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第1章
08 一目ぼれ
しおりを挟む「ひとめ、ぼれ……?」
「ああ、恥ずかしくて言えた物じゃないと思っていたが……貴様が、婚約破棄を望むから。俺自身が、婚約破棄をしたくないと、その理由をいったら納得してもらえると思っていたが」
どうだ? と、殿下は私の方をちらりと見た。
そんな理由があったとはつゆ知らず、というか、全く予想もしていなかったことでもあったので、私は思考が追いついていなかった。
あの殿下が、一目ぼれだと言い出したのだから。
(殿下が一目ぼれ? 明日槍でも降るんじゃないの……? じゃなくて、え、一目ぼれ!?)
急にうるさくなりだした心臓と、顔を上げれば殿下がいつも以上に輝いて見えてしまったのもあって、私はすぐにかをそらした。見ていると、顔が熱くなって、心臓もうるさい。
「ひ、一目ぼれですか」
「ああ、一目ぼれだ。何度言わせる」
「で、ですが、私と、弟のベテルは顔が似ています。双子なので……ですから、一目ぼれなんて、その、あり得ないじゃないですか。だったら、ベテルの顔が……」
「もちろん、顔が好きだと言ったのは事実だ。だが、ベテルは男だろ? もう腐るほどいっているが、俺は男が好きなわけじゃない。ベテルの顔がいいのは認める。だが、あいつの精神が、騎士としての在り方が、人間として好きなのだ。けど、貴様は……まだ出会って二回目、のはず……でも、俺は貴様から目が離せなかった。これを一目ぼれと言わずして、何という」
殿下はそう言い切ると、喉が渇いたと紅茶を飲み干し、熱いとやけどしたように舌を出す。
いつもは冷静沈着で、恐ろしいほど殺気立っている殿下が、今は子供ように自分がままならないと、かっこ悪い姿を私に見せている。
ベテルの前では見せなかったその姿に、私は新鮮味を感じ、そして彼という人間の本質に少し触れた気がした。
(一目ぼれ……一目ぼれ、か……)
「それは、その。私の顔が好きなのはわかりましたけど、その……」
言葉がまとまらなかった。
顔が好き、一目ぼれってそこから始まるものだろう。ベテルではなく、私だった理由がもう一つ欲しかった。女しか好きじゃない。だから、ベテルはいいと思っていても男だから、顔の似た私に? ともなってしまって、結局は真相がぼやけてしまう気がしたのだ。第一に、私は女らしくない。可愛い令嬢のようになりたいと思っていても、長年の男装生活で男性という物が染みついてしまっている。だから、自分を可愛いとは思えなかった。
「貴様は、可愛い」
「ひぇっ」
「何を、ぶつぶつと言っているか分からないが、卑下するな。貴様が、社交の場に出ないのは知っている。それは、単に病弱だからなのか? それとも自信がないからなのか? そんなこと俺にはどうでもいい。俺が可愛いと言っているんだ。それを否定するのであれば、貴様は俺の目が狂っていると言っていると同義になるぞ」
「……殿下は、私が可愛いと」
「あ、ああ……」
と、頬をかきながら殿下は視線を逸らす。
本当に初めてのことばかり過ぎて、私は受け止めづらかった。両手に抱えきれないものを一気に手渡されて、ぽろぽろとあふれていくのを必死に防ぐので精いっぱいだ。
(殿下が、殿下が私のこと可愛いって!?)
自身がなかったのは認めよう。卑下してしまったことを、本来の自分――ペチカ・アジェリットを否定してしまいそうになったことを認めよう。そして、そのうえで、それを打ち壊して、殿下はペチカである私を可愛いと言ってくれた。ベテルと比べないで、私を好きと。
ドクン、ドクンと心臓が脈打ち、火照った身体は冷えてはくれなかった。
始めてもらう言葉で、胸がいっぱいになる。それと同時に、本来の目的を忘れそうになる。
(この状態で、婚約破棄をって言えないわ……)
殿下が伴侶を見つけたのち、皇帝になる。私はそれを夢見てきた。
彼が皇太子ではなく、皇帝にたって、この帝国を導いていく姿を。ずっと想像してきた。
だからこそ、第二皇子の派閥の力が強くなる前に、その力を知らしめて、皇位継承争いに勝たなければならないのだ。そのために、必要なのが婚約者であり、妻であると。
「その、もう一回いっていただけますか?」
「何をだ」
「か、可愛いって……」
「そ、そういうところが、可愛いと言っているのだ。やめろ」
「え、今私、何か!?」
本当に、惚れているようで、殿下は、私が見つめただけで、顔を隠す。本当に彼は私の知っている殿下なのだろうか。
(この間、つまらないとか言ってたくせに……あれが全部、照れ隠しだったとでもいうの?)
いや、それにしてはどんな照れ隠しだ。ひとを傷つける照れ隠しなど、照れ隠しなんていう、可愛らしい名前を名乗ってはいけない。私はあの時かなり傷ついたというのに、傷つき損というか。それは、殿下の言葉が悪いのであって。
もしかしたら、それもあって、今回は研究してきたのかもしれない。殿下が、恋愛の研究なんて笑わせるけれど、そういうのがあっても……
「クソ、貴様といい、ベテルといい……本当に俺をどうしたいんだ」
「それはこっちのセリフですが? ですが、やはり少し待っていただけませんか?」
「何だ」
「婚約破棄のことです」
「まだいうか」
殿下の甘い顔が、一気にいつもの険しい表情に戻り、深く椅子に掛け直す。
ガタンと揺れたテーブルに、残っている紅茶に広がる波紋。
殿下の気持ちは分かったが、それでも、私には確認しなければならないことがあった。何よりも、ベテルの昇進が決まっている現時点で、ペチカという足かせが出来てしまうのもと。
これは、私の意志ではなく、お母様の意志であるけれど。
一人二役を演じ続けるのには、さすがに無理がある。どちらかが消えなければならない、きっと、近い未来に。
「はい。待ってほしいのです。殿下が結婚を急ぐ気持ちは分かりますが。よく考えてください。一時の恋心に惑わされて、先の利益と未来を見誤らないでほしいのです」
「俺が、貴様と結婚すると、何か不都合が起きると?」
「……そういうわけではありませんが、第一、病弱な私に子供が産めるというのですか? 必要なのは、そこではないのですか。跡継ぎの問題は、どこも一緒で、肝心です」
「病弱には見えないが?」
殿下の疑わしいなという目が私を撫でるように向けられる。
私が、ベテルとして生きるのか、ペチカとして生きるのか。殿下との婚約は、その分かれ道にもなると思う。
殿下が、私が思っている以上にベテルに信頼を置いているのも一つの原因だ。そして、私に惚れているというのも。だからこそ、事実を伝えることなく、どちらかが消えることで、殿下にとっても裏切られたという気持ちにはならないのではないかと。酷な話ではあると思っている。
だから、今はバレてはいけない、そのことを優先しなければ。
どちらかが消えると決まるその日まで。けれど、タイムリミットがあるのも確かである。
私が、頑固に婚約破棄を口にするので、さすがの殿下も、何かがあると察した様で、俯いたのち、私の方を再度見た。彼が私に惚れている、そんな瞳は健在で、あちらもあきらめてくれそうになかった。
「――婚約破棄をしたい理由はペチカ嬢に好きな人がいるからか?」
「え?」
「ベテル・アジェリットが言っていた。貴様には好きな人がいると。だから手を引けと言っていた。それと、これと関係があるのか? 好きな奴がいるのか?」
と、殿下は私に詰め寄ってくる。
あの時言った嘘が、こんなところで回収されるなんて思ってもいなくて、好きな人がいないのにいるていで話が進められてしまい、私も困った。あの時の発言を撤回したい。けれど、それが今はある意味利用価値があるものに変わっていた。
「そ、そうです。好きな人がいるのです。幼いころから、お、お慕いしている人がいるので」
殿下の顔は見えなかった。けれど、ふっと火が消えたような、そんな焦燥が感じ取られ、少し寒気とともに、罪悪感が押し寄せてきた。
「そうか……」
ただ一言そういうと、殿下は、「初デートを台無しにしたな」と言って食べかけのチョコケーキを残し帰っていってしまった。それがより、私の中の罪悪感を膨らます結果となり、それでも、嘘と本当を混ぜた初恋というのは虚偽ではない。
「……幼いころの殿下が好きでしたよ。私は」
忘れもしない、幼き頃の記憶。
けれど、今の殿下は……
ぐっと握った拳は、剣だこをつぶし、ヒリリとした痛みが手のひらに伝わった。
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