銀の流星、古傷の獣を暴く。~エース冒険者は強面おじさんの甘い匂いに抗えない~

ダンディ須賀尾

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第6話:無骨なおっさんの可愛すぎる生態

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 夜は明けていた。だが、私、セルウィンの中の熱は、朝の冷気ごときでは冷やせそうにもなかった。
 ギルド本部へと続く大通りを歩きながら、私は自分の右手を何度も握りしめていた。
 昨夜の感触が残っている。
 ポプリの袋を握り潰し、幻覚の中のドノバンの口内に、私の欲望を叩きつけたあの背徳的はいとくてきな熱量が、皮膚の裏側にへばりついて離れないのだ。

(……私は、どうかしてしまったのか)

 エリートとしての矜持きょうじも理性も、あの安っぽいポプリ袋と共に白濁に塗れてしまった気がする。
 寝不足で充血した目が、朝日に痛い。
 だが、不思議と体は軽かった。獲物を定め、その喉笛に噛みつく瞬間を待つ獣のように、神経が研ぎ澄まされている。
 ギルドホールの回廊を曲がった先、重厚な執務室の前に、その「獲物」は立っていた。

「……ッ」

 ドノバンだ。

 朝の光の中に立つその姿を見た瞬間、私の足が止まった。
 昨夜、私の妄想の中で足元にひざまずかせ、その喉奥まで私の欲望をねじ込んだ男が、今は整えられた監視員の制服に身を包み、他の冒険者と談笑している。
 その落差。
 その「服を着ている」という事実が、逆に私の嗜虐的しぎゃくてきな情欲を煽った。

(あの服の下に、あの分厚い胸板がある)
(あのズボンの下に、主張の激しい尻と、はち切れそうな太腿がある)

 私の視線が、無意識に粘りつくような熱を帯びる。
 ドノバンがふとこちらを向き、目が合った。

「あん? なんだセルウィン、顔色が悪いぞ。寝不足か?」

 ドノバンはそう言うと、その巨躯きょくわずかに屈め、小首をかしげるようにして下から私の顔を覗き込んできた。
 充血した私の目を確かめようとする純粋な気遣い。だが、その上目遣いのような仕草が、厳つい風貌と裏腹に妙に可愛らしく見えてしまい、私は不覚にも胸を高鳴らせた。

 気遣うような、いつもの野太い声。
 だが今の私には、その無防備な上目遣いが、昨夜の妄想――私の脚の間にひざまずき、涙目で私を見上げながら、懸命に私のモノを飲み込もうとしていた姿と重なってしまった。
 記憶の中で苦しげに喉を鳴らしていた音色がよみがえり、下腹部が甘くうずくのを自覚してしまった。

「……なんでもない。報告に来ただけです」

 私は平静を装い、咳払いを一つして視線を逸らした。
 だが、この奇妙な膠着こうちゃく状態を、鋭い眼光で見つめる人物がいたことに、私は気づいていなかった。

「何を突っ立っとるか、馬鹿者どもが! とっとと入らんか!」

 執務室の扉が開き、地をうような怒号が響いた。
 ギルドマスター・コバム。
 小柄なドワーフ族だが、その覇気はドラゴンすら威圧する、このギルドの頂点だ。
 執務室に通された私とドノバンは、コバムの机の前に並んで立っていた。

 私の隣には、ドノバンがいる。
 その距離、わずか数十センチ。
 微かに漂う、鉄と土、そしてあの「甘い薬草」の匂いが、私の理性を内側から削っていく。

「……以上、浅層域せんそういきの生態系は安定傾向にあります」
「ふむ。五階層の件は片付いたか。ご苦労」

 ドノバンが野太い声で報告を終え、一礼する。
 その横顔を、報告に合わせて動く喉仏を、私は盗み見るように凝視していた。

「次はセルウィン、貴様だ。昨夜の地下水路の件はどうなった」
「は。問題なく掃討そうとう完了しました。地下水路第三区画にてリーダー個体を確認しましたが、即座に排除しました」

 私は冒険者としての仮面を被り、報告を行った。
 だが、意識の九割は隣の男に向いている。
 ドノバンが息をするたびに上下する胸板。紙束を持つ、あのごわごわとした節くれだった指。
 あの指に、触れられたい。あの胸を、私のモノで汚してみたい。
 そんな、報告とは無縁の不埒ふらちな思考が視線に漏れ出ていたのだろうか。
 コバムが編み上げられた立派な髭をしごきながら、ニヤリ、と老獪ろうかいな笑みを浮かべた。

「……うむ、ご苦労。ドノバン、お前は下がっていいぞ。セルウィン、お前は少し残れ」

 ドノバンが一礼して退室し、重い扉が閉まる。
 部屋には、私とコバムの二人だけが残された。

「……何か不手際でもありましたか、マスター」

 私が尋ねると、コバムは椅子から飛び降り、短い足でゆったりと近づいてきた。
 そして、私の顔を下からのぞき込む。その目は、すべてを見透かしているようで、ひどく居心地が悪かった。

「若造。お前さん、あの傷だらけのオッサンが、えらくお気に入りらしいな」

 心臓が跳ねた。
 カマをかけられたのではない。確信を持った問いだ。

「な、何を……根拠もなく……!」
「ワシの目を誤魔化せると思うな。さっきの視線、ありゃ獲物を狙う発情期の魔獣の目だぞ。……今にも食っちまいそうな顔しとったわ」

 図星を突かれ、私は言葉を失った。
 威厳など、欠片もない。顔から火が出そうだ。
 コバムは、そんな私の狼狽ろうばいを見て、満足そうに喉を鳴らして笑った。そして、私の肩を叩き、悪戯っ子のようにささやいた。

「ま、いい。若いのは結構なことだ。ついでだ、お前さんのその熱烈な恋心に、一つ燃料を投下してやろう」
「燃料……?」
「お前はドノバンの外面しか見とらんだろう。あいつの本当の生態を教えてやる」

 カチン、と奥歯が鳴った。
 私の知らない彼の一面を、他人が知っている。その事実だけで、どす黒い嫉妬がを焼く。
 だが、情報は欲しい。私は沸き上がる名状めいじょうしがたいくらい感情を必死に飲み込み、コバムをにらみつけた。
 コバムは、そんな私の嫉妬すら楽しむようにニヤリと笑い、指を一本立てた。

「まず一つ。ドノバンはな、あの図体で酒は一滴も飲めん。完全な下戸げこだ。祝いの席でもミルクか果実水を飲んでおる」
「……は?」

 あの強面こわもての、歴戦の冒険者が? 酒場の喧騒けんそうが誰より似合いそうなあの男が、ミルク?

「二つ。あいつは無類の甘党だ。肉より魚、酒より菓子だ。特に街外れの店の激甘パンケーキには目がなくてな、休日はよく一人で並んでおるぞ」
「……パン、ケーキ……?」

 私の脳裏のうりに、いかつい顔で、ちまちまとフォークを使ってパンケーキを頬張るドノバンの姿が浮かんだ。
 頬についたクリームを、あの舌で舐め取るのだろうか。
 その光景の破壊力に、私の膝が少し笑った。なんだ、その可愛さは。

「そして極めつけだ」

 コバムはニヤニヤと笑いながら、とどめの一撃を放った。

「あいつ、男のくせに縫い物が仕立て屋並みでな。……あの監視小屋にあるラグマットやらクッション、全部あいつの手製だぞ」
「…………」

 思考が、停止した。
 脳裏に、先日初めて監視小屋に踏み込んだ時の記憶が鮮烈によみがえる。
 無骨な丸椅子に置かれたクッション。足元のラグ。そこには、あの厳つい男の職場には不似合いなほど繊細で、可愛らしい花の刺繍が施されていた。
 あれが?
 あの、無数の古傷が刻まれ、岩をも砕きそうな剛腕が?
 あの、ごわごわとした、太く無骨な指先が?
 小さな針を持ち、繊細な糸を通して、一針一針、あの可憐な花を縫い上げていたというのか?
 想像してしまった。
 監視小屋の薄暗い灯りの下、老眼鏡を鼻先にずらし、真剣な眼差しで針を運ぶドノバンの姿を。
 その指先は、きっと驚くほど優しい動きをするのだろう。
 私の肌をう時も、あんなふうに丁寧に、壊れ物を扱うように触れてくれるのだろうか。

「ぐ……っ!」

 私は顔を覆い、その場にうずくまりそうになるのを必死で堪えた。
 尊い。あまりにも、尊い。
 傷だらけの巨体を持ついかつい壮年の男
 なのに、下戸で、甘党で、裁縫が得意。家庭的。
 そのギャップは、私急所を正確無比に貫いていた。

 だが、コバムの追撃は止まらない。
 彼は楽しそうにニヤニヤと笑いながら、とどめの一言を放った。

「ついでに言っておくがな。あいつの作る菓子も飯も、そこらの店よりうまいぞ。あいつに餌付けされた若手は数知れん」

 私の理性の堤防が、音を立てて崩壊した。

「……嫁に、したい」

 無意識だった。口をついて出たその言葉は、私の魂からの叫びだった。

「ぶっ! ぎゃはははは!!」

 コバムが腹を抱えて爆笑した。バンバンと机を叩く音が響く。

「嫁!? お前があの熊みたいなオッサンを『嫁』にするだと!? 傑作だな、おい! クールなAランクのエース様が、胃袋まで掴まれる気満々じゃねえか!」
「う、うるさい……! 笑うな!」
「いやあ、いい見世物だ。どうだ効いたか?」

 コバムは豪快に笑い、私の肩をバンと叩いた。その目には、いつもの厳しさとは違う、どこか温かい光が宿っていた。

「あいつはな、不器用で、朴念仁ぼくねんじんで、自分の幸せにはとことん鈍感な男だ。このままじゃ、本当に一人で枯れてっちまう。……ま、あいつに懸想けそうしてるのがお前ってのは想定外だが、あいつが誰かと寄り添えるなら、この際性別なんぞどうでもいいわ」

 コバムの目が、値踏みするように私を射抜く。

「お前さんのその目、本気マジだろう。傷だらけのオッサンだが、掘り出し物だぞ。せいぜい頑張って、大事にしてやれ。……まあ、あいつには相当余計なお世話だろうがな!」

 悪態をつきながらも、その声はどこか嬉しそうだった。
 私は、魂が半分抜けたような状態で執務室を出た。廊下の冷たい空気が当たっても、顔の熱は引くどころか、ますます高まるばかりだった。

(……好きだ)

 もはや、認めざるを得ない。
 私はこの、アンバランスで愛おしい生き物を、どうしようもなく愛してしまっている。
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