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第3章
01 閉じ込められた小さな星
「まあっ、来てくれたのね。二人とも」
「ご無沙汰しております。お母様」
「もう、堅苦しいわ。ね、べテル。イグニスもこっちに来なさい」
ベッドの上で優しい笑みを浮かべ、手招きする薄いサーモンピンクの髪の女性は私たちのお母様、テラ・アジェリット公爵夫人。今は、療養生活のため公爵家の別荘にいて屋敷のほうに顔を出すことはない。また、使用人はお母様が全て決めており、別荘は公爵家とはまた違う雰囲気に包まれていた。
優しい笑みとは裏腹に、お母様は私をべテルとしてしか見ていなくてその眼には狂気が渦巻いている。
「母上、お変わりないようで」
「ええ。息子二人がみにきてくれたんだもの。元気出るわ」
「あの、ペチカは……」
「何? べテル」
「ひっ……」
優しく細められていた目が、一瞬ぎろりと私を射抜く。私の中にいる押し殺したペチカが見透かされたような気分になり、私は口を閉じる。
お母様は、歪な愛情を私……べテルとお兄様に向けている。皇族の親せきということもあり、その魔力量は偉大。とくに精神に干渉する魔法を使える唯一の魔導士でもあり、そのせいもあって短命ともいわれてきた。代々精神に干渉できる魔導士は自らの精神を病み自滅することが多いらしいから。きっと、お母様も例にもれず、その歪な愛情は、お母様の魔法から影響した性格なのだろうと結論付ける。でなければ、息子に……娘にこんな仕打ちはしないだろう。
「ペチカなんて子は知らないわ。私と病弱なところだけは似ていて、家に引きこもっているんでしょ。這ってでもここには来ないわ。それに、ここには絶対に一歩も踏み入れさせないわ」
「……お母様」
「べテルだけでいいのよ。双子として産んじゃってごめんなさいね」
「……」
実の親にそんなことを言われるのはさすがに傷ついた。ペチカが生まれてくるべき存在じゃなかったといわれているような気がして、じゃあ今ここにいる私は誰なんだとわからなくなる。
こんな気持ちになることくらい予想できたのにここに来たのは、やはり実の親だから……母親が病弱で、長くないと聞かされたら見舞いに行くものだろう。それが、私として見てくれなくても。
お兄様は、私の震えに気づいたが、お母様の手前かばうことはしなかった。もし庇いでもしたら、またその時お母様が娘に向けた嫉妬で暴走してしまう可能性があったからだ。
まだ私が幼い時、べテルとしてではなく、ペチカとしてここを訪れたとき部屋にあったガラスがすべて割れるくらいお母様が暴走した。なぜ、ペチカが来たのかと、べテルはどこにいるのかと、そういって暴れた。それを覚えているから、私はべテルとしてしか、ここにこれなかった。
「べテルは今何しているの? 憧れの騎士になれたんでしょ?」
「はい……近衛騎士団の団員として」
「まあ! それじゃあ、イグニスと配属は同じ? そのうち、皇太子殿下専属の護衛になれるかもなのよね。やっぱり、男の子はそうじゃなきゃね。かわいいご令嬢とのお見合いも考えているから期待していてちょうだい」
「わた、僕は、見合いなんて!」
ふふふ、と夢を語るように言うお母様が怖かった。
本当に私を男として、べテルとしてしか見ていないのだと。皇帝陛下が男装を黙認してくれているだけで、本当にご令嬢たちと結婚できるわけじゃない。戸籍としては、女のままだ。二つ戸籍があるわけでもない。身分を偽っている時点でもおかしいのに、婚約なんてことは絶対に――
お兄様も「まだ、べテルには早いんじゃないですか?」とフォローを入れてくれるけれど、お母様は全く聞く耳も持たなかった。結局は、べテルもお母様のかわいいかわいい愛玩具で、着せ替え人形なのだろう。お母さまの望むとおりに生きなければならない。もし、べテルが生きていたとしたら、それをべテル本人が背負うことになっていたかもしれない。だったら、私でよかったかもと。
お母様は先が長くないけれど、それでも生きているうちは、私はべテルとして生きていかなければならなない。
もちろん、ペチカとしての婚約の話もあるが、ここではそれを言えない。お母さまが屋敷から出ることはないけれど、どういう情報網でか情報は仕入れている。
「早くないわよ。女は旬が短いとかいうけれど、男だってそうじゃない? 若いうちに子孫を残すこと……ねえ。べテルもそう思うでしょ?」
「僕……は」
気持ち悪い。
そうかもしれないけれど、それを押し付けないでほしかった。旬とか、旬じゃないとか。確かに結婚は早めにと言われているし、子孫も早めに残せというのが貴族の中の暗黙の了解みたいなもので、それを誰かがおかしいということもない。だが、人生はそれだけじゃないだろう。
人の人生を勝手に決めないでほしかった。私の人生だけじゃなくて、べテルの人生までレールを引いて……
爪が食い込むぐらいこぶしを握って、私は耐えた。この面会が終われば帰れるのだ、それまでの辛抱だと。
「ああ、でも気に食わないことがあるのよね」
「な、ん……ですか」
「その、ペチカ? あの子が、皇太子の婚約者になったっていう話」
「……あ」
お母様から、ペチカの話が出てくるとは思わず、私とお兄様は顔を見合わせた。
しかし、やはりと言っていいのか、敵意を感じられるとげとげしい言い方と表情に、私は苦笑すら隠して「ペチカの話ですか」と乗れば、またそれでお母様の機嫌が悪くなる。
「ええ、あの子ね……どんな手を使ったのか知らないけれど、皇太子の婚約者になったって聞いてびっくりしたの。釣り合うわけがないじゃない。それに、ほかの男もひっかけているって噂に聞くし。貴方たちの評価が下がるのが怖いのよ。あの子のせいで、貴方たちまで被害を被るのが、私は胸が痛いの」
「そんなことないですよ……」
「あるのよ! べテル! べテルは私の言葉には必ずうなずくのよ! 貴方は誰? 私のべテルじゃないの? べテルはね、あの子のことなんて考えないの。それに、何? さっきから気になっていたけれど、髪が長いじゃない! もしかして、男が好きなの? 男に好かれようとしているの? そんなの私は許さないわよ。今すぐ切りなさい、髪を。それに内またなんて、女の子みたいじゃない! どうしちゃったの、べテル。私のべテル!」
「母上、落ち着いてください」
お兄様が、お母様をなだめるけれど、お母様の怒りは収まらず、つばをまき散らしながら、私を指さし「貴方は誰なの?」、「べテルを返して」と叫ぶ。怒号は部屋に響き、私の居場所を奪っていく。指をさされ、すべてを否定された気持ちになり、浴びせられる罵倒は、ペチカの存在を否定する。
私だって……私はお母様から生まれた、お母様の娘で、べテルの姉なのに。どうして私のことは見てくれないのだろうか。私の存在を否定して、その上、殿下との婚約さえも汚らわしいという。釣り合わないという。
責められているのが、明らかにべテルではなく、ペチカである私だとわかっているからこそ、私は言葉も出なかった。
耳に入ってくる声はすべてナイフで、鼓膜が切り裂かれるような痛みと、全身に刺さるトゲに涙が出そうだった。お母様の癇癪はその後数分続き、疲れたように眠ってしまってからは死んだように動かなくなった。
その後、すぐに部屋を出て、私は倒れるようにお兄様にもたれかかってしまった。
「おにい、さま……ごめんなさい」
「ううん、謝らないで、ペチカ。大丈夫、大丈夫だから……」
泣かないで、とすでに流れていた涙をぬぐってくれるお兄様。それでも、あふれた涙はとまらなくて、嗚咽を漏らすことしかできない。お兄様の胸を濡らしてしまい、それもそれで罪悪感が膨れていく。
私は生きていちゃダメなのかと、そんな気持ちにさえなる。
近衛騎士団の訓練の中で浴びせられる言葉なんかよりも、殿下の女性差別の言葉なんかよりもよっぽどひどい。実の親に言われる言葉がこんなにも深く刺さるなんて思ってもいなかった。けれどそれに反発すれば、さらに私という存在を否定される気がして怖かった。
こんなことなら、べテルなんて死んでしまえと……虚像の弟に剣を向けたくなる。それでも、本物の弟のことは愛していたし、私が嫌いなのは、べテルという虚像の弟を演じている私なのかもしれない。
(だめだな……私……)
一番ショックだったのが、自分を否定されたことよりも、殿下との婚約を祝福するどころか釣り合わないと言われたことだった。それが、自分の中で一番驚愕の事実だった。そして、それと同時に彼に会いたい気持ちが出てきて、お兄様にすがりながら小さく、彼の名前を口にしていた。
「……ゼイン」
私はこんなに弱い人間だったのだろうか。いつから、こんなに弱くなったのだろうか。
ペチカ・アジェリットという小さな女の子は、お母様に否定され、その輝きを失いかけていた。
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