劇場の闇に潜む怪人は、機械仕掛けの歌姫に愛を捧げる

藍条森也

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二〇章

地下通路は人を殺すパズルのように

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 「……どうりで、前に見たときはなんにも見つけられなかったわけだぜ。まさか、図面とつら、付き合わせて、おまけにルーペで見なくちゃ分からねえほど壁と一体化しているとはな」
 劇場の奥深く、以前、ドクロ顔の怪人がクリス嬢と共に消えたその場所で、ジャックはそう呟きました。そこにある、と言うよりも、あるはずの隠し扉と壁との境目は人の目で分かるようなものではありませんでした。
 指で触ってみてもまるで段差を感じることはできません。図面と比べて『ある』と分かっている場所を大型のルーペでジッと観察してようやくわかる。それほどまでに壁と一体化した隠し扉でありました。そんな隠し扉を作るために一体どれほどの技術が必要となることか。
 ジャックの声に忌々しさと共にかすかな感嘆の思いが混じっていたのも無理からぬ事でありました。
 「……さすがだ」と、こちらは感嘆の思いを隠す気もなくうっとりした様子でビリーが呟きました。
 「わたしでさえ、この場に隠し扉があると知らなければまったく気付くこともなく通り過ぎていただろう。こんなにも完璧に扉を隠せるとは、エイリーク翁の技術はまさに神業だな」
 「チッ。何が神業だよ。いくら隠し扉だからってここまで分からなくする必要はねえだろう」
 ジャックの感想はこの世の大多数にとってもっともなものであったでしょう。ですが、その一言はビリーの眉間に稲妻を走らせる結果となったのです。
 「無礼な! 技術の神に捧げる仕事を何と心得る!」
 「な、なんだ……?」
 ビリーの勢いに思わず気圧されるジャックでありました。
 「いいか、よく聞け。職人の仕事というものは『必要かどうか』などと言う俗なレベルで語られるべきものではない。必要なくてもいい。オーバークオリティでもいい。技術の神に捧げるべく己の全身全霊を傾けて質を追求する。そこにこそ職人の魂というものが……」
 「わ、わかった、わかったからもう黙れ」
 「いいや、分かっていない。そこに座れ。基礎からじっくり聞かせてやろう」
 「あほか! おれたちは見物にきたんじゃねえ! クリス嬢を助けに行くんだぞ。そんなことしてたらクリス嬢があの爺にどうされるか分からねえだろうが」
 ジャックに怒鳴られてビリーは憑き物が落ちたような表情を見せました。メガネの奥の大きな目を見開くと、手を口元に当てて『こほん』と咳払いしたものです。
 「……それもそうだったな。いや、失礼した」
 ――ほっ、こいつでも一応『人命尊重』の常識はあるんだな。
 ジャックはそう思って安心しました。
 ビリーは世の絶対真理を説くがのごとく語りました。
 「レクチャーすべき生徒は多い方がいい。クリス嬢を早く助け出して、ふたり揃って講義するとしよう」
 結局、ただの機械オタクかよ!
 思わず全力で突っ込むジャックでありました。
 霧と怪奇の都警察の名物コンビの漫才はともかく、事態はけっこう深刻、と言うより、深刻であるはずでした。何しろ、うら若い乙女が謎の怪人にさらわれ、死刑権解放同盟の実戦部隊までがすでに先行して劇場の地下世界に突入してるのです。このままでは何が起こるかわかりません。クリス嬢をさらった者がかの人をどうする気なのかも知れません。死の危険がないとは言えないのです。
 例え、殺す気がないにしてもね生きているだけでは意味がないのは分かりきったことでございます。非道な犯罪者の手に落ちたうら若き乙女の運命は、誰しも簡単に想像が付くことでありましょう。
 そして、シチズンズ・ガーダー。
 かの人たちの存在も見過ごせません。一応『さらわれたクリス嬢を助ける』という点では目的を同じくしています。ですが、何しろ『市民の安全を守るために危険人物を抹殺する』ことを使命とする部隊。『犯罪者の抹殺』を優先するあまり、クリス嬢を見殺しにする、あるいはさらに問題なことに巻き添えにすると言うことも十二分にあり得るのです。そんなことになればクリス嬢は……。
 ――そんなことにはさせねえ。
 ジャックは心にそう誓いました。
 「市民の安全を守ることは警察の義務だ。警察の誇りに懸けてクリス嬢は無事、助け出してみせる」
 先ほどまでビリーとふたり、漫才を繰り広げていた姿はもはやどこにもありません。そこにいたのは完璧に訓練された猟犬、人の姿のハウンド・ドッグでありました
 ジャックは隠し扉を開き、なかに一歩、入りました。その後ろからビリーが続きます。
 「……意外だな。こんな通路だからさぞかしかび臭い、空気のどんよりした場所だと思ったのに、そんな感じは全然しない。いやな匂いもしなければ、よどんだ気配もない」
 「うむ。それどころか、ほのかな風さえ吹いているようだ。これほど入り組んだ隠し通路にここまで空調を効かせることができるとは。通路の配置、空気の流れ、それらについて徹底的にこだわり、計算に計算を重ね、設計したにちがいない。これほど精緻な配置ができると言うだけでもエイリーク翁の才能の偉大さがわかるというものだな」
 「でっ、ここからどこに行けばいいんだ?」
 「まってくれ。いま、確かめる」と、ビリーは愛用の携帯端末を操作しました。すぐに歓喜に満ちた声があがりました。
 「おお! これはすごい」
 「どうした⁉」
 「いま、この先の通路でものすごい速度で通路の組み替えが行われている!」
 「何だと? どういうことだ?」
 「だから、通路の組み替えが行われているのだ。通路と通路の接続がかわり、まったくちがう姿へと変貌しようとしている。しかも、一時も休むことなく刻一刻と変貌しているのだ。まるで、生物の細胞が休むことなく入れ替わりつづけるようにな。先に突入したシチズンズ・オーダーを撃退するためだろうが、いやはや、よくぞここまで見事な細工を施していたものだ」
 「感心してる場合か! じゃあ、おれたちはどうやって進んでいったらいいんだ」
 ビリーはかの人にしてはめずらしく、少女のような胸を『ドン!』と力強く叩いて見せました。
 「任せろ。これほど見事な細工を見せられては後に引くわけには行かん。このウィルマ・ベイカー、必ずやエイリーク翁の仕掛けに挑戦し、打ち破って見せようぞ」
 突然、侍か何かのような口調になってしまうビリーでありました。
 「よし。頼むぞ」
 ジャックは迷うことなく言いました。ビリーの能力に関しては全面的な信頼を寄せているのです。
 「うむ。任された。では、まずはこの先の交差点まで進むとしよう」
 ビリーもすっかり乗り気で進んでいきます。
 ビリーの案内にそってジャックは隠し通路の奥へおくへと進んでいきました。それは何と複雑な道のりであったことでしょう。曲がって、下って、上って、来た道を引き返し、また、進み……その繰り返し。ジャックのビリーに対するほどの信頼がなければその複雑すぎる道のりに苛立ち『おい、本当にこれでいいのか』などと怒鳴り散らし、争いになっていたにちがいありません。ふたりがそんなことにならずにすんだのはひとえに、ビリーに対するジャックの信頼の厚さ故でした。
 ジャックとビリーはさらに進んでいきます。もし、この通路の空気が当初、ジャックが予想した通りのどんよりと淀みきったかび臭いものであったなら、ここに来る半分もしないうちに酸素欠乏に陥り、倒れていたことでしょう。完璧に計算され尽くした通路であればこそ、常に新鮮な空気が供給され、倒れずに進めるのです。
 さらに進むとむっとするような血の匂いが漂ってきました。
 ――まさか、クリス嬢が……!
 一瞬、根そう思いましたが、そうではないことはすぐに分かりました。ジャックは根っからの刑事です。刑事として人の体に含まれる血の量がどれほどのものかは把握しております。この先から漂ってくる血の匂いはひとり分にしてはあまりにも強く、濃密すぎるものでした。この場においてこれほどの量の血を流すものと言えば……。
 「……ゆっくり行くぞ、ビリー」
 ジャックは信頼する相棒にそう言いました。
 「……下手に急ぐとこっちまて巻き込まれる」
 言葉通り、ふたりはそろそろと進んでいきました。そして、その場にたどり着いたとき、ジャックは自分が予想した通りの光景を見たのです。それは、全身から血を流し、床に倒れ伏すシチズンズ・ガーダーたちの姿でした。
 『戦車砲の砲弾さえ受けとめる』とまで言われる最新鋭の防護服。その防護服に穴を開け、なかの肉体を破壊したもの。それは紛れもなく、かの人たち自身のライフルから発射された銃弾でありました。
 「……ちっ。バカどもが。こんなところで同士討ちかよ」
 ジャックは無念さを込めて呟きました。
 いくら死刑権解放同盟を嫌っているとは言え、このような結果を望んでいたわけではありません。死刑権解放同盟もまちがいなく霧と怪奇の都の市民。霧と怪奇の都の市民は誰であれ守る。それが警察というものでありました。そして、何よりも――。
 ジャックその人の信条でありました。
 「……無理もないな」
 ビリーが言いました。
 「この複雑な道のりをいつ果てるともなく進んでいかなくてはならないのだ。徐々に気分が害され、互いに争いあうようになるのも無理はない」
 「おれはそんなことになってねえぞ」
 「それは、君がわたしを信頼してくれているからだ。わたしを信頼し、わたしのナビゲートに従ってくれている。だから、安定した精神を保っていられる。正直なところ、そこまで信頼してくれているとは思わなかった。嬉しく思うぞ」
 「……当たり前だろ。お前はおれの相棒なんだからな」
 ジャックは照れたようにそっぽを向くと、頬を赤くしながらそう呟きました。
 その言葉にビリーは嬉しそうに微笑みました。
 「ふふ。感謝するぞ、相棒」
 「……ふん」
 ジャックは鼻を鳴らしました。改めて、もう二度と自力では動くことのないシチズンズ・オーダーたちを見下ろしました。
 「……数が少ないな。こいつら、もっといただろう」
 「ああ。隊長票を付けた個体もいない。おそらく、この者たちは本隊からはぐれた部隊だろう。迷子になって心細くなったところに閉塞感がぶつかり、この惨事を招いた、と言うところだろうな」
 「……ってことは、他のやつらはまだ生きているのか」
 「その可能性はあるな」
 言われてジャックはうなずきました。
 「急ぐぞ、ビリー。これ以上、市民に犠牲を出すわけにはいかねえ」
 「相手が死刑権解放同盟でもか?」
 「市民は市民だ」
 ジャックはきっぱりと言い切ります。
 ビリーは嬉しそうにうなずきました。
 「心得た、警察署長殿」
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