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第3章
09 正体
しおりを挟む「ハアッ!」
「ぐはっ……」
おお、と感嘆の声が上がり、ぱちぱちとまばらな拍手が巻き起こる。
剣を横にふるい、さやに戻し、練習相手に手を差し伸べる。
「よかったよ」
「いやいや、ベテル・アジェリット公爵子息様。まだまだですよ。それに、この頃調子がいいんじゃないですか? 剣さばきが段違いです」
「あはは、そういってもらえると嬉しいよ」
練習相手は頭を掻きながら手を取って立ち上がる。
まばらに「さすがは、皇太子殿下の護衛候補」、「一段と剣の切れがいいな」と聞こえてくる声に、少しの罪悪感を抱きつつも笑顔を取り繕う。もしかしたら、ここにいる人たちとお別れする日も近いかもしれなかったから。
コルリス嬢の一件後、特に殿下とは何もなく、彼がべテルについて言及してくることはなかった。それが幸いというのか、不幸というのか。話す機会を失ってしまった気がして、またいっそ距離ができてしまった気がしたのだ。ペチカとしてはあれ以降会っていないし、べテルとしても、お兄様が殿下の近くにいるからと、近衛騎士としての見回りをする程度で……
「――ベテル・アジェリット」
そんなことを思っていると、タイミングよく名前が呼ばれ、振り返ればそこには殿下の姿があった。廊下から私の名前を呼んだらしく、かなり距離があるが、彼は遠くからでも私がいることを確認したらしい。
「こ、皇太子殿下!」
何か用事だろうかと、私は身なりと姿勢を整えて敬礼する。周りにいた騎士たちも気を引き締め直し、整列する。
さすがは皇太子。彼が訓練場に足を運んだとたん、ピリリと空気が変わった。
「殿下、どうしてこちらに?」
取り繕ったつもりだったが、やはり至近距離まで来られると、心臓の音がわかる。自分のうるさい心臓の音を聞かれないようにと、精一杯べテルを演じてみるが、あの日……いや、殿下を意識し始めた日から、彼を見る目が変わってしまった。とはいえ、皇太子として守るべき君主様であるのは変わりない。
殿下は、ちらりと騎士たちを見た後、私のほうに視線を移し手を差し出した。
「……ベテル・アジェリットに用事があってきた。席を外せるか?」
「はい。用事とは何でしょうか」
「ここでは話せない。各自持ち場に戻れ。ベテル・アジェリットを借りていく」
そう殿下が言うと、一声でみんなが散っていった。あ、と引き留めることもできずに、私は殿下の手を見る。無理やり連れていくつもりはないらしく、あとは私の意志だけだと。
何の話かは分からないが、ここでは話せないということは……嫌な予感がしつつも、差し出された手を取らないわけにもいかず、私は彼の手を握る。
「やはり、小さいな」
「小柄ですから。屈強な肉体に憧れていますが、ないものねだりするくらいなら、自分の得意を伸ばしますよ」
「いい心がけだな」
「はい」
会話もそこそこに、私は殿下に手を引かれ廊下を歩く。石の柱を数えながら、気持ちを落ち着かせようとしたが、彼に手を握られているという事実にまた胸が高鳴る。こんなにドキドキしやすいタイプだっただろうか。
(意識、しすぎなのかな……)
それは、べテルとしてじゃなくて、ペチカとして。
彼を意識しはじめたら、自分の奥に眠っていた彼への気持ちを掘り出して、掘り出して。どれだけ埋まっていたかわからないくらい出てきてしまった。
そんなふうに、殿下の背中を追って歩いていれば、殿下は離れた第四訓練所の扉を開けて鍵を閉めた。
「どうしてここに?」
「貴様と手合わせがしたくなった」
「また、気分でですか? いいですけど、最近僕は調子いいですよ?」
「そうか。だろうな……遠くからいつも見てる」
「い、つも……」
そんな見られていたなんて知らなかった。殿下は最近忙しいし、誕生日パーティーのこともあってなかなか姿を拝見することもなかった。なのに、いつも見ている、なんて……
(考えすぎ。私のこと見てるだなんて、そんな……)
邪念は振り払い、私は申し込まれた決闘に集中する。しかし、彼は決闘を申し込んだ側なのにどことなく浮かない顔をしており、気が抜けているのかと不安になってくる。だからといって、手は抜かないし、そんな殿下に勝ってもうれしくないが、全力で行くつもりだった。
「本気で行きますからね。手加減なしです」
「ああ……ベテル・アジェリット」
「何ですか?」
「また、何か賭けないか?」
「賭け事はもう飽きたのですが」
お兄様の癖がうつったのだろうか。毎回決闘に何かを賭けるなんて、もう賭けるものは何もない気がするのだが。
殿下を見れば「そうだな、賭ける必要もないかもな」とつぶやいて剣をさやから引き抜いた。現れた白い刀身がギラリと光る。あれからまた鍛錬を積んで強くなったはず。彼がほめてくれた素早さももっと有効活用できるようにと立ち振る舞いを意識している。
――勝つ!
そう意気込んで、私は剣を構えた。細身の剣は、普通の剣よりも長くて軽い。一撃の重さにかけるが、その分素早く動ける。私専用の剣だ。
試合開始を告げる審判はいないが、一歩にじり寄った瞬間、それを合図に試合が始まる。カンッと金属の音が響き、お互いに一歩下がった。剣をはじくように、しかしすぐに次の攻撃がくるからと、私は殿下から目を離さない。
殿下も私を見ている。そしてまた一歩踏み出し、剣を交え、切りかかる。キン、カキンッという音が何度も響き、そのたびに彼の視線が私を射抜くようで……でもそれは一瞬で。彼はすぐに視線をそらして、また私のほうを見てくるのだ。その繰り返しで、何合か打ち合いが続くと、私はある違和感に気づいた。
(やっぱり、本気じゃない? 何を考えてるの?)
上の空とまではいかないが、彼は私の攻撃をはじくことだけを考えているようで、また何かの隙を狙っているようにも感じた。それが何なのかわからず怖かったが、それをチャンスと取って、私は殿下の懐へと潜り込む。
「がら空きですよ、殿下!」
「だと思うか?」
反撃するときに、殿下は目つきを変え、私の剣の切っ先をはじいた。その反動で私は体制を崩すが、すぐに持ち直して距離をとる……はずだった。
しかし、彼は私との距離を縮めると、私の剣をはじき飛ばし、そして私の胸を切り裂いた。カランと金属音が鳴り響き、私の手から離れた剣はその場に力なく転がる。
はらりと、布が切り裂かれ、巻いていたさらしから解放された胸が露出する。
「きゃっ」
「……」
私は思わずそれを隠すように両手で多い、内またになるが、そこでハッと気が付いて殿下を見た。
「……でん、か」
「貴様は、やはり女だったんだな」
と、殿下は冷めた目で私を見ると剣をさやにしまった。
しまったと、私は思い手を放そうとしたが、このままでは胸が見えてしまうと手を下ろせずにいた。
(バレた……ううん、初めからそれを狙っていて。じゃあ、そのために?)
ぐるぐると思考は回るがまとまってくれず、この決闘は私が女だと見抜くためのものだったのだと、殿下の策略にハマったのだと理解し、私は下を向く。顔を上げることができなかったというほうが正しい。
殿下を欺いた罪、一人二役がばれた。いつかバレるとは思っていたけれど、こんな形で……
「す、すみません、殿下!」
「……ベテル・アジェリット」
私はその場で土下座をしようと手を放し地面に膝をつこうとするが、それを制止するように殿下は私の手をひねり上げるようにして掴んだ。ツキンと手首に痛みが走る。少し前から剣の振りすぎで手首をひねっていたのだと思い出し、それも見抜かれていたんだと恥ずかしくなる。
「……すみません。だますつもりは……いえ、貴方をだましていたこと、欺いていたこと! 謝罪してもしきれなくて。貴方の信用を、貴方との関係を壊すような、ことを! どんな罰でも受けます。どんな、罪、でも……」
「ベテル・アジェリット。聞け!」
「……っ」
涙がにじんだ目で顔を上げれば、怒っているようにはまったく見えない殿下の顔がそこにあった。どちらかといえばさみしそうな、でも、安堵するようなそんな矛盾した顔で私を見つめている。てっきり怒って殴られるかと思っていたけれど、そんな感じは全くしなかった。
「ぜ、……」
「貴様は、ベテル・アジェリットじゃないんだな」
「僕、私は……」
「……ペチカ・アジェリット――貴様は、ペチカ・アジェリットであっているのか?」
と、殿下はそう言ってルビーの瞳を震わせ私を見つめてきた。真意が読めない、その瞳の奥に、私はどうこたえるのが正解かわからなかったが、嘘をつくのは、もうこれ以上だますのは無理だし、したくないと観念して口を開く。
「そう、です。私は、ベテル・アジェリットじゃありません。ベテル・アジェリットは、十四年前に死にました。私は、私はペチカ・アジェリットです」
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