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§ 不穏の兆し
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「大丈夫だよ。帰って寝るから」
世話をする人もいない独り暮らしの部屋へ帰って、どうするというのだ。一晩寝て治っていればそれでいいけれど、万が一、もっと具合が悪くなったなら。
自分を蔑ろにしているその態度に無性に腹が立ち、病人相手なのについ不満を爆発させてしまった。
「まったく! なんなのよ! いつも私にはあれだめこれだめ、ちゃんと飯を食え、睡眠時間は必ず確保しろ、運動しろ、健康管理がどーのって偉そうにお説教しているくせに、あなたはどうなの? 自分のことはほったらかしじゃないの! 熱があるのに無理してこんな時間まで仕事して、なにが健康管理よ。笑っちゃうわ! わかっているの? 本当に病気になったらどうするの? 会社なんて面倒看てくれないのよ?」
言葉にすればするほど腹が立つ。その声はさらに大きさを増した。
「それにさ、あなたは私になにもさせてくれないわけ? 私はあなたの恋人じゃないの?ちょっと年上だからって偉そうに。私を役立たずの子どもだとでも思っているの? 冗談じゃないわ! 一方的に世話を焼くのが、あなたの言う『交際』なの? 私と交際していると思っているのだったら、せめて病気の時くらい、私の言うこと聞きなさいよね! 私だって心配くらいするんだから」
興奮し過ぎて、もうなにを言っているのか、よくわからない。ただ、辛いときに自分を頼ってくれない亮の気持ちが、悔しくて、悲しかった。
「わかったから。ごめん。もう怒らないで」
いつもより一層熱い亮の両手が、私の頬を包む。熱で潤んだ瞳で見つめられて、睨み返した。
「そんな顔したって、許さないんだから」
「だから、ごめんって」
亮は、おまえの言うとおりにするよ、と、苦笑した。どうやら観念したらしい。
風邪薬を飲ませ、寝室へ押し込み、ふわふわの布団で首まですっぽり包む。無抵抗なその姿に、私は満足の笑みを浮かべた。
「あ、そうだ。生姜と蜂蜜は平気? 食べられる?」
「ああ」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
風邪を引いたら生姜湯を飲むのは、幼少期に祖母から教わった風邪撃退法だ。生憎、市販の生姜湯を切らしていたが、材料はある。簡単に自作可能だ。
慣れない手つきで生姜を摺りおろし、カップに入れる。蜂蜜と、少しぬるめのお湯を注げば、ほらもうできあがり。味見は——身体に悪い物が入っているわけでもなし、しなくても大丈夫でしょうきっと。
「なんだか楽しそうだね?」
「そうかな? はい、これ飲んで」
口煩い偉い人が、無防備な姿を晒し、私を頼りにしているのだ。楽しくないわけがないだろう。
「なにこれ?」
「生姜湯、知らない?」
亮は、湯気の立つカップに鼻を近づけて匂いを嗅いだ後一口啜ると、途端に顔を顰めた。
「辛いな」
「そりゃそうよ、生姜だもん」
「……飲まないとだめか?」
「苦手だったら無理しなくていいけれど……」
「…………」
なにか言いたそうな顔で私を見た亮は、ため息をつき、またカップに口をつけた。顔を顰めながら二、三口啜った後、申し訳なさそうに目を伏せ、無言でそれを返して寄越した。
殆ど中身の減っていないカップを受け取り、横たわらせて布団で包み直す。ベッドの端に腰をかけて、小さな子どもにするように、ぽんぽんと布団の上から胸の辺りを軽く叩くと、なんともいえない表情の亮が上目遣いで私を見つめる。
嫌々薬を飲む仕草、首まですっぽり埋まっているその顔が、本当に小さな子どものようで、かわいい。私は、人の世話を焼くのがこんなに楽しい物なのか、と、笑顔を隠しきれなかった。
「俺がベッド占領したら、おまえの寝る場所がないよな?」
「私はどこででも寝られるから心配しないで」
「風邪、移るかも知れないぞ?」
「そんなの、いまさら遅いって。それに、万が一移ったとしても、あなたほど忙しいわけじゃないから一日くらいは休もうと思えば休めるし。だめでもとりあえず電話とマシンさえあればなんとでもなるから」
安心させようと思って言ったのに、ひと言余分だったようで、亮の表情がみるみる苦くなっていく。
「おまえ、病気の時もベッドで仕事してるんじゃないだろうな?」
「ハハハ……まあ、誰でもそんなものでしょう? さ、病人は余計な心配しないでちゃんと寝なさい」
笑ってもごまかされていない亮は、不満そうに口を閉ざして目を閉じた。きっと薬が効きだしたのだろう、五分も経たないうちに、静かに寝息を立て始めた。
この人の寝顔を見るのは、これで二度目だ。一度目は驚きが先行してよく覚えていないけれど、いま、熱のせいか頬を上気させ眠っているこの顔は、偉そうにお説教をするいつもの亮とは別人のよう。
「かわいい」
この人は忘れないから、体調が戻ったらお説教されるのはわかっている。おまけのお仕置きも恐い。でも、静かに眠っている少し幼げなこの顔は、私だけのもの。
「鬼の霍乱……ってね。ふふふっ」
私は寝顔を眺め、指先でそっと髪を撫でながら、出会いから今日までのできごとを思い出していた。
世話をする人もいない独り暮らしの部屋へ帰って、どうするというのだ。一晩寝て治っていればそれでいいけれど、万が一、もっと具合が悪くなったなら。
自分を蔑ろにしているその態度に無性に腹が立ち、病人相手なのについ不満を爆発させてしまった。
「まったく! なんなのよ! いつも私にはあれだめこれだめ、ちゃんと飯を食え、睡眠時間は必ず確保しろ、運動しろ、健康管理がどーのって偉そうにお説教しているくせに、あなたはどうなの? 自分のことはほったらかしじゃないの! 熱があるのに無理してこんな時間まで仕事して、なにが健康管理よ。笑っちゃうわ! わかっているの? 本当に病気になったらどうするの? 会社なんて面倒看てくれないのよ?」
言葉にすればするほど腹が立つ。その声はさらに大きさを増した。
「それにさ、あなたは私になにもさせてくれないわけ? 私はあなたの恋人じゃないの?ちょっと年上だからって偉そうに。私を役立たずの子どもだとでも思っているの? 冗談じゃないわ! 一方的に世話を焼くのが、あなたの言う『交際』なの? 私と交際していると思っているのだったら、せめて病気の時くらい、私の言うこと聞きなさいよね! 私だって心配くらいするんだから」
興奮し過ぎて、もうなにを言っているのか、よくわからない。ただ、辛いときに自分を頼ってくれない亮の気持ちが、悔しくて、悲しかった。
「わかったから。ごめん。もう怒らないで」
いつもより一層熱い亮の両手が、私の頬を包む。熱で潤んだ瞳で見つめられて、睨み返した。
「そんな顔したって、許さないんだから」
「だから、ごめんって」
亮は、おまえの言うとおりにするよ、と、苦笑した。どうやら観念したらしい。
風邪薬を飲ませ、寝室へ押し込み、ふわふわの布団で首まですっぽり包む。無抵抗なその姿に、私は満足の笑みを浮かべた。
「あ、そうだ。生姜と蜂蜜は平気? 食べられる?」
「ああ」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
風邪を引いたら生姜湯を飲むのは、幼少期に祖母から教わった風邪撃退法だ。生憎、市販の生姜湯を切らしていたが、材料はある。簡単に自作可能だ。
慣れない手つきで生姜を摺りおろし、カップに入れる。蜂蜜と、少しぬるめのお湯を注げば、ほらもうできあがり。味見は——身体に悪い物が入っているわけでもなし、しなくても大丈夫でしょうきっと。
「なんだか楽しそうだね?」
「そうかな? はい、これ飲んで」
口煩い偉い人が、無防備な姿を晒し、私を頼りにしているのだ。楽しくないわけがないだろう。
「なにこれ?」
「生姜湯、知らない?」
亮は、湯気の立つカップに鼻を近づけて匂いを嗅いだ後一口啜ると、途端に顔を顰めた。
「辛いな」
「そりゃそうよ、生姜だもん」
「……飲まないとだめか?」
「苦手だったら無理しなくていいけれど……」
「…………」
なにか言いたそうな顔で私を見た亮は、ため息をつき、またカップに口をつけた。顔を顰めながら二、三口啜った後、申し訳なさそうに目を伏せ、無言でそれを返して寄越した。
殆ど中身の減っていないカップを受け取り、横たわらせて布団で包み直す。ベッドの端に腰をかけて、小さな子どもにするように、ぽんぽんと布団の上から胸の辺りを軽く叩くと、なんともいえない表情の亮が上目遣いで私を見つめる。
嫌々薬を飲む仕草、首まですっぽり埋まっているその顔が、本当に小さな子どものようで、かわいい。私は、人の世話を焼くのがこんなに楽しい物なのか、と、笑顔を隠しきれなかった。
「俺がベッド占領したら、おまえの寝る場所がないよな?」
「私はどこででも寝られるから心配しないで」
「風邪、移るかも知れないぞ?」
「そんなの、いまさら遅いって。それに、万が一移ったとしても、あなたほど忙しいわけじゃないから一日くらいは休もうと思えば休めるし。だめでもとりあえず電話とマシンさえあればなんとでもなるから」
安心させようと思って言ったのに、ひと言余分だったようで、亮の表情がみるみる苦くなっていく。
「おまえ、病気の時もベッドで仕事してるんじゃないだろうな?」
「ハハハ……まあ、誰でもそんなものでしょう? さ、病人は余計な心配しないでちゃんと寝なさい」
笑ってもごまかされていない亮は、不満そうに口を閉ざして目を閉じた。きっと薬が効きだしたのだろう、五分も経たないうちに、静かに寝息を立て始めた。
この人の寝顔を見るのは、これで二度目だ。一度目は驚きが先行してよく覚えていないけれど、いま、熱のせいか頬を上気させ眠っているこの顔は、偉そうにお説教をするいつもの亮とは別人のよう。
「かわいい」
この人は忘れないから、体調が戻ったらお説教されるのはわかっている。おまけのお仕置きも恐い。でも、静かに眠っている少し幼げなこの顔は、私だけのもの。
「鬼の霍乱……ってね。ふふふっ」
私は寝顔を眺め、指先でそっと髪を撫でながら、出会いから今日までのできごとを思い出していた。
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