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第2章
06 軽率な行動をしないでください
(『俺の婚約者』……)
当たり前だと彼は言った。婚約者だから、というのもそうだが、私だから助けてくれた、なんて思ってもいいだろうか。殿下の口ぶり的にそう聞こえて、そうとらえることができてしまうような気がして、顔が熱くなるのを感じた。
(ばか、ばか、ばか! そんなこと考えている場合じゃないの!)
ここに来てからずっと、もやもやとした気持ちとか、晴れないどういえばいいかわからない気持ちに振り回されてばかりだ。そして、殿下を見ると胸がうるさくなってままならなくなって。そんな自分が嫌で、でも抑えられなかった。
状況が状況なのに、私は冷静でいられなかった。
「見せつけるようにしてくるけど、本当にうまくいっているんですかね?」
「黙れ。先ほど、去れといったのに、まだいたのか」
「空気にしないでほしいなあ。兄さん。僕は貴方のそういうところが嫌いです。ひどく軽蔑します」
「俺も、人のものを奪うことしか考えていない貴様のその低俗な脳を心底軽蔑する」
「奪うって、奪われるくらいのものなら、最初から閉じ込めておけばいいのでは? それができないのが、貴方の甘いところなんですよ、兄さん」
「閉じ込めておく……か」
殿下はそう呟いて私のほうを見た。彼らが何の話をしているか、私にはまったく理解できなかった。彼らにしか理解できない何かがあるのだろうし、それはここ数日の出来事ではなく、生まれてから、兄弟として歩んできてずっとの因縁なのだろう。
ディレンジ殿下の言葉で殿下の誕生日のことを思いだし、もうそんな時期か、と私は緩く思い出していた。去年はパーティーに顔を出して、その時も確かディレンジ殿下とぶつかって帰ったような記憶がある。その時は、べテルとして出席していたため会場の軽微で忙しかったため、そこで何があったかはよく知らない。だが、殿下が声を張り上げて怒っていたのだけは記憶している。殿下は怒りっぽいというか、切れたら手が付けられなくなるから。家に帰ってきて、お兄様が疲れたといったっきり何があったか聞いていないので、私は何も知らない。それもあって、一段と今年の誕生日は殺伐としそうだと。
「ゼイン?」
「閉じ込めるなどしなくても、大切なものが帰ってくるように愛を注ぐのが正しいだろ。奪われたものに関しては何も言わない。貴様に奪われる程度のものだと、それだけのことだろう」
「大切とか、愛とか兄さんに似合わなすぎる言葉ばかりですよね。婚約者ができたからって少し調子に乗っているみたいですけど、本当に大切にできるのかなあ。最後まで」
ディレンジ殿下はまだ殿下に言葉を浴びせ続ける。そうやって、殿下の怒りを買おうとしているのだろうが、殿下も子供じゃないからこらえている。それがいつ爆発するかわからなくて、こちらもひやひやするが、肩を抱いている手は放してくれなかった。
それまで、自分のほうが有利だと思っていたディレンジ殿下だったが、なかなか殿下が怒らないことにしびれを切らしたのか、保っていた笑みがだんだんと薄れていき、言葉通り軽蔑するような目で、私と殿下を交互に見た後、会場のほうからスタッフを呼び、真っ赤なワインを私たちに差し出してきた。
「どうやら、僕は兄さんのことを甘く見ていたみたいですね。本当に、ペチカ嬢のことが大切で仕方がないんだって。ごめんね、兄さん。お詫びと言っては何だけど、二人に祝福のワインでも送るよ」
と、何か裏がありそうな表情で微笑むと、押し付けるように私たちにワインを手渡してきた。流れで受け取ってしまったけれど、ここにきてこんなわかりやすいことをするだろうかと、疑惑の目は離せなかった。殿下もそれを感じ取ったらしく、においをかいで「ふむ」と考え込むようなそぶりを見せる。
でも、今呼び寄せただけのスタッフだし、何かを入れたような感じもなかった。まあ、それもすべて計算に入っていれば、すでに何かが混入されている可能性もあるわけだが。
(でも、ここで飲まないっていうのも……いや、でも、毒が入っていたら!)
殿下の身のため、私が飲んで毒見をしなければという気持ちにかられるが、きっとそんなことをしたら殿下は怒るだろう。今の私は、彼を守る騎士ではなくて、彼の婚約者なのだから。毒見をして婚約者が倒れた後の殿下のことを考えると胸が苦しい。だからといって飲むわけにも捨てるわけにもいかない。
「ペチカ嬢、毒なんて入っていないからどうぞ」
「……」
思考などとっくに読まれており、毒は入っていないからと勧めてくる。
信じてもいいのかわからず、困惑気味にワインを覗けばそこから漂ってくる匂いはとてもきつく、甘ったるかった。お酒には弱いので、すぐにこれが強いワインだと気づき眉間にしわが寄る。
もしかしたら、これは嫌がらせなのかもしれないと、異物混入の可能性は捨て、私がワインを飲めないことを見越しての本当にただの嫌がらせなのかもしれない。
ワインを飲めずにぐっとグラスを握っていれば、隣でぐびっととても皇族とは思えない飲み方で殿下がワインを飲みほし、私の手からグラスを奪い取った。
「ぜ、ゼイン!」
「……はあ、貴様、嫌がらせが幼稚すぎるぞ。ペチカが、酒に弱いのを知って、アルコール度数の強いやつを持ってこさせたな」
「ああ、ばれてたんですね。さすがは、兄さん」
チッ、と舌打ちが聞こえるのと同時に、私は殿下の顔を見た。顔色には何の変化もなく、漂ってくるお酒の匂いは確かに強かったが、酔いが回っている感じでもなかった。ただ、やはり捨てきれない可能性もあり、心配になってからの体を掴む。
「ぜ、ゼイン……あの、異物混入の可能性は、毒は」
「この状況ではないだろう。近くにイグニスが控えている。もし、俺に毒を盛ったとしても、こいつが皇帝になる可能性はない」
「そ、そういう問題では……毒が入っていたら、死ぬんですよ!?」
「まあ、毒だしな」
「そうではなく!」
私が飲めないのを知って彼は私の分も飲んでくれた。けれど、皇太子……毒見もしずに飲むなんて危険が過ぎる。それも、信用ならないディレンジ殿下が出したワインを。
信じられない、と思いながらももう済んでしまったことで、どうしようもないと、近くにお兄様がいることが幸いか、私は空になったグラスを受け取った。こういう無茶は心臓に悪いからしてほしくない。けれど、そんなこと言って殿下が聞くはずもないだろう。
「また近いうちに会いましょう。兄さん……それまで、ペチカ嬢を大切にできればの話だけど」
「……二度と姿を見せるな。貴様の顔はもう二度と見たくない」
「僕も見たくないですよ。早く消えてくれないかなって、ずっと日々呪いながら思ってる」
そんな捨て台詞を吐いて、ディレンジ殿下は消えていく。追いかけたほうがいいのかと思ったが、お兄様がいるのなら安心かと、背中を見つめることしかできなかった。
嵐が去ったテラスには再び夜の風が舞い込んで、少し寒かった。体を震わせていれば、殿下が私に羽織っていたジャケットをかぶせてくる。
「ゼイン……その」
「あいつの言葉は気にするな。いつものことだ、あの回りすぎる口は。まあ、貴様の兄に少し似ているか」
「確かに、似た者は感じますけど、お兄様のほうが何千倍もましです」
「ハッ、ましという言い方をするんだな」
殿下はそういうと、私の頬をそっと撫でた。いきなりのことで触れられた場所が熱くなって、ふわりとかおったアルコールの匂いに私は顔をそらす。
「嫌だったか?」
「いえ……ゼイン、もう二度とあんな危険なことしないでくださいね」
「危険なこと? 危険なことは何もしていないが?」
「ディレンジ殿下に! 第二皇子殿下から渡されたワインを飲まないでくださいってことです! 何もないようで安心しましたけど、何か入っていたらと思うと気が気じゃなくて!」
「ああ、そういうことか」
「貴方は!」
そんなことどうでもいいというような態度が腹が立った。皇太子という自覚がないのか。それとも、命を狙われ続けたことで、それが普通と思ってしまっているのか。自分で毒か、毒じゃないか判断できるといいたいのか。どちらにしても、軽はずみな行動はしないでほしかった。
私の思いが伝わっていないようで、少し悲しくなりつつも、「すまない」と降ってきた謝罪の声に私は顔を上げる。そこには、申し訳なさそうに眉を下げた殿下の顔があって、こっちまでいたたまれない気持ちになる。
「謝ってほしい、わけじゃなくて……その。嬉しくなかったわけじゃないです。私が、お酒に弱いの知っての行動だったんですよね」
「ああ」
「でも、自分自身のことも、大切にしてください。心臓に悪いです」
「善処しよう」
「貴方は……」
だめだ、会話が続かないと思った。私を探しに来てくれて、守ってくれて、庇ってくれて。今日は失態続きだった。べテルだったらこんなふうにならなかっただろうか。お酒に弱くても飲んで、毒見をして、そして、一人でディレンジ殿下を退けることができただろうか。
ペチカだったからできなかったのか。
そうじゃない、そうじゃないと思うけれど、なんだか今の私は弱気だなと思った。そのせいで、釣り合っていないのかもしれないと、先ほどのコルリス嬢のこともあって気持ちが沈んでいく。
それでも、ディレンジ殿下の手を取らなかったのも、殿下が来て安心したのも私は殿下のことを少なからずいいと思っていて、釣り合っていないのなら、釣り合いたいと――
「貴方は、ずるいですよ。いつも」
『俺の婚約者』だと、はっきりといった殿下の声と、その横顔を、私は思い出しながら火照った顔で殿下を見上げた。
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