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第2章
09 後悔しているの?
しおりを挟む「……んん」
「――ペチカ……ペチカ」
「あ、さ……んん!? お、おに、お兄様!?」
「はあ、よかった。やっと起きた」
寝ぼけ眼に入ってきた顔は、見慣れたもので、けれどその顔の良さは家族であれほれぼれするほど整っている。そして、そんな顔面暴力な顔が目の前にあったら、心臓が飛び跳ねてしまうだろう。しかし、問題はそこではなく、なぜお兄様がここにいるかなのだ。
体を起こして、ベッドの端まで行けば、お兄様はきょとんとした顔の後、ぷっと噴き出してベッドサイドに腰を掛けた。私はまだバクバクとうるさい心臓を抑えながら毛布をきゅっとつかんで体を隠す。時々鈍い痛みが腰に響き汗が噴き出るけれど、私は全身毛が逆立ったまま、ふしゃーと猫のようにお兄様をにらみつけた。
「もう、どうしたの。ペチカ。そんな猫みたいな」
「いくらお兄様でも、レディの寝室に入ってくるのは非常識じゃないですか?」
「ん?」
「ん? じゃありませんけど!?」
なんでそんな平常心でいられるのかわからない。私の部屋は内側からカギがかけられるようになっているので、寝るときは常にそうしているのだが、外から開けられないわけでもなく、だがそのカギはごく一部の人しかもっていない。お兄様は持っていないはずなのだが……
(そうじゃなくて!)
腰の痛みが激しくなった気がした。いたた、と腰をさすれば、お兄様は眉を下げて「無理したね」と優しく声をかける。
「あの、ゼインは……」
「もう三日たってるよ? 記憶まで飛んじゃったの? ペチカは」
「うぅ……そうでした」
あの夜会からすでに三日たっていた。私はあの行為の途中で意識を失ってしまい、次に目が覚めた時には皇宮の一室だった。その日は殿下には会えず、とりあえず体は何も問題ないからと公爵家に帰されたのだが、腰の痛みは引かず、あそこがまだひりひりと痛み熱かった。それから三日たったが、殿下がどうなったかは聞かされていない。私もあんな行動をしてしまったのだから、何かしらの処分は下されるだろうし……
(今思ってもとんでもないことしたんだよね……)
淑女としてはあるまじき行為。婚礼前の男女がまぐわって……お兄様に避妊魔法をかけてもらわなければ妊娠してしていたかもしれないというのに。それだけじゃなくて、私はあの一夜でいろんなものを失った気がしたのだ。純潔はもちろん、殿下への信頼というか、築いてきたものを。
(どんな顔で、殿下と顔を合わせればいいかわからない……)
嫌いになってもいい、そんな覚悟で臨んだはずなのに、嫌われたくないという気持ちもあって複雑だった。こんなに自分はわがままだったかとそういいたいくらいには、私の胸に残ったもやもやは晴れなかったのだ。
べテルは姉が心配で家に戻っている、というように話を合わせてもらっているけれど長いこと近衛騎士団をあけるわけにもいかない。早急に戻ってベテル・アジェリットとして剣をふるわなければ。
「……」
「どうしたの? ペチカ」
「いえ……私は間違っていたんでしょうか」
蘇るあの夜の記憶。
恥ずかしいことながら、ほぼ覚えていないに近いのだが、それでも私はあの日、あの夜、ベッドの上で殿下を抱いた……抱かれたのだが、はたして殿下はそれを望んでいたのだろうかと。いや、でもそうしなければ殿下の命は危なかったわけだし、私は私にできることはやった。けれど、彼の気持ちは無視してしまったわけだ。
別に抱くのが嫌とかではなかったのだろう。合意は得られなかったけれど……だったらそれは、殿下が私にしたことと同じで、私も最低な行為を殿下にしてしまったことになるのではないかと。
私だって、あんなふうに抱く、抱かれるつもりはなかったし、もっとこう、愛し合って……なんてちょっとした乙女心はあったわけで。それが、殿下にもあったのではないかと。私を大切にしたいといった殿下の気持ちを私自ら踏み荒らしてしまったのではないかと。
「後悔してるの?」
「い、え……でも、もっと他の方法があったなら、とは考えてしまいますね」
「でも、あれでよかったと俺は思うけど。ペチカが言い出した時はびっくりしたけど、それがペチカにとって最善だと思ったんでしょ? だったら間違ってないよ」
「でも!」
「ペチカ。いくらペチカでも、自分のことを卑下するのはだめ。俺の大切な妹なんだから。俺も、ちょっと心苦しかったんだよ。ペチカにしか任せられないからって任せちゃったけど、後悔している……ゼインがワインを飲む前に止められたんじゃないあって」
「それは、私も……」
「俺も、ゼインと同じで、ペチカにはペチカを大切にしてほしいって思ってるよ。ペチカは、ペチカ・アジェリットとしての自分をあまりにも大切にできていない」
と、お兄様は言って私に手を伸ばした。細い指先が、私に触れる寸前で止まる。私はそんなお兄様の手を取って、毛布を手放した。
「君は、よくやってると思うよ。ペチカ……だから今度は、べテルじゃなくて、ペチカとしての自分を大切にしてほしい。ゼインが皇太子だからっていうんじゃなくて、ペチカがゼインとどうなりたいのか、どんなふうに思っているのか。その気持ちを大切にしてほしいな」
「おにい……さま」
殿下とどうなりたいのか、どう思っているのか。
そんなこと私が知りたかった。知りたい。私は、殿下とどうなりたいのだろうか。あの夜を後悔という二語で済ませるつもりはない。一線を越えてしまった後、そのあとが大事で、私たちの婚約関係はまだ破棄されていない。これからどうなるのか、どうなっていきたいのか……ペチカ・アジェリットとしての自分をもう一度見つめなおすべきだろう。
(べテルは……私、だけど、でも、べテルはもう死んでいるんだから……)
生きているペチカ・アジェリットを殺すようなことはしない。私は私だと、そういえる日がくればいい。でもそういえる日が来るのはもっと先だと思う。少なくとも、今の状況では――
「そうだ。今日は、ゼインがここに来るって言ってたんだけど、その様子じゃ、もう大丈夫そうだね。腰は痛いと思うけど、頑張って」
「え……はあ!? はい!? 待ってください、お兄様、どう、どどど、どういうことですか!? 殿下が、ゼインがくるって!」
「言ってなかったっけ。感謝と謝罪を兼ねて……って」
「初耳ですけど!?」
急遽決まったことなのだろうか。それとも前々から?
どちらにしても、困るというか、心の準備ができていなかった。お兄様はどうせまた、楽しそうだからと黙っていたんだろうが、今回ばかりは本当に勘弁してほしかった。
「あれ? 嫌だった? 気にしてたんじゃないの? ゼインのこと」
「それはそれで、これはこれです! ええっと、ゼインは、その、もう大丈夫? 何ですか?」
記憶がないからわからない。記憶が途切れる寸前、また彼が私の中で熱を持った気がしたのだが、発散しきれていなったのではないかと。後遺症が残っていたらどうしようとか、そもそも無理やり……抵抗できないようにして抱いたことを怒っているのではないかとその感謝というのはその殴り込みみたいな! ぐるぐると回り始めた思考はまとまってくれなくて、私はどうしたものかと、とりあえずお兄様をにらみつける。お兄様は憎たらしくふふっとほほ笑んで、ほほえましそうな顔を向けてくる。一回お兄様を沈めたほうがいいかもしれない。
「大丈夫だよ。もうピンピンしてる。ペチカが思っているようなことは何もないから安心してね」
「安心できませんけど!? もう、何を言われるか、心配すぎて……お兄様が代わりに出てくださいよ!」
「え~嫌だよ。だって、ペチカにって言われたんだもん。積もる話もあるんじゃない?」
「ないですね。絶対に……ああ、もう、婚約破棄とか言われたら!」
「え?」
と、お兄様は笑顔をぴたりと止めて私のほうを見た。私も、え? とお兄様のほうを見る。
たがいに目を合わせてぱちぱちと瞬きをして、お兄様が指をさしたのと同時に、私も鏡になったようにお兄様を指さしてしまった。
「ペチカ、今……」
「ち、違います。今のは……えっと!」
なんて言ったのだろうか。なんでそんな言葉が口に出たのだろうか。
お兄様は、またニヨニヨと口角を上げながら詰め寄ってこようとしたので、私はまずい! と後ずさりすれば、とんとんと部屋の扉がノックされた。そして、緊急というように、「皇太子殿下がお見えになりました」と、タイミングがいいのか悪いのか、あの暴君がお礼参りに来たようだった。
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