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第1部 第4章 邪竜の器と第三の皇子
01 器の子
しおりを挟む「君とは初めましてだね。フェイ・シックザール」
「初めまして……じゃなかった……と、帝国の光に挨拶を。お初にお目にかかります、皇太子殿下」
「気を楽にしてもらっていいよ。俺の無理を言ってアーベントに連れてきてもらったんだから」
「そんな、皇太子殿下に無礼があっては……それに、シックザールなんて、もうない家の名前ですから」
真っ白なベッドの上に横たわる黄金の徒花の彼は、殿下の兄であり、皇位継承権第一位ルシア・ヴォルガ皇太子殿下。俺たちは彼が横たわるベッドから一番遠い場所に立っていた。しかも、魔法によってくるられた、枷を手にはめて。まるで罪人のように。
俺が拉致されてから三週間ほどが経った。俺が倒れたのは、極度の不安とストレスからきた疲労だったそうだ。しかし、俺が倒れた原因が分かるまで少し時間と手間がかかったらしく、殿下はいろいろと嫌がらせをされているため主治医を呼べず、皇宮のほうにも要請できなかったそうだ。そのため、大金をはたいて信用できる町医者に診てもらったとか。そこまでしてもらったということに驚きと、それでただの疲労からの気絶だったので申し訳けなさが一気に押し寄せた。それでも、俺が目覚めたとき殿下はほっとしたような表情をしていたので、さらに複雑な感情を抱かざるを得なかった。
とにかく、今は何の問題もない。体調も戻り、平穏な日常が戻った……と思われたのだが、皇太子殿下に呼び出され、皇宮に来る羽目になるとは思ってもいなかった。
「そうか。じゃあ、フェイ君、と呼ばせてもらうね」
にこりと微笑んだ徒花の彼は殿下とは似ても似つかない、優しさをまとっていた。本当に兄弟かと疑うくらいには優しい笑みに、ポッと顔が赤くなる。そんなふうに見とれていれば、ゴッと、殿下にわき腹を肘でつつかれてしまった。
「……っう~殿下、何するんですか」
「別に。お前が鼻の下伸ばしてるのが気に食わなかっただけだ」
「はあ……?」
だからっていきなり肘でつつかなくてもいいだろう。しかもあばらに直撃して。何を考えているんだ、と思っていると、ふふ、と優しく皇太子がおかしそうに笑った。
「仲がいいようで何よりだ。アーベントがここまで必死になっているところを見たことがないよ」
「兄上、あまり変なこと言うな……」
「でも、事実だ。フェイ君、体のほうはもう大丈夫かな?」
「は、はい。殿下にもよくしてもらって……ああ、えっと、医者が大丈夫だと」
慌てて言い直して俺はぺこりと頭を下げた。
殿下も珍しく、おとなしいというか、いつもの調子を出せないようだった。どうやら、皇太子である兄には強く出られないらしい。殿下はそれはもう複雑な表情で、した唇を噛んでは、舌打ちを鳴らしそうになるのをこらえて、と百面相していた。
(髪の色と瞳の色だけは一緒で、何もかも違うというか……)
悠然とした態度、それでいて隙がなくて慈悲深い瞳。彼こそが、皇太子であり、未来の皇帝になる男だと無意識のうちに頭を垂れそうになる。
そんな戯れもそこそこに、皇太子は俺たちをここに呼んだ理由を説明し始めた。
「ゼーレ教の動きが活発になっていると聞いてね。しかも、器の子がまだ生きていたなんて思ってもいなかった」
「その、恐縮なんですが、器の子って何なんですか」
「そうだね。そこの説明からする必要があるね。ゼーレ教については、アーベントから説明があっただろうけど、実は今回フェイ君を攫った人物たちは、ゼーレ教の生き残り……俺たちが十年ほど前に取り逃した残党たちなんだ」
「……言っちまえば、十年ほど前に一度ゼーレ教、邪竜教徒狩りを行ったんだよ。そのときにほとんどは捕まえ処刑したが、隠れてその力を蓄え、勢力を伸ばし、また活発に動き始めたってわけだ」
と、殿下は補足しながら言う。
十年ほど前といえば、俺が貴族だったころだろうか。十年ほど前も今のようにゼーレ教が活発に動いており、国家転覆及び、ゼーレの復活をもくろんでいたと。だが、それがバレて皇帝陛下の命令で邪竜狩りが行われ、教徒たち、信者たちは根絶やしにされた……しかし、生き残りがおり、ここ数年息をひそめつつ裏でその勢力を伸ばし、今に至ると。簡単にまとめればそういうことなのだろう。
そして、器の子、というのはその当初何かしらの形でつくられた子供のことをいうのではないかと予想できた。その器の子の一人が俺だと。
「子供に罪はなかったんだけどね。器の子……邪竜の器となりえる子どもが当初たくさんいた。その器の子に邪竜の魂を憑依させようとしていたんだ。どういう原理かわからないけれど、ゼーレの魂と共鳴できる子ども、ゼーレのつばがついた子どもがそれに該当するとされていた」
「ゼーレのつば……?」
「…………ほら、俺がみただろ。お前の背中に傷があるって」
「あ……」
殿下に言われ、それがゼーレの魂と共鳴できる、器の子たる証なのだと気づいた。皇太子もこくりとうなずき、神妙な顔つきでこちらを見ている。
「だから、その器の子も処刑するしかなかった。器の子は、ゼーレをこの世に復活させるために必要な存在だったから。本当に罪はなかったよ。それに、すでにそのときから器の子は虐待されていた。この間の君のように手厚く、過保護に扱われていたわけじゃなかったんだ」
「え……」
「器のこと言われる子どもは、それはもうやせ細っていた。そういう虐待と、栄養不足から、ゼーレを宿すための儀式はことごとく失敗していたようだね。それでも、いつかゼーレを宿しえることができると教徒たちは信じてやまなかった。だから、器を……」
そこまで言って皇太子は言葉を区切った。
先ほどからズキズキと頭が痛むのだが、まったく身に覚えがないことだった。記憶が封じ込まれているのか、それとも忘れていたいがために痛みが生じているのか。しかし、皇太子や、殿下が確信しているのであれば俺が器の子であることは間違っていないのだろう。
(なら、俺も殺される……?)
器の子しかゼーレを宿しえることができないのであれば、俺が死んだらゼーレ教の野望はついえるのではないかと思った。そのためにここに呼び出されたのだろうか。嫌な汗が背中を伝って、喉が渇いていく。
「じゃあ、俺は……」
「ああ、そういうつもりでここに呼び出したんじゃないんだ。ごめんね、フェイ君。驚かせちゃって」
「で、も……その器の子がいなくなればゼーレは復活できないんでしょ? だったら、って」
俺の言葉で場の空気が一気に悪くなる。
器の子は一人だけじゃないのだろう。話を聞くところによると大勢いた。ゼーレを宿すことができる子どもには、ゼーレがこの器だと印をつけたあの四本のひっかき傷があるのだろう、とか。けれど、十年ほど前の邪竜狩りでほとんど器の子は殺されてしまった。生き残りがいるとしてもそこまで多くないことは簡単に予想ができる。
「今のところ君を殺すつもりはないよ。それに、儀式はかなり大掛かりなものだし、失敗のリスクは高い。それでも、君の年齢まで生きていた器の子は過去にいなかった。だから、君を重宝しているんだろうね。そこでだ、フェイ君」
と、皇太子は真剣な面持ちで俺を見る。
何を言われるのだろうかと身構えていると、目が合った瞬間微笑まれた。
「君にはしばらくの間餌になってもらおうと思うんだ」
「餌……?」
「ゼーレ教の目的や、アジト、今後の動向を探るためにね。まだまだ不明瞭なことだらけで困っているんだ。アーベントがいろいろ調べてくれてはいるけれど、アーベントが動ける範囲も決まっている。だから、ゼーレ教が欲している君を放し飼いにしようと思って」
そう皇太子はようようというのだ。口ではかなり酷いことを言っているのだろうが、まったくそんなことを言われている感覚にはならなかった。それに、国家反逆罪にあたるゼーレ教をあぶりだし捕まえるためには、少し非道なことでも行わなければ捕まえられないのだろう。だから、皇太子としてその命令というか判断はすべてあっていると思った。異論はない。
ただ、放し飼い、餌である以上はまたこの間のように狙われることになるんだと、俺は少しだけ体が震えた。別に酷いことをされたわけじゃない。しかし、殿下やアウラたちから離れ一人になったというあの寂しさと恐怖は今でも体に残っている。また、同じことになったら。
俺が震えていると、トスッと殿下が俺の肩に頭を乗せた。
「何ですか、殿下。重いです」
「兄上の言っていることは正しい。それが一番効率がいいだろうな。だが、こいつに何かあったらただじゃおかねえ」
「本当にアーベントは変わったね。一人影でないていたあの頃とは全く別人のようだ」
「……っ!?」
「殿下?」
「うるせえ。人は変わるだろ……それに、俺は泣くような年齢でもない。兄上も、せいぜいその仮病がばれないように気をつけろよ。あの愚兄、まだいろいろとたくらんでいるみたいだしな」
殿下は俺の肩からすっと頭をどかして、皇太子を睨みつけていた。耳にかけていた黄金の髪がはらりと落ちると、殿下の耳が真っ赤に染まっていることに俺は気が付いた。殿下が泣いていた、とはどういうことだろうか。気になることは多くあったが、とりあえずは、俺が餌となりゼーレ教の注意を引き付けることで決定した。
面会はその後終了し、部屋の外に出ると、皇太子の部屋の前で待機していた甲冑を着た騎士たちに睨まれた。どうやら、俺たちが皇太子に危害を加えると思っていたらしい。その後は、すぐに手かせを外してもらい、早く帰れといわんばかり追い出されてしまった。
「フェイ、ちんたら歩くな」
「すみませんね! まだ、本調子じゃないんで!」
いらだったように外股で歩く殿下の背中を俺は見ていた。揺れる黄金のポニーテールは俺が結ったものだ。
(まだ、家のことについてはよくわからないけど……でも、俺がゼーレの器ってことは、俺の家は)
枷が外された手のひらを見る。カタカタと情けなく震えたその手を俺は握り込んで、先に馬車に乗り込んだ殿下を追いかけ俺はゆっくりと一歩を踏み出した。
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