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第3部3章
01 指輪の行方
しおりを挟む「すまなかった、公女」
「殿下が謝ることではないので。もう、お体のほうは大丈夫ですか?」
「ああ……おかげさまで」
弱々しく答えた彼の姿に胸が痛む。どうにか笑顔を取り繕って話してみるが、頬が引きつっていたらしく、殿下は申し訳なさそうに眉を下げた。
つらかったのは殿下だろうに、私の心配までしてくれて。
殿下との面会が許されたのは、ヴァイスの取引から三日たってのことだった。あと四日……それまでに私は答えを決めないといけないらしい。皇宮までの距離はそこまでかからないし、急に呼び出すこともあるかもしれないと少し多めに転移魔法のかかった魔法石をもらった。これで、いつでも殿下のもとにいけるわけだが、私が接触することで、また殿下が苦しんだらと、私は不安だった。
誰も私のせいじゃないというし、自分自身誰のせいでもない……ヴァイスが悪いとは思ってても、こうもやることが裏目に出ると次にどうしていいかわからなくなるのだ。こうして、殿下が私のもとを訪ねてきてくれたのはうれしいけれど、彼をまた傷つけたらと思うと怖くて仕方がない。
「もう、大丈夫だからな、公女。そんな顔しないでくれ」
「そんな顔って」
「今にも死んでしまいそうな顔」
と、言われ私は自分の目を擦った。だが、殿下に手を掴まれ顔を確認することも、隠すこともできなくなった。
「隈がひどい。寝ていないだろ、公女」
「寝ていない、そうですね。寝れないです」
「それに、泣いていたんだろ、目のふちも赤い。それに、肌の調子が良くない」
「どこまで私のこと細かく見ているんですか。ちょっと怖いです」
「……心配にもなる」
優しい言葉をかけてくれると、思い出してくれたんじゃないかと期待する。でも、その期待はすぐにも裏切られるから私は期待しないようにした。殿下も、自分の気持ちが消化できずに気持ち悪いだろう。すっかりと忘れてくれていればそうじゃなかったかもしれない。でも、ここまでかかわってしまったら、かかわらないというほうが無理だ。
とりあえず座ろうと、促され私は応接室のソファに腰を掛ける。真っ赤なソファに体が沈んでいくのを感じながら、私は息を吐く。ため息にならないようにとだけ気を付けて、私は膝の上で手を重ねた。
「でも、殿下の体調がよくなって嬉しいですよ。本当に、こうやって訪ねてきてくれることも。昔を思い出します」
「昔か……」
「はい」
違う、今も昔も変わらない。過去にとらわれすぎているせいでそんな言い方になってしまったが、彼の根本的な優しさというか気遣いというものは変わらないのだ。私が変わってしまったと思っているだけで、彼は何も……
そう思いながら、私は殿下をちらりと見る。
真紅の髪は光を帯びて輝いていて、夕焼けの瞳にはまつ毛が影を落としている。本当に悩む姿も絵になるきれいな人だと私は思う。でも、その体には無数の傷があって、鍛え上げられた筋肉は衰えることがなくて……
「公女は変わりないか?」
「私ですか? はい、変わりません……変わらないわ。ずっと」
「そうか」
会話が続かない。殿下も気を使いすぎてどう話せばいいのかわからないのだろう。
私もどう接すればいいのかわからなくなり、気を紛らわそうと視線を移せば、殿下の大きな手に目がいった。そこにはるはずのものがなかったからだ。
「アイン……」
「どうした公女?」
「いえ……ううん、アイン、指輪は?」
彼と一緒に買った指輪がない。結婚指輪にしては早すぎるといいながらも、押しに負けて買ったペアリングだ。自暴自棄になったとき、初めて買った指輪を捨ててしまったことに殿下は激怒していたし、引きずっていた。新しく買ったやつはもう二度と手放さないというように大事にしていたのに。
記憶がないから外したのだろうか。いや、この間までははめていたはずだとぐるぐるとよくない思考が回っていく。殿下も、あ、というように指を撫でて、右へ、左へと視線を動かしたうち唇をかんだ。
「……なくなった」
「……」
「なくした、といったら傷つけるだろ。いや、なくしている時点で傷つけたかもしれない。大切なものだろう」
「はい」
「……俺が倒れている間になくなっていた。気づいたのはつい最近だが、そこにあるはずのものがないと、また何かが零れ落ちるような感覚がしたんだ。またピースが自分の中から外れたような。探してみたが、なかった」
と、殿下は白状してくれた。自ら外したわけではないということがわかり、それだけは安心できたのだが、なくした、というより、それは誰かに盗まれたというほうが高いのではないかと思った。倒れている間に、と言っていたから。私はその間彼に触れてもいないし見てもいない。皇宮の一室で何があったかも知らないけれど、もし、もしもそれもヴァイスが何かしていたとしたら……
すべて彼につなげてしまうのは前科があるからであり、私の心を揺さぶるにはもってこいの出来事だ。けれど、殿下が言ってくれたことでそれは軽減される。それでも、つながっていたものの片割れがなくなるというこの喪失感は埋めようにも埋められない。
「すまない。本当に」
「いいえ、殿下が悪いんじゃないですし。指輪は……」
「あれじゃなきゃダメだ……ダメな気がする」
「アイン……」
「くそ、俺はなんで思い出せない? 大切なもののはずなのに、俺はなぜ」
そうして、またうっ、と痛そうに頭を抱える。
ムリに思い出そうとすれば、本当にもう二度とその記憶が戻ってこないかもしれない。それだけはやめてほしかった。そんなにも痛い思いをして思い出さなくてもいい。本当は思い出してほしいっていうわがままな思いはあるけれど私が望んでいるのはそうじゃない。
私は、やめてといって、殿下の手を取って、顔をこちらに向けさせた。殿下の夕焼けの瞳はまた不安そうに揺れている。だから、そんな顔しないでほしい。私は、そのためなら――
「殿下、大丈夫です。その記憶はもう少しで戻りますから。だから、今は無理しないでください。貴方が傷つくのを、私は何よりも恐れますし、傷ついてしまいます」
「公女……」
「大丈夫です。殿下……アイン、大丈夫だから」
抱きしめなければいけなかった。いや、抱きしめないと自分の弱った顔を見せてしまいそうだったから私は彼を抱きしめた。彼は私の背中に手を回し抱きしめてくれた。とくん、とくんと脈打つ彼の心臓。生きているだけでもいい、記憶がなくても殿下は殿下だ。それだけでも幸せなのに、彼との思い出を回想してそこに逃げようとしてしまう自分がいる。今ここにいる彼のことをもっと考えてあげなければならないのに。それでも、殿下が過去の自分を取り戻したいというのであれば、私はそれに賛同するし、どんな手を使ってでも思い出させてあげるつもりだ。どんな手でも。
(決まった……でも、一つだけ確認したいことがある。今後のために……)
私はしばらく殿下と抱き合った後、彼の名前を呼ぶ。すると、彼はうれしそうに「公女」と名前で呼ぶのは照れ臭いというように返してくれた。でも、最後くらいは名前で呼んでほしくて私は恥ずかしがるしぐさをしながら殿下をちらりと見た。
「ロルベーアと呼んでくれないの? アインは」
「ろ、公女」
「なんで! もう、いいじゃないですか。私たちの仲なんですし」
「しかし」
「渋る必要なんてないですし、名前を言って私が消えるわけでもないじゃないですか。それに、貴方に名前を呼ばれるほうが私はうれしいわ」
きっと今の殿下は、自分が呼ばせようとしたことを忘れているだろう。あの日もいきなりだった。突発的にあんなことを言い出すものだから、今でも記憶に残っている。
殿下はしばらく考え込んだ後、ちらりとこちらを見て咳払いをした。
「……ロルベーア」
「はい」
「フッ、何がそんなにうれしいんだ。名前を呼んだだけだぞ?」
「そうです。それがいいんです。名前を呼んでくれる、ただそれだけで、私は幸せになれるの」
ぎゅっと、自分の指にはめている指輪をなぞって私は笑顔を向ける。殿下は照れ臭そうに頬を掻いた後、頬を染めてもう一度小さく私の名前を呼んでいた。
「ロルベーア……ロルベーア、か」
懐かしそうに何度もつぶやく殿下を見ていると、私の選択はきっと正しいのだろうとそう思えてきて、ようやく覚悟が決まった気がした。
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