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第1部4章

06 最悪の連鎖

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(――青薔薇の香り……公爵邸についたのね)


 魔法詠唱なんてあまりしないものだから、上手くいくか心配だった。示した座標につくのかもどうか分からず不安だったが、どうやら目的地には着いたみたいだった。
 周りに人はいなかったようで、裏口から入ろうかと思ったが、そんな気力もなく、目の前にある玄関から家の中に入る。


「ロルベーア!?」


 玄関の扉を開けた先には、執事長と話すお父様がいた。お父様は私を見ると、お化けでも出たようなそんな顔をして私に近づいてきた。


「お父様、あの私――」
「ロルベーア無事だったか」
「え?」
「話は聞いている。聖女が、皇太子殿下の呪いを解いたという報告を受けてな。もしや、捕まったのではないかと心配だったんだ」
「心配、捕まる……?」
「ああ。お前はもう用済みだとそう言われるに違いない。だから、な」


と、何故か諭すようにお父様は私にいってきた。そんなことが言って欲しいわけでもなく、やっぱりこの人はこういう人なんだと、自分が心配されていない事実に気づき、私はスッと顔から感情が剥がれ落ちる。それに気づいたのは執事長だけで、お父様はまだ何かぺちゃくちゃと話していた。取り敢えずは、私が生きていることに安堵している、みたいな内容だった。というか、話が伝わるのが早すぎて驚きだ。まだ数時間も経っていないだろうに。

 そんなことを考えながら、私は眉をひそめてお父様を見る。しかし、お父様は、そんな私の顔なんて見向きもせず、懐から、鞘に入ったナイフを取り出すと私に渡してきたのだ。


「な、何ですか。これは」
「これで、皇太子殿下を殺すんだ」
「……っ、何を言っているんですかお父様」
「どうせ、お前は殺される。ならば、皇太子を道連れにしろ。作戦は失敗した。我々の家は皇太子の一年を奪った家だと指を刺され、政治からも退くことになるだろう……そうなれば、死んだも同然だ」


 そうお父様は忌々しそうに言う。
 そんなこと私に言われても困るのだ。確かにその自覚はある。けれど、そうしろと命令したのはお父様じゃないかと。そして、殿下を殺すように私に、彼の番である私にいってきたのだ。そんなのあんまりだと。しかし、お父様は、できるよな、やってくれるよな、と肩を叩く。気持ち悪かった。私をどこまでも人形と、操り人形だと思っているこの男が。このナイフを抜いてお父様に突き立てれば気が済むだろうか。いや、そんなことじゃ気がすまないだろう。小説の……本来のロルベーアはこんな父親に期待されて――

 惨めだ。死にたくなる。


「殿下を殺せと、お父様は本気でそう言っているんですか」
「ああ。そうだ。勿論、お前も死なねばならぬ。番契約が破棄されたとしても、番契約を結んだお前は誰も貰ってくれないだろうしな。だったら――」
「では、修道院にでも行きましょうか?」
「な、何を言っているんだ、ロルベーア。お前は、そんなこと望んでいないだろう。公爵家の一員として、誇り高く死ぬのが、お前の望みだろう」
「勝手に決めつかないで下さい。だったら、修道院ではなく、娼館にでもいきましょうか? そしたら、番以外の男に抱かれたと、私は廃人になるでしょうけどね……それも惨めで……だったら、今ここで死んで差し上げてもいいですけど」
「な、何を、ロルベーア!」


 鞘からナイフを引き抜いて、私はそれを自分の心臓に向けた。お父様は狼狽え、執事長は警備の騎士を呼んでこようと動き出す。でも、きっとそれじゃあ遅い。


「お父様は、私はお父様の操り人形じゃありません。これまで従順に従っていたのは、私に利益があると思っていたから。でも、今回のそれは、何の利益にもならない……私は番を殺せません。殺させません」
「ロルベーアやめろ!」
「お父様に命令などされたくないです」


 まるで、人魚姫の物語みたいだ。
 王子を殺したら人魚姫は生きながらえることができる。でも、王子を愛していた人魚姫は泡になる事を決めると……本来の物語はこうじゃなかったかも知れないけれど、それでも、私はそうしたいと思った。
 殿下を殺す事なんて出来ない。
 彼が幸せになるって確定した今でも、私は彼を愛している。でも、だからこそ、幸せを願うんじゃないだろうか。私は殿下を――


「……アイン」


 ナイフを突き立てようと勢いをつけたその瞬間、スッとそのナイフが手から抜けるような感覚がした。


「――公女、ダメだ」
「……殿下?」
「こ、皇太子殿下!?」


 確かに、ナイフで心臓を突こうとした。けれど、ナイフは奪われ、遠くへと投げ捨てられる。遠くで、壁にぶつかったのか、ナイフの金属音が小さく響いた。
 私の手を掴んだのは殿下だった。そして、私を後ろからぎゅっと抱き締めたのだ。私はてっきり騎士団が来たと思ったのに、驚いて動けなくなっていた。私に回された腕は少し震えているように感じれたから。抵抗することができなかった。
 でも何で、殿下がここにいるのか。さっきまで、神殿にいたはずなのに。
 めまぐるしく怒る、異常事態に私は感情を置き去りにする事しか出来ず、頭では何も考えられなくなっていた。


「皇太子殿下、これは……」
「娘に……娘に、番を殺させようとしたのか。公爵」
「ご、誤解です! 皇太子殿下! これは!」
「言い訳は聞きたくない。失せろ。命が惜しければな……ハッ、帝国の三つの星など笑えるな……どいつもこいつも自分の利益しか考えないクズ共だ。子供を自分の操り人形だと思いやがって」
「殿下、何故……」
「ん? どうした、公女」
「何でここにいるんですか……聖女様は?」
「……話は、部屋で聞こう。公女の部屋に行ってもいいな?」
「待ってください。ここで――」


 そう言おうと思ったが、またしても彼に抱き上げられ私の部屋へと連れていかれた。殿下にこうやって触れられるのってもう何回目だ、とそんなことを考える。


「殿下、話を――きゃあ!」
「すまない、力加減を間違えたな」
「わざとですね、殿下!」


 部屋の鍵はかけられ、私は自室のベッドの上に放り投げられる。そして、その上から逃がさないと、殿下は私の上にのしかかってきた。


「何をしようとしていた」
「なにをって……さっきの……」
「自死はオススメしない。俺を一人にするつもりか」
「……あ」
「……その様子だと、忘れていたらしいな。だが、公女。公女がそれほど俺を思っていたなんて知らなかった」
「な、何でですか?」
「自死すれば、俺は番に先立たれた悲しいヤツになるからな。番契約は破棄されず、番だったという事実が残り、俺は他の女と交わることができなくなる。一生独り身だな」


と、殿下は嘲笑う。でもその嘲笑は、自分に対して言っているようで、目が寂しそうだ。心なしか、彼の目の縁が赤くなっているような気がする。先ほど見た、泣きそうな子供の顔をしている彼を前に私は言葉を失うしかない。

 そして、そういえば、そんなシステムだったな、と番契約のことを思い出した。
 人魚姫の物語は、人魚姫のことを忘れられちゃうけど、番契約はそうはいかない。私が自死すれば、殿下は一生私と繋がれたままになってしまうのだ。だからこそ、番契約を破棄するときは、殿下が私を殺さないと。


「……別に、殿下の事を思ってやったのではありません。お父様にむかついたから」
「だが、殿下を殺せない、いや殺させないと言っていただろう? あれは、俺への愛と捉えてもいいんじゃないか?」
「……」
「公女、俺はイーリスと結ばれる気などない。公女がいい」


 そう、殿下は改まって言った。しかし、まだ真意の読めない目を、私は受け入れることができなかった。それが答えだと、彼は訴えかけてくるようだった。しかし、それが返って……脅迫のようにも思えた。ベッドに押さえつけられ、それを受け入れなければ犯すぞと言わんばかりの怖い顔。そんな人に、愛を、愛していると伝えられるだろうか。高望みかも知れないが、こんな状況で言いたくなかった。
 それに、彼女のことはイーリスと呼び捨てにしているのに、私のことは公女だと。こんなことで、苛立ってしまう私は子供同然だとは思うけれど、その一言にすら、私は反発したいほど、敏感になっていた。今何を言われても、言い訳とか、嘘にしか聞えなくなっている。


「殿下、離してください」
「離したら逃げるだろ?」
「またそれですか。私はこんな状況で言われても、脅迫だとしか思えません。殿下は、私に脅迫して、無理矢理愛していると言われたいんですか」
「……っ、公女は――」
「……殿下。どうせ私は一ヶ月後に死ぬ運命なのです。殿下が今私を愛してくれているのなら、私の呪いは解けているはずなのです。でも、殿下は分からないんでしょ? 私を愛しているかどうか」
「それは、違う……俺は公女を……クソッ」


 私はその言葉を遮った。
 だって、結局殿下は私に愛していると言ってくれなかったから。たった一言なのに、それを渋っているような、言いたくないとでも言わんばかりの態度に私はそっと目を伏せた。もちろん、私も愛していると言えなかったけど。
 殿下はピタリと止め、不安の色が見える夕焼けの瞳で私を見下ろした。もしかしたら、これを言ったら、殿下は無理矢理にでも私を抱くかも知れない。殿下は機嫌が悪いといつもそうだったから。そしたら、最期の思い出になるだろうか。いや、そんなの思い出にしたくない。
 抱かれるのなら、愛し合って、愛を囁き合って、甘く溶け合うみたいな――


(……馬鹿みたいな妄想)


 本当に馬鹿、くだらない。
 私は、どうにか言葉を頭で並べて、張り付いた喉を開いてその唇を開き、言葉を紡いだ。


「だったら――、だったら私を殺して番契約を切って下さい。そして、聖女様と幸せになって下さい。私はそれを望んでいます。不甲斐ない、番ですみません」
「こう…………っクソ、クソッ! 何で。公女は、俺をそんな目で見るんだ! そんな、不安で、信頼も欠片もない目で。公女はどうして、俺にそんな目を向けるんだ。公女は俺のことを……」
「……お互い様でしょ。貴方も、私のこと、信じられないって目で見るから」
「……っ、……こう、……っ」



 そう言うと、殿下は私から手を離して、乱暴に扉を開けると、部屋から出ていった。私はそれを確認して起き上がると、堪えていた涙を乱暴に拭った。また会えるのかなんて分からないが、もう一度出会うときは普通に彼と話したかった。好きって伝えてしまいそうになった……でも、堪えた。どうせ、どうせ伝わらない、思い合えない。殿下が、人を愛することを知らないから……いや、これは言い訳で。私は、彼の隣に立つ資格がないと思った。だって、イーリスと隣にいた方が、殿下は輝いて見えたから。ヒロインとヒーローだから? そこに、敗北感を感じているのも事実だった。それに、あと一ヶ月でどうこうできる問題じゃない。
 私自身が、殿下を完全に受け入れられるような、そんな余裕がないから断ってしまった、拒絶してしまった。全てをなげうって、色んな可能性がある中、自分を貫ける人間だったのなら、私は殿下を受け入れて、あのままキスをして、愛していると伝えていただろうけど。私にはその勇気がなかった。


「ごめん、なさい……すき、好きです、殿下……好き……」


 最悪だ。言えばよかったのに、言えなかった。意気地なし。
 負け犬の遠吠えか。後出しじゃんけんだ。
 殿下に好きだって言いたかった、愛しているって。そして、愛しているって言って欲しかった。私だけを……私が必要だって、いつもみたいに強引に私を。いや、拒絶したのは私だ。我儘な私だ。
 彼がいなくなってから、決壊したように零れた言葉は、地面に落ちるだけ。彼には届かない。私がもっと強かったら、彼に言えたのかも知れない。でも……
 そんな後悔を抱えながらしばらくベッドの上で泣いていた。 
 だって、そうしたら、きっと互いの枷になってしまうから。さっき、あの瞬間言わなくてよかったと。


「……好き、愛してます。さようなら。アインザーム」


 最後の愛の言葉。そこに、それを聞かせたかった真紅の彼はいないけど。これでおしまい。私の恋はここで――
 そのまま目を閉じて、一生闇に意識を沈めていたい。けれど、私の意に反して、次の朝日が昇ってきてしまった。
 

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