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第1部4章

07 罪人の告白

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 公爵家の態度が変わったのはあの悲劇から翌日のことだった。

 お父様からは謝罪の言葉を貰ったが、私の心には響かなかった。結局保身だし、公爵という座を爵位を奪われたくないが為の言い訳のようで。ロルベーアが受けてきた仕打ちに対しては何も。お父様は、ロルベーアのことを理解していないどころか、彼女を利用していたという自覚もなかったらしい。まあ、ロルベーアが言うことに関して一切口を挟まなかったのも理由の一つかも知れない。お父様は、皇宮の方から、殿下の方から直々に謹慎を言い渡され、家に籠もりっぱなしで、私を心配した使用人たちが入れ替り立ち替わりくるけれど、私の心はちっとも晴れなかった。心配されるのも嫌で、リーリエに頼んで、私の部屋の出入りは彼女だけにして貰った。その間も、お父様が尋ねてきたらしいが、私が一言「話すことは何もありません」と言ったら帰って行ってしまった。よくもまあ、自分の番を殺してこいと言った人がのこのこと私の前に姿を現せるものだと呆れてものも言えなかった。
 そしてその間、殿下が公爵家に訪れることもなく、時間だけが過ぎていった。あの真紅が、遠くにいる、それは何となく身体で分かっていた。番だからだろうか。でも彼の匂いも、姿も、彼の心の欠片さえも、今の私には感じることができなかった。
 愛し合っている番であれば、何処にいても相手の感情が分かるのに。また、あのテレパシーで私に呼びかけてくれないかな、なんて妄想した。でも、それは現実にならず、妄想のままだった。

 そうして、私の寿命は残り一週間となり、やり残したことも、思うこともない私は、公爵邸で過ごすことになるはずだった――


「貴方から呼び出してくるなんて珍しいわね。クラウト子息」
「すみません、この間のパーティーのことも謝りたくて」


 私は、公爵邸ではなく、シュテルン侯爵家にいた。三日ほど前に彼から手紙を貰い、もう残り一週間だし、という軽い考えからすぐに返事を返してここに来た。
 庭で話すのかと思っていたから、部屋だったのは少し意外だったがまあそんなことはどうでもいい。黄色い薔薇よりも、赤い薔薇を見て過ごしたかったし、侯爵家の庭じゃなかったことはマシと思うべきか。


(本当に、未練たらたらじゃない)


 赤、から彼を連想して、あの私をからかってくるような彼の顔が浮かんでくる。鮮明に焼き付いて離れない真紅を、私はどう忘れることが出来るだろうか。いや、きっと忘れられない。それこそ、呪いのように彼は私の心に居座り続ける。
 男なんて信用していなかったし、すぐに暴力を振るい、女性を下に見る生き物だと思っていた。性欲のはけ口に……私の出会ってきた男たちは、いつもそうで、私の男運のなさを何度呪ったことか。何故気づかなかったのか。私は何処かで、彼らに愛されているのならそれでいいと慢心していたのかも知れない。だから見落とした。
 過去の事なんてどうでもいいのに、男なんて、と思っていたのに、同じようなタイプなのに、私は殿下の事が忘れられなかった。出会いも最低で、身体の相性が大事だと強姦まがいから始まった関係で……いつも私をからかって、真意をみせないその夕焼けの瞳が、私は何だが歯がゆくて、それでいて、美しくて目が離せなかった。彼が私に心を開いてくれたら。そう何度も妄想した。けれど、そんなのは訪れなかった。


「ロルベーア嬢?」
「ああ、何でしたっけ。本当に珍しいこともあるんですね。ミステル嬢は?」
「彼女は……」


 クラウトは言いにくそうにカップの縁をなぞっていた。
 ミステルは、殿下の言っていたとおり敵国と繋がっていたという証拠が次から次に出てきて、逮捕寸前なのだとか。敵国への逃亡を考えているようで、決定的な証拠を掴み次第牢に放り込まれるだろう。
 クラウトも同じ状況だと思っていたが、彼のほうは違うようだった。


(トラバント伯爵家だけが行ったことでいいのかしら……?)


 手を組んで、私を陥れようとしていたと思っていたけれど、どうやらそれは外れたらしい。けれど、クラウトの方も容疑がかけられているようで、家からは一歩も出られないとか。
 紅茶にうつる自分の不安そうな顔を見ながら、私はクラウトに視線を移した。
 黒い髪はその光沢を少し失っているようで、サファイアの瞳も疲れ切った様子で曇っているようにも見えた。


「ミステル嬢は、そうですね……敵国と繋がっていたみたいで」
「クラウト子息は知らなかったと?」
「はい」
「嘘……」
「嘘じゃありません」
「私にそれを信じろと? もしかして、それを言うために私をここに呼びつけたんじゃないでしょうね」
「とんでもないです!」


 クラウトは違う、と顔を上げて私に訴えかけてきた。もう何も信じられないけれど、その必死さから、呼び出した理由は他にある、と取り敢えずそちらの方に意識を向けることにした。
 もう殿下との関係は断ち切ったのだし、クラウトが何をしようとそれを私が告発することはない。帝国の三つの星だと言われた私達御三家は、きっと潰れ、信用を失うだろう。帝国の太陽を欺いた悪しき星として……太陽に焼き尽くされてしまうのだろう。
 クラウトは、ふう……と息を吐いて、落ち着こうとしていた。しかしながら、引っかかることがない訳ではないので、私は、紅茶を一口飲んでから、クラウトに話題を振ることにした。


「クラウト子息は、ミステル嬢のことを愛していなかったのですか?」
「どうして、そう思うんですか」
「だって、婚約者に容疑がかけられていたら気にするじゃないですか。不安になったり、心配になったり……でも、クラウト子息からは全くそういった気持ちが感じられないんです」
「ロルベーア嬢は……」
「私だったら心配になりますよ。でも、もしこの婚約も政略結婚で、そこに愛がないとしたら……クラウト子息は、ミステル嬢に騙されたということになりますよね」


 私がにこりと微笑めば、クラウトは、いたいところを疲れたように顔をハッとさせて、その手を震わせた。
 ミステルは、クラウトのことを愛していたみたいだった。けれど、クラウトからはそれらが感じられない。愛なんて表に出す感情じゃないかも知れないけれど、伝わってくるものだろう。だからこそ、ミステルの一方的な思いだと。狩猟大会で見たあれは、ミステルが一方的に思いを伝えていたんだと今分かった。
 ミステルとクラウトは、所詮政略結婚。公爵家を陥れるために手を組んだだけに過ぎない。結局は、彼らも親のいざこざに巻き込まれたというわけだ。
 ミステルに関しては、何だか同情が湧いてきた。やられたことに対しては未だ怒りを抱えているけれど、私と同じ……愛しても、それが返ってくることはなかったと。


「騙されたなんてそんな……」
「では、知っていたと? 彼女たちの家が、帝国の情報を売っていたことを」
「……」
「まあ、私は何も言いません。もう、殿下との繋がりはないですし」
「殿下との繋がりはないって、どういうことですか。ロルベーア嬢」
「噂、聞いていませんか? 殿下は、一週間以内に私を殺しに来るでしょう。番契約が破棄されないままだと困るので、聖女様と新たに番契約をするためには私を殺すしかないのです」
「そんなっ!」


 何故かクラウトは慌てたように、口元を覆った。けれど、何だかそれが驚きというより歓喜の色も含んでいる気がして、うなじあたりがピリッと痛む。胸に不安が渦巻きだし、私は眉をひそめてクラウトを見る。
 彼は本当に知らなかったのだろうか。


「失礼でなければ……ロルベーア嬢の命は残り一週間だと」
「はい。私の呪いが解けていない以上、殿下との間に愛は生れなかったと考えていいでしょう。一年もあったのに、私は殿下を振向かせられなかった。それだけの話です」
「……殿下は惜しい人を」
「クラウト子息?」
「あっ、いえ。何でも。ロルベーア嬢はどうするんですか。一週間しかないのに……何故僕に会いに来てくれたんですか」
「何故? 別に、暇つぶしのようなものです。やることもないですし、未練も――」


 未練、あるに決まっているのに、そう言うことしかできなかった。もう彼の腕に抱かれることはないし、彼に嫌味のようなでもからかっているって分かる笑顔を向けられることもない。もし、向けられでもしたらきっと未練が膨らんで、彼から離れられなくなる。生きたいと思ってしまいたくなる。
 私は目を伏せ、「未練はないです」ともう一度自分に言い聞かせるようにいった。すると、カチャ、とソーサーにカップを置いたクラウトが立ち上がると私の方に歩み寄ってきた。


「本当に未練はないですか」
「はい。この一週間で出来る事なんてないでしょうから」
「だったら――」
「……っ、クラウト、子息?」


 肩を掴まれたかと思いきや、彼の唇が私の唇に触れた。その瞬間、今まで感じたことのないような嫌悪感、吐き気が襲ってきて私は慌ててクラウトの身体を思いきり押した。


「何をっ」
「未練が、ないのでしたら……最後に僕に思い出を下さい。ロルベーア嬢……ロルベーア」
「な、何を」


 口元を押さえながら彼を見やれば、彼は泣いていた。私よりも悲痛そうに顔を歪めて……そして、切なそうに笑ったのだ。私はその笑顔に胸が締め付けられるようだった。泣きたいのは私の方なのに、泣かれてしまったらどうすればいいのか分からない。こんな顔、まるで失恋したみたいな――
 抵抗することもできず、私はクラウトに抱き上げられ、隣の部屋に連れて行かれる。そこには、大きなベッドがあり、殿下とは違って優しく下ろされる。しかし、その手はベッドサイドから伸びた頑丈な鎖で拘束される。


「クラウト子息、やめてくださいっ!」
「どうせ、ロルベーアは一週間以内に死ぬんでしょう。だったら、僕に抱かれてもいいじゃないですか。どうせ、どうせ……殿下より僕の方がロルベーアのことを愛しているのに!」
「……っ」


 そう叫びながら彼は私のドレスを引きちぎった。


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