夢に誘われ、歴史をつなぐ

藍条森也

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二九章 斬鬼士の母

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 ひびき。
 生まれついての天才霊能者。
 生まれて三年目には誰に教えられたわけでもないのにさまざまな怪異を見ることができた。
 その力は成長するにつれてますます強く、鋭くなり、わずか一二才でこの世のいかなる道士、法師も及ばないほどになっていた。
 ――わたしの才は天より与えられたもの。この才をもって鬼をはらい、人々を守る。それがわたしの天命。
 そう決意したのが一五のとき。以来、三年間、荒野を渡って研鑽を積み、鬼を斬り、はらうための術法、斬鬼ざんきほうを編み出した。その後しばらくの間、各地を旅し、人々を鬼の害から守ってきた。
 その旅を可能にしたのが霊獣やくも。やくもはもともとひびきの誕生を寿ことほぎに現れた麒麟きりんだった。
 ひびきはやくもとともに旅をし、数えきれないほどの鬼を斬り、はらった。しかし、世界はあまりにも広く、鬼の数はあまりにも多すぎた。
 ――わたしひとりでは人々を守りきれない。
 そう思い知らされるまで長い時間はかからなかった。
 ひびきはあきらめなかった。
 自分ひとりで無理なら仲間を増やせばいい。
 自ら荒れ地を開拓して里を開き、人を集め、自らの編み出した斬鬼ざんきほう継承けいしょうしゃざん鬼士きしを育てあげた。
 里からは幾人もの優れたざん鬼士きしが育ち、各地に散っては鬼を斬り、はらい、人々を守った。評判が評判を呼び、ざん鬼士きしの里は鬼に苦しめられる人々にとってなによりの希望となった。その創始者であるひびきは聖女と呼ばれ、女神と崇められ、人々の尊崇そんすうを一身に受けた。
 世界そのものが荒れ果てているこの時代、暮らしは決して楽ではなかったし、戒律も厳しかった。それでも、『人々を鬼から守るのだ』という使命感、なにより、ひびきという絶対的な指導者に支えられ、よくまとまり、協力しあって暮らしていた。
 時が流れ、ひびきも婿を迎え、娘を産んだ。その娘も成長し、さらに娘を産んだ。これがいのりである。いのりが生まれたとき、やくもは自らいのりの守護者たる役割を課したかのように常にそのそばに寄り添っていたものだ。
 里にはもちろん、ざん鬼士きし以外の普通の人間も大勢いた。里はひびきの張り巡らした結界けっかいによって守られ、人々は鬼に襲われる心配なしに日々の暮らしを営むことができた。ところが――。
 いのりが五歳になったとき、その平和は突如とつじょとして崩れた。鬼にそそのかされた村の一員が結界けっかいの霊石を持ち出したのだ。
 鬼はなぜひびきの村を狙ったのか。
 そんな質問に意味はない。
 鬼だから。
 それがすべてだ。
 鬼は人間の邪念じゃねんそのもの。
 怒り。
 憎しみ。
 ねたみ。
 そねみ。
 それらすべてが合わさったもの。
 幸せな人間。
 未来への希望。
 活気に満ちた暮らし。
 それらすべてが許せない。
 踏みにじり、叩き潰し、挫折させ、絶望させてやらなければ気がすまない。
 ひびきの村にはそのすべてがあった。
 だから、憎んだ。
 だから、襲おうとした。
 とはいえ、ひびきの結界けっかいに守られている限り、鬼たちは手が出せない。そのために里の人間を誘惑し、結界けっかいを破壊させたのだ。ちょうど、鬼のひびきがたいざを誘惑し、霊石を持ち出させたように。
 鬼たちは結界けっかいの崩れた里を襲った。村のおもだったざん鬼士きしたちが鬼退治に出かけている隙を狙ってのことだった。
 手薄になっているとはいえ、そこはざん鬼士きしの里。黙って殺されるはずもない。激しい戦いの末、里の人々は鬼の群れを全滅させた。だが……。
 被害もまた甚大じんだいだった。里のものも大半は死んでいた。生き残ったのはいのりやその両親を含めてほんの数人。
 壊滅。
 そう言ってよかった。
 そしてなにより――。
 ひびきが死んだ。
 里のものを守るために死力を振り絞って戦い、鬼の首魁と相打ちになったのだ。
 生き残った人々は深い悲しみに覆われた。その嘆きぶりは天すら同情して悲しみの雨を降らしつづけるのではないかと思わせるほどだった。だが――。
 ひびきは死んでも、その思いは人々のなかに生きていた。ひとしきり泣いたあと、人々は言った。
 『われわれでひびき様の意思を継ごう』と。
 いのりの母、つまり、ひびきの娘とその夫を中心に里の再建が行われた。
 容易なことではなかった。
 なにしろ、数百人はいた村人がほんの十数人にまで減ってしまったのだ。それでも、あきらめなかった。一歩いっぽ、コツコツと村を再建していった。
 そして、一〇年。
 ようやくもとの姿を取り戻すまでになった。だが――。
 そのとき、再び、鬼の群れが襲った。
 しかも、その首魁はひびきその人、死んで、鬼と化したひびきだった。
 村人は必死に戦った。だが、すべてのざん鬼士きしの母たるひびきにかなうはずもない。抵抗もむなしく、里のものは次々と殺されていった。
 皆殺しだった。
 ざん鬼士きしの里は今度こそ滅びたのだ。
 生みの親であるひびきの手によって。
 生き残ったのは当時一五才のいのりとしらべ、そして、やくもだけ。
 それも、いのりの両親が囮となり、逃がしてくれたからこそだ。
 『自分も最後まで戦う!』
 いのりはそう叫んだ。
 ひびき直系の血統は伊達だてではない。この時点でいのりは母をのぞいて里の誰よりも優れたざん鬼士きしとなっていた。
 あくまで戦おうとするいのりを両親は叱り飛ばした。
 『あなたもざん鬼士きしならばその任務をまっとうしなさい! 感情に動かされてはなりません』
 『いのり、お前はしらべを守れ。しらべだけが本当の意味で鬼から人々を守れる。ここでしらべが殺されてしまえば鬼を浄化するすべはなくなってしまうのだぞ!』
 『さあ、行きなさい、早く! これは母としての言葉ではありません。里のおさとしての命令です!』
 いのりは従うほかなかった。しらべを抱きしめ、やくもの背中に乗り、里をあとにした。
 ――逃げるんじゃない……!
 涙をボロボロと流し、唇をかみ締めながら誓った。
 ――あたしは逃げるんじゃない。もっと強くなり、里のみんなのかたきをとるために行くんだ!
 そして、二年。
 いのりはその誓いどおりに修行を重ね、各地を回っては鬼を斬り、はらってきた。
 ひびきに会うために。
 ひびきに会い、里のかたきをとるために。
 そして、聞くために。
 ――なぜ、里を襲ったのか、と。
 そして、いま、いのりはひびきと対峙している。老いてなお美しかった祖母の姿とは似ても似つかない鬼と化したひびきと。
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