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一九章

その名はシチズンズ·ガ−ダ−

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 ジャックとビリーがオペラ座ノワールに付いたとき、劇場の正門前には異様な出で立ちの集団がたむろしておりました。全身を防護服に包み込み、手には最新鋭のアサルトライフル。全身のうち、素肌が露出しているところはひとつもありません。文字通りの完全武装でありました。
 頭部を覆う大型のヘルメットは後部に大きく伸びており、そのなかに最新の電子機器がぎっしり詰まっているのが容易に想像できます。軍の特殊部隊、と言うよりもいっそ、SF映画に出てくる超常能力部隊、と言った方がふさわしい、そんな集団でした。
 その異様な一団はいかにも高圧的な態度で人々に銃を向け、追い払っておりました。本来、劇場の前でこんな行為をされるなど迷惑千万なはず。支配人としては抗議のひとつもして追い払いたいところでしょう。ですが、その肝心の支配人は脇に追いやられ、オロオロするばかり。防護服に身を包んだ一団にアサルトライフルを突きつけられるとあっては、一般人たる身にはどうしようないのは致し方ありません。
 ジャックはその一団を認めると苦々しく吐き捨てました。
 「……死刑権解放同盟の実戦部隊、シチズンズ・ガーダーか」
 シチズンズ・ガーダー。
 それは、市民の安全を守るために死刑権解放同盟によって結成された、言わば自警団でありました。ですが、その名を告げるジャックの態度は幾重にも苦々しいものでありました。かの人の立場からすれば当然でありましょう。何しろ、このシチズンズ・ガーダー。自警団とは言いつつその任務は依頼対象の抹殺、つまりは殺し屋の集団なのですから。
 死刑権が万人に解放されている霧と怪奇の都。『殺されたくない? ならば、先に殺そう!』が死刑権解放同盟の信条。その死刑権解放同盟が正義であるこの霧と怪奇の都においては、『自分の身を守るため』と称して自分の気に入らない相手の抹殺を依頼するのは正当な権利なのでありました。
 ジャックは再び吐き捨てました。
 「……チッ。何が『危険人物を先に抹殺できるから市民の安全を保てる』だ。あいつらに依頼を出すやつは、自分だっていつ依頼の対象にされるかわからないってことがわかってねえ」
 ジャックの低い怒りを込めた呟きにビリーが応じました。こちらは徹底した技術畑の人間らしいあくまでも冷静な口調でありました。
 「そこはあれだ。『自分だけはどんなに速度を出して運転しても事故など起こさない』と信じるのと同じだ。そう思うのが人情だからこそ、我々はいかに交通事故が多くても車社会を維持することができるのだし、高速輸送の利便性を得ることができる。我々の社会を維持するための代償というものだ」
 チッ、と、ジャックは再び舌打ちしました。
 ビリーが機先を制するように声をかけました。
 「言っておくが、ジャック。シチズンズ・ガーダーの装備は世界中の特殊部隊のなかでも最高レベルだ。警察の装備で太刀打ちできる相手ではない。手出しするのは賢明とは言えないぞ」
 そう言うビリーの表情も、口調も、普段となんらかわるところはありませんでした。ですが、そのなかにほのかにジャックを気遣う様子が含まれているようでした。
 実はこれは大変なことなのです。ウィルマ・ベイカーともあろう者が他者を気遣う感情を表に出すなどと言うことは。それだけ、シチズンズ・ガーダーが危険な存在なのだと言うことでありました。
 分かってるよ、と、ジャックは吐き捨てました。
 「……しかし。しょせん、民間団体に過ぎないあいつらが何でそんなごつい装備を持てるんだ」
 「死刑権解放同盟への依頼は有料だからな。そして、霧と怪奇の都の市民のほとんどは何かあれば警察ではなく死刑権解放同盟を頼る。つまり、死刑権解放同盟には常に潤沢な資金があるわけだ」
 「チッ。警察に頼めば無料だってのによ」
 「警察は自分の気に入らない相手を殺してはくれないからな」
 ビリーはそう言ってからつづけました。
 「さて。そして、ここが重要な点だが、この霧と怪奇の都は科学者の集まる実験封鎖都市だ。金さえ払えば何でも作る科学者はいくらでもいる。と言うより、自分の技術を示したいがために自腹を切ってでも売り込みたい科学者たちが大勢いるわけだ。そんな科学者同士が何人も張り合い、自慢の技術を取り入れた新製品を次々と送り届けているのだ。世界中のどの軍よりも優れた装備を持つことになるのは必然だ」
 「だからって、町の自警団風情には必要ねえだろう。マシンガンのフルオート射撃を受けきれる特殊繊維防護服とか、戦車の装甲さえ貫く鉄鋼弾を撃てる特性アサルトライフルとかはよ」
 「必要なのではないか? 女子供の銃の携帯が義務づけられ、小学校で射殺訓練が行われ、金さえ払えば実弾付きの戦車さえ買って乗り回すことのできる、この都市においてはな」
 ビリーの言葉に――。
 ジャックは思い切り顔をしかめたのでした。
 それからジャックはのっそりと歩を進め、シチズンズ・ガーダーに近づいていきました。
 「……ジャック。わたしは言ったぞ。『シチズンズ・ガーダーに手出しするのは賢明な行為とは言えない』とな」
 分かってるよ、と、ジャックは繰り返しました。
 「手なんざ出さねえ。紳士らしく口でお帰り願うさ」
 その言葉にビリーは苦い溜め息をつきました。
 「……君は『賢明』という言葉とは対極にある生き物だったな」
 そう言いながらも上司の後についてシチズンズ・ガーダーに接近するビリーでありました。
 オペラ座ノワールの支配人、モンシャルマンはシチズンズ・ガーダーにライフルを向けられながらも何とか退散してもらおうと情理を尽くして説得しておりました。身を震わせ、脂汗を流しながら。
 何と言う勇気と使命感であったでしょう。
 外の世界であればいざ知らず、この霧と怪奇の都においては死刑権は万人に解放された権利、この場でシチズンズ・ガーダーがモンシャルマンを『死刑』にしたところで誰も罪に問われることはないのです。つまり、いつ殺されるかわからないという状況下でそれでも、自分の劇場を守るために体を張っているのです。モンシャルマン氏の勇気と使命感かどれほどのものか分かろうというものです。
 ――こいつあ、加勢してやらねえと男が廃るってもんだな。
 ジャックは舌なめずりしながらそう胸に誓いました。
 人の姿のハウンド・ドッグはシチズンズ・ガーダーを自らの獲物と定めたのです。それと察してビリーは絶望したでしょうか。いいえ、そんなことはありませんでした。ジャックがそうするであろうことはビリーにも最初からわかっていたことでありましたから。部下として、上司に着いていくだけのことでした。
 ――まあ、脳筋上司のサポートをするのが『解説ビリー』の役割、というものだからな。
 そう悟っているビリーでありました。
 「おい」と、ジャックはシチズンズ・ガーダーに声をかけました。
 ジャックが声をかけるよりも早く反応し、幾人かがライフルを向けていたのはさすがの反応速度と言うべきでした。それのみならず、他の隊員たちまでが反応し、全方位に銃口を向け、警戒態勢をとったのです。
 ひとりが囮となって注意を引き、その隙に別方向から仲間が襲いかかる。
 その戦術に対抗するための体勢でした。即座にそれだけの体制をしけるあたり、シチズンズ・ガーダーの練度は世界中のどんな国の、どんな特殊部隊にも劣らないものと言えるでしょう。
 幾つものライフルを向けられてもジャックは怯むことはありませんでした。
 『おれの体はおれのものじゃねえ。安全を守るべき市民たちのもんなんだ。自分の体じゃねえんだからどうされようと痛くも何ともねえんだよ』
 と言うのがジャックの信条。である以上、この場でライフルを発射され、蜂の巣にされたところで惜しむべきなにものもないのでした。
 ひとり、ライフルの群れに対していたモンシャルマン氏は警察署長の登場にいささかホッとしたようでした。かすかな希望の光を見出したようにジャックに視線を向けます。ジャックはその視線を向けて『ニヤリ』と笑って見せました。
 決してハンサムとか、美形とか言うのではない、野太くて野性的な笑み。ですが、そのなかにどこか人を安心せるものを含んだ表情。そんな笑いでありました。
 ジャックはシチズンズ・ガーダーに向き直りました。
 「霧と怪奇の都警察署長ジャック・ロウだ」
 「警察?」と、隊長票をつけたひとりが言いました。
 他の誰も一言も喋ろうとせず、ライフルを構えたまま厳戒態勢をとり続けているのは見事としか言いようのない統制振りでありました。
 隊長はようやく思い出したように呟きました。
 「ああ。犯罪応援団か」
 大きなヘルメットをかぶっているので顔も表情も一切うかがい知ることはできません。ですが、それにしても、何と言う冷徹な声であったことでしょう。冷静という言葉ではとうてい足りない、あらゆる感情を置き去りにしたかのような無機的な声。ジャックが生まれついての猟犬なら、この隊長は完璧に訓練された軍用犬と言えたでしょう。死刑権解放同盟の人間ならば持っていなければおかしい、警察に対する蔑みの念すら感じさせない、それほどまでに感情を制御する術を身につけているのですから。
 「犯罪応援団じゃねえ。警察だ」
 ジャックはそう注意してからつづけました。
 「この件は警察が受け持つ。お前ら、犯罪恐怖症はさっさと帰ってママのおっぱいでもしゃぶってな」
 ジャックの挑発に対し、隊長はあくまでも冷徹な口調で答えました。
 「そうはいかん。テオドラ卿から正式に依頼を受けた。この件は我々が解決する」
 「ほう?」と、ジャックはニヤリとした笑いを浮かべました。
 「死刑権解放同盟の事務所はテオドラなんて知らない、来ていないの一点張りだったがねえ。やっぱり、お前さんたちの所へ転がり込んでいたわけだ」
 チッ、と言う舌打ちの音がヘルメットの奥深くから聞こえた気がしたのは、はたして気のせいだったでしょうか。
 「いいか。こいつは市民の安全が懸かったれっきとした事件だ。警察の仕事であって民間の自警団の出る幕じゃねえ。クリス嬢はおれたちが助ける。犯人は逮捕する。お前たちは引っ込んでろ」
 「市民の安全を守ると言うならそれこそ我々シチズンズ・ガーダーの役目だ。犯罪応援団こそ引っ込んでいろ」
 「市民の安全を守る? お前たちの言う『守る』ってのは殺すってことか?」
 「危険人物は殺す。そうしてこそ安全は保たれる。きさまら犯罪応援団のように一時的に監禁するだけでは、出所後に復讐される怖れにつきまとわれる。そのような恐怖を善良な市民に与えないためにこそ、我々は危険人物を抹殺するのだ」
 「いつ、誰に殺されるかわからないという恐怖と引き替えに、か?」
 「ふん」と、隊長は鼻を鳴らしました。
 「しょせん、きさまら犯罪応援団と話が成立するとは思っていない。これ以上、構っている時間もない。きさまはきさまで勝手にするがいい。我々の邪魔をしないなら手は出さん。邪魔をするならもろともに殺す。それだけだ」
 隊長はそう言うと隊員たちに指示を下しました。ただひとつの言葉もない。わずかな身振りだけで船員が即座に反応し、音もなく劇場内に突入したのです。ジャックでさえ思わず感心してしまうほどの練度の高さでありました。
 シチズンズ・ガーダーが劇場のなかに入っていったあと、不安そうな表情を浮かべてモンシャルマン氏がジャックに近づきました。
 「……刑事さん」
 ジャックはモンシャルマン氏を安心させるためにいつもの野太い笑みを浮かべました。
 「安心しな、支配人さん。あいつらに劇場は傷ひとつ付けさせねえよ」
 その一言だけでモンシャルマン氏が安堵の表情を浮かべたのは紛れもなく、人を安心させるジャックの笑みの効能というものでありました。
 モンシャルマン氏を安心させておいて、ジャックはビリーに向き直りました。
 「さあ、行くぞ、ビリー。やつらに獲物は渡さねえ」
 その言葉を受けて――。
 ビリーは『やれやれ』と首を横に振ったのでした。
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