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第3章
08 その口ふさいでやる
しおりを挟むいつも私たちは、会話ができない。
静寂に包まれた、気まずい馬車の中。公爵邸に向かって馬車を進めてくれているらしいが、殿下は窓の景色を見たままこちらに顔を向けてくれなかった。先ほどは緊急事態で私をコルリス嬢から引きはがすために必死だったみたいだが、彼も彼で素面に戻ればあの日のことを思い出して、どう聞き出そうか迷っているのではないかと。それかもしくは、もうすでにわかっていて私に愛想が尽きたと。裏切られたという気持ちになっていなければいいのだが。
「……ぜ、い……」
「やけどはしていないか?」
「え?」
「……紅茶を頭からかけられたのだろう。服は着替えたが、まだ匂いが残っている。やけどはしていないかと聞いているのだ」
「え、はい。大丈夫です。冷めたものだったので。ああでも、お茶おいしかったですよ」
「そういう問題じゃないだろ……はあ」
「あの」
心配、してくれたんだろうか。
いや、心配してくれて、そんな言葉をかけてくれた。でも私は気を張っていて、怖くて上手に言葉を返すことができなかった。ようやく声をかけてくれたのに、また初めに戻ったように会話ができなくなる。
また訪れた静寂は、呼吸するにも空気がないようで張り詰めていた。
「……あ、ありがとう、ございました。助けてくれて」
「まったくだ。勝手な行動はするな。そういうのは、騎士がやることだろ」
「私は……」
「だが、貴様の性格上見過ごせなかったのはわかる。イグニスも途中までは知らなかったらしいしな。貴様のところにコルリス嬢から手紙が来ていたことを。知ったのは、貴様が手紙を返した後だったと」
「はい……すみません」
軽率だとは思った。でも、大丈夫だと、私なら大丈夫だという気持ちで乗り込んで。その結果心配させてしまった。うまく立ち回ったはずで、この話が殿下の耳に届かなければ、お兄様に報告して終わるはずだったのに。水を差されたような、そんな何とも言えない感覚に、こちらもチクチクと胸を刺される。
自信があることはいいことだとは思うが、それが裏目に出るならもっと気を張り詰めたほうがいいのかもしれない。
私は、騎士だが、男ではないのだから。
「……怒ってますか」
「なぜそう思う?」
「いや、その、私と顔を合わせてくれないから……」
「……」
嫌いになったのだろうか。こんなバカなことをする女だって知ったから。殿下から言わせれば愚図、とか。
そんなふうにマイナスに考えていれば、はあ~と大きなため息の後、殿下がようやくこちらを見た。すっとまっすぐ向けられたルビーの瞳はあの日のように爛々と輝いていて、思わず見惚れてしまう。
「違う。怒ってなどいない」
「では嫌いに?」
「なぜそうなる! 貴様は……き、さまは、いつも自信にあふれているだろう。婚約破棄とか言い出すくらいには。その威勢はどうした」
「あ、あれは忘れてください。もう言わないので」
「本当か?」
と、殿下はパッと顔を上げた。先ほどの真剣なまなざしとは一変し、プレゼントでももらったような子供の顔を私に向ける。
こっちのほうが、婚約破棄って言われるんじゃないかと心配していたのに……でも、その心配は不要だったみたいだ。
殿下はうれしそうに、「そうか、じゃあ、俺に惚れたのか」とまたバカなことを言っていたが、覆い隠せていない口元が似哉ついていたから、喜んではいるのだろう。
「本当にもう言わないんだな」
「え、えと、婚約破棄という言葉を?」
「ああ、それ以外何がある。神に誓って?」
「か、神に誓って?」
「俺に誓えるか?」
「は、はい。ゼインが、それで、いいのなら」
「当たり前だろ。そうか、ようやく……」
「あの、ゼイン」
喜んでもらっているところ申し訳ないと思いつつも、私はあの日のことが気になって仕方がなかった。だが、なんだ? と言ってこっちを見る殿下の顔を見ていると、それを言う気にもなれず、知らないのなら知らないでいいや、と口を閉じる。
殿下が、べテルもペチカも大切にしてくれていることは知っているし。けれど、いつかはそれを打ち明けなければならない時が来る。どちらかを選ぶ日がくるだろうし、その時はきっとべテルが死ぬときだろう。
「ああ、また婚約破棄など言われたらどうしてやろうかと思っていたんだ。それこそ、監禁でもして……」
「監禁!? やめてくださいよ。物騒な!? 婚約破棄っていったら私は罪人になるんですか!?」
「ああ、そうだが?」
「怖すぎます! というか、監禁って、それは、その……気に食わないから?」
「いや。俺を好きだと思い込ませるためだ。いや、そんなことして手に入れた愛など必要ないが……ペチカは、俺のことどう思う?」
「ど、どうとは」
「好きか?」
と、ゼインはまっすぐにそういった。
膝の上で交差していた手が少し震えているような気がして、彼は私の返答しだいでは泣いてしまうかもしれないと、なんとなくそんな気がした。
(好きかって……人間として? それとも、恋愛感情で……?)
コルリス嬢はうわべしか見ていなかったけれど、乙女のように恋をしていた。周りが見えなくなるのが恋だとするのなら、私が殿下に抱いているこの感情は敬愛とか、親愛なのだろうか。でも、そうだとするなら彼を見て胸がときめくとか、彼を見ると安心するとか、それらは全く当てはまらない気がするのだ。
恋と名付けるには未熟すぎる感情。けれど、これが恋だというのなら――
「好き……」
「ペチ……っ」
「――かもしれません。まだ、わからない。ですけど……貴方といて、嫌な気はしません」
見合いをすると言われて、勝手に婚約者になって、最悪な始まり方だったけれど。あの時は本当に嫌い! 婚約破棄する! とおもっていたのに。いつの間にか、私は彼の中に入っていって、彼を目で追うようになっていた。瞼を閉じれば彼のことを思い出すくらいには、彼のことを考えていた。
おかしい話なのだ。だって、べテルとして彼のそばに仕えて守っているのに。その時に抱いている感情と、ペチカに戻って彼の婚約者として彼とかかわるときの感情が同じとは思えない。
殿下は、そうか、といった後、手を組みなおした。こんな答えしか出せずに申し訳なく思い、続けて言葉を紡ごうとしたとき、殿下が立ち上がった。がたんと大きく馬車が揺れて、その距離は一気に縮まる。背もたれに手をつき、私をつぶさないようにと、でもその距離はキスをしてしまうくらいには近かった。
「顔、真っ赤だな」
「え、そんな、真っ赤、なわけ……」
「貴様はたまに、俺を傷つける」
「す、すみません」
「それは余計なことをしゃべろうとするからだ。俺の機嫌を取ろうとした結果、裏目に出て俺を傷つけて、それで満足か?」
と、殿下は嘲る。
まったくその通りで、ぐうの音も出ない。
余計なことを言って、彼を傷つけるのであれば、いっそ殿下が私の口を――
「貴様のその口、ふさいでやる」
「……っ」
そういって顎を持ち上げられる。ルビーとばっちりと目があい、そらすことができなかった。
先ほど同じことをコルリス嬢にやったのに……ああ、彼女が顔を赤くした理由が何となくわかった気がした。こんなことでわかりたくなかったけれど。
自分が思っていることをすべて見透かされているのではないか、そんな気持ちになりながらも、私だけを見てくれる殿下に私も何か言いたかった。でもまた口を滑らせるかもしれなくて、少し怖いけれど。
「ハッ、まあ、そんな強引に……」
「ふさいでください!」
「は?」
「だから、ふさいでください。私の口を!」
「なっ、貴様正気か!? 俺は今、貴様をからかうために……!」
「……私は正気ですし、本気です! 貴方を傷つけるぐらいなら、貴方に口をふさがれたいです……って、あ、待ってください。今のは、ちがくて」
またバカなことを言った。だが、殿下はそんな言い訳など聞いてくれずに、私を射抜く。目が本気で、これはとても逃げられそうになかった。身から出た錆……いや、私の口が悪い。だから、こんな悪い口は早々にふさいでもらうべきだ。
「……い、いい、ですよ。私が言ったので」
「貴様は、そういうところが本当に……後悔するなよ」
「しませんよ」
私はきゅっと目を閉じる。目を開けたままだとまだ恥ずかしくて、殿下の顔がそこにあると思うと、彼を拒んでしまいそうで、口も目もとじて、彼を待った。すると、しばらくして、彼の薄い唇が優しくなでるように私の唇に当たる。あの夜のように深い口づけはしなかったけれど、ただ優しく感触を楽しむように長いこと唇を突き合わせた。
そうしてようやく離れていった殿下の唇を名残惜しく思って目を開けば、顔を真っ赤にして嬉しそうに微笑む殿下の顔がそこにはあった。
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