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騎士団宿舎騒動録──『誤解、そして追い打ち』
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──人生には時折、運命がこちらを見て笑っているように思える瞬間がある。
「クロード先輩、おはようございまーす!」
背後で勢いよく扉が開く。
振り返る前から、私は声の主が誰かを知っていた。何故なら、こんなに軽薄で騒々しい声を出せるのはこの世界にただ一人、伯爵家のあの少年執事だけなのだから。
「クロード様っ……!よかった、ご無事でしたか!」
少年執事に続き、切迫した声でサンゼールが姿を現した。だが、二人の視線が私とウィルの間でぴたりと静止した瞬間、その切迫感は困惑に変わる。
少年執事がすぐさま察したように、何とも空気の読める明るさで両手を胸の前でぱっと合わせた。
「あっ、これはこれは!お取り込み中でしたか~。僕たちは何も見てませんのでどうぞごゆっくり~!」
「お……お邪魔いたしました……」
真っ赤になった顔を伏せ、サンゼールまで遠慮がちに踵を返そうとする。
「ちょっと待ってください、誤解!これは明らかに誤解なのです!!!」
ウィルは慌てふためき、精一杯の釈明を試みる。だが彼の狼狽ぶりがかえって二人の誤解を強めてしまうのか、少年執事は目を細めて小さく頷いた。
「わかってますよ~。大丈夫です!僕は偏見とかありませんから!」
いや、だから違うのだ。そういう問題ではない。
サンゼールが、彼らしく生真面目な表情で言い添えた。
「わ……私も偏見はありませんが、既婚者が浮気をするのは、どうかと……」
私は額を押さえて深く息を吐いた。
「あのですね……これは、私がウィル、いえ騎士団長殿に罪をなすりつけようとしていただけです。大したことではありません」
「いや、大したことなんだが……そういえば、二人はどうしてここに?」
少年執事の呑気さとは対照的に、サンゼールはふと思い出したようにこちらを見た。
「私どもがこちらへ参りましたのは、クロード様が伯爵邸を抜け出されたと聞き、騎士団に行方を尋ねたところ、『団長がそれらしい男性を連れてきた』と聞いたからです」
サンゼールの口調にようやく落ち着きが戻る。だが少年執事が余計な言葉を付け加えた。
「いやぁ、昨夜はクロード先輩大変でしたもんね!お嬢様、最近ずっと荒れてたからな~。あんなことがあれば、誰だって逃げたくなりますよ~」
その言葉に、サンゼールの表情が痛ましく曇った。彼は伯爵邸でティタ嬢の執事として、誰よりも胸を痛めているだろう。私は同じ執事として、胸が苦しくなった。
そんな中、ウィルがはっきりとした口調で告げる。
「皆、まずは落ち着きましょう。誤解や混乱が重なっています。状況を整理するためにも一旦冷静になってください」
その言葉を受けてようやく室内に落ち着いた空気が訪れる。少年執事は肩をすくめてウィルの椅子に腰を下ろし、サンゼールは静かに立ったまま背筋を正す。
私は冷や汗を指で拭いながら、少年執事の無邪気な視線をやり過ごそうとしたが、それに失敗した。
「クロード先輩は、騎士団長様の、どこがお好きなんですか~?」
少年執事が悪気のない顔で尋ねる。ウィルが慌てて私を見たが、どう答えるべきか言葉が出てこない。
サンゼールは、唇を引き結んでため息を漏らした。
「イワン、少しは場を察してくれませんか……」
「あっ、邪魔しちゃったなら本当に申し訳ないと思って!ごめんなさい!!」
もう言葉すらない。私は全てを諦め、目を閉じて運命を呪った。
──執事として、夫として、いや、人として最大級の誤解が私を襲っている。この世に救いなどあるのだろうか。
「……とにかく、今すぐ忘れてください」
私は自分でも情けなくなるほど弱々しい声でそう告げる。だが、少年執事の表情には好奇心しかない。サンゼールは困ったように微笑し、ウィルは目を伏せて黙り込む。
ただでさえ拗れていた感情が、さらに一つの誤解で雪だるまのように膨らんでいく。
……そして私はその中心で、ただひとつ、心の奥底から祈るのだ。
この、間の悪い朝が、どうか“夢だった”ということで済ませられないものかと。
「クロード先輩、おはようございまーす!」
背後で勢いよく扉が開く。
振り返る前から、私は声の主が誰かを知っていた。何故なら、こんなに軽薄で騒々しい声を出せるのはこの世界にただ一人、伯爵家のあの少年執事だけなのだから。
「クロード様っ……!よかった、ご無事でしたか!」
少年執事に続き、切迫した声でサンゼールが姿を現した。だが、二人の視線が私とウィルの間でぴたりと静止した瞬間、その切迫感は困惑に変わる。
少年執事がすぐさま察したように、何とも空気の読める明るさで両手を胸の前でぱっと合わせた。
「あっ、これはこれは!お取り込み中でしたか~。僕たちは何も見てませんのでどうぞごゆっくり~!」
「お……お邪魔いたしました……」
真っ赤になった顔を伏せ、サンゼールまで遠慮がちに踵を返そうとする。
「ちょっと待ってください、誤解!これは明らかに誤解なのです!!!」
ウィルは慌てふためき、精一杯の釈明を試みる。だが彼の狼狽ぶりがかえって二人の誤解を強めてしまうのか、少年執事は目を細めて小さく頷いた。
「わかってますよ~。大丈夫です!僕は偏見とかありませんから!」
いや、だから違うのだ。そういう問題ではない。
サンゼールが、彼らしく生真面目な表情で言い添えた。
「わ……私も偏見はありませんが、既婚者が浮気をするのは、どうかと……」
私は額を押さえて深く息を吐いた。
「あのですね……これは、私がウィル、いえ騎士団長殿に罪をなすりつけようとしていただけです。大したことではありません」
「いや、大したことなんだが……そういえば、二人はどうしてここに?」
少年執事の呑気さとは対照的に、サンゼールはふと思い出したようにこちらを見た。
「私どもがこちらへ参りましたのは、クロード様が伯爵邸を抜け出されたと聞き、騎士団に行方を尋ねたところ、『団長がそれらしい男性を連れてきた』と聞いたからです」
サンゼールの口調にようやく落ち着きが戻る。だが少年執事が余計な言葉を付け加えた。
「いやぁ、昨夜はクロード先輩大変でしたもんね!お嬢様、最近ずっと荒れてたからな~。あんなことがあれば、誰だって逃げたくなりますよ~」
その言葉に、サンゼールの表情が痛ましく曇った。彼は伯爵邸でティタ嬢の執事として、誰よりも胸を痛めているだろう。私は同じ執事として、胸が苦しくなった。
そんな中、ウィルがはっきりとした口調で告げる。
「皆、まずは落ち着きましょう。誤解や混乱が重なっています。状況を整理するためにも一旦冷静になってください」
その言葉を受けてようやく室内に落ち着いた空気が訪れる。少年執事は肩をすくめてウィルの椅子に腰を下ろし、サンゼールは静かに立ったまま背筋を正す。
私は冷や汗を指で拭いながら、少年執事の無邪気な視線をやり過ごそうとしたが、それに失敗した。
「クロード先輩は、騎士団長様の、どこがお好きなんですか~?」
少年執事が悪気のない顔で尋ねる。ウィルが慌てて私を見たが、どう答えるべきか言葉が出てこない。
サンゼールは、唇を引き結んでため息を漏らした。
「イワン、少しは場を察してくれませんか……」
「あっ、邪魔しちゃったなら本当に申し訳ないと思って!ごめんなさい!!」
もう言葉すらない。私は全てを諦め、目を閉じて運命を呪った。
──執事として、夫として、いや、人として最大級の誤解が私を襲っている。この世に救いなどあるのだろうか。
「……とにかく、今すぐ忘れてください」
私は自分でも情けなくなるほど弱々しい声でそう告げる。だが、少年執事の表情には好奇心しかない。サンゼールは困ったように微笑し、ウィルは目を伏せて黙り込む。
ただでさえ拗れていた感情が、さらに一つの誤解で雪だるまのように膨らんでいく。
……そして私はその中心で、ただひとつ、心の奥底から祈るのだ。
この、間の悪い朝が、どうか“夢だった”ということで済ませられないものかと。
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