逆襲の悪役令嬢物語 ~家門の矜持、守るためなら鬼となります〜

藍条森也

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第二部 北の王国篇

二二の扉 未来への礎

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 ラベルナとユーマが極北の地に着いてから数年がたっていた。
 フィールナルとは根本的に異なる極北の地の暮らしにも馴染なじみ、小柄でひ弱だったユーマもずいぶんと成長した。ラベルナよりずっと低かった背も、いまではラベルナに並ぶまでに伸びている。
 「ユーマにおれの妹をめとらせる」
 あるとき、ウルグズがそう言った。
 「ユーマもお前同様、貴重な薬を作ってくれる大切な薬師くすしだ。ぜひとも、正式におれの一族として迎えたい」
 そのことをラベルナから伝えられたとき、ユーマは二つ返事で答えた。
 「喜んで承諾しょうだくします。姉上」
 「本当にいいの? 相手は女性とは言え巨人族。あなたよりもずっと大柄で力も強いのよ?」
 「わかっています。ですが、ウルグズどのは私のことを認めてくださったのでしょう? 『貴重な薬を作ってくれる大切な薬師』だと。自分を認めてくれる相手に報いる。それが士というもの。私を認めてくださったウルグズどのの提案を断り、恥をかかせるわけにはいきません。それに……」
 「それに?」
 「私はもう一人前の男のつもりでいます。一人前の男である以上、妻を娶り、自分の家族をもつのは当然。願ってもない話です」
 その言葉に――。
 ラベルナはユーマがたしかにひとりの男として立派に成長していることを知った。
 ――あのひ弱で病弱だったユーマが……。
 父上。母上。見ておいでですか。ユーマはこんなにも立派に成長しましたよ。
 事故で亡くなった両親にそう報告できるのは、ラベルナにとってなによりの喜びであり、誇りだった。
 そして、ユーマはウルグズの妹のひとりと結婚した。
 その妹はウルグズとは腹違いだったが、だからと言って一族内での地位が低いわけでもなく、同腹の妹たちと同じように扱われていた。その妹と結婚した以上、ユーマもウルグズの弟。正式に族長の一族となったのだ。
 「族長の弟として、一族として、その名に恥じぬよう我が部族を支えてみせます」
 ユーマは婚礼の場でそう誓った。
 その姿を見てラベルナは胸が詰まる思いだった。
 結婚を機にユーマはラベルナから独立し、自分の診療所をもつようになった。ここに、極北の地にふたつのカーディナル家の旗がひるがえることになったのだった。

 「おれはお前をはなさんぞ、ラベルナ。お前はおれのものだ。他の誰にも渡しはせん」
 数年の時が立ってもウルグズのその思いはなんらかわることはなかった。
 本来、族長たる身はひとりでも多くの子をもつために何人もの妻を娶るのが巨人族の風習。それは、跡継ぎを成すことで部族を安定させ、他部族との婚姻政策によって友好的な関係を築くための手段。巨人族にとって族長が幾人もの妻をもつことは、部族繁栄のための神聖なる義務なのだ。
 にもかかわらずウルグズはラベルナひとりへの愛を貫いていた。
 古来からの風習を遵守じゅんしゅするようまわりからいくら言われても相手にせず、妻どころかめかけさえもたずに、ラベルナひとりを愛し抜いていた。
 その分、夜の営みの激しさも相変わらずだったが、ラベルナの方が慣れてきたのか、最初の頃のように全身の骨がきしむような苦しさはなくなっていた。愛情と呼べるだけの感情もいまでは感じるようになっている。もう、最初の頃のように単に庇護を求めての政略結婚などではない。確かな愛情に結ばれたまぎれもない夫婦だった。
 「他の部族のやつらが攻めてくる」
 あるとき、ウルグズが言った。
 「お前を求めてだ。お前の薬師としての腕を求め、それを自分たちのものにしようと攻めてくるのだ。だが、おれは負けん。お前を他の誰の手にも渡しはせん。やつらを蹴散けちらし、お前を守り抜いてみせる。おれが出向いている間、心安らかにまっているがいい」
 そう言われて、しかし、ラベルナは首を横に振った。
 「いいえ。わたしも戦場に行きます」
 「なんだと⁉」
 「戦となれば多くの怪我人が出ます。その場に薬師たるわたしが行かなくてどうしますか。わたしの部族の民は、わたしの腕で守ってみせます」
 確固たる決意を込めた視線でそう言われ――。
 ウルグズはなにも言えなくなった。
 ウルグズとしては愛する妻を危険な戦場になど連れて行きたくはない。しかし、フィールナルとは異なり、従順じゅうじゅんな、夫に付き従うだけの人形のような女ではない、明確な意思と強さをもつ女こそを愛し、尊敬するのが巨人族の男たち。このようなはっきりした意思を示されては、それを無視することは出来なかった。
 「わかった。共に来い。だが、決しておれの側をはなれるな。お前はおれが守る。いいな?」
 「はい。……あなた」
 そして、いくさははじまった。
 愛する妻を守るべく鬼神のごとき奮闘ふんとうりを見せるウルグズと、薬師としての誇りに懸けて負傷した兵士たちを治療するラベルナ。そのふたりの力によってボルフゥクランはこの戦いに圧勝した。逆に相手部族を制圧し、傘下さんかに収めた。
 そんな戦いを幾度いくどか行うことで、ボルフゥクランはいつか巨人族中の最大勢力へと成りあがっていた。
 ラベルナはそのなかで族長の妻という立場と、なによりも薬師としての力量とによって、ボルフゥクランの守護者、国母としての立場を確立し、あがめられる存在となっていった。

 順風じゅんぷう満帆まんぱん
 ラベルナにとってはそう言ってもいい状況のはずだった。
 何しろ、ボルフゥクランは巨人族中、最大勢力となりおおせ、そこにはカーディナル家の旗が誇り高く翻っているのだから。しかし――。
 ただひとつ、心を痛めることがあった。
 季節ごとの襲撃である。
 巨人族は冬から春にかけてフィールナル王国に侵入し、人々を殺し、財を奪う。
 フィールナルにいた頃はそれを単に野蛮な蛮族による、野蛮な襲撃とそう思っていた。
 しかし、こうして実際に極北の暮らしを体験してみると、そこにはやむにやまれぬ事情があるのだと言うことがわかってくる。
 油断すればすぐに凍傷にかかり、身の腐る極北の厳しい寒さのなか、トナカイの遊牧以外にはなんら産業と呼べるようなものもない。しかし、人は――例え、それが極北の地に生きるこに適応した巨人族であっても――トナカイの肉と乳だけでは生きられない。穀物や野菜も必要なのだ。
 しかし、この極北の地では穀物も野菜も育てることは出来ない。手に入れようと思えばフィールナルから手に入れるしかない。巨人族にとってフィールナルへの進入は野蛮な襲撃などではなく、生きるために必要不可欠な営みなのだ。
 数年の間にラベルナはそのことを理解するようになっていた。その理解のもと、フィールナルへの襲撃を非難することはできなくなっていた。
 どうして、非難など出来るだろう。
 フィールナルから必要なものを奪わなければ、かの人たちは生きていけない。幼い我が子が野菜不足で血を吐いて死んでいく。そんな姿を見るぐらいなら悪鬼あっき羅刹らせつとなって他人を殺してても必要なものを奪う。
 人として、
 親として、
 それこそが自然というものではないか。
 とは言え――。
 やはり、心は痛む。
 いくら、追放された身とは言えフィールナルを捨てたわけではない。
 いつか必ずフィールナルに戻る。
 その決意が揺らぐことはない。
 やはり、ラベルナにとってはフィールナルこそが『帰るべき故郷』なのだ。
 そのフィールナルの人々が殺され、罪を奪われる。
 それを思えば平然としていられるわけもない。それに――。
 ――巨人族にしても被害がないわけではない。
 当たり前の話だが、フィールナルの側も黙って殺されるわけではない。侵入を阻み、被害を防ぐために必死の防衛を行っている。防壁を巡らし、城塞を築き、軍を駐屯とゅうとんさせ、襲撃に備える。やってくればためらうことなく殺し尽くそうとする。
 単に肉体的な力に関して言えば巨人族の方が圧倒的に優れている。しかし、鎧や武器と言った装備品の質ではフィールナルの方が格段に上だ。フィールナルを襲撃することは巨人族にとっても命懸けの行為。毎年の襲撃によって何人もの巨人族が生命を落とす。
 ラベルナにとってはそれもまた耐えがたい現実だった。
 すでにこの極北の地で何年も過ごし、人々に情も移っている。なによりも、季節ごとの襲撃によって死んでいく人々の多くが一度はラベルナの治療を受けたことのあるものたちなのだ。
 「わたしはいくさで死なせるために人々を治療しているのではありません!」
 あるとき、ラベルナはついにウルグズにそう訴えた。
 「どうか、季節ごとの襲撃をおやめください。そうすれば誰も死なずにすむのです。あなたの部族の人々ではありませんか。その人々を死なせたいわけではないでしょう」
 「むろんだ。皆、大切なおれの民だ。だからこそ、フィールナルを襲うのではないか。フィールナルを襲い、必要なものを奪わなければ、それこそ我が民は死に絶えてしまう。民を生かすためにも襲撃をつづける必要があるのだ」
 「必要なのは襲撃ではなく、フィールナルの財でしょう」
 「なに?」
 「ならば、襲撃以外の方法で手に入れればいいのです。いまでも、夏の間は交易を行っているではありませんか。トナカイの皮と肉と乳を持ち込み、必要なものと交換しているではありませんか。ならば、冬の間も同じことをすればいいのです。そうすれば、襲撃する必要などありません」
 「しかし、なにをもって交換する? おれたちにはトナカイ以外に財とてない。冬の間、交換のために持ち込むものなど何もない」
 「あなたたちは自分の土地の価値に気が付いていないのです」
 「なに?」
 「この地には多くの薬草が自生しています。いずれも、厳しい寒さに鍛えられたためか高い薬効をもった薬草ばかり。そこから作れる薬品類はフィールナルにとっても貴重なものです。薬品作りを産業として起こし、交易を行えばよいのです」
 そして、ラベルナは薬品産業興しに取りかかった。
 巨人族が当たり前にあるものだと思い込み、顧みることのない薬草の数々。それらがいかに優れた薬効をもち、扱い方ひとつでどんなに有益な薬品となるかを説いてまわった。作り方を教え、薬師を育成した。その薬師たちの作る薬品はたしかに価値を認められ、冬の間の交易商品として成長していった。
 巨人族は本来、争いを好む悪鬼というわけではない。むしろ、争いを避ける傾向にある。フィールナル人よりも格段に力が強く、本気で争えばお互いに壊滅的な被害を受ける。それを知っているからこそ逆に争いを避ける。
 そのための幾つもの儀式めいた方法を発達させている。
 一つ目に見える異形の仮面を被るのもそのひとつ。異形の仮面で相手を威嚇いかくし、争いを避けるための知恵なのだ。
 そんな巨人族であれば交易によって必要なものを手に入れられるとなればわざわざ襲撃することはない。襲撃する必要がなくなればそれによって人が死ぬこともない。せっかく、子が産まれても襲撃によって死んでいく。
 そのために人がふえない。
 人がふえないから豊かにもなれず、襲撃に頼るしかない。
 その悪循環から抜け出すことでボルフゥクランは一気に豊かになった。人はふえ、トナカイの数も増えた。ラベルナはそのトナカイの毛を使っての毛織物けおりものづくりにも乗り出した。
 「トナカイの毛織物を作るだと?」
 「そうです。単にトナカイの毛皮を売るよりも、自分たちで加工して毛織物として売った方がずっといい収入となります。そのためにどうか、フィールナルの織物おりものを手にお入れください。そして、もうひとつ……」
 「なんだ?」
 「どうか、フィールナルからさらってきた女性たちを解放してください。フィールナルで売り物となる毛織物を作るためには、かのたちの技術が必要なのです」
 ボルフゥクランにもフィールナルからさらわれてきた女性は幾人もいる。皆、自分の境遇きょうぐうなげき、自分をさらった巨人たちを恨み、それでも、この極北の地で生きていかなければならない。そんな運命を背負った女性たちだ。
 ラベルナは毛織物の工房をおこすことで、そんな女性たちに自ら生きる力を与えたかったのだ。
 巨人族の男たちはフィールナルの男たちとは異なり、女に対して従順さなど求めない。求めるものは第一に多くの子供を産める頑健さであり、第二に暮らしに役立つ知恵や技能。毛織物の工房を立ちあげ、稼ぐことは、巨人族内でのかの人たちの地位をあげ、生きやすくすることにつながる。
 ラベルナはそう確信していた。
 ラベルナの先導せんどうのもと、巨人族の世界は着実にかわっていった。
 そうして時がたち、ラベルナはやがて男女の双子を出産した。
 「でかした、ラベルナ。よくぞおれの跡継ぎを産んでくれた」
 族長のウルグズをはじめ、ボルフゥクラン中の人々が族長の跡継ぎの誕生に沸き立った。
 地の果てまで届けとばかりに大声で泣く双子の赤ん坊を見ながら、ラベルナはこの上ない充実感を感じていた。
 ――自分の役割を果たせた。
 いつかフィールナルの地に戻る。
 その誓いのいしずえとなることができた。
 そのことに対する限りない満足感だった。
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