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第1章 君は勇者
05 新しい生活
しおりを挟む「もうすぐ、お兄ちゃんになるんですからしっかりしてください。テオフィル様」
「……すみません」
家庭教師の女性は、はあ……とわざとらしい大きなため息をついて、額に手をついていた。
目の前に置かれた山積みの教材は、一向に減らないし、進まない。僕は、目の前の窓の外に映るキンモクセイを見ていた。季節はもうすっかり秋だ。
アルフレートが勇者として旅立ってから、数週間もしないうちにまた王国の使者たちがやってきた。何でも、この村には他にも才能のある子供がいるのではないかと、王令で魔導士を連れてやってきたのだとか。そして、案の定、村の何人かの子供は魔法の才能があったり、予言者によって剣の才能があると予言されたりと、貴族の養子に出されることが決定した。僕もその中の一人で、貴重な水魔法が使える人間として、家を離れ、今はロイファー伯爵家にお世話になっている。
今の僕は、ロイファー伯爵家の子息、テオフィル・ロイファーとして生活している。
ロイファー伯爵家は、なかなか跡継ぎが生まれず、魔法の才能がある子供なら養子として受け入れると探していたらしい。だが、僕がきて一年もたたないうちに、伯爵夫人の妊娠が発覚し、この秋に弟が生まれる予定になっていた。
水の魔法が使えるといってもまだ使いこなせないし、宙に水の球を浮かせられるくらいが精いっぱいだった。田舎で、そういった勉強もしてこなかったし、貴族のマナー作法なんて知らない。それをみっちり叩き込まれながら、魔法の勉強も。もう、毎日が忙しくて、睡眠時間もゴリゴリと削られた。
おまけに、弟が生まれて跡継ぎはその純粋に伯爵家の血を引く彼になるわけで、僕は存在意味を見失っていた。
それでも、魔法が使えるとのことで家には帰してもらえず、月に一度手紙を送らせてもらえるかどうかな生活を送っていた。伯爵と、伯爵夫人は僕のことを実の息子のように扱ってくれるが、使用人からしたら辺境の田舎から出てきた僕が、運よく伯爵家の養子に慣れたことを妬んでいるようだった。
(……嫌がらせも。今だって、年齢にあわない勉強させられてるもんね)
魔法は誰でも使えるものじゃない。
もちろん、貴族のほとんどは使え、魔法が遺伝するという特性から貴族同士での結婚がほとんどだ。だから、平民とどれだけ愛し合っていても結婚しようとする人間はいない。魔法が使えないものと結婚すると、遺伝しないだけではなく、徐々に自分の魔力も減っていくからだ。
僕はそういった魔法の知識もないため、本当に貴族の生活に振り回される毎日を送っていた。
(アルは、今頃何をしているんだろう……)
アルフレートと別れて、まだ一年ほど。それでも、アルフレートを思わない日はなかったし、今でも昨日のことのように思い出せる。
大好きな蜂蜜くるみデニッシュを毎日食べられる生活をしているだろうか。草の上でお昼寝は? 夜に抜け出して丘の上で夜空を見に行ったりは?
アルフレートもきっと、貴族の生活を強いられ、そのうえ勇者として期待され苦しい生活送っているんじゃないかと思った。でも、彼は適応能力があって、もうすでに新しい生活を楽しんでいるかもしれないと。
「はあ…………」
「何、ため息をついているんですか。ノートもとれていない! ロイファー伯爵家の人間として恥ずかしくないのですか!」
バシンッと、持っていた教鞭で手をたたかれ、手の甲に赤い線がつく。この女性家庭教師は、こうやってすぐに僕を叩くのだ。そして、出来損ないだと、メッキの貴族だと悪口を言う。
僕だって、田舎にいたかったし、お父さんとお母さんと離れたくなかった。パン屋を継ぐんだって思ってたし、アルフレートが帰ってきたら、思う存分蜂蜜くるみデニッシュを食べさせてやるんだって思っていた。でも、その夢も潰えてしまった。
今度僕が故郷に帰るときは、きっと僕の居場所なんてない。
(それに、戻ったとしてもあの故郷は焼け野原になる……んだよね)
まだ先のことかもしれないけれど。あそこにいても、死ぬ未来があったとするのなら、そこから抜け出せたのはよかったかもしれない。それでも、おいてきた人たち、お父さん、お母さん。そして、アルフレートとの思い出も。それがすべてなくなっちゃうのだけは嫌だった。
他事を考えているとまた叩かれると、僕はノートに視線を向けた。
「あ、ああ、えっと、えと……すみません」
ため息を飲み込んで、僕は視線を落とす。かわりに、家庭教師の女性はまた大きなため息をついていた。
「……もう今日は終わりにしましょう。これくらいで躓いているようじゃ、話になりません。これ以上やっても無駄でしょう」
「え、でも、もう少しでとけ……」
「貴方は、魔法の才能があるということで引き取っってもらえたのですよ。こんな簡単な問題も解けないなら、もう用はありません。見込みなしと、伯爵様にお伝えしておきますね」
彼女はそういうと、僕の前に山積みになっていた教材をわざと床に落として出ていってしまった。
あ、と引き留めることもできないまま、僕はまだ半分以上白いノートを見る。
家庭教師はああいったけど、本当にそこで止めたらダメだと思った。自分は、勉強が苦手なタイプなのかもしれないけれど、でもやるしかないと思ったのだ。
今、家に帰されたらきっと、僕の両親は笑われる。魔法が使えるくせに貴族の家から追い出されたーなんて知られたら、みんな僕を笑うだろう。アルフレートよりも、期待されていなかったが、村の人は、こんな村からたくさんの未来有望な子たちが旅立っていくことに涙を流してくれたのだから。その期待を裏切ったら――
「……アル、アルに会いたいよ」
手に持っていた万年筆に力が入らない。それどころか、また視界がかすんで涙で歪む。
泣いちゃだめだとわかっていても、白いノートにシミができていく。
「なんで、何でかな」
期待に応えようと、泣くのを我慢していた。
アルフレートとの別れだって、彼を心配させないように鳴くのを我慢した。
でも、やっぱりこらえていたもの、我慢していたものは一定量溜まると決壊してしまう。もし、今家庭教師がいたら「泣くなんてみっともない」と僕を馬鹿にしただろう。でも、みっともないのは事実だ。
故郷から離れたことも、アルフレートと離れ離れになったことも、新しいここでの生活も。
本当はずっと、前のままがよかった。ずっと続けばいいと思っていた。新しい生活になんて心躍らなかった。今だって逃げ出したい。
(でも、アルは……)
アルフレートだったら逃げ出さないだろう。そう考えると、泣いている暇なんてないのはわかっていた。いつだって、僕を勇気づけてくれるのは、あの幼馴染の存在。
もう匂いも、温もりも。何も感じないけれど。それでも、胸のここに君がいると思うから。
僕は、あの家庭教師に取り上げられていない唯一のアルフレートとの思い出を服の下から取り出した。アルフレートが僕にくれた、彼の瞳の色をしているガラス片。河原に落ちていた普通のガラス片だけど、それが宝石のように輝いて見えるから不思議だ。僕にとって、高すぎるダイヤモンドよりも、アルフレートが僕のためにくれたガラス片のほうが何億倍も価値がある。
そんなふうに、彼との思い出にふけっていると、コンコンと扉がノックされた。
あの家庭教師が戻ってきたのかと身構えたが、扉の向こうから聞こえたのは優しい、執事の声だった。
「ど、どうぞ」
「執事のデニスといいます」
「デニス、さん……」
「さん、付けは不要です」
にこりと、部屋に入ってきた執事は微笑んだ。ロイファー伯爵家に来て、伯爵と夫人以外には微笑まれたことがなかったので、僕はどんな反応を返せばいいかわからなかった。
目じりにしわを寄せた執事のデニスさんは、五十代半ばくらいの男性だ。長年、ロイファー伯爵家に仕えているのだろう。
デニスさんとしゃべるのは、これが二度目だった。一度目はロイファー伯爵家に初めて来たとき、荷物を部屋まで運んでくれた。それからは、忙しかったのか見かけたが喋ることはできなかった。
近寄りがたい印象はなかったが、執事ということで、仕事は多いだろうし、頼ろうにも頼れなかったのだ。
そんなデニスさんが僕に何のようだろうか。見当がつかなかった。もしかして、本当に追い出されるのだろうか、と僕が身構えていると、デニスさんはもう一度優しく微笑んだ。それが、心配しなくてもいいですよ、というようないたわりの表情に見えて、僕はスッと体から力が抜ける。不思議だ。この人の顔を見て、こんなに安心するのは。
「あの、デニスさ……執事さんは、どうしてここに?」
「テオフィル様の、家庭教師を解雇したと、伯爵様から伝言を預かってまいりました」
「解雇?」
聞き間違いだろうか、と一瞬思ったが、デニスさんの顔を見ていると、それが嘘じゃないことにすぐに気付いた。
家庭教師が解雇、伯爵が、とまだいまいち点と点がつながっていないが、あの家庭教師が明日から来ないんだという事実に僕はまた一段と体の力が抜ける。
「よかった……あ、えっと、ちがくて」
「いえいえ。大丈夫ですよ、テオフィル様。あの家庭教師は元から平民への差別が酷い人間でしたから。しかし、他の貴族の子供を熱心に教え、かの有名な学校に入学させたという実績から。ですが、伯爵様は少し後悔しているようでした」
「い、いえ、僕が、あまりにもできなかったので。頑張ります」
そう僕がいえば、デニスさんは驚いたように目を丸くした。
何か変なことを言っただろうかと思っていると、デニスさんは、眼鏡をかけなおして咳払いをした。
「テオフィル様は、もっと昔から教育を受けていた貴族と大差ないほどの学力をつけていらっしゃいます。呑み込みが早いのです。嫌がらせに、あの家庭教師は、テオフィル様の年齢から三歳ほど上の教材を使っていましたし」
「え……そうだったんですか」
どうりで、わからなかったわけだ。いや、わからないといっても、もう少し思考する時間があれば。
デニスさんの口から出てくる言葉は、すべて信じられない言葉ばかりだった。けれど、その言葉に付与される、伯爵のご厚意というのも感じられて、僕は嫌われていないのだと確信する。弟が生まれたら追い出されるものとばかり思っていたが、どうやらその心配はなさそうだった。
第二の家族。僕は、家族にも環境にも恵まれたのだと、そこでようやく息をつくことができた。
だからこそ、もっと頑張らなければと思うのだ。
「来週からまた、新しい家庭教師をつけるそうです。テオフィル様大丈夫ですか?」
「はい。もっともっと勉強して、必ず、ロイファー伯爵家に恩返しをします」
「いい心がけです。ですが、ご無理だけはなさらず」
と、デニスさんはそれだけ言って部屋を出ていった。期待しています、という言葉ではなく、僕の体を気遣うような言葉。それにもまた、心が温かくなった。
もう一度、白いノートに向き合って、僕はあの家庭教師が落としていった教材を拾い上げる。もっと頑張れば、いい学校に入れるかもしれない。そこで、幸せな学校生活を……そんなことを夢見ながら、僕は再び万年筆を手に取ったのだった。
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