文明ハッカーズ2 〜智慧の使い手と夢追う少女たち〜

藍条森也

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第四話  空の星 海の星(上)

ステージ5 運命がまちがうなら……。

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 「……あたしは三つの頃からバレエをはじめた」
 南沢みなみさわなつみは語りはじめた。
 校舎の屋上。
 他に人気のないその場所で。
 屋上特有の強い風に吹かれながら。
 さくらと風噂ふうさ、ふたりに背を向け、遠い空に視線を向けた格好で。
 実際には空に視線を向けているのではなく、二度と戻ることのない過去に向かって語りかけているのだろう。さくらは理性によらずそう直感した。
 「三つの頃から⁉ だって、バレエって跳んだりはねたりするものでしょ? そんな小さい頃から習えるものなの⁉」
 風噂ふうさは心底驚いた様子で言った。たしかに、さくらとしても三つの頃から習いごとをしていたなどと聞けば驚きはする。しかし、だからと言って、
 「風噂ふうさ! いちいち口を挟まないで。失礼でしょ」
 さくらは風噂ふうさをたしなめた。と言うより、非難した。自分たちはなつみの身内でもなければ、友人ですらない。今日、会ったばかりの赤の他人。それなのに、プライヴェート――それも、おそらくはかなり深刻――な事柄について聞き出そうというのだ。それだけでもう充分に厚かましい。この上、礼を失するような真似はしないでほしい。
 さくらはそう思ったが、なつみ自身は別に気にした様子もなかった。相変わらず空の向こうに視線を向けまま答えた。
 「バレエだって最初から跳んだりはねたりするわけじゃないよ。幼児向けの教室もちゃんとあるから」
 「へえ、そうなんだ。でも、いくら何でも三つの頃じゃあ、自分から習うってわけにいかないよね。親に習わされたの?」
 気になったことがあれば問い質さずにいられないのは未来のジャーナリストとしての本能か。風噂ふうさはさくらが口を押さえる間もなくそうたたみかけた。
 「習われた、って言うのとはちがうけど。あたしは覚えていないけど、立って歩けるようになった頃から音楽が鳴っているとすぐに踊り出す性格だったんだって。所構わずすぐに踊り出すものだから心配した親が医者に相談に行ったの。そうしたら『この子は病気ではありません。ダンサーなのです。ダンス教室に通わせてあげなさい』って言われたんだって」
 「へえ」
 「それで、ちょうど近くに幼児向けのバレエ教室があったからそこに通わせることにしたんだって。だから、バレエをはじめたのは実は偶然。近くにあったのがバレエ以外のダンス教室だったらそっちを習っていたわ」
 あたし自身、思い切り踊れるならなんでもよかったし。
 なつみはそう付け加えた。
 「教室に通うようになってから毎日まいにちレッスンに明け暮れた。それこそ、一日何時間もね。その甲斐あってあたしはどんどん上達した。教室のなかでは別格だったし、小学校高学年にあがる頃にはちょっとは名前が知られるようになっていた。その頃にはトップダンサーの動画も見るようになっていた。動画のなかで世界のトップダンサーたちは信じられないようなすごい動きを見せていた。小学生のあたしにはそれこそ『ダンスの魔法使い』にしか見えなかった。その動画を見ているうちに思うようになったの。『あたしもこんな風になりたい』ってね」
 「魔法使いに⁉」
 風噂ふうさは目を丸くして叫んだ。
 ――いや、ちがうでしょ。
 さくらは恥ずかしさのあまり、ほおを赤く染め、うつむきながら心のなかでツッコんだ。
 なつみもさすがに風噂ふうさのボケには感じるものがあったのだろう。苦笑めいた笑みをもらすと体ごと振り向いた。
 「ちがうよ。こんなすごいダンサーになりたい。魔法にしか見えないバレエを踊れるようになって、世界一のエトワールになりたい。そう思うようになったってことだよ」
 「あ、そういう意味」
 と、風噂ふうさ。腑に落ちた表情だった。
 ――当たり前でしょうが。
 と、さくら。またも心のなかでツッコむ。口に出して言わないのはなつみに対する遠慮である。
 なつみはつづけた。
 「そうしてあたしはエトワール目指してバレエをつづけた。中学に入った頃にはコンクールに出れば優勝するのが当たり前になっていた。これでも『天才少女現る!』なんて騒がれたこともあったんだよ」
 「すごいんだ」
 さくらはそうとしか言えなかった。
 なつみは『ふふ』と、さびしげに笑った。
 「……昔の話だけどね。いまはもう」
 「昔の話? なんで? 才能の限界?」
 風噂ふうさが食い付くような勢いでたたみかける。さくらはもう限界。なつみに迫る風噂ふうさの頭をぶん殴った。風噂ふうさは思わず頭を抱えてしゃがみ込む。なつみは再びふたりに背を向け、空の彼方に視線を向けながら話をつづけた。
 「才能の限界、か。それならあきらめもついたかもね。でも、ちがう。そうじゃない。あたしの才能は限界なんかじゃなかった。バレエに関してはあたしに勝てる同年代は日本中にひとりしかいなかった。中学の間、日本のバレエコンクールの優勝はあたしとその人とで分け合っているようなものだった。他の人が優勝するのは、あたしもその人も参加していなかった場合だけ。あたしたちが参加していればどちらかが必ず優勝していた。専門家の評価もどんどんあがっていった。『将来、必ず世界で活躍するようになる』って、太鼓判も押された。そして、中学三年の夏。そのためのチャンスをつかんだ」
 「チャンス?」と、さくら。
 「そう。ウィーンで開かれる若手バレエダンサーの登竜門と言われる国際的なコンクール。そこに参加することが決まったの」
 「ウィーンって……オーストリア」
 「そう。オーストリアは昔からバレエなんかで有名だから。中二のときには三ヶ月だけだけど短期留学もしていた」
 「……本当に天才なんだ」
 さくらはそう言うしかなかった。その横ではぶん殴られた痛みなどもはやすっかり忘れた風噂ふうさが、いまにも食い付かんばかりの様子で聞き入っている。
 「でも……」
 と、なつみ。その可愛らしい顔が沈痛ちんつうな面持ちに沈んだ。
 「コンクールのためのレッスン中、あたしはみぎひざを痛めた」
 「ひざを?」
 「そう。最初はとくに気にしなかった。あたしたちにとって故障なんて当たり前だし、レッスンは遅れるけ、治りさえすれば取り戻す自信もあった。だから、脚以外の部分を鍛えながらひざが治るのをまった。でも……いつまでたってもひざの痛みはなくならなかった。そして、とうとう医者に言われた。『このひざではもうバレエの激しい動きには耐えられない。バレエをつづけるのは無理だ』って」
 「そんな……」
 「ええっ~、そんなあっ!」
 さくらの呟きを風噂ふうさの絶叫がかき消した。
 「ひどいよ、そんなの、あんまりだよ! 世界目指して一所いっしょ懸命けんめいレッスンしてきたんでしょ? それなのに、そのチャンスを目の前にして怪我でバレエ出来なくなるなんて……そんなの、ひどすぎるよ!」
 風噂ふうさは叫びつづける。このときばかりは『未来のジャーナリス』であることを忘れ、なつみの運命を悲しんでいる。いや、怒っている。本質的にはきわめて善良な人間なのだ。
 ――傍迷惑なことにはかわりないけど。
 とは、さくらの感想である。
 「仕方ないよ。それが、あたしの運命だったんだから」
 「運命って……それでいいの⁉」
 「いいわけないでしょ!」
 風噂ふうさの言葉に――。
 なつみは叫んだ。
 なつみがこんな風に感情をむき出しにして怒鳴るのははじめてのことだったので、さくらも風噂ふうさを言葉を失い、目を丸くして驚いた。なつみはそんなふたりを前に激しい感情の渦を叩き出した。
 「泣いたよ! 死にたいぐらいだったよ! バレエに打ち込んで、打ち込んで、やっとここまできたのになんで……って、何度も呪ったよ! いまだってできることなら復帰したい、エトワール目指して思いきり舞台の上で踊りたい。そう思ってる。でも、しょうがないじゃない! あたしのひざは壊れちゃったんだもの。もう治らないんだもの。そういう運命だったんだからしょうがない。そう思うしかないじゃない!」
 涙があふれ、肩で息をしている。その姿がいままでなつみがどれほど自分の感情を押し殺していたかを示していた。それでも、思い切り感情を吐き出して落ち着いたのだろう。涙を手でぬぐうと、静かに言った。
 「……ゴメン。興奮しちゃった」
 「……あ、いえ」
 「……ううん」
 さくらも、風噂ふうさも、言葉少なに言いながら首を横に振るしかなかった。
 「……とにかく、あたしはもうバレエをつづけることは出来なくなった。特待生として入学することが決っていたここにも、普通科の生徒として通うことになった。もっとも、ショックのあまり、ずっと引きこもっちゃってたから今日までこれなかったんだけどね」
 「……そうだったんだ」
 ――先生がわざわざふたりきりで話すわけだわ。
 さくらはそう思った。
 「でも、そんなざまだったから親にも、まわりの人にもずいぶん心配させちゃったから。もういい加減、立ち直らなくっちゃって思って、今日から通うことにしたの」
 「……そうだったんだ。なんか、ゴメンね。そんな大変なこと、無理やり聞き出すようなことしちゃって」
 風噂ふうさもさすがに、気まずい思いをしたのだろう。指などをつつきながらそう言った。
 なつみはかぶりを振った。
 「いいのよ。隠すようなことじゃないし、深刻ぶっててもなにがかわるわけじゃないんだから。むしろ、全部話せてスッキリしたわ」
 「うん、すごいよ。よくわかる。あたしも未来のジャーナリスト目指して頑張ってるもん。もし、あたしがジャーナリストになれない、なんてことになったら立ち直れないと思う。それなのに、ちゃんと立ち直って前を向こうだなんて本当にすごいよ」
 風噂ふうさは熱心にそう語った。あまりの熱意になつみもふと苦笑したようだ。
 「……ねえ、南沢みなみさわさん」
 それまでじっと考え込んでいたさくらが言った。
 「『なつみ』って呼んで。その方が呼ばれ慣れてるから」
 「あ、じゃあ、あたしも『さくら』で」
 「あたしは風噂ふうさ! 『風の噂』って書いて『ふうさ』。よろしくね!」
 と、風噂ふうさは敬礼染みた仕種をしながら言った。
 「ねえ、なつみ。あたしの兄さんに会ってみない?」
 「あなたのお兄さん?」
 いきなりの提案になつみはキョトンとした表情を浮かべた。さくらは力強くうなずいた。
 「そう。兄さんならなんとかしてくれると思う」
 「なんとかって……あなたのお兄さん、お医者なの?」
 「医者じゃないわ。でも、問題解決の専門家なの。兄さんならきっと、あなたの問題も解決してくれる」
 さくらは熱心にそう語った。
 ――こんなことはまちがっている。
 さくらは痛切にそう思った。
 幼い頃から世界的なバレエダンサーを目指し、努力してきた。そうなれるだけの才能もあった。しかも、そうなれる、少なくとも、そうなるためのチャンスをつかめる目前まできていた。それなのに、そこに来て怪我ですべて代なしになるなんて……。
 そんなの理不尽すぎる。
 あっちゃいけない。
 子供っぽい思いだと言うことはわかっている。だけど、どうしようもなくそう思った。
 以前のさくらならここまで思うことはなかっただろう。なにしろ、本気でなにかに打ち込んだことなどない身。世界を目指して努力をつづけると言うことがどういうことか、その夢が破れると言うことがどれほどのショックか、そんなことがわかるはずもない。
 でも、いまのさくらはちがう。赤葉や白葉、ふぁいからりーふのメンバーたちが自分自身の夢のためにどれほど頑張っているか間近に見てきた。なつみもそれと同様に、いや、それ以上に必死の努力をつづけてきたにちがいない。そのすべてが怪我によってふいになってしまうなんて……。
 ――そんなの絶対、まちがってる! あっちゃいけない!
 運命がそんなまちがいをしでかしたのなら人間の手で正さなければいけない。人間には無理でも藍条あいじょう森也しんやなら、あの『地球進化史上最強の知性』ならきっとなんとかできる。
 してくれる。
 さくらはそう信じた。
 根拠こんきょなんてなにもないけど、とにかくそう信じた。
 なつみはそんなさくらを厳しい視線で見つめた。
 ――解決してくれる、なんてずいぶんと簡単に言ってくれる。
 そう思ったのだ。
 ――あたしがどれほどの思いでバレエに打ち込んできたか、もうバレエをつづけられないと知ってどんなにショックだったか、なにも知らないくせに。
 「あたしのひざは治らない。何人もの医者からそう言われたんだよ? そのなかには世界的な外科医の先生もいた。それなのに、医者でもないあなたのお兄さんが治せるって言うの?」
 「ちがうわ。たしかに医者でもない兄さんにあなたのひざが治せるはずがない。でも、兄さんならきっと、ひざが治らないまま、あなたがバレエをつづけられる道を見つけ出してくれる」
 「ひざが治らないまま?」
 「そう」
 と、さくらは全身全霊を込めてうなずいた。
 「兄さんなら……藍条あいじょう森也しんやならきっと」
 そう語るさくらの瞳の真剣さ。それはもはや『あたしの気も知らないくせに』などと言い捨てることの出来ないものだった。
 「……わかった」
 なつみは言った。
 「会ってみるわ、あなたのお兄さんに。もし、わずかでもバレエをつづけられる可能性があるのなら……あたしはなんでもやる」
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