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第二話 鷹子の庭園
いとこの少年
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「シャアアアッ!」
裂帛の気合いと共に繰り出された肘が、燃えるような赤毛のクマの胸元に吸い込まれる。しかし、クマはいささかも揺るがない。その巨体をそびやかせ、両腕をあげ、唸りをあげて威嚇してくる。
しかし、その野性の唸りを受けて、鷹子はむしろ、楽しげだった。
――さすが!
心のなかでそう思い、ニヤリと笑ってみせる。
――こうでなくっちゃせっかく鍛えたこの武術、使う甲斐がないものね。
鷹子は二一歳の女性としては背が高い。身長は一七〇センチを超えている。日々の畑仕事のおかげで体格もたくましい方だ。しかし、もちろん、この巨大な赤毛熊に比べればほんのこびと。華奢でひ弱な小動物に過ぎない。
身長で三〇センチ以上、体重にいたっては二〇〇キロ以上の差があるだろう。それだけの体格差がありながらなお、鷹子はその身ひとつで戦っている。立ち向かっている。銃はおろか、ナイフ一本もっていない。
武器とするものは己の肉体。
そして、修行の果てに身につけた古武術・鬼式。
あとは――。
「勇気だけってね!」
鷹子は楽しげにそう笑うと、膝を曲げて身を沈めた。そのまま回転し、地を這うような回し蹴りを放った。男物のゴツい登山靴を履いた爪先が、草を刈る鎌のように弧を描いてクマの足元を払った。
相手が人間ならその一撃で足の骨を砕かれ、転倒し、痛みにのたうちまわる。それほどの一撃。しかし、相手は人間ではない。堅牢な毛皮、分厚い筋肉、野太い骨によって支えられた怪物。
その一撃を受けてもいささかも揺らぐことはなく、痛みすらも感じていない様子で、鷹子を睨みつけている。
火炎熊。
羆の遺伝子をベースに、どこかのバイオハッカーによって作られた合成生物。名前の由来となったその燃えるような赤毛は、緑なす森のなかにあってひときわ目立つ。
その遺伝子はネット上に公開されており、バイオ3Dプリンタさえあれば、誰でもその遺伝子をダウンロードして作り出すことができる。そのために、たわむれに生みだしては森に捨てるいたずらものが後を絶たない。
その力と凶暴さをもって、政府から駆除対象として指定されている合成生物――魔獣のの一種である。
火炎熊が丸太のような腕を振るった。
暴風を立てて猛々しい爪牙が鷹子に襲いかかる。鷹子はとんぼを切って跳んだ。鮮やかな後方宙返りで攻撃をかわし、距離をとった。
そこへ、火炎熊が突進する。
目には怒りの炎をたぎらせて、牙にはヌラヌラと光る唾液をつけて。
鷹子は着地したと思った瞬間、再び跳んでいた。突進する火炎熊の背に飛び乗っていた。
すべてをお膳立てされたアクション俳優でさえこうはいかない。
そう思えるほどの動き。
首筋にまたがり、その太い両腕を両足でしっかりはさむ。
火炎熊は不埒な獲物を振り落とそうと立ちあがった。
上を向いた。
吠えた。
大きく口を開いた。
それが命取りとなった。鷹子の右腕が電光の勢いで火炎熊の口のなかに叩き込まれる。そのまま内部を斬り裂いて心臓に至り、握りつぶす。
――鬼式闘技・熊落とし。
その名の通り、素手で熊と戦い、倒すために編み出された技である。
鷹子は握りつぶした心臓を引きちぎると、右腕を引き抜いた。
――ごああああっ!
巨大なクマが断末魔の叫びをあげた。
口から大量の血を噴き出した。そのまま――。
後ろに倒れ込んだ。
重々しい音を立ててクマの巨体が森の上に倒れ込む。もちろん、そのときにはすでに鷹子の姿はクマの背にはない。素早く飛び退き、地上に降りている。
「ふう」
と、鷹子は一息をついた。
手にした心臓をそっとクマの身の上に置いた。いくら魔獣と呼ばれる駆除対象であっても森の生き物。それも、人間の勝手な都合で生み出され、勝手に野に放たれた存在。雑に扱うわけにはいかなかった。
――殺す相手だからこそ常に敬意をもち、鬼手仏心をもって行うべし。
それが、古武術・鬼式の教え。鷹子はその教えに忠実だった。
両腕を胸の高さにあげ、左手の平に右拳を合わせて黙祷する。敬意を込めて短い祈りの言葉を唱える。
「お疲れさまです、マスター」
サポートロボットのダイダが声をかけた。
ウエットタオルを差し出した。
「ありがとう」
鷹子はそう言ってタオルを受けとると、クマの血でずぶ濡れになった右腕を拭いた。
「それにしても、マスターの戦い方は理解に苦しみます。なぜ、武器を使わないのです?」
ダイダはそう尋ねた。
サポート用のロボットとは言っても、いわゆるAIとはちがう。マスターの命令に従い、マスターのサポートは行うが、あくまでもそのために特化したプログラム。人と同じ姿をしてはいるが、人の心をもっているわけではない。人に似せる必要もないので、昔のSF映画に出てくるような金属むき出しの体である。
鷹子は清潔感のあるショートカットの髪をかきあげた。一七〇センチを超える長身は全身がしなやかなヤナギのようで、体幹に一本、ピシッと芯が通っている。立っているだけでもその立ち姿が美しく見えるし、歩いてみせればなお美しい。きわだった美女、と言うわけではないが、アスリート特有の力強いセクシーさがある。
鷹子はサポートロボットの質問に答えた。
「銃は弾切れすることがある。刃物は刃こぼれすることがある。自分自身の身が一番、信用できるのよ」
「マスターの身は食いちぎられることがあります」
「そうさせないためのサポートロボットでしょ」
「私にマスターのかわりに餌食になれと? 無慈悲なお方だ」
「……あんた、本当にただのプログラム? ときどき、実は人間と同じ心をもってるんじゃないかって感じるときがあるんだけど?」
「そのようにプログラムされているだけです。人の心など、私には存在しません」
「そう? それならそれで、もっと素直に、機械的に作ればよかったと思うんだけど」
「人間は、あまりにも機械的な相手には却って不愉快になるという調査結果が出ております」
「そうなの? まあ、いいわ。だったら、文句言わずにサポートロボットの仕事をして。まずは、このクマの体を庭園まで運んで」
「承知いたしました。マスター」
ダイダはそう答えると、クマの肉が劣化しないよう、速やかに冷凍処置を施した。それから、ロボットらしい怪力を発揮して火炎熊の巨体を軽々と持ちあげる。
「今夜はみんなでクマパーティーね」
鷹子はウキウキした口調で言った。
クマは全身、余すことなく利用される。肉や内臓を食べるのはもちろん、毛皮は防寒具や敷物になるし、血は小腸につめて、茹でて、ソーセージにする。脳みそも食べる。マスの白子のようで、好きなものは生のまま、塩をつけて食べる。
「おばあちゃんは、クマの脳みそ寿司が好きだもんね」
と、鷹子は古武術・鬼式の師範であり、道場主でもある祖母のことを思い出し、クスクス笑った。
火炎熊も合成生物とは言え、クマはクマ。全身が同じように利用できる。政府に認められた駆除対象と言うことで捕殺すれば賞金が出るし、実戦の訓練ともなる。鷹子としてはある意味、とてもありがたい相手である。
「とは言え、屋敷の住人に被害が出るような結果になったら、そんなことは言っていられないけどね」
庭園付きの屋敷を経営し、屋敷に住まう人々の世話をするオーナーメイド。そのオーナーメイドである鷹子には、屋敷の住人たちの安全を守る義務と責任がある。探索者の資格を手に入れたのもそのため。バイオハッカーたちの手によって合成生物が放され、日々、変わりつづける生態系を調査し、駆除対象として指定された生物を狩ることを生業とする探索者に。
すべてはオーナーメイドとして周辺の危険生物を排除し、住民の安全を守るためである。
「マスターの場合、オーナーメイドととしての役割より、探索者としての業務の方がメインになっています」
ダイダがさりげなくツッコむ。
鷹子は、思わず顔をしかめた。
「それは仕方ないでしょ。うちの庭園には武術の道場もあるし、屋敷の住人だって、昔っからアスリートや格闘家ばっかりなんだから。血の気の多い連中に囲まれて育てば、こうもなるわよ」
「その意見は論理的ではないと判断できます」
「ああ、もういいから! とにかく、さっさと運んで!」
忠実なサポートロボットであるダイダは、言われたとおり、火炎熊の巨体を運びつづける。やがて、庭園のまわりを取り囲む緩衝林に入った。
野生生物と共存するコツは棲みわけにある。共存だのなんだの言ってみたところで、人間が野性動物に襲われる結果になればそんなことは言っていられない。そんなことにならないようお互いの縄張りを守り、徹底的に棲みわける。
それが、人間が野性動物と共存していく唯一の方法。
そのために、庭園のまわりには緩衝林が設けられ、そこには防護服を着た忠実なイヌの警備員たちが巡回している。その警備犬たちに囲まれて、まだ一一~一二歳と見える少年がいた。鷹子はその少年の姿を認めると『やれやれ、またか』と言いたげな表情になった。
「こら、よしこちゃん。あんたは、まだひとりで外に出ちゃダメでしょ」
「よしこちゃんって呼ぶな! おれの名前は揚子虎だ!」
「はいはい。まったく、おばさんたちも罪な名前をつけたものよね。『よしこ』なんて女の子みたいな名前にするなんてね。おかげで、小さい頃から、からかわれて大変だったでしょ、よしこちゃん」
「そうやって、一番からかってるのはお前だろ!」
「ああ、そうだっけ? 忘れちゃったなあ」
と、鷹子はすっとぼけた。
「デカくて、怪力で、物覚えも悪いって、マジでゴリラ女だな。嫁のもらい手ねえぞ」
「そういうこと言うのは、この口か⁉」
鷹子は揚子虎の口に指を引っかけ、思いきり左右に引っ張った。
「いだい、いだい」
と、揚子虎が涙目になる。
そんなふたりのやりとりを見て、ダイダが冷ややかに告げた。
「マスター。そのやり取りは今回で二〇九八回目です」
「いちいち、数えなくていい!」
鷹子はそう叫ぶと、揚子虎の口から指を放した。改めて、祖父母を同じくする一二歳のいとこの少年を見やった。
「それで? よしこちゃん。あんた、なにしにここまで出てきたの?」
「な、なにしにって……お前が駆除対象の獣を狩りに出かけたって聞いたから、手伝ってやろうと思って……」
「それなら、もう終わったわよ」
と、鷹子は忠実なサポートロボットであるダイダの抱える巨大な肉の塊を指さした。
「ってゆうか、そんな理由なら、なおさら出てきちゃダメでしょ。あんたはまだ非力な子どもなんだから」
「子ども扱いするなっ! おれだって立派な鬼式の使い手なんだ。獣なんかに負けるもんかっ!」
その途端――。
一切の予備動作もなく、音すら立てることなく、鷹子の足が跳ねあがった。ゴツい登山靴を履いた爪先が揚子虎のみぞおちに叩き込まれた。
「グハッ!」
人体の急所をしたたかに蹴られ、揚子虎は息を吐き出した。みぞおちを押さえて、その場にうずくまった。
鷹子は冷ややかとも言える口調で事実を指摘した。
「いまの蹴りも防げないようじゃあ、『鬼式の使い手』とは言えないわね。背伸びしたい年頃なのはわかるけど、実力もないくせにイキがると早死にするわよ」
「く、くそっ……」
揚子虎は苦しそうにみぞおちを押さえたまま、涙のたまった目で鷹子を見上げた。悔しそうに呟くと、そのまま身をひるがえして庭園の方に駆けていった。
「マスター。いまの仕打ちは感じやすい年頃の少年には少々、キツかったのでは?」
ダイダの言葉に鷹子は短く答えた。
「死ぬより、マシでしょ」
裂帛の気合いと共に繰り出された肘が、燃えるような赤毛のクマの胸元に吸い込まれる。しかし、クマはいささかも揺るがない。その巨体をそびやかせ、両腕をあげ、唸りをあげて威嚇してくる。
しかし、その野性の唸りを受けて、鷹子はむしろ、楽しげだった。
――さすが!
心のなかでそう思い、ニヤリと笑ってみせる。
――こうでなくっちゃせっかく鍛えたこの武術、使う甲斐がないものね。
鷹子は二一歳の女性としては背が高い。身長は一七〇センチを超えている。日々の畑仕事のおかげで体格もたくましい方だ。しかし、もちろん、この巨大な赤毛熊に比べればほんのこびと。華奢でひ弱な小動物に過ぎない。
身長で三〇センチ以上、体重にいたっては二〇〇キロ以上の差があるだろう。それだけの体格差がありながらなお、鷹子はその身ひとつで戦っている。立ち向かっている。銃はおろか、ナイフ一本もっていない。
武器とするものは己の肉体。
そして、修行の果てに身につけた古武術・鬼式。
あとは――。
「勇気だけってね!」
鷹子は楽しげにそう笑うと、膝を曲げて身を沈めた。そのまま回転し、地を這うような回し蹴りを放った。男物のゴツい登山靴を履いた爪先が、草を刈る鎌のように弧を描いてクマの足元を払った。
相手が人間ならその一撃で足の骨を砕かれ、転倒し、痛みにのたうちまわる。それほどの一撃。しかし、相手は人間ではない。堅牢な毛皮、分厚い筋肉、野太い骨によって支えられた怪物。
その一撃を受けてもいささかも揺らぐことはなく、痛みすらも感じていない様子で、鷹子を睨みつけている。
火炎熊。
羆の遺伝子をベースに、どこかのバイオハッカーによって作られた合成生物。名前の由来となったその燃えるような赤毛は、緑なす森のなかにあってひときわ目立つ。
その遺伝子はネット上に公開されており、バイオ3Dプリンタさえあれば、誰でもその遺伝子をダウンロードして作り出すことができる。そのために、たわむれに生みだしては森に捨てるいたずらものが後を絶たない。
その力と凶暴さをもって、政府から駆除対象として指定されている合成生物――魔獣のの一種である。
火炎熊が丸太のような腕を振るった。
暴風を立てて猛々しい爪牙が鷹子に襲いかかる。鷹子はとんぼを切って跳んだ。鮮やかな後方宙返りで攻撃をかわし、距離をとった。
そこへ、火炎熊が突進する。
目には怒りの炎をたぎらせて、牙にはヌラヌラと光る唾液をつけて。
鷹子は着地したと思った瞬間、再び跳んでいた。突進する火炎熊の背に飛び乗っていた。
すべてをお膳立てされたアクション俳優でさえこうはいかない。
そう思えるほどの動き。
首筋にまたがり、その太い両腕を両足でしっかりはさむ。
火炎熊は不埒な獲物を振り落とそうと立ちあがった。
上を向いた。
吠えた。
大きく口を開いた。
それが命取りとなった。鷹子の右腕が電光の勢いで火炎熊の口のなかに叩き込まれる。そのまま内部を斬り裂いて心臓に至り、握りつぶす。
――鬼式闘技・熊落とし。
その名の通り、素手で熊と戦い、倒すために編み出された技である。
鷹子は握りつぶした心臓を引きちぎると、右腕を引き抜いた。
――ごああああっ!
巨大なクマが断末魔の叫びをあげた。
口から大量の血を噴き出した。そのまま――。
後ろに倒れ込んだ。
重々しい音を立ててクマの巨体が森の上に倒れ込む。もちろん、そのときにはすでに鷹子の姿はクマの背にはない。素早く飛び退き、地上に降りている。
「ふう」
と、鷹子は一息をついた。
手にした心臓をそっとクマの身の上に置いた。いくら魔獣と呼ばれる駆除対象であっても森の生き物。それも、人間の勝手な都合で生み出され、勝手に野に放たれた存在。雑に扱うわけにはいかなかった。
――殺す相手だからこそ常に敬意をもち、鬼手仏心をもって行うべし。
それが、古武術・鬼式の教え。鷹子はその教えに忠実だった。
両腕を胸の高さにあげ、左手の平に右拳を合わせて黙祷する。敬意を込めて短い祈りの言葉を唱える。
「お疲れさまです、マスター」
サポートロボットのダイダが声をかけた。
ウエットタオルを差し出した。
「ありがとう」
鷹子はそう言ってタオルを受けとると、クマの血でずぶ濡れになった右腕を拭いた。
「それにしても、マスターの戦い方は理解に苦しみます。なぜ、武器を使わないのです?」
ダイダはそう尋ねた。
サポート用のロボットとは言っても、いわゆるAIとはちがう。マスターの命令に従い、マスターのサポートは行うが、あくまでもそのために特化したプログラム。人と同じ姿をしてはいるが、人の心をもっているわけではない。人に似せる必要もないので、昔のSF映画に出てくるような金属むき出しの体である。
鷹子は清潔感のあるショートカットの髪をかきあげた。一七〇センチを超える長身は全身がしなやかなヤナギのようで、体幹に一本、ピシッと芯が通っている。立っているだけでもその立ち姿が美しく見えるし、歩いてみせればなお美しい。きわだった美女、と言うわけではないが、アスリート特有の力強いセクシーさがある。
鷹子はサポートロボットの質問に答えた。
「銃は弾切れすることがある。刃物は刃こぼれすることがある。自分自身の身が一番、信用できるのよ」
「マスターの身は食いちぎられることがあります」
「そうさせないためのサポートロボットでしょ」
「私にマスターのかわりに餌食になれと? 無慈悲なお方だ」
「……あんた、本当にただのプログラム? ときどき、実は人間と同じ心をもってるんじゃないかって感じるときがあるんだけど?」
「そのようにプログラムされているだけです。人の心など、私には存在しません」
「そう? それならそれで、もっと素直に、機械的に作ればよかったと思うんだけど」
「人間は、あまりにも機械的な相手には却って不愉快になるという調査結果が出ております」
「そうなの? まあ、いいわ。だったら、文句言わずにサポートロボットの仕事をして。まずは、このクマの体を庭園まで運んで」
「承知いたしました。マスター」
ダイダはそう答えると、クマの肉が劣化しないよう、速やかに冷凍処置を施した。それから、ロボットらしい怪力を発揮して火炎熊の巨体を軽々と持ちあげる。
「今夜はみんなでクマパーティーね」
鷹子はウキウキした口調で言った。
クマは全身、余すことなく利用される。肉や内臓を食べるのはもちろん、毛皮は防寒具や敷物になるし、血は小腸につめて、茹でて、ソーセージにする。脳みそも食べる。マスの白子のようで、好きなものは生のまま、塩をつけて食べる。
「おばあちゃんは、クマの脳みそ寿司が好きだもんね」
と、鷹子は古武術・鬼式の師範であり、道場主でもある祖母のことを思い出し、クスクス笑った。
火炎熊も合成生物とは言え、クマはクマ。全身が同じように利用できる。政府に認められた駆除対象と言うことで捕殺すれば賞金が出るし、実戦の訓練ともなる。鷹子としてはある意味、とてもありがたい相手である。
「とは言え、屋敷の住人に被害が出るような結果になったら、そんなことは言っていられないけどね」
庭園付きの屋敷を経営し、屋敷に住まう人々の世話をするオーナーメイド。そのオーナーメイドである鷹子には、屋敷の住人たちの安全を守る義務と責任がある。探索者の資格を手に入れたのもそのため。バイオハッカーたちの手によって合成生物が放され、日々、変わりつづける生態系を調査し、駆除対象として指定された生物を狩ることを生業とする探索者に。
すべてはオーナーメイドとして周辺の危険生物を排除し、住民の安全を守るためである。
「マスターの場合、オーナーメイドととしての役割より、探索者としての業務の方がメインになっています」
ダイダがさりげなくツッコむ。
鷹子は、思わず顔をしかめた。
「それは仕方ないでしょ。うちの庭園には武術の道場もあるし、屋敷の住人だって、昔っからアスリートや格闘家ばっかりなんだから。血の気の多い連中に囲まれて育てば、こうもなるわよ」
「その意見は論理的ではないと判断できます」
「ああ、もういいから! とにかく、さっさと運んで!」
忠実なサポートロボットであるダイダは、言われたとおり、火炎熊の巨体を運びつづける。やがて、庭園のまわりを取り囲む緩衝林に入った。
野生生物と共存するコツは棲みわけにある。共存だのなんだの言ってみたところで、人間が野性動物に襲われる結果になればそんなことは言っていられない。そんなことにならないようお互いの縄張りを守り、徹底的に棲みわける。
それが、人間が野性動物と共存していく唯一の方法。
そのために、庭園のまわりには緩衝林が設けられ、そこには防護服を着た忠実なイヌの警備員たちが巡回している。その警備犬たちに囲まれて、まだ一一~一二歳と見える少年がいた。鷹子はその少年の姿を認めると『やれやれ、またか』と言いたげな表情になった。
「こら、よしこちゃん。あんたは、まだひとりで外に出ちゃダメでしょ」
「よしこちゃんって呼ぶな! おれの名前は揚子虎だ!」
「はいはい。まったく、おばさんたちも罪な名前をつけたものよね。『よしこ』なんて女の子みたいな名前にするなんてね。おかげで、小さい頃から、からかわれて大変だったでしょ、よしこちゃん」
「そうやって、一番からかってるのはお前だろ!」
「ああ、そうだっけ? 忘れちゃったなあ」
と、鷹子はすっとぼけた。
「デカくて、怪力で、物覚えも悪いって、マジでゴリラ女だな。嫁のもらい手ねえぞ」
「そういうこと言うのは、この口か⁉」
鷹子は揚子虎の口に指を引っかけ、思いきり左右に引っ張った。
「いだい、いだい」
と、揚子虎が涙目になる。
そんなふたりのやりとりを見て、ダイダが冷ややかに告げた。
「マスター。そのやり取りは今回で二〇九八回目です」
「いちいち、数えなくていい!」
鷹子はそう叫ぶと、揚子虎の口から指を放した。改めて、祖父母を同じくする一二歳のいとこの少年を見やった。
「それで? よしこちゃん。あんた、なにしにここまで出てきたの?」
「な、なにしにって……お前が駆除対象の獣を狩りに出かけたって聞いたから、手伝ってやろうと思って……」
「それなら、もう終わったわよ」
と、鷹子は忠実なサポートロボットであるダイダの抱える巨大な肉の塊を指さした。
「ってゆうか、そんな理由なら、なおさら出てきちゃダメでしょ。あんたはまだ非力な子どもなんだから」
「子ども扱いするなっ! おれだって立派な鬼式の使い手なんだ。獣なんかに負けるもんかっ!」
その途端――。
一切の予備動作もなく、音すら立てることなく、鷹子の足が跳ねあがった。ゴツい登山靴を履いた爪先が揚子虎のみぞおちに叩き込まれた。
「グハッ!」
人体の急所をしたたかに蹴られ、揚子虎は息を吐き出した。みぞおちを押さえて、その場にうずくまった。
鷹子は冷ややかとも言える口調で事実を指摘した。
「いまの蹴りも防げないようじゃあ、『鬼式の使い手』とは言えないわね。背伸びしたい年頃なのはわかるけど、実力もないくせにイキがると早死にするわよ」
「く、くそっ……」
揚子虎は苦しそうにみぞおちを押さえたまま、涙のたまった目で鷹子を見上げた。悔しそうに呟くと、そのまま身をひるがえして庭園の方に駆けていった。
「マスター。いまの仕打ちは感じやすい年頃の少年には少々、キツかったのでは?」
ダイダの言葉に鷹子は短く答えた。
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