【本編完結】銀の流星、古傷の獣を暴く。~エース冒険者は強面おじさんの甘い匂いに抗えない~

ダンディ須賀尾

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第9話:夜這いと口付け

 夜。
 世界から色が失われ、静寂と冷気だけが支配するとき
 ダンジョンゲート前の広場には、昼間の喧騒けんそうが嘘のように人影がない。
 ただ、青白い月光が石畳を照らし、不気味なほどの静けさを演出している。

 私は、今宵、冒険者のリーダーとしての責務を完全に放棄していた。
 目立つ白銀の鎧は自室に脱ぎ捨て、闇に溶け込む黒いシャツと、足音を殺す革のブーツに身を包んでいる。そして肩には、夜の冷気を防ぐため、遠征用の厚手のマントを深く羽織っていた。
 腰には魔剣もない。あるのは、小さなポーチに結ばれた、あの男が編んだ根付けと、抑えきれない渇望かつぼうだけだ。

(……夜間のダンジョン外周における魔素濃度のゆらぎ。それを観測したため、監視員への緊急の警告と情報共有が必要である)

 そんな、誰が聞いても苦しい、取ってつけたような口実を脳内で反芻はんすうする。
 これは任務ではない。義務でもない。ただの、私欲だ。
 昨夜、自室であれほど狂ったように己を慰め、ドノバンの幻影に溺れたというのに、私の中のかわきは癒えるどころか、より一層激しく喉を焼いていた。
 サシェを握りしめているだけでは足りない。
 ポプリの香りを吸い込むだけでは足りない。
 
 本物が、欲しい。
 
 私は音もなく監視小屋へと近づいた。
 正面のメインルームには誰もいない。ランプの火は落とされ、静まり返っている。
 だが、奥にある仮眠室のドアが、わずかに――指一本分ほど開いているのが見えた。
 そこから、規則正しい、重い寝息が聞こえてくる。

 相手は歴戦の猛者もさだ。小手先の忍び足では、その鋭い感覚網に触れてしまうだろう。
 私は躊躇ちゅうちょなく、足音を消す『静寂サイレンス』と、気配を断つ『認識阻害』の魔法を自身に展開した。
 心臓が、早鐘を打ち始めた。
 私は魔法で空気と同化し、その隙間へと体を滑り込ませた。
 背後で音もなく扉を閉め、内鍵のツマミを回す。
 本来なら鳴るはずの「カチリ」という無機質な金属音は、展開済みの『静寂サイレンス』が完全に呑み込んだ。
 物理的な音すら漏らさない、完璧な密室の完成だ。



 狭い部屋だった。
 大柄な男が横たわれば、それだけで埋まってしまいそうな空間。
 小さな窓から差し込む月明かりが、簡易寝台コットの上で眠る男の姿を浮かび上がらせていた。

 ドノバンだ。
 私が焦がれてやまない、傷だらけの男。

 だが、その寝姿は、あまりにも――窮屈そうだった。
 百九十センチに届こうかという巨躯きょくが、標準サイズのコットにみちみちに詰まっている。
 分厚い肩幅は左右のフレームから完全にはみ出し、足先に至っては、ベッドの端から足首ごと空中に突き出している有様だ。
 これでは寝返り一つ打てないだろう。少しでも動けば、床に転がり落ちてしまう。
 まるで、猫用のベッドに無理やり収まろうとしている大型犬のような、その滑稽なサイズ感。
 だというのに、本人は器用に小さくなって、スヤスヤと寝息を立てている。

(……くくっ。なんだ、その可愛さは)

 強面こわもての大男が、小さな枠に収まっているというギャップ。それが私のツボを強烈に刺激し、胸の奥が締め付けられるほど愛おしくなる。

 彼は、無防備に仰向けで眠っていた。
 いつもは厳しく結ばれている口元はわずかに緩み、眉間の深いしわも今は消えている。
 布団もかけずに横たわっているため、着崩れた寝間着シャツから、あの分厚い胸板の輪郭がはっきりと見て取れた。
 呼吸をするたびに、岩のような胸がゆっくりと上下する。

 私は、何かに吸い寄せられるように、ベッドの脇に膝をついた。
 鼓動を確かめるように、その無防備な首筋から胸元へと顔を近づける。

 ――ふわ、り。

 鼻先を掠めたのは、男臭い体臭と、あの甘い薬草の香り。
 昨夜、私が自室で貪るように嗅ぎ続け、自身の欲望で汚したポプリと同じ匂いだ。
 だが、これは違う。本人の体温で温められ、生きた男の肌から立ち上る「本物」の香りだ。

「……ッ」

 脳髄が痺れるような甘美な刺激。
 嗅いだ瞬間、ズボンの下の私の分身が、ズクリと疼き、熱く脈打った。
 もう、我慢できない。視覚と嗅覚からの刺激だけで、理性のタガが弾け飛びそうだ。

 震える指先が、月光を浴びて白く光る、あの左の眉から頬を走る大きな傷跡に、そっと触れる。

 ――瞬間。

 バッ!! と、ドノバンのまぶたが見開かれた。
 寝ぼけた様子など微塵もない。殺気すらはらんだ鋭い眼光。
 私の指が肌に触れたコンマ数秒後には、ドノバンの太い腕が跳ね上がり、私の手首を万力まんりきのように握り潰していた。

「ッ……!?」

 骨がきしむほどの握力。
 私が反応する間もない、神速の迎撃げいげき
 引退してなお衰えない、その野生の如き反射速度に、恐怖よりも先に背筋が粟立あわだつほどの興奮が駆け抜ける。
 ドノバンは、侵入者を排除しようと腕に力を込め――そして、月明かりに照らされた私の顔を認識した。

「……は? セル、ウィン……?」

 殺気が霧散し、ドノバンの動きがピタリと止まる。
 深夜の寝室に忍び込んでいたのが、まさかの顔見知り。それもAランク冒険者のエースだという事実に、彼の思考が完全にフリーズしたのだろう。
 その、わずかな硬直。
 私にとって、それは「どうぞ食べてください」と皿に盛られたも同然の隙だった。

(……逃がすな)

 神が、いや、悪魔が私にくれた千載一遇せんざいいちぐうの好機だ。
 私は、ドノバンが混乱で力を緩めた一瞬を見逃さなかった。
 私の手首を掴んでいるドノバンの太い指に、自分の指を強引に絡め、逆に握り返す。

「なっ……!?」
「こんばんは、ドノバンさん」

 私は、寝台の上のドノバンに覆いかぶさるように体重をかけた。
 絡め取った手を寝台に押し付け、もう片方の手で、彼の後頭部を枕ごと押さえ込む。

「お、おい待て、何して……!」
「動きが良すぎますよ。……興奮、しました」

 私は、獲物を追い詰める肉食獣の笑みを浮かべ、至近距離からドノバンの驚愕に染まった瞳を覗き込んだ。
 逃げる間など与えない。
 私は、何か言いかけたドノバンの唇を、真上から塞ぐように叩きつけた。

「んぐッ……!?」

 ドノバンの喉から、くぐもった声が漏れる。
 事故ではない。明確な意志を持った捕食だ。
 私は、押さえつけた後頭部を逃がさず、唇を押し付け、こじ開け、その奥へと侵入した。

「ん……ッ、ふッ……ぅ!」

 ドノバンが目を見開き、私の肩を押そうともがく。
 だが、混乱と衝撃で力が入らないのか、それとも私の気迫に圧されているのか、その抵抗はあまりに弱々しい。
 酒も飲まない男の口内は、甘い薬草の香りがした。
 熱い。粘膜の熱さが、舌を通して直接脳に伝わってくる。

 私はむさぼった。
 昨夜の妄想を現実に塗り替えるように、何度も、何度も、その唇を味わい、唾液を絡め取った。

「ん……ぅ……、ぷはッ!」

 ようやく唇を離すと、ドノバンは酸素を求めて激しく喘いだ。
 その顔は真っ赤で、涙目で、何が起きたのか理解できずに震えている。

「な、なな、なにを……! お前、気でも狂ったか!?」
「狂ってますよ。……あんたのせいで」

 私は、ドノバンの上にまたがったまま、乱れた銀髪をかき上げた。
 月明かりの下、私の瞳はきっと、正気とは思えない色をしているだろう。

 私は、行き場をなくしてシーツの上を彷徨さまよっていたドノバンの右手首を掴み、目の高さまで持ち上げた。
 月光に晒されたそのてのひら
 剣ダコで硬く、皮が厚くなり、細かい傷が無数に刻まれた、冒険者の手だ。
 私が焦がれ、触れられたいと願い続けた、無骨な「雄」の手。

「……っ、何を……」

 ドノバンの戸惑う声など耳に入らない。
 私は、その分厚い掌に、自身の熱い舌を這わせた。
 手首の脈打つ部分から、指の付け根に向かって。ねっとりと、見せつけるように、ゆっくりと舐め上げる。

「ひゃッ……!?」

 ザラリとした皮膚の感触を舌先で味わうと、ドノバンの腕がぶるっと震え、筋張った前腕が一瞬硬直した。
 ただ手を舐められただけとは思えないほどの、過剰な反応。
 長年、武器を握り続けて硬化した皮膚は、皮肉にも、そこ以外からの刺激に対して異常なほど敏感になってしまっているようだ。

「……いい反応ですね」

 私は舌を離すと、唾液で濡れて妖しく光るその剣ダコの上を、人差し指の爪先でカリカリと、くすぐるように引っ掻いた。

「んッ!」
「手のひら……気持ちいいんですか?」

 私は意地悪く微笑み、一番硬いタコの部分を、グリグリと指の腹で押し回した。

「や、めろ……ぞわぞわする……!」
「剣を振りすぎて、感覚がおかしくなってるんでしょうか。……こんな、ただの手なのに、私の指が触れただけで、ビクビク震えてる」

 私は満足げに右手を離すと、今度は逃げようとしていた左手を素早く捕まえた。
 そして、その中の一本――一番意味深な、薬指だけを残して他の指を握り込む。

「……ッ、今度はなんだ……」

 ドノバンが身構える前で、私はその太い薬指を、根本まで自身の口内に招き入れた。
 チュポ、と卑猥な水音が鳴る。
 舌を巻き付け、指の腹を吸い上げながら、熱い口腔こうくうで包み込む。

「ひ……ぅ……ッ!?」

 指先を舐められる独特の浮遊感に、ドノバンの喉が鳴る。
 だが、私の目的は愛撫だけではない。
 私は、薬指の付け根――本来なら誓いの指輪が嵌まるべき場所に、鋭い犬歯を立てた。

「いッ……!」

 ドノバンが痛みに顔をしかめるが、私は容赦しなかった。
 ギリリ、と。
 消えない痕を残すつもりで、強く、深く噛み締める。
 数秒後、口を離すと、そこにはくっきりと赤い歯型が刻まれていた。
 まるで、血のにじむような、私だけの指輪だ。

「……これでいい」

 私は、その歯型にうっとりと口付けを落とした。
 じわりと滲む赤色を愛でるように、チュ、と音を立てて吸い付く。

 その鋭い痛みと、私の異常な執着を目の当たりにして、ドノバンの意識が急速に覚醒したようだった。

「―――ッ! いい加減にしろ、若造!」

 ドノバンが声を荒らげ、残った力を振り絞って私を押し退けようとした。
 岩のような筋肉が隆起りゅうきし、私の胸板に分厚い掌が叩きつけられる。
 本気だ。このままでは、力尽くで組み敷いている状態を覆されるかもしれない。

 だが、私は動じなかった。
 押し返そうと伸びてきた彼の腕をいなし、逆にその懐へと深く潜り込む。

「遅いですよ」

 私は、無防備になったドノバンの顎のラインに、濡れた舌を押し当てた。
 ジョリ、とした無精髭の感触を楽しみながら、そこから耳の下、そして太い血管が脈打つ首筋へと、一気に舐め下ろす。

「うぁッ!? く、首は……ッ!」

 敏感な急所を舌でなぞられた衝撃に、私を押し返そうとしていたドノバンの腕から力が抜けた。
 だが、私は攻撃の手を緩めない。
 脈打つ頸動脈の上に唇を寄せ、チュゥ、と音を立てて強く吸い付いた。

「あ……っ! ん……!」

 ドノバンの喉から、聞いているこちらがゾクリとするような、低く艶っぽい喘ぎが漏れた。
 本人は声を殺そうとしているのだろうが、快感がそれを許さない。
 私はさらに、上下する喉仏に狙いを定め、甘噛みするように歯を立てた。

「クソ……ッ! や、め……っ、そこ……ッ!」

 ドノバンの身体が反りながら震えるのを唇に感じる。
 逃げようとしているのではない。首筋への刺激が強すぎて、逆にさらけ出すように顎を上げてしまっているのだ。
 無防備に伸びきった太い首筋。汗と脂の浮いた雄の肌。
 私はそこを、獣のようにむしゃぶりつくように舐め回した。
 耳の裏を舌先でつつき、筋張った首の筋肉を唇で食む。

「はぁ……っ、く……ぅ……! セル、ウィン……っ、離れ……ッ」

 ドノバンの抵抗は、もはや私のシャツを弱々しく掴むだけの愛撫に変わっていた。
 ガクン、と肘が落ち、巨体がシーツの上に崩れ落ちる。
 荒い息遣いと共に、熱に浮いた瞳がとろんと溶けていく。

「気配に敏感なのは良いですが……こんなに感じやすいと心配ですね……」

 私は、唾液で濡れそぼった首筋に吸い付きながら、楽しげに囁いた。 常に神経を尖らせてきた冒険者の体は、急所である首筋への刺激に対して過剰なまでに反応してしまうらしい。 今の彼にはもう、私を拒絶する力など残っていなかった。 

「ドノバンさん。……好きです」 

 唇を離し、呆然としているドノバンを見つめる。 だが、それだけでは足りない。 私は再び、その薬指に唇を寄せた。 

「好きです。……大好きだ」 

 チュ、チュ、と。 誓いの言葉を刻み込むように、歯型の上へ何度もキスを降らせる。 

「……っ、す、き……?」 

 驚愕に目を見開き、ドノバンの喉が震えた。 鳩が豆鉄砲を食らったような、あまりにも無防備で、可愛らしい表情。 

「ええ。……私は、あんたが欲しい。 昨夜、あんたがくれたあのサシェを握りしめて、一晩中、あんたのことばかり考えていた」 
「サ、サシェ……? あれは、お前が落ち着かねえから、安眠できるようにって……」 
「ええ、そのはずでしたね。ですが、結果は真逆だ」 

 私は、困惑する彼の耳元に、わざとらしく熱い吐息を吹きかけた。

「あんたの匂いがするハーブのせいで、余計に興奮して眠れなくなった。……どうしてくれるんですか? 私の安眠を妨げ、ここまで狂わせたのは、あんたですよ」 
「な、何を……そんな、俺のせいに……っ」 
「……好きだって、言ってるじゃないですか」 

 動揺で泳ぐ彼の瞳を、至近距離で射抜く。

「……お前、それは……」 
「ここまでされて、恋愛以外の『好き』だと思いますか? 私は、一人の男として、あんたのすべてを奪いたいと言っているんです」
「ッ!?」 

 絶句するドノバンの手を離し、代わりにその寝間着の裾から、熱い素肌へと手を滑り込ませた。 脇腹。あの日、彼が触れた場所と同じ位置をなぞる。 
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