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§ 魯肉飯
紅線の三
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「曉慧! 大変! 一大事!」
叫び声とともにバタバタと足音を響かせて飛び込んできたアマンダは、すっかり息を切らし、ゼイゼイと苦しそうに胸を押さえている。
「なによ? あんたまでどうしたの?」
「修が……修が、日本に帰るって!」
アマンダの言葉に一瞬目を丸くした曉慧がわたしを振り返り、訝しげに目を細めた。
「へーそうなんだ。そういうこと」
終わった。アマンダってば——タイミング悪すぎ。
わたしとアマンダの意図に気づいた曉慧は、すっかりご機嫌斜め。頭に血が上っているアマンダから機関銃のように浴びせられる口撃を「ふーん、それで? だから?」と、右から左へと躱している。
直情的に責め立てれば責め立てるほど、追い詰められた人が意地を張るのは当然だと思うのだけれど。アマンダの性格では、止まらないのも仕方がない。
「ねえ、曉慧。好い加減意地張るの止めなよ」
「私は意地なんて張ってないわよ?」
「だからさあ……。さっきから終わった終わったってそればっかりじゃない。曉慧は修が好きなんでしょう? だったらなんでそんなに終わらせたいのよ? 前向きに考えようとは思わないの?」
「私はこれでも十分前向きなつもりだけど? 前向きに考えて出した結論がこれなの。べつにあんたに理解してもらおうなんて思ってないからいいけど!」
「曉慧あんた、なにその言い草!」
ふたりの言い合いに、口を挟む余地もない。けれど、聞いているうちに、だんだん腹が立ってきた。
「前向き、ね。月老が言ってたよ。縁を選ぶのもつかむのも、結局はその人の意思次第なんだってさ。曉慧にその気がないんだもん。それじゃあどうしようもないよね」
「小鈴? いきなりどうしたのよ。あたしたち、曉慧を説得しに来たんじゃなかったの?」
「うん。そうだよ? でもさ、いくら話しても堂々巡りだし。後悔してもいいって言うし。もういいよ」
アマンダの顔色が変わった。
気持ちはわかるけれど、わたしももうこれ以上、不毛な言い合いを続ける気になれない。
「そうよ。私は後悔してもいいと思ってるの。だって、同じ後悔するのなら、将来行き詰まってからより、いまするほうがずっとマシだもん」
「マシって……なに言ってるの? そんなあるかないかもわからない将来のために、いまを諦めるなんておかしいよ!」
「そうかな?」
「ちょっと小鈴! あんたどっちの味方よ?」
「たとえ後悔する将来でも——選べるんだからいいじゃない」
どうでもいいよとばかりに、わたしは吐き捨てた。
「……小鈴」
「後悔できる将来も選べなければ、後悔した過去を思い出にもできない人もいるんだよ」
——わたしとカイくんみたいにね。
視線の先には、唇を一文字に結んだカイくんが、哀しい目でわたしを見つめている。
わたしとカイくんは、同じ時間を共有している。けれども、わたしたちは死者と生者。どう足掻こうと、いまさら選択の余地もない。
なにが空気だ。なにが水だ。そんなのは全部、嘘。わたしはただ、この現実から目を逸らしているだけじゃないか。
わたしとカイくんの将来なんて、どこにもないんだ。
わたしはこんなに、カイくんが、大好きなのに。
唇を噛みしめ、零れ落ちそうになる涙を堪えようと、下を向く。
「小鈴、ごめん」
わたしの気持ちを察してくれたのだろう。床から立ち上がった曉慧が、抱き締めてくれた。アマンダもわたしたちの肩に腕を回し、抱きついてくる。
「あたしもごめん。言いすぎた」
慰めてくれるふたりの気持ちはうれしいと思う。けれども、曉慧とアマンダが、わたしの置かれているこの状況を知ったなら——なんて、浸っている場合ではなかった。
「時間!」
「えっ? あっ!」
弾かれたように体を離したアマンダが、携帯電話で時間を確認する。
「まずいよ! もう十一時半だ」
ふたりの視線が、曉慧に注がれる。
「曉慧!」
「どうする? これが本当に最後だよ?」
一呼吸置いて、仕方がないわね、と、ため息をついた曉慧が顔を上げ、笑った。吹っ切れたようなきれいな笑顔だ。
「行く」
満面の笑みで「やった!」と、両拳を突き上げるアマンダの肩を叩く。
「喜んでる場合じゃないでしょ! 急がなきゃ」
そうだった十三時半の便だったと叫んだアマンダの声に曉慧の顔色が変わる。
「あんたたち、なんでそれを先に言わないのよ!」
怒鳴りながらベッドの脇に放り出してあったバッグをつかみ、曉慧は真っ先に階段を駆け下りて行った。
「タクシー捕まるかな?」
「電車のほうが早いよ」
「ごちゃごちゃ言ってないで! 走るわよ」
決断した曉慧の行動力に、惚れ惚れする。
駅までの道程をほぼ全力疾走し、タイミングよくホームへ滑り込んできた電車に飛び乗った。
三人三様、閉じたドアやポールに寄りかかり、苦しい息を整える。こんなに走ったのは、何年ぶりか。火照った体に冷房の風が心地いい。
「間に合うかな? なかに入っちゃってたら、どうしよう?」
「電話して足止めしておけば?」
返事もそこそこに電話を取り出すアマンダ。その横では曉慧が、アマンダの動作を目で追いながら、汗で張りついた髪を指で梳き、ポケットから取り出したゴムで結わいている。
「どうしよう? 出ないよ……なにやってるんだろ」
アマンダが踵を小刻みに踏みならしながら、焦りの色を濃くしていく。同時に顔色をなくしていく曉慧の手を、わたしはそっと握った。
「大丈夫。間に合うよ」
心なんて昨日の今日で変わるものではない。だから、ふたりの縁は絶対に切れない。
たとえ間に合わずにすれちがってしまったとしても、篠塚さんの連絡先はわかっている。曉慧がその気にさえなれば、追いかけて行くことも可能だ。
頷く曉慧に微笑み、心のなかで『大丈夫』と何度も唱えた。
叫び声とともにバタバタと足音を響かせて飛び込んできたアマンダは、すっかり息を切らし、ゼイゼイと苦しそうに胸を押さえている。
「なによ? あんたまでどうしたの?」
「修が……修が、日本に帰るって!」
アマンダの言葉に一瞬目を丸くした曉慧がわたしを振り返り、訝しげに目を細めた。
「へーそうなんだ。そういうこと」
終わった。アマンダってば——タイミング悪すぎ。
わたしとアマンダの意図に気づいた曉慧は、すっかりご機嫌斜め。頭に血が上っているアマンダから機関銃のように浴びせられる口撃を「ふーん、それで? だから?」と、右から左へと躱している。
直情的に責め立てれば責め立てるほど、追い詰められた人が意地を張るのは当然だと思うのだけれど。アマンダの性格では、止まらないのも仕方がない。
「ねえ、曉慧。好い加減意地張るの止めなよ」
「私は意地なんて張ってないわよ?」
「だからさあ……。さっきから終わった終わったってそればっかりじゃない。曉慧は修が好きなんでしょう? だったらなんでそんなに終わらせたいのよ? 前向きに考えようとは思わないの?」
「私はこれでも十分前向きなつもりだけど? 前向きに考えて出した結論がこれなの。べつにあんたに理解してもらおうなんて思ってないからいいけど!」
「曉慧あんた、なにその言い草!」
ふたりの言い合いに、口を挟む余地もない。けれど、聞いているうちに、だんだん腹が立ってきた。
「前向き、ね。月老が言ってたよ。縁を選ぶのもつかむのも、結局はその人の意思次第なんだってさ。曉慧にその気がないんだもん。それじゃあどうしようもないよね」
「小鈴? いきなりどうしたのよ。あたしたち、曉慧を説得しに来たんじゃなかったの?」
「うん。そうだよ? でもさ、いくら話しても堂々巡りだし。後悔してもいいって言うし。もういいよ」
アマンダの顔色が変わった。
気持ちはわかるけれど、わたしももうこれ以上、不毛な言い合いを続ける気になれない。
「そうよ。私は後悔してもいいと思ってるの。だって、同じ後悔するのなら、将来行き詰まってからより、いまするほうがずっとマシだもん」
「マシって……なに言ってるの? そんなあるかないかもわからない将来のために、いまを諦めるなんておかしいよ!」
「そうかな?」
「ちょっと小鈴! あんたどっちの味方よ?」
「たとえ後悔する将来でも——選べるんだからいいじゃない」
どうでもいいよとばかりに、わたしは吐き捨てた。
「……小鈴」
「後悔できる将来も選べなければ、後悔した過去を思い出にもできない人もいるんだよ」
——わたしとカイくんみたいにね。
視線の先には、唇を一文字に結んだカイくんが、哀しい目でわたしを見つめている。
わたしとカイくんは、同じ時間を共有している。けれども、わたしたちは死者と生者。どう足掻こうと、いまさら選択の余地もない。
なにが空気だ。なにが水だ。そんなのは全部、嘘。わたしはただ、この現実から目を逸らしているだけじゃないか。
わたしとカイくんの将来なんて、どこにもないんだ。
わたしはこんなに、カイくんが、大好きなのに。
唇を噛みしめ、零れ落ちそうになる涙を堪えようと、下を向く。
「小鈴、ごめん」
わたしの気持ちを察してくれたのだろう。床から立ち上がった曉慧が、抱き締めてくれた。アマンダもわたしたちの肩に腕を回し、抱きついてくる。
「あたしもごめん。言いすぎた」
慰めてくれるふたりの気持ちはうれしいと思う。けれども、曉慧とアマンダが、わたしの置かれているこの状況を知ったなら——なんて、浸っている場合ではなかった。
「時間!」
「えっ? あっ!」
弾かれたように体を離したアマンダが、携帯電話で時間を確認する。
「まずいよ! もう十一時半だ」
ふたりの視線が、曉慧に注がれる。
「曉慧!」
「どうする? これが本当に最後だよ?」
一呼吸置いて、仕方がないわね、と、ため息をついた曉慧が顔を上げ、笑った。吹っ切れたようなきれいな笑顔だ。
「行く」
満面の笑みで「やった!」と、両拳を突き上げるアマンダの肩を叩く。
「喜んでる場合じゃないでしょ! 急がなきゃ」
そうだった十三時半の便だったと叫んだアマンダの声に曉慧の顔色が変わる。
「あんたたち、なんでそれを先に言わないのよ!」
怒鳴りながらベッドの脇に放り出してあったバッグをつかみ、曉慧は真っ先に階段を駆け下りて行った。
「タクシー捕まるかな?」
「電車のほうが早いよ」
「ごちゃごちゃ言ってないで! 走るわよ」
決断した曉慧の行動力に、惚れ惚れする。
駅までの道程をほぼ全力疾走し、タイミングよくホームへ滑り込んできた電車に飛び乗った。
三人三様、閉じたドアやポールに寄りかかり、苦しい息を整える。こんなに走ったのは、何年ぶりか。火照った体に冷房の風が心地いい。
「間に合うかな? なかに入っちゃってたら、どうしよう?」
「電話して足止めしておけば?」
返事もそこそこに電話を取り出すアマンダ。その横では曉慧が、アマンダの動作を目で追いながら、汗で張りついた髪を指で梳き、ポケットから取り出したゴムで結わいている。
「どうしよう? 出ないよ……なにやってるんだろ」
アマンダが踵を小刻みに踏みならしながら、焦りの色を濃くしていく。同時に顔色をなくしていく曉慧の手を、わたしはそっと握った。
「大丈夫。間に合うよ」
心なんて昨日の今日で変わるものではない。だから、ふたりの縁は絶対に切れない。
たとえ間に合わずにすれちがってしまったとしても、篠塚さんの連絡先はわかっている。曉慧がその気にさえなれば、追いかけて行くことも可能だ。
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