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第4章
08 決着
しおりを挟む「ゼイン!」
「ああ、終わったのか。ペチカ」
「は、はい。終わらせてきました。ゼインのほうは?」
「俺も、あらかた片付いた。そうか、やったんだな」
べテルの頭蓋骨は、誰にも見つからないようあとで取りに行くことを決め真っ赤なバラの下に隠し殿下のもとへ向かった。殿下のほうもあらかた片付いていたようで、足元には多くの刺客が転がっていた。私が心配する必要もなく、一人で片づけてしまったようだ。本当に、私が一人に苦戦している間にこんなにも。
殿下は私を心配して顔を覗き込んだが、触れようとはしてこなかった。いつもならこういう時よくやったとか、頭を撫でるのに。その原因は彼の手を見ればわかり、返り血を浴びた殿下の手は真っ赤に染まっていた。ただ剣だけが血を吸ったように赤く染まっていた。
「お別れの言葉は言ってきたのか?」
「はい。それも。私の騎士としての人生も今日までです。えっと、これは十二時までに終わったのでしょうか……?」
時計がないので確認しようがなく、それでも殿下の誕生日を祝う気持ちはあった。だが、殿下はまだ何かあるというように気を張っていて、それが何かわからずいれば、殿下は横に手を出して下がっていろ、と私に命令した。
もう人の気配はしないのだが? と思っていれば、目の前から空間を割って殿下と同じ髪色の男が現れた。その瞳は暗闇で怪しく光り、殺意に満ちて歪んでいた。
「ディレンジッ!」
「やはり兄さんはあれくらいでくたばってくれないか。しぶといですね、虫みたいに」
「第二皇子殿下……」
やあ、なんて軽い挨拶をしてディレンジ殿下は私に微笑みかけた。けれど、その顔が笑っていないことはすぐにわかり、こめかみあたりがぴくぴくしている。ディレンジ殿下とて、あれくらいで殿下を殺せるとは思っていないのだろうが、多分一番はべテルが倒されたことが想定外だったのだろう。
「最終兵器も役に立ちませんでしたし、もうお手上げです」
「そういう割には、よく俺の前に姿を現したものだな。どうせ、貴様のことだ、まだ何かあるのだろう?」
「いいえ、なにもありませんよ。どうせ兄さんには何をしても勝てない……それが忌々しい」
殺すような勢いで唇をかみ、ディレンジ殿下はこれまで張り付けていた笑みをはぎ落して私たちをにらみつける。怒りの対象には私も含まれているようで、私はさやにしまったはずの剣に手をかけていた。これは、殿下とディレンジ殿下の問題で、私がべテルとの問題に終止符を打ったように、殿下が終止符を打たなければ意味がない。だが、ディレンジ殿下のことだから、まだ一策、二策と隠し持っているのではないかと気が気でなく、緊張を解くことができなかった。
「ああ、そういえば、ペチカ・アジェリット公爵令嬢。先ほど、君の母親は死にましたよ。最後まで君の家族は使えないやつらばっかりだったね」
「そう、ですか……」
「何だ。もっと絶望すると思っていたんですけど。意外と薄情なんですね。貴方は」
ディレンジ殿下の言葉が嘘か本当かはどうでもよかった。ただ、もう長くないとわかっていたため、そうなのか、と受け入れるほかなかったし、でも一つ気になることがあるとするのなら、お母様とべテルが死んだ日が一緒になってしまったということだろう。べテルは安らかに眠るに値する人間だけど、天国でお母様にまた執着されたら……そう考えるとつらいけれど。でも、お母様はきっと天国には行けないだろうから気にする必要はないのかもしれない。
ディレンジ殿下が殺したかもしれないという可能性は捨てきれなかったが、そんなことで動揺させて来ようとしているところを見ると、もう本当に手札がないのかもしれないと。
「ディレンジ。貴様との決着もここでつけよう。こざかしい手ばかり使い、皇帝の座を狙うなど……恥を知れ」
「ハッ、僕は兄さんのような功績も、力もない……そんな僕が皇帝になるには、どんな手でも、使える手なら使うしかないでしょう!」
「それが、俺の婚約者を略奪しようとすることや、俺に媚薬を飲ませ不貞行為に手を染めさせようとすること……そして、ペチカを傷つけることだったのか」
「ああ、そうだ。そうですよ。それも、すべて台無しだった。無駄だった……僕は、ずっと、お母様のために」
と、ディレンジ殿下は絞り出すようにそういった。彼の口から、現皇后のことが出てくるとは思えず、引っかかりを覚える。
ディレンジ殿下が、皇帝になりたいのは皇后陛下のため? 彼の意思じゃないの?
不可解というか、ディレンジ殿下自身に皇帝になって何かしたいというような気持はこれまで感じられなかった。もしも、皇后陛下のために、皇后陛下に言われてずっと行動してきたすれば……
(前皇后陛下を殺したって言われている現皇后陛下の息子である、ディレンジ殿下が皇帝の座に着いたら……それまでの悪いうわさもすべてなかったことにできる……から?)
そんな簡単なことじゃないだろうけど、そう考えるのが自然な気がしてきた。
私も、お母様に言われてそれに従ってきた過去があるし。でも、ディレンジ殿下は、皇后陛下のことを愛して、それゆえの行動だったと思う。私とは違う。信念がある。
ディレンジ殿下は自嘲気味に笑って、顔を覆う。彼の足元からただならぬ魔力を感じた。それは、お兄様がこの間暴走した時と似ている……
「でも、もうすべて無駄ですね。だったら、兄さんを道連れにしてもこの証拠を消して――」
「ゼイン!」
「……っ」
轟々と、彼の足元に黒い炎が揺らめく。それは一瞬にして私たちを包み込み、囲うと逃げ場を亡くした。真っ赤なバラが黒く焼け焦げ消えていく。
道連れに、死のうとしているのだろうか。
それほどまでに、皇后陛下を……?
ゼインは私をかばうように立つが、どうしても二人は守り切れないと苦々しい表情を浮かべていた。そして、ゆらり、ゆらりと近づいてくるディレンジ殿下に剣を向けるが、彼はそんなもの怖くないというように近づいてくる。彼の体も黒い炎に包まれようとしていた、その時だった。
彼の燃える足元が凍ったのは。
「そこまでにしておきなよ。第二皇子殿下」
「……お兄様!?」
振り返れば、つい先日謹慎が解かれたばかりのお兄様が立っていた。
お兄様の水の魔法と氷の魔法を駆使し、ディレンジ殿下が広げた炎の海を飲み込んでいく。ディレンジ殿下はそれに負けまいと魔力を暴走させようとしたが「もうやめなさい」と響いた鈴のような声に、彼の魔力は霧散する。
「……もう、いいのです。ディレンジ」
「お母様……? それと……こ、皇帝陛下……」
お兄様の後ろには見知った顔の近衛騎士たちと、手に拘束具をはめた皇后陛下、そして私たちをじっと静かに見つめる皇帝陛下の姿があった。皇帝陛下の威厳ある黄金の髪と、赤い瞳は殿下そっくりで、だが殿下よりも何を考えているのかわからない凪いだような瞳をしていた。その後ろをあるく皇后陛下は白髪の混じった亜麻色の髪を乱し、目の舌には隈があって意気消沈といったような感じでうつむいていた。
こんな深夜にもかかわらず、一連の事件が起きることを予見していたような顔つきで、私たちを取り囲んでいる。ディレンジ殿下の後ろに近衛騎士団員が回り込み、彼を拘束すると、ディレンジ殿下はクッと声を漏らし、両ひざをついた。
皇帝陛下がこちらに近づいてきたため、私は殿下から離れた。親子の問題であり、皇族の問題だと瞬時に察することができたからだ。そんな私に、お兄様は近づいてきて、そっと羽織っていた上着をかける。
「……父上」
「十数年前の前皇后毒殺事件――その証拠がようやく見つかった。ゼイン、お前には迷惑をかけたな」
「……」
殿下は、陛下の言葉には何も答えなかった。
殿下の母親、前皇后陛下を殺した犯人の証拠が見つかったというのだ。喜ばしいことだが、ここまで時間がかかってしまったことは時効になりかねないのではないかと。もう、裁けないのでは? と思っていると、お兄様が横で首を振った。
陛下は顔つきを変え判決を言い渡すように口を開いた。
「前皇后毒殺事件の犯人である現皇后、またその息子であるディレンジ・ブルートシュタインを除籍、および国外追放とする」
国外追放と言われ、ディレンジ殿下は顔を上げる。
本当ならもっと重い罪、死刑でもありえただろうにそれが下されなかったのは、昔の事件だから。それでも、皇后を殺害して、成り上がりで皇后の座に就いたのに……とも思う。
それに、国外追放と言われても、飛ばされた国で力をつけて復讐なんてことも考えられるのに、少し罪が軽いのではないかと思った。
だが、それも心配なかったようで十年ほどは監視をつけるそうだ。しかも、国外といっても帝国とつながりのある国であり、何かやらかせば、そこからも左遷されてしまうだろう。
それでも、殿下がそれで納得するかどうかは……
「ディレンジ、私のためにごめんなさい」
「お母様、何を言うんですか。お母様は、僕は、ただお母様のために……」
「もういいのです。もう……私のために、悪役を演じなくても」
と、皇后は涙した。ディレンジ殿下もつられたように涙していた。まるで、自分たちが悲劇のヒロインとでもいうように。
もとはといえば、この二人のせいで巻き込まれたのに自分たちが被害者みたいな感じで泣いてずるいのではないかと思った。それは、お兄様も思ったらしいが、殿下はそれを虫けらでも見るような目で見て陛下に視線を戻した。殿下は陛下に対してどんな思いがあったのかは知らないが、こんな茶番劇を見せられて、大好きだった母親を失った悲しみが癒えるとは到底思わない。
けれど、除籍処分、国外追放となったことで、殿下が皇帝の座に就くことは確定し――
「陛下。今日のパーティーで、私に皇位を譲るよう言ってください。それが条件で、私はこの二人を許します」
「ゼイン!」
改まった口調で、殿下は陛下に向かってそういった。
陛下は目を伏せたあと、しばらくして「わかった」と一言いうと、近衛騎士に指示を出し、ディレンジ殿下と皇后陛下を連れて行かせた。彼らが今日のパーティーに出ることはないだろうが、急なことで対応できるかもわからない。本来であれば、パーティーを遅らせるなどして改まって、開催を――
「今夜の誕生パーティーは、通常通り行う。ゼイン、気を抜くなよ」
「はい、陛下」
陛下はそう言い残し、身をひるがえしていってしまった。お兄様も用事があるようで「また、夜に」といってしまう。
本当にパーティーを開催するなんて……と私は開いた口が塞がらない。
人の気配がなくなった庭園に吹き付ける夜風が涼しく、私は気が抜けたようにくしゃみをしてしまった。
「大丈夫か? ペチカ」
「は、はい。ゼインは……」
「……俺も大丈夫だ。ペチカ、体力は残っているか?」
「え……はい」
殿下の問いかけに対し、私はなあなあと答えたが、そのあとで彼の言葉の意味に気づき、もう一度強くうなずいた。
「大丈夫です。任せてください」
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