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プロローグ
無理やり抱かれるのは、趣味じゃないので
しおりを挟むバレたら殺される――
「脱げ。ペチカ・アジェリット公爵令嬢」
「何故ですか?」
「今からヤるからに決まっているだろ。それとも、ベッドに連れ込まれて、男女が二人……いくら病弱な箱入り令嬢とはいえ、この意味が分からないではないな?」
暗闇に光る赤い瞳。黄金を一身に受けまとったような輝かしい髪。見下ろすその冷たい瞳は、熱も愛情も感じられない。拒否権はないと、気が変われば殺すぞと言わんばかりのその目に射抜かれ、私はごくりと固唾を飲み込んだ。
パサリとシミ一つないシーツの上にサーモンピンクの髪が広がる。毛先は濃いピンク色になっており、グラデーションとなっているその髪は、白の上ではさらに良く映えた。
私を押し倒す彼――ゼイン・ブルートシュタイン皇太子に今から抱かれるという恐怖よりも、彼に自分の正体がバレる方が何よりも恐ろしかった。彼がよく言う、万死に値する、ことだから。
「震えているな……これだから、女は苦手だ」
「では、抱かなければいい話なのでは?」
「……そうはいかないだろう。身体の相性は大事だ。最も、大事なのは、お前が子供を埋める身体かどうかだがな」
「……」
女性を蔑むような発言にムカッと来た。だが、それを顔に出してしまえば、気分やな暴君である皇太子の精神を逆なですることになるだろう。そうなれば、正体がバレる、バレない以前の問題だ。
緊張が走る寝室。
抱かれるのは時間の問題かもしれない。
だが、抱く側である皇太子には、全く私に気がないといった雰囲気が伝わってきて、だったら……と今すぐベッドの上から降りて逃げたいのだが、彼の言う通り、私は彼の子供を産むためだけに、ここにいるのだろう。そこに愛やらなんやらは必要ないと。皇太子が、皇位を受け継ぐ際に、伴侶がいなければならないから。そして、女嫌いの皇太子が選んだ女というのが、私――ペチカ・アジェリット。公爵家の公女にして、表向きは病弱な令嬢……だが。
「貴様の弟は、もっと威勢がいいぞ? 俺につっかかってくる。貴様の兄のよしみで相手をしてやっているが……まあ、面白い男だ」
「弟……」
「病弱な貴様とは違い、良く動き、食べる男だ。少し小柄なのが残念なところではあるが、腕っぷしはいい。剣さばきも、身軽さも……近衛騎士団の中で一目置かれている。ベテル・アジェリットは」
「……」
アジェリット公爵家には三人の子供がいる。長男のイグニス・アジェリット。そして、双子の姉弟ペチカ・アジェリットと、ベテル・アジェリット……長男のイグニス、お兄様は殿下の側近であり親友。彼と戦場で背中を預け合った仲であり、剣と魔法の腕を見込まれ、英雄の右腕とも言われている。そして、ベテル・アジェリットはそんな兄の背中を追うようにして現れた超新星。小柄で背丈は成人男性の平均はないものの、その小柄さを武器にスピードのある攻撃と、正確な剣さばき、敵の急所を一発で狙い撃つその姿から、兄同様、近衛騎士団に最年少で入団し、一目置かれている。だが、その姉のペチカ・アジェリットは病弱で、社交界にも顔を出さない幽霊令嬢と言われている……が、実際は――
(その、ベテル・アジェリットって私のことなのよねえ……)
からくりというほどのことでもないが、実際は、ベテル・アジェリットは幼いころに他界しており、ベテルの死を受け入れられなかったお母様が、私にベテルとして生きるよう命じたことが事の始まりだった。お母様は、あろうことか自分の子供に恋心を抱き、お兄様とベテルの愛を一身に受けていた私を怨み、そしてベテルが死んだあと、私にベテルの代わりになれと……お母様の歪んだ愛情は、お兄様もお父様も知っていて、けれど癇癪を起されてはめんどくさいとお父様には何度も謝罪を受けながら、私はベテルと、ペチカの二人を演じ生きてきた。一人二役……どちらもが同じ舞台には立てない、表には立てない。だからこそ、お母様の言いつけ通り私はベテルとしての成果を残し、ペチカを病弱な令嬢として扱い生きてきた。
ベテルなんていう超新星は偽物だ、もうこの世に存在しない、してはならない。お母様が作り上げた虚像の存在。
でも、私がベテルとして生きていけるのは、ベテルとしても、ペチカとしても生きていけるのは、お父様とお兄様のおかげだ。お兄様は特別私に優しくしてくれて。
だからこそ、バレてはいけない。この男にだけは。
「そうですか、弟がお世話になっているようで」
「ああ、そうだな。それはもうお世話になっている……貴様を選んだのは、俺にとって都合がいいからだ。俺の女嫌いについては、貴様もよく知っているだろう?」
「はあ、まあ、存じてますが」
いやというほど聞いてきたことだし。
かといって、男色の噂があるわけでもない。ただの女性嫌い。そして、基本的に周りを信用していない暴君……お兄様がいなければ、元背中を預けていた補佐官の裏切りに耐えられず彼の行動はさらに過激化していただろう。
「貴様は、条件がいい。俺にベタベタしない、俺に好意がない……まあ、こんなところか」
(それって、本当にいい条件なのかしら……)
指を折って数えて、これだけだったか? という顔をされても、そちらの条件とか、都合とかは分からない。ただ、私が選ばれてしまった理由が、そんな理由だったなんて考えたら、反吐が出そうだった。いつもは、男装して彼の近くにいるけれど、女性の前だとこんなにも態度が変わるなんて……
(いや、通常運転だった。こういう人だった)
近くにいたから分かる。この皇太子は、こういう男だったって。
「皇太子殿下は、弟のことが好きなのですか?」
「あ?」
「男色の噂は聞きませんが、弟に執着しているように思えましたので」
「……顔がいい」
「へ?」
無理やりではないけれど、合意のへったくれもない行為が始まるのを遅らせたいからと聞いた質問に、珍しく暴君様は口元に手をやって顔をそらした。
聞き間違えだ無ければ、顔がいいと。
暴君様が。
「顔が可愛い。貴様の弟は顔が可愛い。貴様の弟だろう。双子の! だから、顔も似ているだろうし、条件もいいから、婚約者として最適だと思ったのだ!」
「は、はあ……」
それで、選ばれたって、やっぱり、殿下は私の顔がタイプだと……
(ややこしくなったわ。余計、ややこしくなったわ……)
お兄様に言ったら笑われそうだし、面白そうだから解決方法は言わないでおくよ! なんてこと言われかねないので、言ったところでこの現状が変わるわけでもない。
殿下も殿下で、恥ずかしい、こんなこと言わせるな! と耳を真っ赤にし、私の服をはぎ取った。ひんやりとした寝室の空気にさらされた肌はぶるりと身震いし、頭の上にひねり上げられた手は力が強くてほどけそうになかった。
「強姦ですが」
「違うが? 婚約者だ……一応、未来の妻だ」
「はあ……」
「本当に貴様も、おかしな女だな。弟と一緒で」
「別に、らしいと思ったんです。やり方が」
「らしい?」
と、殿下はよくわかっていないような顔をする。
殿下のやり方というか、彼の行動はなんとなく予想できる。それほど近くにいたのだから。そう、ずっと……
「何を言っているか分からないが、黙って抱かれろ」
「黙って抱かれるわけがないじゃないですかね……! 皇太子殿下っ!」
「んなっ」
さすがに、カチンときたので、私は唯一自由な足を殿下のみぞおちを狙い蹴り上げた。本当なら、ソレが使い物にならなくなっても……と思ったが、かわいそうなのでやめた。クリーンヒットだったらしく、殿下は腹を抑え、私から手を離した。
「無理やり抱かれるのは、趣味じゃないので。出直してきてくれると、嬉しいです。皇太子殿下と、婚約破棄してください」
「クソ……ッ、足癖の悪い女め」
ベッドの上で立ち上がり、彼に剣先を向けるように私はにこりと見下ろし、殿下に向かって微笑んだ。
忌々しそうに、殿下はクッ、と唇を強くかむ。
私――ペチカ・アジェリットは、今は亡き弟ベテル・アジェリットを演じる、二人二役男装令嬢。この秘密だけは、婚約者である彼に知られてはならない絶対の秘密だ。
だから何としてでも、この暴君との婚約は破棄しなければならない。バレてことが大きくなる前に。
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