行かないで、と言ったでしょう?

松本雀

文字の大きさ
20 / 20

希望

しおりを挟む
王都での長い宴が終わったあと、私は静かに両親のもとを訪ねた。

煌びやかな宴も、きらめく祝福の声も、ただ通り過ぎた光景に思える。けれど、どうしても、この人たちには言葉を伝えなければならなかった。

「……今まで、ご心配ばかりおかけして、すみませんでした」

そう言ったとき、母は小さく目を潤ませ、父は珍しく目を伏せた。
きっと、あの頃の私を救えなかったことを、誰より悔やんでいたのは両親だったのだろう。

「アリシア、あなたには辛い思いをさせてしまいました……」

母の声は震えていた。
私は首を振る。そんなふうに思ってほしくなかった。ただ、今、こうして、心から感謝を伝えたかった。

「ありがとうございます。これまでずっと、支えてくださって」

父は私の肩にそっと手を置き、静かに言った。

「気にするな。これからは、二人で幸せになりなさい」

涙が出そうだった。けれど私は微笑んだ。今度こそ、心から。

◆◆◆

そして私たちは、再び辺境の地へと帰った。
王都の誰もが敬遠するこの土地を、私は少しも寂しいとは思わなかった。
だって、ここにはエーヴェルトがいる。
ここには、私たちだけの空が広がっている。

この場所には、無理に飾られた言葉も、取り繕った笑顔もない。
あるのはただ、静かに息づく命と、私たちの鼓動だけ。

一年後。

春の日差しの柔らかい午後、私たちは庭を歩いていた。冬を越えたばかりの庭には、まだ彩りは少ない。けれど、その静けさが心地よかった。

ふいに、草むらの向こうで小さな動きがあった。

「……うさぎだ」

エーヴェルトが呟く。
その声に導かれるように目を向けると、そこには二匹の親うさぎと一匹の仔うさぎがいた。仔うさぎはぴょんぴょんと跳ね、親うさぎたちは静かにそれを見守っている。

私は思わず笑った。
ああ、あのとき、草原で見たあの親子だ。きっと、あの命が今もこうして続いているのだ。

隣を見ると、エーヴェルトも微かに笑っていた。氷の伯爵と呼ばれる彼が、今、春の日差しの下で、こんなにも優しい顔をしている。
そのことが、ただ、嬉しかった。

私は、ぽつりと問いかけた。

「……私たちも、あの親うさぎのようになれるでしょうか」

エーヴェルトは一瞬、私を見た。
そして、ふと――彼の目が見開かれる。驚きに満ちた青い瞳が、私をじっと見つめる。

何気ないつもりだった。
けれど、自分でも驚くほど、胸の奥が震えた。この問いかけに、私はどれほどの祈りを込めていたのだろう。

私は自分の手を見下ろす。
無意識のうちに、お腹に手を添えていた。

彼は何も言わず、ただ数歩、私に近づく。
そして、低く、静かに、けれど震えるような声で囁いた。

「当然だとも……!」

その声は、かすれていた。
普段、どんな冷静なときも動じない彼が、今、確かに震えている。

「お前も……お腹の子も……私の宝物だ……!」

私はもう堪えきれなかった。
涙がにじみ、視界が滲む。

次の瞬間、彼は私を強く抱き寄せた。
何も言わず、ただ、震えるほどに強く。
そして、静かに、けれど熱く、私の唇に口づけた。

世界が、春に包まれる。
冷たかった氷も、過去の痛みも、すべてが溶けていく。

ふと足元を見ると、小さな白い花が咲いていた。
――スノードロップ。

あの日、彼が贈ってくれた、希望の花。冬の終わりに、最初に咲く花。

私はそっと微笑む。
これから先、どんなに長い時を生きても、今日のこの瞬間をきっと忘れない。

冬の痛みも、春の光も、全部抱きしめて。
私たちの新しい季節は、ここから始まるのだから。
しおりを挟む
感想 20

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(20件)

さくらニャンコ

この静かな世界観、好きです。

元婚約者とマウント女と無神経侍女は、自業自得。
元婚約者とマウント女は、王族も出席している結婚式に乗り込んでくる時点で、自滅確定。
見下していたアリシアが、超絶美形のエーヴェルトと結婚する事に、もっと地団駄踏んでほしかった。

それにしても、療養先が独身の男性(高位貴族)の独り暮らしとは…。
両親の思惑?
それに、エーヴェルトが前触れも無く急接近してきてビックリしました。
もっと優しいエーヴェルトの描写が欲しかったです。

また心の籠った作品を読めるのを楽しみにしています。
ありがとうございました!

解除
RJG
2025.08.28 RJG

【焦り、読了】
 毅然とアルノーを振りほどかなかったエリザベート自身にも責任あるよなぁ。

2025.09.01 松本雀

RJG様、感想ありがとうございます!エリザベートは一線を引くべきだったのですが、婚約者より大切にされる自分に酔っていたので、ある意味自業自得な結果に…。李下に冠を正さずですね。

解除
ぽぐみ
2025.08.28 ぽぐみ

淡々と言葉少ななのに、胸にグッとくる作品でした。
ただ、アルノーがなぜエリザベートを特別扱いしたのかが、読み取れませんでした……
恋人扱い?それともファンで貢ぎたかっただけ??嫉妬させたいとは違うよな……
エリザベートは、何となく貢がれチヤホヤされてマウント取りたいだけの女子で、一時的にアルノーを利用しただけかな~と思うのですが、アルノーのエリザベートへの気持ちが分からず( ˊᵕˋ )
侍女もなんであんな悪態ついたのか?
てっきりエリザベートの密偵とかかと思ったのですが、そこまでする程の気持ちがエリザベートには無さそうですもんね。
自分の読み取り力の無さが悔しいです!

2025.09.01 松本雀

ぽぐみ様、感想ありがとうございます!アルノーですが、社交界の華的なエリザベートと友達以上恋人未満な関係が楽しくて、婚約者のアリシアを鬱陶しく思い粗末にしていました。侍女は思ったことをすぐ口にする無神経な性格で、貴族令嬢なのに婚約者に粗末にされているアリシアを何処か見下して、あんな暴言を吐いてしまいました。分かりにくい描写で申し訳ありません💦

解除

あなたにおすすめの小説

彼女の離縁とその波紋

豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。 ※子どもに関するセンシティブな内容があります。

愛されない花嫁はいなくなりました。

豆狸
恋愛
私には以前の記憶がありません。 侍女のジータと川遊びに行ったとき、はしゃぎ過ぎて船から落ちてしまい、水に流されているうちに岩で頭を打って記憶を失ってしまったのです。 ……間抜け過ぎて自分が恥ずかしいです。

「義妹に譲れ」と言われたので、公爵家で幸せになります

恋せよ恋
恋愛
「しっかり者の姉なら、婚約者を妹に譲ってあげなさい」 「そうだよ、バネッサ。君なら、わかるだろう」 十五歳の冬。父と婚約者パトリックから放たれた無慈悲な言葉。 再婚相手の連れ子・ナタリアの図々しさに耐えてきたバネッサは、 その瞬間に決意した。 「ええ、喜んで差し上げますわ」 将来性のない男も、私を軽んじる家族も、もういらない。 跡継ぎの重責から解放されたバネッサは、その類まれなる知性を見込まれ、 王国の重鎮・ヴィンセント公爵家へ嫁ぐことに。 「私は、私を一番に愛してくれる場所で幸せになります!」 聡明すぎる令嬢による、自立と逆転のハッピーエンド。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

後悔は手遅れになってから

豆狸
恋愛
もう父にもレオナール様にも伝えたいことはありません。なのに胸に広がる後悔と伝えたいという想いはなんなのでしょうか。

愛を乞うても

豆狸
恋愛
愛を乞うても、どんなに乞うても、私は愛されることはありませんでした。 父にも母にも婚約者にも、そして生まれて初めて恋した人にも。 だから、私は──

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。

パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、 クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。 「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。 完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、 “何も持たずに”去ったその先にあったものとは。 これは誰かのために生きることをやめ、 「私自身の幸せ」を選びなおした、 ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。

彼女は彼の運命の人

豆狸
恋愛
「デホタに謝ってくれ、エマ」 「なにをでしょう?」 「この数ヶ月、デホタに嫌がらせをしていたことだ」 「謝ってくだされば、アタシは恨んだりしません」 「デホタは優しいな」 「私がデホタ様に嫌がらせをしてたんですって。あなた、知っていた?」 「存じませんでしたが、それは不可能でしょう」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。