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1.回帰
36.37
しおりを挟む『ひし形の枠組みの中に黒目の部分に亀裂の入った眼』
人が与えられる最大級の悪意であり、人間以下の証明。
諸説あるが、ひし形の枠組みは人間の世界、王国を意味しそんな王国が目の敵としている存在に与えるからひし形の枠組みの中に目があり、黒目の部分に亀裂が入っているという。
どれだけの痛み、焼かれた熱さだったろう。意識を飛ばしたラウリーを捨てるように商人に渡した二人は楽しそうだった。
ラウリーを押さえつけていた三人の女生徒は、ひどく怯えたようにしながらも逆らえずにいる。地面を眺めスカートをぎゅっと握ったまま。
もしかしたら話にだけは聞いていた愛人の存在が彼女たち、とすれば合点が行く。
「………やっと、勝てた」
ふとメイアが呟いた言葉がアウスには返しのついた針のように刺さったまま抜けなかった。
それからのラウリーが歩んできた道のりはあまりにも酷なものであった。
奴隷にもヒエラルキーというなの格があり、苦痛の度合いは各々購入者によるもので違う。
最底辺、地獄のように地べたを這いずり回り生きていくしかなかった階層にラウリーはいた。
第三者の目になり眺める世界で彼女は、地獄ですら人を助け守り微笑んだ。
話に聞いていた汚水を飲んで飢えを凌ぎながらも、自分が貰った固くなったパンであっても育ち盛りの子供に優先的に渡して私は大丈夫だから、と。
アウスに出会い、生活が一変しようとも、学院から突き落とされるように歩んできた約二年半ではこの生活もいつ壊れるかわからない石橋だろう。
使用人から聞いていた、彼女が邸に来てから食べれるのは具の入っていないスープのみだと。柔らかなパンはキョロキョロと周りを見てはお皿に戻す。
今もまだ何かに囚われているかのように、彼女は誰かを守ろうとしている。
…目を開いた世界で、デフィーネとユルが心配そうに顔をのぞかせていた。
「アウス様、起きたようでッ」
二人しかいないということは、二人が情報管理を徹底したのだと即座にわかり胸が熱くなる。今まで考えたこともなかった。
「……デフィーネ、ユル。お前たちの過去を俺はずっと見下してきた……いや、違うな。父と母がやってきたあの功績の全てを俺は見下してきた。
奴隷と言う存在が俺にとっては道端の踏まれ息絶える蟻と一緒で、世界が回るための駒だと、仕方のない犠牲だと信じてやまなかった。
彼女が奴隷でなければ、俺の中にある奴隷への軽蔑の目は消えなかった。
……彼女を苦しめた存在は赦せないが、奴隷となったのは彼女の落ち度でありそれはどうにもし得ない、掛ける言葉も無いと……彼女に安心して欲しいという心の中にさっさと順応しろと思う自分がいた。
会えなかった。
ラムルや他の使用人に任せて、俺自身は彼女に会いに行き彼女の額を見たくなかった。
罪滅ぼしなんて、甘ったれたガキのようだな。
俺は王国のやつらと一緒で、汚くて絶望的に救えない。
センガルに至急で邸を訪れるように連絡を入れてくれ」
両親が奴隷解放の英雄となろうが、アウスは父と母には父と母でいて欲しかった。アウスが体調を崩すと大丈夫、すぐに良くなるわと優しく頭を撫でてくれるが目を閉じ少しすれば立ち上がり部屋から出ていく。そして両親が言う言葉は『次はどこどこの地区にしよう』という解放の為の戦略。
熱が下がるまでのたった数日でいい、アウスの願いは空へ消えたまま父と母は王国に反逆の主犯としてその首を見せしめにされた。
その少し後、当時奴隷から解放されてまもなくのセンガル達に背中を押され公国の長となった。
奴隷は守るべき存在、人として共に生きられるように。そう母が言っていた世界を作るために必死に動いてもアウスの心は揺らぐことすらなかった。
『ずっと考えていた、死こそ救済なのではないかと』
アウスの心の穴は誰にも埋められない。埋められるのはたった二人しか、この世に居ない両親だけだから。
ラウリーともし出会っていなければ、もしも撃たれたのがラウリーでなく別の奴隷だったら。アウスは間違いなく保護という名目で邸にて保護の後救済と名付けて皆を。考えただけでも恐ろしさがある。
支配された感情に改めて向き合うことは難しいというが、本当だ……
センガルが本気で駆けつけた時には呼び出しの連絡より二時間半。
獣の姿で、夫と共にやってきた彼女は躊躇うこと無く「迷いの森に居たのかい?」と訊いてきた。流石に周りの者も着いて早々にする話ではないと内心ヒヤヒヤしていたが、アウスはとても冷静にあぁ、いた。と答えた。
アウスの表情から何かを察したセンガルは部屋に居るものを一時的に外に出し、夫に少しだけ集めて欲しい情報があると何かの紙切れを渡し外に出した。
アウスの落ち込み方はどうにも違和感がある。からかいも含めた奴隷への偏見は直ったのかい?と言葉をかける。
センガルの近くにいて普通に話せる友人のようでありながら、軽蔑の視線を向けられていたことをセンガル自身が一番よく理解している。
今のアウスから向けられる視線は嫌悪ではなく何処か懺悔に近い。
センガルからしたらアウスに向けられたくない視線。憐れみが混じった瞳に嫌気すら差すがそれを指摘はしない。自分で気付けよ馬鹿野郎、という嫌味を込めたセンガルの心を言葉から読み取ったアウスは瞬間的に眉を潜めたがすぐ、そうかもしれない。と向き直った。
あからさまに嫌そうな顔をしたセンガルにアウスは淡く光る小さな石を渡しギュッと握ってみるとわかる。と言った。
奴隷嫌いのアウスを知っている、その嫌いの眼差しで見られ続けてきたセンガルだからこそアウスの対応はとてもではないが気持ちの良いものではなかった。ただそこに演技がないことだけは理解できるからこそ、言葉に従ったのだ。
まるで夢のように第三者目線で繰り広げられる世界はアウスが見たものとはほんの少し違う場面もあった。
しかし、絶対的な証拠。かつ、センガルに手紙を送ってきたシェルヒナという女生徒の姿を認識できたことはあまりにも大きな収穫。
『妖精王であれば記憶を取り出し他者に見せることができる』というのがこの石なのだとしたら、妖精王は此方の味方に居るということ。
この石さえあればアウスが望むウィリエールの失脚は目に見えている。証拠に証言に、逃げ場はほぼ失ったも同然。
それなのに浮かない表情をしたアウスの心が理解出来た。
理由は単純で奴隷を舐めていた自分が目の前で起きていた現実に目を向けざるをえなかったから。
要は、どれだけ辛くたってこの程度だろ、と思っていたものが想像より悲惨で今までの言動や行動が間違っていたことを理解したのだ。しかも自分の番の過去を覗き見たことで知るなんて、屈辱にすら感じているのかもしれない。
けれどセンガルはそれを指摘することはなかった。
ただ「やっと証拠を揃えられた気がするわ、王国に来賓で行く準備始めておいてね」と他人事のように言い残しアウスを一人残し部屋を出る。
部屋の前には心配で動けずにいたデフィーネ達が音漏れしないギリギリのところで立ち尽くしていた。
センガルを見るなり大丈夫なのかと心配そうにする者達を宥めるようにセンガルは笑い明るい声で大丈夫、公主様は強い方なんでしょ?と言い足を止めること無く帰路を辿った。
センガルの見た世界はもう二度と見たくなかった過去の自分を重ねられる風景、扱い。臭いだって今でも鮮明に思い出せる。
そんな苦しくてつらい空間で見たラウリーは、愚かで馬鹿馬鹿しい程に美しく、そして正しかった。
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