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最終話 歴史の決着
八章 それぞれの前夜
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――鬼部のかんなぎ部族がその総力をあげて侵攻してくる。
ハリエットの受け取ったその報告は直ちに大陸中に届けられた。
レオンハルト仮の王アンドレアはその報告を受けとると深々とうなずいた。
「そうか。いよいよだな」
そして、声を張りあげた。
「ラッセル、ラッセル!」
「は、ははははい……!」
アンドレアが声を張りあげるとたちまち、鞠のような体付きをした宰相ラッセルが大量の書類を抱えて現れた。あまりにあわてていたのでまん丸な胴体の下の短い足をもつれさせて転んでしまい、まともに床に向かって飛び込んだ。同時に、抱えていた書類もあたり一面にぶちまける。
「……やれやれ。かわらんな、お前は」
アンドレアが呆れたように首を横に振った。しかし、不思議と『優しい』というか『好意的』というか、そんな印象を与える声と仕種ではあった。むしろ、『可愛がっている』というのが一番、ぴったりくる表現だったかも知れない。
「す、すすすすすみませせせん……」
ラッセルはあわてて書類をかき集めて立ちあがる。生来の汗っかき体質のせいでいつも汗みどろなので、抱えられている書類もすでに水浸し状態。おかげで耐水性の特種な紙とインクを用意しなければならず、官僚たちからはぶうぶう文句が出ていたりする。
「ラッセル。いよいよ鬼部との最終決戦のときがきた。我が国の現状はどうなっている?」
「は、ははははい……。ま、ままままず、へ、へへへ兵力ですが、こ、こここちらは……で、ぶ、ぶぶぶ武器防具の用意……そ、それそれそれに、しょくしょく食糧の蓄えは……」
相変わらずたどたどしくつっかえつっかえの話し方。聞いている方としては聞き取りにくい上に苛々が募ってたまらない。一応、喋り方の訓練は受けさせているのだがこれも生来の性格ゆえか、いっこうに成果が出ない。おまけに、極度の汗っかきなので一カ所にとどまっているとたちまち足元に水たまりが出来てしまう。いまも、流れる汗が床に溜まり、小さな池となっている。まるで、子どもが小便を漏らしたかのようにありさまだ。
見た目といい、喋り方といい、その見苦しい様子といい、どう見ても『一国の宰相』などと呼ばれる人物には見えない。しかし、それでいながら仕事は完璧にこなしていたりする。いまも、書類一枚読むことなく細かい数字を次々と読みあげている。実は、国中の細かな数字はすべて頭に入っているのだ。喋り方がたどたどしいことにさえ我慢できれば極めて正確で素早い報告である。
「ふむ。承知した」
報告を聞き終えたアンドレアは鷹揚にうなずいた。
「実際にどれだけの数の敵が押しよせてくるかわからん。新兵の確保はもちろん、医薬品と食糧の増産体制も整えておけ。衛生兵など、裏方の確保も忘れるなよ」
「で、ででですがですがですが、それらに人を集中するとするとすると、ほかほか他の分野が人手不足になってしまいますが……」
「非常事態だ。やむを得ん。向こう数ヶ月間、停止状態になってもなんとかなる分野を削って、いま、必要な分野に人を集中させろ」
「わ、わわわかりわかりわかりました……」
「それとな、ラッセル」
「は、はははい……」
「この戦いが終わったらわたしと結婚しろ」
「ひょでわっ!」
「なんだ、その叫び声は。潰れたカエルだってもう少しましな声をあげるぞ」
「だ、だだだだってだって、な、ななななんのじょじょじょうだん冗談ですか……」
「冗談ではない。わたしは本気だ。本気でお前に結婚を申し込んでいる」
「し、しかししかししかし……」
「まあ、いきなりですまんとは思う。だが、わたしは一応、この国の王だ。我が子アートが成人するまでの間の仮の王とは言えな。それが、いつまでも独身では格好がつくまい。それに……」
アンドレアの表情と声が急に沈痛な、深刻きわまるものとなった。
「今回の戦いがいままでにない大規模なものになることはまちがいない。また、大勢の兵が死ぬことになる。遺憾なことだがな」
「は、ははははい……」
「復興のために人手がいる。子を産めるものは産めるだけ産まなくてはならん。となれば、わたしも産まねばならんだろう。これでも、子を産める年頃の女だからな。それに、アートに弟や妹も作ってやりたいしな」
「そ、そそそそれはそれはそれは……で、でもでもでも、な、なななんで私たしたし……」
「うむ、それは……」
アンドレアはそう言うと口ごもった。顔をそらした。あろうことか、国王にして騎士たる大陸きっての女傑の頬がほんのり赤く染まっていた。
「……なんというか最近、お前のことが可愛く思えてきてな」
「は、はいいいいぃっ……!」
「そういうところだ。お前はなんだかいつも必死だからな。そう言うところがやけに可愛く思えてきたのだ。ぽちゃぽちゃしたその体型もなんだか可愛いしな」
『ぽちゃぽちゃ』と、アンドレアはラッセルの体型に対しては控えめすぎる表現を使った。
「とにかくだ。わたしはお前と結婚することにした。これは国王命令だ。異論は認めん。よいな?」
「は、ははははいはいはい……」
「よろしい。快く了承してもらったところでさっそく子作りといこう」
「ひょえわっ!」
「まわりへの説明や事務手続きなどあとでよい。それよりいまは一刻も早く人を増やすことだ。と言うわけで、行くぞ!」
「ひいいいいぃっ!」
と言うわけで――。
腕力にものを言わせてラッセルを押し倒すアンドレアであった。
アーデルハイド。
カンナ。
リーザ。
『食の三女神』として知られる三人がその報告を受けとったのは、例によってリンゴの苗をいっぱいに積んだ馬車のなかでだった。アーデルハイドは報告内容をふたりの仲間に告げた。カンナもリーザも緊張の面持ちでうなずいた。
「……いよいよですね」
「な、なあに、だいじょうぶさ。国内の食糧生産と流通は万全だ。どんなに激しい戦いになっても食べ物を不足させたりはしないよ」
「そう。そちらは問題ない。各地の商人との連携もきちんととれている。問題は神々の判断と鬼部の他部族の動向……」
「かんぜみ部族だっけ? そいつらが参戦してきたら勝ち目はないって話だったよね?」
リーザの問いにアーデルハイドはうなずいた。
「ええ、おそらく。かんぜみ部族は他の鬼部とはちがい、洗練された戦闘技術をもっている。戦闘技術をもった〝鬼〟。身体能力にものを言わせるだけの他の鬼部とは脅威度がちがう。族長のジュウジャキには手紙を送って傍観してくれるよう頼んであるけど……正直、クレアを死に追いやったわたしたちの言うことを聞いてくれるかどうか……」
その言葉に――。
カンナはギュッと膝の上で拳を握りしめた。一年前、大闘祭の贄に選ばれたクレアの顔に傷をつけ、自殺に追いやったのはカンナである。一年たったいまでもその罪の意識は一日たりと消えることはなかった。
アーデルハイドはカンナの思いを知っていたが、あえて無視してつづけた。
「目覚めしものにも手紙を送って都市網国家について説明しておいた。天帝を説得してくれるよう頼んでおいたけど……うっ」
突然――。
アーデルハイドが口元を手で押さえ、体をくの字に曲げた。
「アーデルハイドさま!」
カンナが驚いて立ちあがり、アーデルハイドの背中をさすった。
「だいじょうぶですか、アーデルハイドさま? 最近、よく吐き気を催されるようですけど、どこかお悪いのでは?」
「吐き気って……アーデルハイド、あんた、まさか……」
リーザの言葉に――。
アーデルハイドはうなずいた。
「……ええ。妊娠しているわ」
「妊娠⁉」
カンナが大声で叫んだ。
アーデルハイドはあくまで静かに語った。
「いままで散々、男と寝てきたものね。むしろ、これまで妊娠せずにいたのが奇跡みたいなものだし」
「あ、相手は誰なんですか」
カンナは思わずそう口走ってしまった。ハッとして両手で口を押さえた。
大陸全土を結ぶ流通網の維持のため、ここ一ヶ月だけでも何人もの商人や傭兵の要求を受け入れてきたアーデルハイドだ。子どもの親が誰かなんてわかるはずがない……。
カンナはそう思った。しかし、アーデルハイドははっきりと言い切った。
「誰の子かはわかっているわ」
「わかっている?」
「ええ」
アーデルハイドはきっぱりと言いきった。
「わたしの子よ」
ゲンナディ内海。
大陸最大の湖であり、誰ひとり近づこうとしない魔境。
その魔境のなかの島に大陸最大最強の軍閥集団である〝歌う鯨〟の本拠はある。そのなかで首領のエイハブは筆頭愛人のエムロウドと酒を酌み交わしていた。
「ふふん。鬼どもめ。いよいよ尻に火がついたらしいな。全力をあげて攻め込んでくるそうだ」
「参加するの?」
「アーデルハイドへの義理があるからな。いまさら、尻をまくるわけにもいくめえ」
「あなたらしくもないわね。いつだって、自分のことしか考えない勝手なやつなのに」
「そう言うな。おれももう歳だ。そろそろ、跡目を譲る頃合いだと思っていたんだ」
エイハブはそう言って一気に酒をあおった。
「悪漢エイハブ。最後のときは英雄だった……なんて、言われるのも一興じゃねえか」
スミクトルの王宮。
そこではいま、国王エリアスと宿将モーゼズが会談していた。会談と言ってもエリアスの私室での非公式のものである。むしろ、国を治める孫とその後見である祖父の私的な会話、と言うに近い。
「……いよいよ、鬼部と決着をつけるときが来たわけですな」
「なんだか、嬉しそうだね、モーゼズ」
「もちろんですとも。人類を守るための一大決戦。この老骨の死に場所としてこれほど華々しい場所は他にありますまい」
「モーゼズ!」
「おっと。小言はなしですぞ、陛下。若者の未来を守るのは年寄りの役目。その晴れ舞台をとりあげられてはたまりませんからな」
モーゼズはそう高笑いしながらエリアスの私室をあとにした。
ひとり、残されたエリアスは呆然として呟いた。
「モーゼズ……おじいちゃん」
モーゼズが廊下を歩いて行くと鎧兜に身を固めた兵士の一団が待ち構えていた。皆、モーゼズと同年代か、それ以上の年齢のものばかり。その表情は一様に穏やかな笑みが浮いていた。
「どうした、お前たち?」
モーゼズの問いに兵士たちは答えた。
「話は聞きましたぞ、将軍閣下」
「感心できませんな。おひとりで格好つけようなどとは」
「若者の未来を守るのは年寄りの役目。その台詞、我々も言わせてもらいますぞ」
その言葉に――。
モーゼズは呆気にとられた。同時に、どう説得しようと無駄だと言うことも悟った。このおいた兵士たちの気持ちは自分と同じものだったから。
「ふ、くく、くわっーはっはっはっ!」
モーゼズは思いきり笑った。笑い転げた。
「まったく、仕方のないやつらだ。では、全員で格好つけるとするか!」
「はい、将軍!」
老いた男たちは高笑いを響かせながら歩いて行った。
星詠みの王国オウラン。
その宮殿のなかで巫女女王ハクランはひとり、神に祈りを捧げていた。
「……わたしの星詠みの力をもってしても人類の未来は見通せない。天界の神々も迷っておいでと言うことなのでしょう。でも、それは、人類が未来を勝ち取れる可能性があると言うことに他ならない。ならば、わたしのやるべきことはひとつ。神よ。我が身と生命を捧げてお祈りします。なにとぞ、我ら人類に明日を」
遊牧国家ポリエバトル。
無限に連なるかと思える草原のなかで雌豹将軍バブラクは弓騎兵の訓練に余念がなかった。
「どうした、どうした! それで精一杯か その程度の矢では鬼部には通用せんぞ」
「精が出るな、バブラク」
「………! これは……ズマライ・ハーン」
突然の国王の登場にバブラクは居住まいを正した。
「よい。楽にせい」
「……はっ」
「いよいよ、人類の命運を賭けた一大決戦がはじまるな」
「はい」
そううなずくバブラクの表情はしかし、雌豹将軍らしくもなく暗いものだった。
「この戦いには我らのすべての力を出し切る所存。見事、ポリエバトル弓騎兵の名を知らしめて見せましょう。ですが……」
「ですが……なんだ?」
「歯がゆく思えます。例え、鬼部に勝ったところでそれは本当の勝負ではない。本当の意味で勝つには神々を納得させなければならない。そのためにはなんの役にも立てない……」
「ふむ。たしかにな。我らはしょせん、武辺もの。「新しい文明」とやらを築く薬にはたたん。ならばせめて、我らに出来ることをしようではないか。それができるものがなんの心配もなく専念できるようにな」
「はっ……!」
北の雄国オグル。
そのなかの小さな村。そこに烈将アルノスの姿はあった。小さな家のなかで中年の女性と相対していた。
「……そうかい。あのアルノが人類のためにそんなに役に立ってくれたかい」
「ああ。アルノのもたらしてくれた情報によって何度、救われたか知れん。アルノは偉大な英雄だ」
「まさか、オグル史上最強の将とまで言われるあんたに『英雄』と呼んでもらえるなんてね。あの逃げまわってばかりだった息子がねえ。まるで、夢のようだよ」
「夢ではない。事実だ。今回もアルノが情報を届けくれたからこそ万全の状態で迎え撃つことが出来る。その息子を誇りに思うがいい」
「ああ、ありがとうよ、アルノス。あんたこそ、死んだりするんじゃないよ。必ず、生きて帰ってくるんだよ」
「礼を言う」
最善を尽くす。
短く、力強くそう言うと、オグル史上最強の将は立ちあがった。
オグルにほど近い山間の小さな村。
そこに、『ノールの弱虫工房』はある。人類防衛の切り札となった弱虫ボッツの生産工場である。そこでは今日もノールとシズー、若きふたりの恋人によって弱虫ボッツが生産されつづけている。
「おう、いるか。ノール、シズー」
陽気な声がして『永遠のガキ大将』ジャイボスが現れた。隣には腰巾着、もとい、参謀役のスタムもついている。
「ジャイボス、スタム! 久しぶりだね」
「本当、どれだけ振りかしら。いきなり、どうしたの?」
「なあに、いよいよ鬼部との最終決戦がはじまるんでな。ちいっとばかり、顔見せにきたってわけさ」
「……そう。いよいよなのね」
「……ジャイボス。僕には弱虫ボッツを作ることしか出来ない。でも、僕に出来ることはやり遂げるつもりだ。だから……」
「ガハハハハッ! 気を使うなよ。戦うのはおれさまに任せておけ。それより、ノール、シズー」
「なんだい?」
「結婚しろ」
「結婚⁉」
「い、いきなり、なにを……」
「いきなりもなにもとっくに夫婦みたいなもんだろ。ふたりでずっと工房をやりくりしてるんだからな。さっさとはっきりさせろと言ってるんだよ。それとも、なにか? この心の友たるおれさまを結婚式に招待しないつもりか?」
「ジャイボス⁉」
「……あなた、まさか、死ぬ気じゃ」
「ガハハハハッ! このおれさまが死んだりするわけないだろ。この戦いが終わればおれさまは英雄だ。モテモテのモテモテでもう帰ってこれなくなるってだけさ。なあ、スタム」
バンバン、と、相棒の背中を叩くジャイボスだった。
「う、うん……」
と、気弱そうにうなずくスタムだった。
「と言うわけで、おれさまがお前たちの結婚式に出られるのはいましかないんだ。と言うわけで、さっさと式をあげろ。おれさまが見届けてやる」
「う、うん……わかったよ、ジャイボス。シズー……」
「ええ……」
そうして急遽、ふたりの結婚式が執り行われた。着飾ったふたりが誓いの口づけを交わしたところで盛りあがりは最高潮に達した。その姿を見届け、ジャイボスとスタムは戻っていった。最後の戦場へと。
そして、戦いははじまる。
ハリエットの受け取ったその報告は直ちに大陸中に届けられた。
レオンハルト仮の王アンドレアはその報告を受けとると深々とうなずいた。
「そうか。いよいよだな」
そして、声を張りあげた。
「ラッセル、ラッセル!」
「は、ははははい……!」
アンドレアが声を張りあげるとたちまち、鞠のような体付きをした宰相ラッセルが大量の書類を抱えて現れた。あまりにあわてていたのでまん丸な胴体の下の短い足をもつれさせて転んでしまい、まともに床に向かって飛び込んだ。同時に、抱えていた書類もあたり一面にぶちまける。
「……やれやれ。かわらんな、お前は」
アンドレアが呆れたように首を横に振った。しかし、不思議と『優しい』というか『好意的』というか、そんな印象を与える声と仕種ではあった。むしろ、『可愛がっている』というのが一番、ぴったりくる表現だったかも知れない。
「す、すすすすすみませせせん……」
ラッセルはあわてて書類をかき集めて立ちあがる。生来の汗っかき体質のせいでいつも汗みどろなので、抱えられている書類もすでに水浸し状態。おかげで耐水性の特種な紙とインクを用意しなければならず、官僚たちからはぶうぶう文句が出ていたりする。
「ラッセル。いよいよ鬼部との最終決戦のときがきた。我が国の現状はどうなっている?」
「は、ははははい……。ま、ままままず、へ、へへへ兵力ですが、こ、こここちらは……で、ぶ、ぶぶぶ武器防具の用意……そ、それそれそれに、しょくしょく食糧の蓄えは……」
相変わらずたどたどしくつっかえつっかえの話し方。聞いている方としては聞き取りにくい上に苛々が募ってたまらない。一応、喋り方の訓練は受けさせているのだがこれも生来の性格ゆえか、いっこうに成果が出ない。おまけに、極度の汗っかきなので一カ所にとどまっているとたちまち足元に水たまりが出来てしまう。いまも、流れる汗が床に溜まり、小さな池となっている。まるで、子どもが小便を漏らしたかのようにありさまだ。
見た目といい、喋り方といい、その見苦しい様子といい、どう見ても『一国の宰相』などと呼ばれる人物には見えない。しかし、それでいながら仕事は完璧にこなしていたりする。いまも、書類一枚読むことなく細かい数字を次々と読みあげている。実は、国中の細かな数字はすべて頭に入っているのだ。喋り方がたどたどしいことにさえ我慢できれば極めて正確で素早い報告である。
「ふむ。承知した」
報告を聞き終えたアンドレアは鷹揚にうなずいた。
「実際にどれだけの数の敵が押しよせてくるかわからん。新兵の確保はもちろん、医薬品と食糧の増産体制も整えておけ。衛生兵など、裏方の確保も忘れるなよ」
「で、ででですがですがですが、それらに人を集中するとするとすると、ほかほか他の分野が人手不足になってしまいますが……」
「非常事態だ。やむを得ん。向こう数ヶ月間、停止状態になってもなんとかなる分野を削って、いま、必要な分野に人を集中させろ」
「わ、わわわかりわかりわかりました……」
「それとな、ラッセル」
「は、はははい……」
「この戦いが終わったらわたしと結婚しろ」
「ひょでわっ!」
「なんだ、その叫び声は。潰れたカエルだってもう少しましな声をあげるぞ」
「だ、だだだだってだって、な、ななななんのじょじょじょうだん冗談ですか……」
「冗談ではない。わたしは本気だ。本気でお前に結婚を申し込んでいる」
「し、しかししかししかし……」
「まあ、いきなりですまんとは思う。だが、わたしは一応、この国の王だ。我が子アートが成人するまでの間の仮の王とは言えな。それが、いつまでも独身では格好がつくまい。それに……」
アンドレアの表情と声が急に沈痛な、深刻きわまるものとなった。
「今回の戦いがいままでにない大規模なものになることはまちがいない。また、大勢の兵が死ぬことになる。遺憾なことだがな」
「は、ははははい……」
「復興のために人手がいる。子を産めるものは産めるだけ産まなくてはならん。となれば、わたしも産まねばならんだろう。これでも、子を産める年頃の女だからな。それに、アートに弟や妹も作ってやりたいしな」
「そ、そそそそれはそれはそれは……で、でもでもでも、な、なななんで私たしたし……」
「うむ、それは……」
アンドレアはそう言うと口ごもった。顔をそらした。あろうことか、国王にして騎士たる大陸きっての女傑の頬がほんのり赤く染まっていた。
「……なんというか最近、お前のことが可愛く思えてきてな」
「は、はいいいいぃっ……!」
「そういうところだ。お前はなんだかいつも必死だからな。そう言うところがやけに可愛く思えてきたのだ。ぽちゃぽちゃしたその体型もなんだか可愛いしな」
『ぽちゃぽちゃ』と、アンドレアはラッセルの体型に対しては控えめすぎる表現を使った。
「とにかくだ。わたしはお前と結婚することにした。これは国王命令だ。異論は認めん。よいな?」
「は、ははははいはいはい……」
「よろしい。快く了承してもらったところでさっそく子作りといこう」
「ひょえわっ!」
「まわりへの説明や事務手続きなどあとでよい。それよりいまは一刻も早く人を増やすことだ。と言うわけで、行くぞ!」
「ひいいいいぃっ!」
と言うわけで――。
腕力にものを言わせてラッセルを押し倒すアンドレアであった。
アーデルハイド。
カンナ。
リーザ。
『食の三女神』として知られる三人がその報告を受けとったのは、例によってリンゴの苗をいっぱいに積んだ馬車のなかでだった。アーデルハイドは報告内容をふたりの仲間に告げた。カンナもリーザも緊張の面持ちでうなずいた。
「……いよいよですね」
「な、なあに、だいじょうぶさ。国内の食糧生産と流通は万全だ。どんなに激しい戦いになっても食べ物を不足させたりはしないよ」
「そう。そちらは問題ない。各地の商人との連携もきちんととれている。問題は神々の判断と鬼部の他部族の動向……」
「かんぜみ部族だっけ? そいつらが参戦してきたら勝ち目はないって話だったよね?」
リーザの問いにアーデルハイドはうなずいた。
「ええ、おそらく。かんぜみ部族は他の鬼部とはちがい、洗練された戦闘技術をもっている。戦闘技術をもった〝鬼〟。身体能力にものを言わせるだけの他の鬼部とは脅威度がちがう。族長のジュウジャキには手紙を送って傍観してくれるよう頼んであるけど……正直、クレアを死に追いやったわたしたちの言うことを聞いてくれるかどうか……」
その言葉に――。
カンナはギュッと膝の上で拳を握りしめた。一年前、大闘祭の贄に選ばれたクレアの顔に傷をつけ、自殺に追いやったのはカンナである。一年たったいまでもその罪の意識は一日たりと消えることはなかった。
アーデルハイドはカンナの思いを知っていたが、あえて無視してつづけた。
「目覚めしものにも手紙を送って都市網国家について説明しておいた。天帝を説得してくれるよう頼んでおいたけど……うっ」
突然――。
アーデルハイドが口元を手で押さえ、体をくの字に曲げた。
「アーデルハイドさま!」
カンナが驚いて立ちあがり、アーデルハイドの背中をさすった。
「だいじょうぶですか、アーデルハイドさま? 最近、よく吐き気を催されるようですけど、どこかお悪いのでは?」
「吐き気って……アーデルハイド、あんた、まさか……」
リーザの言葉に――。
アーデルハイドはうなずいた。
「……ええ。妊娠しているわ」
「妊娠⁉」
カンナが大声で叫んだ。
アーデルハイドはあくまで静かに語った。
「いままで散々、男と寝てきたものね。むしろ、これまで妊娠せずにいたのが奇跡みたいなものだし」
「あ、相手は誰なんですか」
カンナは思わずそう口走ってしまった。ハッとして両手で口を押さえた。
大陸全土を結ぶ流通網の維持のため、ここ一ヶ月だけでも何人もの商人や傭兵の要求を受け入れてきたアーデルハイドだ。子どもの親が誰かなんてわかるはずがない……。
カンナはそう思った。しかし、アーデルハイドははっきりと言い切った。
「誰の子かはわかっているわ」
「わかっている?」
「ええ」
アーデルハイドはきっぱりと言いきった。
「わたしの子よ」
ゲンナディ内海。
大陸最大の湖であり、誰ひとり近づこうとしない魔境。
その魔境のなかの島に大陸最大最強の軍閥集団である〝歌う鯨〟の本拠はある。そのなかで首領のエイハブは筆頭愛人のエムロウドと酒を酌み交わしていた。
「ふふん。鬼どもめ。いよいよ尻に火がついたらしいな。全力をあげて攻め込んでくるそうだ」
「参加するの?」
「アーデルハイドへの義理があるからな。いまさら、尻をまくるわけにもいくめえ」
「あなたらしくもないわね。いつだって、自分のことしか考えない勝手なやつなのに」
「そう言うな。おれももう歳だ。そろそろ、跡目を譲る頃合いだと思っていたんだ」
エイハブはそう言って一気に酒をあおった。
「悪漢エイハブ。最後のときは英雄だった……なんて、言われるのも一興じゃねえか」
スミクトルの王宮。
そこではいま、国王エリアスと宿将モーゼズが会談していた。会談と言ってもエリアスの私室での非公式のものである。むしろ、国を治める孫とその後見である祖父の私的な会話、と言うに近い。
「……いよいよ、鬼部と決着をつけるときが来たわけですな」
「なんだか、嬉しそうだね、モーゼズ」
「もちろんですとも。人類を守るための一大決戦。この老骨の死に場所としてこれほど華々しい場所は他にありますまい」
「モーゼズ!」
「おっと。小言はなしですぞ、陛下。若者の未来を守るのは年寄りの役目。その晴れ舞台をとりあげられてはたまりませんからな」
モーゼズはそう高笑いしながらエリアスの私室をあとにした。
ひとり、残されたエリアスは呆然として呟いた。
「モーゼズ……おじいちゃん」
モーゼズが廊下を歩いて行くと鎧兜に身を固めた兵士の一団が待ち構えていた。皆、モーゼズと同年代か、それ以上の年齢のものばかり。その表情は一様に穏やかな笑みが浮いていた。
「どうした、お前たち?」
モーゼズの問いに兵士たちは答えた。
「話は聞きましたぞ、将軍閣下」
「感心できませんな。おひとりで格好つけようなどとは」
「若者の未来を守るのは年寄りの役目。その台詞、我々も言わせてもらいますぞ」
その言葉に――。
モーゼズは呆気にとられた。同時に、どう説得しようと無駄だと言うことも悟った。このおいた兵士たちの気持ちは自分と同じものだったから。
「ふ、くく、くわっーはっはっはっ!」
モーゼズは思いきり笑った。笑い転げた。
「まったく、仕方のないやつらだ。では、全員で格好つけるとするか!」
「はい、将軍!」
老いた男たちは高笑いを響かせながら歩いて行った。
星詠みの王国オウラン。
その宮殿のなかで巫女女王ハクランはひとり、神に祈りを捧げていた。
「……わたしの星詠みの力をもってしても人類の未来は見通せない。天界の神々も迷っておいでと言うことなのでしょう。でも、それは、人類が未来を勝ち取れる可能性があると言うことに他ならない。ならば、わたしのやるべきことはひとつ。神よ。我が身と生命を捧げてお祈りします。なにとぞ、我ら人類に明日を」
遊牧国家ポリエバトル。
無限に連なるかと思える草原のなかで雌豹将軍バブラクは弓騎兵の訓練に余念がなかった。
「どうした、どうした! それで精一杯か その程度の矢では鬼部には通用せんぞ」
「精が出るな、バブラク」
「………! これは……ズマライ・ハーン」
突然の国王の登場にバブラクは居住まいを正した。
「よい。楽にせい」
「……はっ」
「いよいよ、人類の命運を賭けた一大決戦がはじまるな」
「はい」
そううなずくバブラクの表情はしかし、雌豹将軍らしくもなく暗いものだった。
「この戦いには我らのすべての力を出し切る所存。見事、ポリエバトル弓騎兵の名を知らしめて見せましょう。ですが……」
「ですが……なんだ?」
「歯がゆく思えます。例え、鬼部に勝ったところでそれは本当の勝負ではない。本当の意味で勝つには神々を納得させなければならない。そのためにはなんの役にも立てない……」
「ふむ。たしかにな。我らはしょせん、武辺もの。「新しい文明」とやらを築く薬にはたたん。ならばせめて、我らに出来ることをしようではないか。それができるものがなんの心配もなく専念できるようにな」
「はっ……!」
北の雄国オグル。
そのなかの小さな村。そこに烈将アルノスの姿はあった。小さな家のなかで中年の女性と相対していた。
「……そうかい。あのアルノが人類のためにそんなに役に立ってくれたかい」
「ああ。アルノのもたらしてくれた情報によって何度、救われたか知れん。アルノは偉大な英雄だ」
「まさか、オグル史上最強の将とまで言われるあんたに『英雄』と呼んでもらえるなんてね。あの逃げまわってばかりだった息子がねえ。まるで、夢のようだよ」
「夢ではない。事実だ。今回もアルノが情報を届けくれたからこそ万全の状態で迎え撃つことが出来る。その息子を誇りに思うがいい」
「ああ、ありがとうよ、アルノス。あんたこそ、死んだりするんじゃないよ。必ず、生きて帰ってくるんだよ」
「礼を言う」
最善を尽くす。
短く、力強くそう言うと、オグル史上最強の将は立ちあがった。
オグルにほど近い山間の小さな村。
そこに、『ノールの弱虫工房』はある。人類防衛の切り札となった弱虫ボッツの生産工場である。そこでは今日もノールとシズー、若きふたりの恋人によって弱虫ボッツが生産されつづけている。
「おう、いるか。ノール、シズー」
陽気な声がして『永遠のガキ大将』ジャイボスが現れた。隣には腰巾着、もとい、参謀役のスタムもついている。
「ジャイボス、スタム! 久しぶりだね」
「本当、どれだけ振りかしら。いきなり、どうしたの?」
「なあに、いよいよ鬼部との最終決戦がはじまるんでな。ちいっとばかり、顔見せにきたってわけさ」
「……そう。いよいよなのね」
「……ジャイボス。僕には弱虫ボッツを作ることしか出来ない。でも、僕に出来ることはやり遂げるつもりだ。だから……」
「ガハハハハッ! 気を使うなよ。戦うのはおれさまに任せておけ。それより、ノール、シズー」
「なんだい?」
「結婚しろ」
「結婚⁉」
「い、いきなり、なにを……」
「いきなりもなにもとっくに夫婦みたいなもんだろ。ふたりでずっと工房をやりくりしてるんだからな。さっさとはっきりさせろと言ってるんだよ。それとも、なにか? この心の友たるおれさまを結婚式に招待しないつもりか?」
「ジャイボス⁉」
「……あなた、まさか、死ぬ気じゃ」
「ガハハハハッ! このおれさまが死んだりするわけないだろ。この戦いが終わればおれさまは英雄だ。モテモテのモテモテでもう帰ってこれなくなるってだけさ。なあ、スタム」
バンバン、と、相棒の背中を叩くジャイボスだった。
「う、うん……」
と、気弱そうにうなずくスタムだった。
「と言うわけで、おれさまがお前たちの結婚式に出られるのはいましかないんだ。と言うわけで、さっさと式をあげろ。おれさまが見届けてやる」
「う、うん……わかったよ、ジャイボス。シズー……」
「ええ……」
そうして急遽、ふたりの結婚式が執り行われた。着飾ったふたりが誓いの口づけを交わしたところで盛りあがりは最高潮に達した。その姿を見届け、ジャイボスとスタムは戻っていった。最後の戦場へと。
そして、戦いははじまる。
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