一人二役男装令嬢は、一目惚れしたと迫ってくる鈍感暴君様と婚約破棄したい

兎束作哉

文字の大きさ
20 / 45
第2章

09 後悔しているの?

しおりを挟む


「……んん」
「――ペチカ……ペチカ」
「あ、さ……んん!? お、おに、お兄様!?」
「はあ、よかった。やっと起きた」


 寝ぼけ眼に入ってきた顔は、見慣れたもので、けれどその顔の良さは家族であれほれぼれするほど整っている。そして、そんな顔面暴力な顔が目の前にあったら、心臓が飛び跳ねてしまうだろう。しかし、問題はそこではなく、なぜお兄様がここにいるかなのだ。
 体を起こして、ベッドの端まで行けば、お兄様はきょとんとした顔の後、ぷっと噴き出してベッドサイドに腰を掛けた。私はまだバクバクとうるさい心臓を抑えながら毛布をきゅっとつかんで体を隠す。時々鈍い痛みが腰に響き汗が噴き出るけれど、私は全身毛が逆立ったまま、ふしゃーと猫のようにお兄様をにらみつけた。


「もう、どうしたの。ペチカ。そんな猫みたいな」
「いくらお兄様でも、レディの寝室に入ってくるのは非常識じゃないですか?」
「ん?」
「ん? じゃありませんけど!?」


 なんでそんな平常心でいられるのかわからない。私の部屋は内側からカギがかけられるようになっているので、寝るときは常にそうしているのだが、外から開けられないわけでもなく、だがそのカギはごく一部の人しかもっていない。お兄様は持っていないはずなのだが……


(そうじゃなくて!)


 腰の痛みが激しくなった気がした。いたた、と腰をさすれば、お兄様は眉を下げて「無理したね」と優しく声をかける。


「あの、ゼインは……」
「もう三日たってるよ? 記憶まで飛んじゃったの? ペチカは」
「うぅ……そうでした」


 あの夜会からすでに三日たっていた。私はあの行為の途中で意識を失ってしまい、次に目が覚めた時には皇宮の一室だった。その日は殿下には会えず、とりあえず体は何も問題ないからと公爵家に帰されたのだが、腰の痛みは引かず、あそこがまだひりひりと痛み熱かった。それから三日たったが、殿下がどうなったかは聞かされていない。私もあんな行動をしてしまったのだから、何かしらの処分は下されるだろうし……


(今思ってもとんでもないことしたんだよね……)


 淑女としてはあるまじき行為。婚礼前の男女がまぐわって……お兄様に避妊魔法をかけてもらわなければ妊娠してしていたかもしれないというのに。それだけじゃなくて、私はあの一夜でいろんなものを失った気がしたのだ。純潔はもちろん、殿下への信頼というか、築いてきたものを。


(どんな顔で、殿下と顔を合わせればいいかわからない……)


 嫌いになってもいい、そんな覚悟で臨んだはずなのに、嫌われたくないという気持ちもあって複雑だった。こんなに自分はわがままだったかとそういいたいくらいには、私の胸に残ったもやもやは晴れなかったのだ。
 べテルは姉が心配で家に戻っている、というように話を合わせてもらっているけれど長いこと近衛騎士団をあけるわけにもいかない。早急に戻ってベテル・アジェリットとして剣をふるわなければ。


「……」
「どうしたの? ペチカ」
「いえ……私は間違っていたんでしょうか」


 蘇るあの夜の記憶。
 恥ずかしいことながら、ほぼ覚えていないに近いのだが、それでも私はあの日、あの夜、ベッドの上で殿下を抱いた……抱かれたのだが、はたして殿下はそれを望んでいたのだろうかと。いや、でもそうしなければ殿下の命は危なかったわけだし、私は私にできることはやった。けれど、彼の気持ちは無視してしまったわけだ。
 別に抱くのが嫌とかではなかったのだろう。合意は得られなかったけれど……だったらそれは、殿下が私にしたことと同じで、私も最低な行為を殿下にしてしまったことになるのではないかと。
 私だって、あんなふうに抱く、抱かれるつもりはなかったし、もっとこう、愛し合って……なんてちょっとした乙女心はあったわけで。それが、殿下にもあったのではないかと。私を大切にしたいといった殿下の気持ちを私自ら踏み荒らしてしまったのではないかと。


「後悔してるの?」
「い、え……でも、もっと他の方法があったなら、とは考えてしまいますね」
「でも、あれでよかったと俺は思うけど。ペチカが言い出した時はびっくりしたけど、それがペチカにとって最善だと思ったんでしょ? だったら間違ってないよ」
「でも!」
「ペチカ。いくらペチカでも、自分のことを卑下するのはだめ。俺の大切な妹なんだから。俺も、ちょっと心苦しかったんだよ。ペチカにしか任せられないからって任せちゃったけど、後悔している……ゼインがワインを飲む前に止められたんじゃないあって」
「それは、私も……」
「俺も、ゼインと同じで、ペチカにはペチカを大切にしてほしいって思ってるよ。ペチカは、ペチカ・アジェリットとしての自分をあまりにも大切にできていない」


 と、お兄様は言って私に手を伸ばした。細い指先が、私に触れる寸前で止まる。私はそんなお兄様の手を取って、毛布を手放した。


「君は、よくやってると思うよ。ペチカ……だから今度は、べテルじゃなくて、ペチカとしての自分を大切にしてほしい。ゼインが皇太子だからっていうんじゃなくて、ペチカがゼインとどうなりたいのか、どんなふうに思っているのか。その気持ちを大切にしてほしいな」
「おにい……さま」


 殿下とどうなりたいのか、どう思っているのか。
 そんなこと私が知りたかった。知りたい。私は、殿下とどうなりたいのだろうか。あの夜を後悔という二語で済ませるつもりはない。一線を越えてしまった後、そのあとが大事で、私たちの婚約関係はまだ破棄されていない。これからどうなるのか、どうなっていきたいのか……ペチカ・アジェリットとしての自分をもう一度見つめなおすべきだろう。


(べテルは……私、だけど、でも、べテルはもう死んでいるんだから……)


 生きているペチカ・アジェリットを殺すようなことはしない。私は私だと、そういえる日がくればいい。でもそういえる日が来るのはもっと先だと思う。少なくとも、今の状況では――


「そうだ。今日は、ゼインがここに来るって言ってたんだけど、その様子じゃ、もう大丈夫そうだね。腰は痛いと思うけど、頑張って」
「え……はあ!? はい!? 待ってください、お兄様、どう、どどど、どういうことですか!? 殿下が、ゼインがくるって!」
「言ってなかったっけ。感謝と謝罪を兼ねて……って」
「初耳ですけど!?」


 急遽決まったことなのだろうか。それとも前々から?
 どちらにしても、困るというか、心の準備ができていなかった。お兄様はどうせまた、楽しそうだからと黙っていたんだろうが、今回ばかりは本当に勘弁してほしかった。


「あれ? 嫌だった? 気にしてたんじゃないの? ゼインのこと」
「それはそれで、これはこれです! ええっと、ゼインは、その、もう大丈夫? 何ですか?」


 記憶がないからわからない。記憶が途切れる寸前、また彼が私の中で熱を持った気がしたのだが、発散しきれていなったのではないかと。後遺症が残っていたらどうしようとか、そもそも無理やり……抵抗できないようにして抱いたことを怒っているのではないかとその感謝というのはその殴り込みみたいな! ぐるぐると回り始めた思考はまとまってくれなくて、私はどうしたものかと、とりあえずお兄様をにらみつける。お兄様は憎たらしくふふっとほほ笑んで、ほほえましそうな顔を向けてくる。一回お兄様を沈めたほうがいいかもしれない。


「大丈夫だよ。もうピンピンしてる。ペチカが思っているようなことは何もないから安心してね」
「安心できませんけど!? もう、何を言われるか、心配すぎて……お兄様が代わりに出てくださいよ!」
「え~嫌だよ。だって、ペチカにって言われたんだもん。積もる話もあるんじゃない?」
「ないですね。絶対に……ああ、もう、婚約破棄とか言われたら!」
「え?」


 と、お兄様は笑顔をぴたりと止めて私のほうを見た。私も、え? とお兄様のほうを見る。
 たがいに目を合わせてぱちぱちと瞬きをして、お兄様が指をさしたのと同時に、私も鏡になったようにお兄様を指さしてしまった。


「ペチカ、今……」
「ち、違います。今のは……えっと!」


 なんて言ったのだろうか。なんでそんな言葉が口に出たのだろうか。
 お兄様は、またニヨニヨと口角を上げながら詰め寄ってこようとしたので、私はまずい! と後ずさりすれば、とんとんと部屋の扉がノックされた。そして、緊急というように、「皇太子殿下がお見えになりました」と、タイミングがいいのか悪いのか、あの暴君がお礼参りに来たようだった。
 

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください

無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

処理中です...