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§ 追いかけてきた過去
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しおりを挟むどうして泣いていたのか、なにが悲しいのか。泣き止まない私を、恐ろしい顔をした母が見下ろしている。
「いつまでもそんなところでメソメソ泣いて! 忙しいんだから邪魔にならないように隅っこにでも行っていなさい!」
薄暗い部屋の隅を指差され、従った。泣いてはいけないと、いつも叱られているのに。こんなんじゃだめなのに。あとからあとから溢れる涙が止まらない。
上から下まで黒尽くめのおとなたちが、行ったり来たり忙しそうに立ち働いているなかで、私は冷たい床に座り、絵本を開く。いつのまにか、涙はどこかへ消えていた。
線香の煙が立ちこめる広い部屋には、母と父、兄、父方の祖父母に親戚、知らない小父さんやおばさんたち、と、たくさんの人がいた。ひそひそ話をする声。小さく漏れる嗚咽。誰もが白い花を持って、部屋の中央に安置された長方形の黒い箱を取り囲んでいる。
私はその箱の中で、祖母が眠っているのを知っていた。
一目でもいい。祖母の顔が見られたら。隙を窺い近づく努力は何度もしてみた。けれども、入れ替わり立ち替わり訪れるおとなたちは、彼らの腰の辺りにやっと届くかどうかの私に目もくれず、手にした花を供え続けている。
誰ひとり、私に気づき声をかけてくれるおとなはいない。
諦めた私は、部屋の隅っこへ戻ってページをめくり、いつしか周囲の雑音すら耳に届かないほど絵本の世界へ没頭していた。
「薄情な子だね」
「人形みたいでなにを考えているのかわからん」
「あんなにかわいがってくれたおばあさんが亡くなったのに、涙ひとつ見せないなんて」
「かわいげのない子」
「母親が母親なら子も子だわ」
絵本に視線を向けたまま頭の上でぼそぼそと聞こえる声に耳を傾けていると、いきなり手を叩かれ、その拍子に膝に抱えていた絵本が滑り落ちてしまった。拾い上げようと手を伸ばすと同時に、黒い靴が絵本を踏みつけた。
「ばあさんの葬式だってのにこんなもんばかり読みやがって! おまえには情ってものがないのか!」
「あなた! よしなさいよ。まだ子どもだからわからないのよ」
「なに言ってるんだ! こいつが人の死がわからないほどの歳か?」
私を取り囲んだおとなたちが、言い争っている。足元には踏みつけられ、無残に破られた絵本のページが散らばっていた。
『おばあちゃん、このご本、欲しいの』
大好きな祖母が嬉しそうに笑って買ってくれた、たった一冊の大切な絵本。
「ああ……まただ」
薄暗い部屋の中で目を覚ました。ソファに座り資料を眺めていたはずが、いつの間にか眠っていたらしい。このところずっとそう。うつらうつらしては、夢を見る。それも決まって昔の夢だ。
「もう寝るのは止めた方がよさそうね」
ここ数日で身についた独り言ちる癖に自嘲する。
テレビ台の扉を開け、古びたクッキーの缶を取り出した。抱えて、隅の床へ腰を下ろす。夢と同じ。直に触れる床の温度が全身に伝わり、心まで冷えていく。
缶の中には、数枚の破れた紙と楓の葉が入っている。破れた紙は、祖母の葬儀の日、叩かれながら拾い集めた絵本のページ。楓の葉は、この間、亮と行った旅館の庭で拾ったものだ。
楓の葉をそっと手のひらに乗せた。
啓には、私が智史に捨てられ変わってしまった、と、言われた。単に、自覚がなかっただけかも知れない。けれども私自身は、この顔と一緒に心を封印しただけで、なにも変わっていないと思っていたのだ。
亮と出会うまでは。
仕事をして友人との交流を楽しんで過ごすだけの日々。心の奥の一番深いところにいる自分は常にひとりでいい。寂しいなんて思いもしなければ、寄り添う誰かを求めもしなかった。亮と出会い、彼を受け入れなければ、これほどに狼狽している自分もいなかった。
啓とのことだって大した問題ではない。適当に躱して、時を見て離れてしまえばいい。至極簡単だ。
幸せに暮らしました、で結ばれる御伽噺の続きだって所詮、最後にあるのは別れだ。
亮だって、いつかは離れていく。そのときの私を想像するだけで身体が震える。
罰を受けるのを承知で、愛し愛されたいと望む自分を止められない卑しさも、誰も信じないと何度も誓い、舌の根も乾かぬうちにその誓いを破ってしまう愚かさも、すべては私の弱さによって生み出される。
思い出はみんな、缶の中に閉じ込めてしまおう。私はひとりでも大丈夫だ。
楓の葉を握り締め膝を抱く。少しずつ白んでいく窓の外を見つめたまま、朝を待った。
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