みんなの心の傷になる死にキャラなのに、執着重めの皇太子が俺を死なせてくれない

兎束作哉

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発売記念SS

セシルside

 
 長年の片思いが実った。

 あの日とは違い、俺が無理やり閉じ込めたのではなく、彼の意志で最愛の人が俺の部屋にいてくれる。
 俺の欲望のせいで満足に立ち上がれないという点に関しては目を瞑る。
 とにかく、起きたらそこにニルがいる。それがたまらなく幸せで、これ以上幸せを摂取ていいのか、罰が当たらないかと心配になるほどだ。


「寝ているな……」


 まだほんの少し夜が残る俺の寝室。
 小鳥のさえずりは遠くに聞こえ、寝室に差し込む光は微々たるものだった。まだ十分目を閉じても眠れる時間帯だ。俺は、あまり眠りが深いほうではないから眠ってもすぐに起きてしまう。疲れは取れているからいいものの、この癖は治らないものかと頭を悩ませていた。
 眠りが浅い理由は、俺が皇太子としてこれまで多くの刺客に狙われ続けてきたからだろう。寝込みを襲われそうになったこともある。今現在は、防御魔法の開発が進み、さらに頑丈な魔法結界の中睡眠をとることができるのだが、それでも過去に経験したことはトラウマとして身体に刻まれているようだ。何とも情けない話。
 ベッドサイド、あるいはベッドの下だったかに常に刺客に対しての対抗策として短剣の部類を仕込んでいる。これを使う日が来ないことを願うばかりだ。
 俺は改めて寝ぼけ眼を擦り、隣にいる彼を確認する。
 恋人になったばかりのニルに俺は少々無体を働いてしまった気がする。欲望が抑えられなくて、彼を潰す勢いで抱いてしまった。ニルの身体には俺が暴走した痕がいくつも残っているだろう。うっ血痕だらけの身体……ニルが鏡の前に立ったら失神してしまうかもしれない。
 抑えようとしていたのに、長年の思い人を手に入れたら歯止めが利かなくなった。
 俺は、ニルが背を向けて寝ている可能性を考えながらもポン、と優しく掛布の盛り上がった部分に触れればモゾりと隣で彼が動く。
 艶やかな黒髪がきれいな頭を白い枕の上に置き、すぅすぅと小さな寝息を立てながらこちらを向いて寝ている彼の姿が見えた。

 ああ……と思わず感嘆の声を漏らしそうになりつつも、起こさないようにと言葉を飲み込んだ。
 ニルが、俺のほうを向いて、寝ている!
 しっとりとした唇はほんの少し開いており少しはれぼったい様子。あれだけ、何度もキスを重ねればふやけても仕方がない。いつもはきれいなピンク色なのに、今は心なしかさらに色づいて見えた。
 彼の唇に親指を当てれば、ちゅぅっとそれを赤子のように吸い始める。


「なっ……ニ……」


 寝ている。起こしてはいけないという気持ちが働き必死に声を堪える。
 しばらくすると、ニルは俺の親指をちゅぱっと音を立てて放し、ふにゃりとした笑みを浮かべた。一体どんな夢を見ているのだろうか。
 とても幸せそうな寝顔を見ていると、やはり起こすのはどうかと思う。まだ暗い。無理をさせてしまったのだから、もう少し眠っていてもらいたい。
 俺は、肩よりも下に行ってしまった掛布をニルにかけ直す。その際、掛布の中がちらりと見えた。
 ニルとは体格差はあるものの、身長差がさほど大きいとは言えない。あの憎きヴィルベルヴィントとニルが並ぶとそれなりに身長差が出るのだが、俺とニルはそこまでの差はなかったはずだ。最もヴィルベルヴィントは元の高さにさらにブーツでかさまししているような気もするのだ。
 ――というのは、いい。俺のベッドで他の男のことを考えるのはやめよう。
 口を開けばからかってくるような品性のかけらもない留年公爵子息のことなどおいて置いて、今はただこのニルの素晴らしい寝顔を目に焼き付けなければ損である。
 俺は、肘を立てそこに頭を乗せてニルの寝顔を観察することにした。今起きたらちょうど視線がカチッと合うだろう。寝顔を見られていると知ったら恥ずかしがるだろうか。
 いや、俺は昔からニルの寝顔を見てきた。
 今だって同じ寮の部屋。俺が先に起きてニルの寝顔を見る機会は何度もあった。子どもの頃も、たまに俺の部屋で一緒に寝たこともある。周りは、乳兄弟だからと言って大きくなっても一緒に寝るのはどうだと正論だが耳が痛いことを言ってきた。そんなの勝手だ。ニルの耳にそれが入らなかったのは不幸中の幸いで、またそれを俺はいいことにニルと一緒に寝ていた。

 ずっと前から好きだった。
 もう、いつから好きなのか分からない。分かることと言えば、この先もずっとニルのことが好きだということ。
 『好き』――いや、そんな生ぬるい感情じゃない。もっと深くて、深層を覗けばおぞましく黒いものかもしれない。
 ニルが何度も死にかけるから、俺の世界はそのたび崩壊しそうになる。あいつは、なんてことないように笑うが、俺はそれが苦しくて仕方がなかった。
 一つしかない命。騎士として俺に捧げてくれるニルを誇りに思うと同時に、これ以上俺の騎士でいてほしくない気持ちも強くなった。俺の周りは危険が付きまとう。
 ニルが死ぬことがあるならそれは俺のせいだろう。俺がニルを殺すも同然だ。
 ニルに伸ばした手を引っ込め、グッとこぶしを握り込む。爪が食い込み痛みが走る。


「生きてさえいてくれればいい……だが、願っていいならずっと俺の隣で笑っていてくれ」


 俺が、幸せにする。
 だから、俺のもとを離れないでくれ。
 眠っていて脱力しているニルの手を取り、その指先にチュッとキスを落とす。
 もう少し眠ろう。夢の中でもニルに会えるかもしれない。
 やはり、ニルは起きていてほしい。ただ一方的に見つめるだけでは芸術品と変わらない。ニルが俺に微笑みかけてくれなければ意味がないのだ。


  
◇◇◇ 


 
「ニルの髪を弄らせてくれないか」
「いきなりだね。君にそんな趣味があったなんて初めて知ったよ」
「俺もびっくりだ」
「何で君がびっくりしているのさ」
「自分のことでも分からないことはある」


 用事があるのは事実だ。だが、その用事に向かわなくていい理由をあれこれと探していた。
 俺はブラシを手に取り、ニルの隣に座る。
 俺の言葉に対し、ニルは赤面し何とも言い難い表情になる。コロコロと変わるその表情を見ていると、こちらまでにやけてしまいそうだ。ニルがみていないことを言いことに笑えば「何笑ってるの?」と気づかれてしまう。そういうところは鋭かったか。
 俺は、ブラシでニルの髪を梳いていった。
 艶やかな黒髪。令嬢たちが羨ましがるような美しさを保っている。俺の髪質とはまた異なり、柔らかく、そしていいにおいがした。


(今度俺の使っているものをプレゼントするか)


 そしたら同じ匂いになるな、と一人妄想をはかどらせる。
 ブラシなんていらないほどさらさらとした髪はいつまででも触っていられた。ニルは特別手入れしているわけではないだろう。となれば、これは絶世の美女と有名なニルの母親――メリッサ・エヴィヘット公爵夫人の遺伝か。ニルは剣を持てば敵なしの騎士団長とは違い、細身で筋肉がつきにくいタイプだ。彼自身ものすごく気にしていることなので口にはしないが、俺はニルの細い腰が好きだ。それに、筋肉がつきにくいとはいえしっかりと腹筋は割れており、腕も剣を振るっているとよく分かる肉のつき方をしている。また、きめ細かい肌も滑らかで、いつまでも触っていたくなる。


「きれいだ」
「恥ずかしいからやめてよ」


 ついつい口から出てしまった言葉に、ニルが怪訝そうに反応する。そういう反応も好きだ。本当は恥ずかしくて仕方がないのだろうが、少し突っぱねた言い方だった。


(それもいい。かわいいからな)


「器用だね」
「こういうことは嫌いじゃない。魔力の繊細な扱いは苦手だが、手は器用なほうだと自負している」
「ちょっとそれは知らなかったかな」
「……ベッドの上では器用だっただろ」
「な、何言ってるのさ……………………あれを、器用っていうの?」
「下手じゃなかっただろ。善がっていた。分かる、ニルのこと……」


 思い出したら爆発する。
 余計なことを言ったと反省し、口を閉じた。
 本当は余すことなく伝えたい。俺が感じたこと、思っていること、すべてを吐き出してしまいたい。
 だが、ニルはそれを嫌う。恥ずかしい気持ちもあるだろうし、何よりも情事のことを素面の時にいうのは品性にかける行為でもある。
 ニルが許してくれるなら、ニルの素晴らしいところを熱弁したいのだが……


(本当にきれいだった……)


 俺によって乱れるニルが。いつもは凛として、常に周りを警戒し、騎士として誇り高いニルが俺によって乱されていく様を見るのはそれだけでも達してしまいそうだった。感情がぐつぐつと煮詰められ、ニルのいつもより高い声でさらに沸騰した。
 俺たちの間には沈黙が流れる。
 もともと俺は会話が得意なほうではない。こちらから話すことはさらに苦手だ。ニルに任せっぱなしにしてきたツケが回ったようだ。


(いつも話しかけてくれるのはニルのほうだからな……)


「何か、話してよ……ベッドの上以外のことで」
「本当は感想が言いたい」
「ベ、ベッドの上の?」
「ああ」
「ダメ」
「ダメか」
「うん」


 秒で却下された。
 もしかしたら行けるのではないかと思ったが、思いのほかあっさりと拒否されてしまった。
 こちらも思った以上にショックを受けてしまう。胸が痛い。
 彼の髪を整えることだけに集中しようとすぐに切り替える。


「……本当にお前の黒髪はきれいだな」
「ありがとう。母上の遺伝子が強いからかな? 俺の父上は直毛だし……」
「エヴィヘット公爵夫人は確かにきれいだ。男爵家出身とは思えないほどのオーラを放っているな……あまり、身分のことをどうこう言っていいのかは分からないが」
「言ってるじゃん。気にしない、とは思うけど。そうだね、母上はすっごく美人だ。息子の俺でも母上の美貌にはくらっとくる」
「俺よりもか」
「張り合わないでよ。セシルはセシルの良さがあるんだし、比べようがないよ。俺の母と張り合わないで」
「ニルの一番でなければ気が済まない」


 ニルの母親は確かにとても美しい。あの騎士団長殿が、自分の地位を捨ててでも結ばれたいと強く願うほど美しく、また強い女性だったと聞いている。元は辺境の男爵家出身であり、婚約に際して家同士でもめたらしい。
 ニルの美しさが彼女の遺伝であったとしても、俺は彼の母親ではなくニルだから好きになったのであって、ニルという人格が、ニルという今目の前にいる人物だからこそ好きになったのだ。姿かたちが違っても心がニルであれば、きっと俺は好きになっていた。


「遺伝だったとしても、俺はお前の黒髪が好きだ。艶やかで、お前の真昼の空を閉じ込めた瞳とよく合う。それに、俺の隣に並んだら反対色だからよりいっそ映えるだろう」
「反対色なのかな……君は銀色でしょ。きれいな銀色。ダイヤモンドを散らしたみたいな宝石の色をしてる。その夜空の瞳だって……これは、俺とは真逆だね」
「何だか運命みたいだな」


 自分で口にして笑ってしまう。
 運命なのか。そんな陳腐なもので片づけていいのか。
 運命……嫌いな響きではない。
 ニルの髪を束にしてすくいあげ、三つに分けていく。そこから交差させて編み込んでいけば、すぐにも彼は俺が何をしているか気づいたようだ。


「やっぱり手際がいいよ。それで、俺の髪どんなふうにアレンジしてくれたの?」
「編み込んでみたのだが、どうだろうか」
「俺にはちょっとかわいすぎない?」
「かわいからいい。もっとかわいくなっただけだ」
「困るなあ……」


 出来上がった姿をニルに見せると、また恥かしそうに頬を掻く。
 桃色に染まった頬に思わず口づけをしてくなったが、ここも堪えた。
 ニルは、俺と二人きりの時はそれなりに警戒心が薄くなる。俺は何もしないだろうという信頼が彼の中にあるからだ。俺はそれを知りつつも、ニルに触れたいという欲求を膨らませていった。二人きり、相手は警戒していない……いつでも襲ってしまえたが、そんなことをしてニルの心を手に入れられるとは思わなかった。


(ただ、ニルは本当に無防備なんだ……!!)


 去年の夏は、熱いからとその割れた腹を俺の前で出して、生足を俺に向けて……!!
 夏と比べると冬は元気なのだが、その分俺が寒いのではないかといつもより距離が近くなったり……とにかく大変だった。俺の理性は、ニルの無防備な行動によってはじけ飛びそうだったが、そのたび頑丈になっていった。耐えるということを学んだのだ。
 学んだはずだったのだが、今年の剣魔大会の後爆発してしまった。
 少々いらだっていたのもあった。ニルが全く俺の気持ちに気づかないから。ただ、大会直前に少しだけ相手が意識していることを知ってしまった。そして、今まで見せた中で一番の笑顔と祝福の言葉を俺にかけてくれた。
 ああ、もう両思いじゃないかと勘違いするほどには、あの笑顔はクるものがあったのだ。
 結局部屋に連れ込んでキスをしてしまった。やわらかい唇を奪って、溶かして……ニルは嫌がっていなかった。むしろ受け入れて、その拙い舌遣いで俺に答えてくれた。
 でも、あの日あの時彼の口から飛び出した言葉に絶望に落とされた。
 端的に言えば逃げられたのだ。
 失敗したと思った。


(だが、今はこうして俺の隣にいてくれる。俺だけを見て、愛してくれる……)


 その愛情表現がまだまだ発展途上であったとしても、俺はそんな初心なニルが好きだ。それに、これから俺への感情が育っていくと思うとその経過を視れるなんて最高じゃないか。


「満足した?」
「満足はしない。もっとお前と一緒にいたい」
「口実を作るための行動だったんだ」
「半分はな。ただ、お前に触れたかった。今ももっと触れたい……もちろん、隣にいるだけでも満足だ。お前が生きてさえいてくれれば、俺はそれ以上何も望まない……拒まれたくないが」


 また本音が漏れる。
 俺の口は大概緩いのかもしれない。
 俺の言葉を聞き逃さなかったニルは、少し腕を伸ばし、俺の頭を撫でた。ニルなりに俺のことを気遣ってくれているのかもしれない。
 俺はニルが撫でやすいようにと頭を下げる。
 そうやってニルが甘やかすから、俺はどんどん自分の中の気持ちが抑えられなくなる。ニルは無自覚に、俺の理性の楔を壊しにかかってきているのだ。俺はそのたび、ニルのせいにしてしまう。ニルが悪い、と。俺の自制心が弱いだけなのに――


「そんなに離れるのが嫌なら、早く用事を済ませてきて帰ってきてよ。俺はここから出られそうにないしさ」


 そういえば用事があったような気がした。
 ニルに言われ思い出し、彼が少し呆れたように肩をすくめる。


「……本当か?」
「逃げられると思う? 君のせいで、体中バキバキ。愛されていないところないってくらい埋め尽くされてるし。ここから抜け出すのは無理」
「俺は愛し足りないが。今はこの辺にしておこう。小出しには無理だが、毎日ちょっとっずつ」
「絶対にちょっとじゃすまないと思うけど」
「いいだろう。嫌なら本気で拒めばいい」
「拒むわけないだろ……セシルが好きなんだから」


 ようやくニルの口から『好き』の二文字が出た。
 これを待っていた。言わせたんじゃない。ニルが言ってくれたんだ。
 俺は「好きだ」と伝える前にニルの唇を塞いでいた。もっとニルが「好き」と言ってくれたかもしれないのに、みすみすそのチャンスを潰したのだ。
 それでもよかった。
 唇の隙間に差し込むように舌を動かせば、意外にもニルは俺を受け入れてくれたのか口が開く。その瞬間を逃さず少々強引にねじ込めば「んんっ!」とニルの身体が大きくはねる。
 かわいい。全てが満点だ。
 キスを知らない身体。体温は冷たいが、意外にも舌の温度は高い。そうはいっても、俺より冷たいから温めたくなる。内側からニルを温めたい。


(俺のキスだけ知ってくれ。俺だけだ)


 この唇の柔らかさを、味を知っているのは今後も世界で俺だけ。
 ニルの唇の凹凸と、俺の唇の凹凸がシンデレラフィットする。
 歯列をなぞり、上あごをくすぐればさらにニルの身体が震える。足の先が伸び、飲み込めない唾液が形のいい顎を伝って落ちていく。
 目を必死にギュッと瞑っているのも非常に愛らしかった。


(俺は余すことなく見るがな)


 目を閉じるなんてもったいないことはしない。ニルの表情はいついかなる時も逃さず見ていたい。
 舌で口の中をかき回せば「んっ」、「んんっ」といつもより高い声が漏れ始める。もう少し乱れさせたい。このまま溺れてほしい。俺がいつでも救い出すから――


「はっ……も……セシル」


 いつもは強く剣を握り込んでいる手が、ぽかぽかと優しく俺の胸板を叩いた。
 さすがにキスになれていないのに無理をさせすぎたか。俺は、名残惜しくニルの唇から離れた。
 キスをした後のニルは顔を紅潮させ、半分開いた口の端からはつぅと唾液を垂らしている。気づいていないのか、ぼぉーっと俺のほうを蕩けた瞳で見ていた。


(待て、もう一度してほしいのか? 誘っているのか?)


 そんなわけがない。
 これ以上無理をさせて、ニルにキスは金輪際禁止だと言われたらどうする。
 俺は俺自身の欲望にアッパーを食らわせて落ち着くことに成功した。俺じゃなきゃ耐えられなかっただろう。


「いってきますのキスは毎回したい。ただいまのキスもほしい」
「欲張り」
「欲張りになってもいいだろう。ニルが好きで仕方がないのだから」
「理由になってないよ……キスは……もうちょっと回数考えさせて。慣れてないから」
「俺も」
「絶対にそれは嘘だ。じゃなきゃ、こんな……腰砕けるようなキスできない」
「では、才能だな。とにかく、行ってくる。帰って俺の部屋にニルがいると思うと頑張れそうだ」


 名残惜しすぎるがここで潔く去らなければ失望されるだろう。
 俺は、扉に向かう間も何度も何度も振り返った。ニルはそのたび苦笑いをして手を振り返してくれる。


(どんな顔をしていても本当に天使だ……)


 同い年とは思えない、どうにかしてほしい。
 俺は最上級のニルの笑顔に送り出され部屋を出る。一分一秒も無駄にしたくないのだが、扉の前でしばらく立ち尽くしていた。用事を早く終わらせて帰ってきてくれと言われたのに、足が動かない。


「間違いない……」


 ニルは俺と恋人になってからさらに甘くなった。
 元から俺に対しての警戒心も、甘さも最高だったのだが、恋人になってからはその糖度がよりいっそ高くなったんじゃないだろうか。
 本人はあれで自覚がないのだろうが、ずっと見てきた俺だからわかる。


(早く用事を済ませて帰らなければ)


 ニルが待っている。
 長年の片思いが成就したせいで俺も有頂天になっている。もちろん、今後待ち受ける課題は一筋縄ではいかないだろう。皇帝である父親の説得から、周りの貴族の説得。そして、世継ぎの問題。
 愛という感情だけでは解決できない数多の問題に、これから降り注ぐかもしれない悪意。問題も不安も尽きない。
 それでも俺は、ニルと未来を歩むと決めたのだからそれらからニルを守りたいと思う。それが俺の責任だ。ニルを愛して、ニルから一新に愛を受けることをこの世でただ一人赦された俺の果たすべき使命。
 足取りは軽い。いつも肩に乗っている多くの不安が落ちていくような気がする。
 ニルのためなら俺はなんだってできる。あいつの笑顔と未来を守るためなら、俺はなんだって――
 二人の幸せのために俺はこの命を燃やし続けよう。
 たった一人の愛する人にすべてを捧げる。たとえ見返りがなかったとしても、いや、見返りなど求めない。


「ニルが生きてさえいてくれれば……俺は、あと何前年だって生きていける」


 俺を一人にはしてほしくないが、ニルの笑顔で寿命が十年ずつ伸びていっている。死ぬのは当分先だ。一緒の墓に入りたい。
 あれこれとニルとの未来と妄想を混ぜながら歩く。廊下には俺の影がうっすらと伸びていた。

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