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七章 おやすみミコ様

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 とはいえ、さぁ行くぞと奮起ふんきして、いきなり行けるモンでもない。出かけるための準備も要るし、現地の受け入れ体勢を整える必要もある。
 そして、ミコ本来のお仕事も。
 とうとう来たのである。
 隋からの使者が。

 温泉に入って野望を果たしてから、お出迎えしたかったなぁと思うも、もう遅い。こっちの方が大イベントだ。
 使者の扱いに、2重3重の警戒と、もてなしが施された。外国人とはいえ、いや外国人だからか、油断はできない。同じ日本人同士でも、何回殺されかけたことか。
 道中や滞在中の警備、案内、おもてなし。祭に儀式に会談と、やること為すこと満載である。
 と、まぁ、そうした苦労の甲斐あって、とうとう、本懐を遂げたのだ。

 夏も近い、じわっと暑い日だった。
 すかんと空が晴れていて、どこまでも深く。空だけど海みたいな、潜れそうな青さだ。
 太古、空は藍色ってぐらいに青かったんだよ……と家族に自慢できる日は来るのだろうか? と、私は、もう何度目になるか分からない空の色を観て、思う。

 クニの者はできるだけ、みんな集めた。厳かな儀式も執り行い、私が卑弥呼であると示せる、精一杯の演出をした。
 長い髪をおろし、これでもかときまくってもらい、薄衣の重ね着、ジャラジャラの宝石、ごってごての化粧をした。やれることは全部した。
 今日の神楽殿デンには松明も用意した。日が落ちてきたら、このまま宴に入る予定だ。

「ミコ様」

 目前にかしずくタバナが、木の台をうやうやしく掲げる。30cm角ほどの、その台に鎮座している、小さな木の箱。10cm角ぐらいかな。
 眼下には、隋の使者が平伏している。いくら外国の使者でも、このデンには上がれない。こちらが下りることがあっても、上がらせはしない。
 そんな扱いを受ける使者は、待遇に納得してるだろうか? と疑う気持ちがあるからか、この箱の中身も、本物だかどうだか……と思ってしまう。
 でも。
 複雑な気持ちのまま、台上の箱に手をかけ、蓋を開ける。……と。
「ちっ……」
 思わず声が出かかった。いや少し漏れたけど。
 めっちゃ大声で叫びたい。
 ちっちゃっ!!
 何なの、これ国宝?!
 もう少し、手のひらサイズぐらいあると思ってたよ! 2~3cm? いや多分3cmないわ。
 てか、こんなの歴史の波に呑まれず、よく生き残ったな?! どこかの博物館にあるんだよね、確か。マジか。
 思わず覗き込んで、めちゃくちゃまじまじと見てしまった……約5秒。皆に不審がられないうちに姿勢を整え、中のそれに、手をかけた。

 かつて教科書に載っていたのと同じものが、ただし、見たことのある写真の半分ぐらいの大きさで、そこにある。ポケットとか入れちゃったら分からないんじゃないの、これ。
 ここまで来て、これが全部ドッキリだとか夢だとか詐欺とか、そんなことはないだろうけど。何年もずっとヤマタイに尽力したもん。辛かったり苦しかったりした日々もあったもん。
 中身を取り出す。思ったより滑らかで精巧で光沢もあって、何か文字まで入ってる。職人技だな。持ち上げると、結構、重い。ちっちゃいのに重い。そういや純金って、重いんだよね確か。
 レンガぐらい大きな金の延べ棒だと、片手で持ち上げるとか出来ないんじゃなかったっけ。昔読んだミステリーで、そんなのあった気がするわ。
 ひっくり返して見ると、日の光に輝いた。
 その輝きを見た瞬間、急に実感が沸いてきた。これは、本物だ。ミコの働きによって勝ち取った、この世の証だ。
 私は確かに、ここに存在している。
 生きている。
 皆に見えるかな。
 見えなくても、このパフォーマンスは必要だよね。

 私はそれを、両手で高く掲げた。
 光るように、少し動かした。
 皆から、どよめきが聴こえた。光ったようだ。
 これが私の。
 ミコの仕事の。
 私の人生の。
 集大成だ。
 タバナがひれ伏す。使者たちも頭を垂れた。のと同時に、クニの皆も「おお……」と、ひれ伏した。
 何千という人々が、まるで波が引くように次々に膝をつく。
 私は声を張り上げ、でも落ち着いて、これの名を告げた。

「金印である」

 引いた波が押し寄せて、大喝采を生み出した。
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