレッドにとってはそれこそが真実であり、真理なのだった。
 「い、いかがいたしましょう、国王陛下?」
 居並ぶ廷臣たちは一様に不安げな表情で国王陛下におうかがいをたてた。
 その場にいる誰ひとりとして誠心からアルフレッドに忠誠を誓っているものなどいない。ただ、歳も歳だし、ずっと王宮で暮らしてきてそれ以外の生活を知らない。なにより、いままでさんざん威張り散らし、法の目をくぐって私腹を肥やしてきた身。すでにアルフレッドを見限り、王宮をはなれた他の廷臣たちとはちがい、いまさら王宮から離れてやっていくだけの自信がなかったからアルフレッドに、いや、『国王』という権威に寄り添っているだけのこと。
 その国王に何とかしてもらわなければ自分たちも破滅する。
 それがわかっているだけに不安な表情にもなるというものである。
 アルフレッドはそんな廷臣たちを前にしてもひたすら面倒くさそうにしていたが突然、またしても名案――と、本人が思うもの――が、閃いた。
 ニタリ、と、国王と言うよりは賭博場の親父のような賤しい笑みを浮かべると、居並ぶ廷臣たちに向かって言ってのけた。
 「民衆どもは余の退任を望んでおるのだろう? ならば、その通りにしてやろうではないか。余はいまより政務を退く。あとのことはすべて王太子たる我が息子アルフォンスに委ねることとする」

 その一言によって――。
 王太子アルフォンスが急遽きゅうきょ、国王代理として政務に当たることになった。しかし――。
 もとより、王太子としての自覚も、決意もなく、政務に関する勉強ひとつしてこなかった身。急に『国王のかわりをやれ』などと言われても何ひとつできるわけもなく、うろたえるばかりだった。
 「民衆の代表から陳情ちんじょうがあがっておりますぞ!」
 「暴徒化した民衆が軍の駐屯所ちゅうとんじょを襲いましたぞ!」
 「民衆と軍との間に小競り合こぜ あいが発生!」
 「西部からの報告です! 今年は天候不順により農作物が不出来だったため、収入が激減。税を免除めんじょして欲しいとのこと」
 「北方の辺境伯へんきょうはくに不穏な動きありとのこと! 早く手を打ちませんと叛逆はんぎゃくにつながるやも知れませぬぞ」
 次からつぎへとやってくる報告にどうすれば良いのかもわからず、オロオロするばかり。なんの役にも立たないうちに未決裁の案件ばかりが増えていく。執務室は未処理の書類で埋め尽くされるありさまだった。
 せめて、その隣にいるのがラベルナであったなら少しはましだっただろう。ラベルナであればうろたえるばかりのアルフォンスを叱咤しった激励げきれいし、政務を補佐して必要な手を打ち、人心を安定させ、アルフォンスを名君めいくん良君りょうくんとはいかないまでもまずまず及第点きゅうだいてんの君主へと育てあげることも出来ただろう。しかし――。
 いま、アルフォンスの隣にいるのはピルア。見た目だけが取り柄で菓子と恋愛のことしか頭にないクリーム令嬢にそんなことが出来るはずもなく、未来の夫と共にオロオロするばかり。アルフォンスはついに私室に引きこもり、寝台のシーツにくるまって耳をふさぎ、廷臣がいくら扉を叩いても出てこないという子供じみた態度に出た。残った廷臣たちに絶望の色がにじみはじめた頃――。
 「ほうほう。やはり、余がいなければ話にならんのう」
 久々に姿を現わしたのは国王アルフレッドであった。

 父たる国王アルフレッドに呼ばれ、アルフォンスは久々に私室から出てきた。もともと、オドオドとした気の弱い表情はなおさら弱々しくなり、哀れな小動物のように見せていた。その隣にいるピルアも似たようなありさまで、『それだけは国宝級』と言われてきた外見にもずいぶんと陰りが見えていた。
 「ち、父上……」
 アルフォンスはすがりつくような視線で父王に訴えた。
 「お、お助けくださるのでしょう? 父上は何と言っても国王であり、私の父なのですから……」
 とうに成人している息子とも思えないことを平気で言うアルフォンスである。まっとうな父親であれば苦い失望を感じずにはいられないその言葉をしかし、アルフレッドはニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて聞いていた。
 「ふむ。お前は余に助けてほしいのか?」
 「は、はい……」
 「我らは親子。親子ともなれば苦境にあっては助け合わなくてはならん。そうだな?」
 「は、はい……!」
 父王の言葉を救済の約束と受け取ったのだろう。アルフォンスは途端に明るい笑顔を浮かべた。それは、アルフォンスの生涯で最後の笑顔だった。
 「そう。親子であるからには助け合わなくてはならん。というわけでだ、アルフォンス。お前には余を助けてもらう」
 「はっ……?」
 チィン、と、音を立ててアルフレッドはグラスを弾いた。
 それが合図だった。
 音高く執務室の扉が開き、完全武装の兵士たちが乱入してきた。
 アルフォンスとピルアの表情が恐怖に引きつる。兵士たちはかまわずにふたりを取り押さえ、その首をね落とした。鮮血を吹きながら『単なる物』と化したふたつの首が床に落ちた。
 ニタリ、と、アルフレッドは邪悪な笑みを浮かべた。
 「その首を民衆どもにくれてやれい。やはり、余でなければフィールナルは治められん。不埒ふらちな民衆どももそのことを思い知るであろうよ」
 それが、父たる国王が息子の亡骸なきがらに贈った言葉だった。
 アルフレッドの言葉は忠実に実行された。
 フィールナル王国王太子アルフォンス。
 愚かにも自らの守護者を自ら捨てた子供の、これが最後だった。
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