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第2章
07 熱が籠る
「ずるい? 何が?」
と、彼は首をかしげる。
私も、口から出た言葉で、何がずるいのか、具体的に何と言えなかったが、ただこの人はずるい人だと思った。
性格的に苦手で、べテルの時もかなり振り回されたし暴言ははかれるし、遅刻しただけでナイフを飛ばしてくるような人だ。そして、ペチカの時、初対面で差別発言をして気持ちを考えないでずかずか入ってきて。それなのに、一目惚れだ、大切にする、優しくしたいとか言い出して。彼は私にどうなってほしいのだろうか。心を乱され続けて、こっちはもう疲れてきた。
にじみ出る彼の人の好さに気づきつつあって、それが殿下らしくなくて、でも本来の殿下なのではないかとか思って。
私は彼を守れるようにって、べテルとしての実績を積んできたのに。それなのに、ペチカである私は彼に守られてばかりで遠ざけようとしている。全く矛盾な行動に嫌気がさす。それでも矛盾が生まれるのは、私が一人二役を演じていて、それを彼に言えないからだろう。
「何でもです。お兄様が控えているっていいましたけど、本当に死んだら終わりなんですからね。婚約者と言ってくれるのであれば、私を残して死なないでください」
「ペチカにそんなことを言われる日が来るとは思っていなかった。そうか、そうだな……」
「何が、そうなんですか」
「俺に惚れたか?」
「はい?」
グラスをスタッフに回収させ、殿下は顎に手を当てて私をてっぺんからつま先まで見るとニヤリと口角を上げた。
今までの行動が、全部私を惚れさせるための行動だったとは思わないし、そういうことを殿下ができるとは思っていない。偶然生まれたそれをそのように言うのはたちが悪いし、気持ちが悪かった。でも、彼の行動一つ一つに反応してしまう私はもしかしたら……
「惚れてません! そういう計画的なの好きじゃないです」
「俺も勝手がわからないからな。だが、今のでも惚れないか……なかなか難しいな」
「難しいとか! ゲームではないんですから、本気でやってください!」
「本気でいいのか?」
「本気じゃなきゃ、相手に伝わらな……っ」
私が一瞬目をそらしたすきに、彼は真正面から私を抱きしめた。先ほどディレンジ殿下が急に接近してきたこともあり、体が珍しく大きくはねたが、彼のような不快感はなく、むしろドキッと高揚で胸がはねたようなそんな感覚だ。
体格差もあり、すっぽりと彼の腕の中に入ってしまえば抜け出すことなどできず、彼の黄金の髪が私のサーモンピンクの髪に溶け込む。耳にかかる息も、くすぐる髪の毛もこそばゆくて、身をよじるが、逃げているように思われたらしくぎゅっと抱きしめられ耳にキスをするように殿下が言葉を紡ぐ。
「……これでも、ずっと本気なんだがな」
「ひぇっ……」
自分でも信じられないくらい変な声が出て、彼の熱い胸板を押した。
ディレンジ殿下にも同じことをされた気がするのに、それとはまったく違う、別物で、感覚で。私は、近づかないでと彼と距離をとるように両手を前に出す。今近づかれたら、うるさい心臓の音が聞かれそうで嫌だったからだ。嫌悪感とか、そういうのではなくて、ただそういう行動を軽率にとるものだから、いきなり、何の前触れもなしにするから、体も心も追いつかなくて。
(何で、私こんなに動揺しているの?)
ただのスキンシップ。いや、それにしても近すぎるけれど、殿下と近いことなんて何度もあった。剣を交えたときのせめぎあい、時々資料がばらけて一緒にそれらを拾い集めたとき……距離が近いと思った瞬間は何度もあったのに、なのになんでこんなにドキドキしているのだろうか。
「なぜ離れる?」
「ゼインが、いきなり耳元でしゃべったからです」
「婚約者としては何もおかしくない距離感だと思うが」
「婚約者としての距離感って何ですか!? そんな距離感初めて聞きましたけど!?」
「これがはじめではないだろう。貴様を無理やり抱こうとした時も、かなり近い距離に接近したと思うが……」
と、殿下は言葉を濁すように言った。確かにあれは思い出したくもない、互いに最悪な思い出だったが、あの時の距離感と似ているのに、あの時は全くどきどきしなかったから不思議だ。なのに、今はこんなにも胸が高鳴っている。
なぜかわからないけれど、今顔を見られるだけでも恥ずかしい。
「そう、ですけど。なんか、あの時とは違うんです。だから、あまり顔を見ないで、近づかないでください」
「それは、俺を意識しているからじゃないのか?」
「う、自惚れないでください! そんなことは、決して……ゼイン?」
うっ、と彼は小さなうめき声をあげて、頭を抑えた。先ほどは彼の顔を見るのも恥ずかしくて見れなかったのだが、よく見ると、会場から漏れ出た光に照らされた殿下の顔は明らかに赤くて、額に汗を浮かべていた。その汗は今しがたかいたような汗で、彼の変化に気づき私は駆け寄った。
「ゼイン、どうし……」
「触るな!」
伸ばした手ははじかれてしまった。乾いた音ともに、右手に引っかかれたような痛みが走る。
殿下は指の隙間からこちらを見て、血走ったような目で見た後、後悔の色を浮かべた。
「す、まない。だが、近づくなペチカ」
「その、どうし……」
「……イグニス」
お兄様の名前を呼んだかと思えば、すぐに会場からお兄様が駆け付けた。近くで控えていたというのは本当だったようで、私を見るなり殿下と同じく、近づかないでと牽制してきた。お兄様の切羽詰まったような表情に、先ほどのムードは一気に霧散し、緊張が走る。そして、思い当たる節があったため、私も力になれないものかとその場で立ち尽くしながら、殿下の容態を確認するお兄様を見つめていた。
「すごい音したけど、ゼイン……はあ、わかった。なるほどね。状況把握したよ」
「お、お兄様、ゼインは……」
「さっき飲んだワインに何かが入っていたんだろうね。まあ、何かはわかるけど……」
「まさか毒が!?」
やはり、先ほどのワインには何か入っていたのではないか。だから殿下はいきなり苦しみだして。即効性じゃないから気づかなかったけれど、明らかに殿下の様子は変なのだ。息を荒くし、顔を紅潮させている。苦しんで入るものの、毒で苦しんでいるというよりは、何かに耐えているような苦しさだと。
毒、という言葉にお兄様は首を横に振った。しかし、それに付け加えるように「命に係わるかもしれないけれど」とあまりにも物騒なことを口にし、殿下に肩を貸す。
気配を消すための魔法を唱えると、私含めるここにいる三人に魔法が付与される。そしてそのまま、静かにお兄様は会場を後にする。私はどうしていいかわからず、殿下とお兄様の後を追い、殿下の寝室まで来るとお兄様は殿下をゆっくりとベッドに下した。
「お兄様、ゼインは、どうなるんですか。毒じゃないなら、何なんですか」
「媚薬だよ」
「び、媚薬?」
「それもかなり強いやつだね。理性が飛ぶような、熱を完全に放出できなければ気が狂って死んでしまうような媚薬。最近、第二皇子が薬師と何か交渉していたようだったから、まさかね……とは思っていたんだけど。こんなところで使ってくるとは」
「び、媚薬……」
聞いたことがないわけではなかった。そういう目的で使うものではないのかもしれないが、使用用途と目的は。ディレンジ殿下は何のために媚薬を殿下に盛ったのだろうか。いや、私があれを飲んでいたら……
(違う。嫌がらせに見せて、二杯分殿下に飲ませるつもりだったんだ……)
「ペチカは飲んでないよね?」
「は、はい。ゼインが、その……私の分も」
「はあ……そこまでゼインも考えが及ばなかったんだろうね。ペチカを守るためとはいえ。それに、媚薬なんて普通盛るなんて思わないからね」
「お兄様……」
殿下は、ハッ、ハッ……と苦し気に息を荒く、暑いというように服のボタンをちぎるように開ける。
お兄様は、その媚薬を一滴飲むだけでもかなりの効果が出ると教えてくれた。あのワインの中に何滴入ってたかはわからないけれど、少なくとも二滴は入ってるのは間違いない。それを殿下は飲んでしまったのだ。
私があの時飲まないでくださいと言えていればよかっただろうか。いまさら後悔しても遅いのに。
呻く殿下を見ていると、胸が締め付けられ、何とかしてあげなければという気持ちになるのに、今私は何もできないのではないかと無力感にさいなまれる。
熱を発散……ということは、つまりそういうことで。しかし、殿下は女嫌いで、婚約者は私で――
「ペチカ、そこにいても仕方がないだろう。一回外に出て人を……」
「お兄様」
「ペチカ?」
覚悟を決めた私の顔を見たお兄様は、目を丸くした。そして同時に私がやろうとしていることを理解したようで無意識だろう、首を横に振っていた。ありえないのはわかっているし、常識的におかしいことかもしれないと理解はしている。けれど、救う方法が一つあるなら、私にできることがあるならそれしかないと思ったのだ。
「私がゼインの相手をします。ですから、お兄様、外に出て……誰一人、この部屋に人を寄せ付けないでください」
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