銀の流星、古傷の獣を暴く。~エース冒険者は強面おじさんの甘い匂いに抗えない~

ダンディ須賀尾

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第1話:無骨な監視員と、甘い違和感

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 喧騒けんそうと熱気、そして鼻をつく鉄錆てつさびのような血の匂い。『深淵のアギト』と呼ばれるダンジョンの入口広場は、足の踏み場もないほどのパニック状態にあった。
 この惨状さんじょうに、私は眉をひそめながら広場へと足を踏み入れた。

狼狽うろたえるな! 負傷者は詰所へ! 動ける者は前線を支えろ!」

 怒号にも似た野太い声が、混乱する冒険者たちの鼓膜こまくを震わせる。
 声の主は、ゲートの監視員を務める大柄な男だ。周囲の冒険者たちより頭一つ飛び抜けたその巨躯きょくは、広場の中心で圧倒的な存在感を放っている。
 窮屈そうな制服からのぞく丸太のような腕には、無数の古傷が白く、醜く刻まれているのがここからでも見て取れた。そして何より目を引くのは、左の眉の上から頬を縦断する、一際深く、凶悪な古傷スラッシュだった。

「ドノバンさん! 五階層のゴブリンが異常増殖してます! ホブゴブリンまで混じってる!」
「おう、報告ご苦労。手傷はねえな? 今日はもう上がれ」

 駆け寄ってきた若造がその名を呼ぶと、監視員は分厚い手で若者の肩をポンと叩いた。
 その荒っぽくも温かみのある仕草に、若者の強張こわばった表情がふっと緩むのを、私は冷ややかな目で見つめていた。

 監視員の仕事は、その名の通り「ダンジョンの監視」だ。
 だが、私には彼がただ監視小屋に座り込み、低ランクの冒険者たちと無駄話に興じているようにしか見えない。
 引退した老人が、過去の栄光にすがって「ご意見番」気取りでいるのだろう。……実に非生産的だ。

 その時、広場の人波が割れ、ようやく私の存在に気づいた者たちが道を開ける。
 我ら『蒼き流星』が進むと、そこだけ空気が澄み渡るようだった。

「Aランクパーティ……セルウィン様だ」
「すげえ、本物かよ。あんな優男がギルドのエースだって?」

 雑音のようなささやきなど、私の耳に入れる価値もない。本来なら、我々Aランクパーティは「優先通行証」を所持しており、監視員によるチェックなど受けずに素通りするのが常だ。あの男の姿も、これまでの探索において視界の端には映っていたのかもしれない。だが、私にとってゲートの監視員など、そこに配置されただけの「背景」と同じだ。顔を覚える価値もない。

 だが、今日ばかりは、ギルドから下された任務がある。
 下層で発生したスタンピードの兆候――その大規模調査の責任者として、二次被害を防ぐために一般冒険者の進入を完全に遮断させるよう周知すること。そして、調査の主導権が我ら『蒼き流星』にあることを正式に通告すること。その手続きのために、私は足を止める必要があった。

 私は迷いのない足取りで、監視員の立つ小屋へと向かった。周囲の有象無象など視界に入らない。真っ直ぐに、男のテリトリーへと踏み込む。

 ふと、開け放たれた扉の奥が視界に入り、私は僅かに眉を寄せた。むさ苦しい大男の職場だ。汗と埃、そして男脂おとこあぶらの臭いが充満しているとばかり思っていた。だが、そこは予想に反して、奇妙なほど整然としていた。
 書類は几帳面に分類され、床は磨き上げられている。何より目を引いたのは、使い込まれた無骨ぶこつな丸椅子に置かれたクッションと、足元のラグマットだ。そこには、この殺伐としたダンジョンにはあまりに不釣り合いな、繊細で可愛らしい花の刺繍が施されていた。
 さらに、鼻先を掠めたのは鉄錆てつさびの臭いではない。どこか甘く、神経を安らげるような――かすかなポプリの香り。

(……なんだ、この空間は)

 一瞬の違和感。だが、今はそれを気にしている場合ではない。私は至近距離で対峙たいじする。見上げるような巨躯きょくの監視員と、視線を合わせる。古びた大木と、研ぎ澄まされた氷柱ひょうちゅう。異質な存在同士がぶつかり合うような緊張感が走った。

「監視員。状況は」

 私の問いかけに、男は眉間のしわを深くした。「この手の出来る若造」は扱いづらいとでも言いたげな目だ。

「ドノバンだ。……状況は最悪だぞ、若きエース様。低層から中層にかけて生態系が崩れてやがる。逃げ遅れた連中がまだ五つはいる」
「把握した。雑魚の掃討そうとうと救助だな。行くぞ」
「待ちな」

 きびすを返そうとした私の前に、ドノバンと名乗った男は太い腕を突き出した。
 その手には、薄汚れた紙の束が握られている。

「俺がまとめたここ数週間の異変報告書だ。傾向と対策も書いてある。目を通していけ」

 私は、その脂とインクの染みた紙束を冷ややかな目で一瞥いちべつし、鼻を鳴らした。

「そんなものを読んでいる暇はない。必要な情報はギルド本部から受領済みだ。すでに目を通している、二度手間だ」
「毎日ここで、泥と血に塗れた冒険者どもの顔を見て集めた資料だ。ギルドに届くまで間に合ってない情報もある」
「時間の無駄だと言っている」

 これ以上の問答は無意味だ。そう切り捨てて歩き出そうとした瞬間だ。
 ドノバンが舌打ちし、一歩踏み込んできた。
 そして、私の胸当てとインナーの僅かな隙間に、丸めた紙を強引にねじ込んできたのだ。

「ッ、貴様!」
「いいから持って行け! コレの出番がないならそれでいい。だが、あんたらより採取の奴らの方が上層のことは知り尽くしてる。低ランクの情報だからと侮るなよ」

 ガツン、と硬い感触。
 私は不快感に顔を歪めた。
 美しく整えられた自分の領域に、土埃と古びたインクの匂いが染み付いた異物が侵入してきた感覚。

 そして一瞬、鎧越しに伝わってきた、ドノバンの手のひらの熱。
 ゴツゴツとしたふしくれだった指が、私の胸元に触れた感触に、反射的に身を引く。生理的な拒絶。なのに、なぜか指の跡が肌に焼きつくような、奇妙な熱が残った。

「……無礼な男だ」

 にらみつけたが、ドノバンは怯まない。ただ、その凶悪な傷のある顔で、真っ直ぐに私の目を見据えている。これ以上時間を浪費するわけにはいかない。私は紙を引き抜くことなく、再び背を向けた。

「……忠告、感謝する。だが、私のやり方でやらせてもらう」

 背後でドノバンが何かを苦々しく吐き捨てたのが聞こえたが、私は振り返らなかった。
 私の胸元にねじ込まれた紙が、肌に触れるたび、チリ、と皮膚が粟立つ。異物が入り込んだ不快感。なのに、その熱が、なぜか胸の奥をざわつかせた。



 ダンジョン内部は、ドノバンの言葉通り混沌こんとんとしていた。
 だが、我ら『蒼き流星』の連携に隙はない。
 重装の盾役タンクが敵の突進を止め、後衛の魔導師メイジ治癒術師ヒーラーが完璧なタイミングで支援を入れる。そして先行する斥候スカウトが的確に敵の位置を知らせる。
 群がるゴブリンの首を舞うように斬り飛ばし、研ぎ澄まされた感覚のままに、刃の血を一息で払う。

 すべては順調に見えた。七階層の手前、六階層の広間に到達するまでは。

「ひ、ひぃ……! くるな、くるなああ!」

 悲鳴が響く。
 逃げ遅れたDランクのパーティが、広間の隅で腰を抜かしていた。
 そして彼らの背後から、地響きと共に現れたのは――『オーガ・ロード』だ。それも、一体ではない。三体、いや四体。
 本来なら下層にいるはずの亜人種の王が、群れを成して押し寄せてきていた。

「チッ、ゴブリンの異常発生を餌だと思って、一気に上がってきたか……!」

 私は瞬時に戦況を計算する。
 私一人なら殲滅せんめつできる。だが、この乱戦の中、背後のDランクたちを守りきれるか? いや、全員を無傷で返すとなると分が悪い。オーガ・ロードはゴブリンを喰うために、なりふり構わず突っ込んでくる。

「退避だ! 前衛は『防護壁シールド』を展開! 治癒は動ける程度まで回復させろ! 先行して退路を確保だ! 攻撃魔法は不要、魔力は温存しろ!」

 私はパーティメンバーに指示を飛ばし、自らは殿しんがりとしてその場に残った。

 私の指示に、長年連れ添った仲間たちは一糸乱れぬ動きでこたえる。
 重装の盾役タンクがDランクの前に割り込んで大盾を構え、その隙に後衛が治癒の光を振り撒く。そして軽装の斥候スカウトが影のように先行し、安全なルートを切り開く。
 確保された退路へとなだれ込む背中に、オーガ・ロードたちがよだれを垂らして殺到する。

「行かせるかよ」

 私は魔剣を振るい、先頭のオーガの足首を斬り飛ばした。
 だが、他の個体は私を無視して獲物であるゴブリンと冒険者を追おうとする。
 斬っても斬っても、「食欲」に支配された怪物の群れは止まらない。キリがない。

(力押しじゃ止められない……! 奴らの足を止める方法は――)

 焦燥しょうそうに駆られる中、私の指が胸元の紙に触れた。
 ドノバンの報告書だ。私は血に濡れた手でそれを広げた。

『オーガ・ロードはゴブリンの「臭い」に興奮し、集団で追尾する習性がある』
『対策:七階層の「腐臭キノコ」。高音で破裂させれば、嗅覚を麻痺させ、追尾行動を強制停止できる』

 私は顔を上げ、瞬時に周囲を索敵した。
 広場の隅、湿った岩肌に群生する、毒々しい斑点はんてん模様のカサ。
 間違いない、あれが『腐臭キノコ』だ。位置は把握した。

 私は即座に魔剣の峰を弾き、甲高い金属音を響かせた。共鳴したキノコが一斉に破裂し、強烈な刺激臭の胞子が広場に充満する。

「グオオオッ!?」

 鼻を塞がれたオーガたちが、方向感覚を失って立ち止まる。その隙を見逃す私ではない。銀閃ぎんせん。私の剣が、混乱したオーガたちの首を次々と刈り取っていく。

 終わったか。そう安堵した、その瞬間だった。

「――――ギィィィャァァァァァッ!!」

 空気がびりびりと震えるほどの咆哮ほうこう
 オーガの死体を踏み砕き、暗闇から現れたのは、全身が紅蓮ぐれんの甲殻に覆われた巨大な蜘蛛――『スカーレット・アラクネ』。
 Aランク相当の、凶悪な捕食者だ。

「……は。オーガ・ロードが逃げてきた理由は、餌を追ってきたんじゃなく、貴様から逃げるためだったか」

 私は獰猛どうもうな笑みを浮かべた。
 仲間たちはもう逃げた。ここは狭い通路だ。私がここで食い止めなければ、奴は外まであふれ出るだろう。
 Aランクの魔物との、一対一タイマン
 不足はない。

「来い、化け物。相手をしてやる」

 私は魔剣を構え、紅蓮ぐれんの死地へと飛び込んだ。
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