幸福奇譚

安馬川 隠

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本編

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 ちゃぽんッと水音滴るお風呂場。
理由無くガラス張りのお風呂場で、先程まで宏臣が隠れていた浴槽に今は重東と共に並んで向き合う形でお湯に浸かっている。
 恥ずかしいのなら入浴剤を入れようか、と沢山ある入浴剤をリビングに持ってきて好きなの選ぼうと子供のように笑う重東を見て絆されたのかも知れない。

 これは乳白色だから透けない、恥ずかしさが少しは無くなるかもと選んだ旅行気分が味わえると謳った入浴剤を選び入れたのだが、今となっては重東の細身の身体では分からなかった逞しい筋肉、腕だけではない背中一面に広がったタトゥー…目のやり場に困るとはこういうことか。


「お風呂一緒に入ってくれて嬉しいなぁ、お尻も洗わせてくれたし。ヒロのこと本当に大好きだなぁ」


 ほわほわとタンポポの綿毛でも飛ばすかのような柔らかい雰囲気の彼が夜の管理職をやっているなんて正直宏臣としては信じられない話ではある。
騙されてボコボコにされるのがオチではないのだろうか。


「……じゅーとさんは、強いです?」

「え?強い?………んー、どうだろ。ヒロには弱いけど仕事柄強く見せることは頑張っているかな」


 話を聞いていてもやはり信用できない。
優しくて見た目がイケメンで。怖い人とは思えない。


「……んー……なんで………なんだろう」

「んふふッ、『なんで俺なんかを好きなんだろう』って?そうだなぁー、夜勤で働いていて無理難題の言いがかりをつけられてる所を見たんだけどさ…」


 宏臣の訊きたい疑問をさも当たり前のように答える重東に返事とか全てすっぽかして見入ってしまう。
湯船の温度は熱くない、身体を芯から温める為に少し長めに浸かる時間会話で埋めるには丁度良い。

 重東は、宏臣を初めて見た日の事を愛しげに話す。


 重東が仕事の都合で普段の範囲から少し出た場所に移動した所にあったコンビニが宏臣の働く職場だった。
煙草と珈琲と後輩が欲しがった飲み物、あとは強いミントのガムを買うために入ったのだが、先に入った客の年配の男性にああじゃないこうじゃないと理不尽に詰められている宏臣を見て最初は『要領悪い』と思ったそう。

 けれど宏臣の決して不快感を顔に出さず非がなくとも頭を下げて謝り、笑顔を崩さぬ姿にほんの少し興味が湧いた。

 厄介な客が去って、すぐに更に厄介そうな黒服の重東や後輩が並ぶのも…と本来要らないおにぎりなどを手に取り時間を開けてレジの方で立て直す時間を作ったが、その時に不意に見た目に涙を溜めながら「……ふぅ、怖かったぁ」と弱さを見せた宏臣の姿に重東は心を奪われた。

 お願いしまぁす、と後輩が買うものを入れたカゴをレジに持っていけば先程まで見せた弱さなど無くなったかのように笑顔で「はい、お預かりしますっ!」と元気に言った宏臣に完全に重東は落ちた。


「あと、チルマの……あー番号の方が良いよね。51番一つお願いします」


 重東からした普段であれば、番号は覚えるのが面倒で買うものの銘柄だけを投げるように言えば良いと、それで買えなかった事などないから、それで良いのだと思っていたが彼には探す手間を掛けさせたくなかった。
 丁寧な言葉をわざと選び、間違いないですか?と問われればはい、有難うございます。と言った。
その瞬間の後輩の顔といったら、あり得ないものを見るようだった。


 車に戻って職場に戻るとき「あの子の情報調べられるだけ全部調べてこい」と後輩に言ったのは宏臣には言わない。秘密なのだ。


「ヒロ、のぼせちゃうから上がろっか」


 重東の話を聞いても、宏臣には覚えがなかった。
コンビニで言いがかりをつけられることはほぼ日常茶飯事だし、トラブルに見舞われることも多かった。
夜勤で一人業務であれば助けもないから、焦ったり困りきったりすることも多かった。
 そんな時に一目惚れされるなんて、小説みたいな話だなぁなんて他人事になる。

 お風呂から上がって、下着を履こうとした瞬間重東が耳元で「すぐ脱ぐのに履いちゃうの?」とクスッと笑う。まぁ脱がせるのも好きだから良いけどねと更に笑う重東にもう湯船に浸かっていないのに顔が赤くなるのを感じた。
結局、宏臣は近くにあった重東の部屋着の上だけを着た。
 重東は百九十を越える程に背が高くスタイルも良かったが、宏臣は百六十九と男性にしては小柄でスタイルも細身で肉があんまりついていないから貧相で重東の寝巻きの上だけでもワンピースみたいになる。

 ベッドにササっと向かえば先に来ていた重東は宏臣の姿を見て生唾を飲んだ。
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