王太子より公爵令嬢へ、逆・婚約破棄をお願いいたします

礼(ゆき)

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王太子より公爵令嬢へ、逆・婚約破棄をお願いいたします

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「公爵令嬢、スーザン・ルーゼドスキー」


 私の名を呼びながら、眼前に跪くのは、婚約者第三王子サミュエル・ケンドリック。
 ここは貴族が通う魔法学園の門前。

 公の場である。


 公衆の面前で、彼は……、本心を言えば、奴は、一本の真っ赤なバラを差し出し、高らかと宣言する。



「我が婚約者。どうぞ、今日こそ、この僕に婚約破棄をしてくれたまえ」


 ぴきりと私の額に青筋が走りかける。
 彼と関わり培われた強靭な精神力で引っ込めた。

 
 気を落ち着かせるために、額に二本の指をのせ、嘆息する。


 毎朝飽きもせずに繰り広げられる珍事を横目に、上級生下級生、はては通行人までも、クスクス笑いながら通り過ぎていく。
 これはもう、認めたくないが、名物の域に達してやいないだろうか。


「サミュエル様、お馬鹿なことをどの口がおっしゃっているのですか」

 半分怒り、半分呆れ笑いを浮かべ、私はいつものやり取りを繰り返す。


「僕はただあなたのためにありたいだけです」
「私のためにこのような茶番をなさっているというのですか」
「そう、これは、貴女のための舞台。僕からの最大限の誠意です」


 誠意とはなにか?
 お花畑王子様にしか見えない婚約者が何を言うか。


 私は軽く膝を折り、殿下のやわらかいほっぺをつねる。

「いたい、いたい、いたい」

 まったくどこぞのロマンス小説の影響か、家と家との約束にて、子どもが早々破棄などできるわけがないのに言いだし始めて、もう半年にもなる。
 そろそろ私の堪忍袋の緒も切れそうだ。

「毎日飽きもせずに、このような行為を繰り返される習慣を継続されていることには感心致しますわ」

 
 私はぱっと手を離した。

 涙目を浮かべる第三王子はつねられたほっぺをさすって、悲しそうにぐすんと鼻をすする。


 愛らしい尊顔で私を上目遣いで見つめるいたいけな表情。
 男性にしておくには愛らしすぎという顔の造りに、私はたじろぐ。
 何度見ても、この顔に見つめられては私がいじめているようではないの!

 可愛い顔に鞭打つ私。
 こんな立場に誰が望んでなるものですか。

 そう! 私は、この風変わりな第三王子サミュエル・ケンドリックの婚約者とは名ばかりの、お目付け役でもあるのよ。










 第三王子は愛らしい。花弁のようにふっくらとした唇に、サラサラのストレートのライトグリーンの髪と瞳。これぞ、若葉の妖精と言わんばかりの容姿。
 このような茶番を、笑って見過ごされるのも彼の浮世離れした容姿の影響があることは否めない。


 片や私が細身で長身の騎士のような立ち姿なものだから、余計に目だって仕方ない。
 おそらく女性陣はこの逆転関係を含めて楽しんでいるのよ。


 第三王子がこのように育ってしまったにもわけがある。

 第一王子、第二王子が優秀だからという理由より、もっと深い溝がある。

 二人の王子と第三王子の間に、五人の姫がいることだった。


 つまり、第三王子は八人兄弟の末っ子であり、二人の兄はすでに物心つく頃には成人し、末っ子の彼は、五人の姉姫に愛でられ、可愛がられ、しいては幼少期はドレスをも着せられ暮らしていた。
 さらに問題なのは、それがとてつもなく似合う美少女だったことだろう。

 誰にも言えないけど、初対面の時は私も同性だと思っていたわ。

『今日は王子様もいらっしゃると聞いていたのに、いませんでしたわね』と帰りの馬車で零した私に、父が苦笑いを浮かべ真相を教えてくれた時には、驚くほかなかった。
 そう、初対面で私は、六人の姫と会っていると思っていたのだ。

 そういうわけで、姉たちの影響もあり、恋愛小説に傾倒していたとしても仕方ないのである。
 その原因を作った一因に私が絡むことも彼を見捨てられない理由であった。

 それはまだ私たちが八歳の頃。
 親たちの思惑も知らず、婚約者になるなど考えていなかった頃にさかのぼる。
 背が伸びる前の私は、普通の女の子と同じく、子供向け恋愛小説に憧れる一人の少女であり、幼馴染の彼と小説を読み合わせたり、なりきってごっご遊びをしていた仲なのである。

 気が遠くなるような黒歴史だが、その時はまだ性別通り、私が女の子役で、彼が男の子役だった。

 他愛無い一時は月日のなかに消えていく。

 共に私たちは成長し、伸び切った私の身長は女子というより細身の騎士のようになり、恋愛小説もまた夢物語と理解し、縁遠いものとなった。

 美少女だった殿下も背丈が伸び、声変わりをした。男らしくなるかと思えば違う。
 なぜか愛らしさだけが上方修正され、未だに、可愛らしいことこの上ない成長を遂げ、今に至る。

 姫のように育った王子と男兄弟に囲まれて育った同い年の私が婚約者に選ばれたのは、ある意味つり合い、ある意味不釣り合いなまま、バランスよく鞘に収まったようである。

 あの見目麗しい王子の隣に立つことを希望する令嬢もおらず、苦肉の策だったのかもしれない。


 なんせ第三王子である。
 あの麗しさでどう出世するというのか。未知数過ぎて、怖ろしい。
 それこそ、異国からくる女性外交官の接待要因にでもなるのかと想像するしかない。
 若くないとできないとはいえ、彼が老いることも全く想像ができない。

 あましの第三王子を背負う私。
 私の負担、重すぎやしないでしょうか。










 授業が始まる間際。今日も殿下は悲し気に窓辺に佇む。


「今日も、婚約破棄してもらえなかった……」


 悲し気な原因を作ったのは私。遠目から眺める。憂いをふりまく表情だけ見れば、罪悪感が湧いてくる。あの顔で産まれている役得が憎い。


「殿下、もうあきらめなよ」
「突拍子もないんです。正式に婚約破棄されたいなら、父である陛下にお願いするぐらいなさるのが道理で、公衆の面前で行うことではありませんよ。第一、公爵令嬢にお願いして通るものではないのですからね」
「そうそう。私たちは面白くていいけどね」
「茶番もそろそろ飽きるだろう」
「毎日、少しづつ隠せなくなっているのがね、見ものって言うかね」
「悪趣味」


 教室で嘆く殿下を慰めるのは、ご学友の宰相の子息と近衛騎士団長の子息。二人とも、嘆く殿下をなだめつつも、笑いをかみ殺している。
 最後の蛇足は私のことを含んでいるのだろう。
 私の握る拳に力がこもる。


 殿下は、ぐすんと涙を流す。

「やっぱり、あの方法は現実的ではないんですね」


 そのセリフを耳にした、その場にいた全員は思っにちがいない。

(そりゃそうだ、今頃気づくか!)と。

 同じ教室にいる私にも当然聞こえ、もちろん同じことを思っていた。








 しばらく殿下は大人しくなった。

 門前の珍事を惜しむ声はあったものの、数日もすれば、あのような劇中の一幕をみな忘れていった。

 私のまわりも穏やかになる。殿下のひときわ目立つ美しさをのぞいては……。


「スーザン」

 愛らしい殿下が私に声をかければ、まるで彼が姫で、私が殿下のような立ち位置になる。

「なんでしょうか、殿下」
「婚約破棄とは難しいものだな」
「それはそうですね。あれはお話のなかのことです」
「スーザンは、婚約破棄、しなくてよかったのか」

 愛らしく小首を傾げて、殿下が問う。

「どうしてですか。殿下こそ私に不満でもあったのでしょう」

 冷ややかにいってやった。平和になったとはいえ、恨みは残っている。
 殿下は首をぶんぶんと横に振る。

「そんなことはない。スーザンが昔言っていたではないか」
「昔?」
「そう、まだ僕たちが婚約する前……、あれは君のお屋敷に遊びに行った時のことだよ。
 僕たちが八歳で、互いに子供向けのロマンス小説が大好きだった……、ねえ、スーザンおぼえていない?」


 八歳の私はロマンス小説が大好きで、童話から出てきたような、見目の良い幼馴染も大好きだった。
 彼の言葉に、私は八歳のあの時にかえっていく。黒歴史と蓋をしていた記憶が蘇る。









『ねえ、サミュエル。私がもし、どこかの王子様と婚約することになったら、このロマンス小説の主人公のように、婚約破棄してほしいわ』
『どうして? 婚約破棄なんてされた、公爵令嬢として傷ものとしてみられかねないじゃないか』
『ええ、いいのよ。だって、私は、この物語の主人公のように、旅をしたいもの』
『旅をしたい?』
『旅をして、お店を開いて、また冒険して……、その方が楽しそうでしょ』
『王子様のお嫁さんでいた方が、安泰じゃない?』
『安泰なんてつまらないわよ。私は、外に行きたいわ』
『旅をして、恋をするの?』
『恋は……、わからないけど、旅がしたいのよ。王族と婚約したら、やっぱり自由がなくなってしまうじゃない』
『一応、僕も、王族だよ』
『そうね』
『もし、僕と婚約することになったら……』
『ないない。きっとないわ。私たち、近すぎるもの。兄弟みたいじゃない』
『そう、だね……。じゃあ、もし、本当に婚約することになったら……』
『そうね、そしたら、私の方から婚約破棄よ!!』








 確かに言った。私が彼に婚約破棄すると……。
 つまり、いつまでたっても、待てど暮らせど婚約破棄をしない私に、サミュエルははっぱをかけていたというの!

 あれは、ほんの小さな庭先の会話だ。
 あんなつまらない口約束で、この半年間、婚約破棄茶番をやらかしてたというの!

 黒歴史と封印していた記憶に意味があったなんて!

 思い出すなり、私は青くなる。

「子どもの口約束よ。忘れるものじゃない」

 だって、そんな他愛無いことなんて忘れていると思うでしょう。
 覚えているなんて、思わないじゃない。

「僕にとっては、大事な君との約束なんだよ」

 そこで切なく笑うなんて、反則だ。

「だって、それは、あれは……」

 私はどもるしかない。
 言いたくないことはたくさんある。

「なにか困ることでもあった? あれは僕と君しか知らない記憶だよ。僕は誰にも言っていない」
「それなら、最初から私には言ってよ。あんな珍事を巻き起こす必要ないじゃない」

 悲鳴のような一言に、殿下は微笑む。
 だから、その笑顔は反則なの。そういう表情一つ憎らしい。

「困る?」
「困るわ」

 今度はサミュエルがずいっと私に寄ってきた。

 私は後ろに半歩後退する。

「……困るわ……」
「どうして」
「……言わない……」

 私が睨むと、殿下は愛らしく口を尖らせる。

「意地悪するなら、僕も意地悪するよ」

 殿下がいきなり私との間合いを詰めてきた。
 素早い動きに私はついていけなくなる。
 
 愛らしい顔をしていても、成長期を終えた彼は私の身長をゆうに超える。

 あっという間に抱きしめれ、身動きが取れなくなった。

「僕は君の望みを叶えたいだけなのに」
「いらないわ」
「いらない? 窮屈な王子様の婚約者なんて嫌なんじゃないの」
「いくつの話だと思っているのよ。昔よ、昔」
「でも、君はどこかいつも自由になりたがっていない?」
「そんなことないわ」
「じゃあ、君の望みは?」
「私の望みは……」


 言いたくない。言いたくない。
 絶対に言いたくない。私は、幼い頃好きだったロマンス小説の挿絵のようなあなたの顔が今も好きだなんて絶対に!


 私は口を押えた。真っ赤になって頭をブンブンと横に振ろうとしても、殿下の力が強くて、思うように動けなかった。

 殿下はやっぱり男性だ。
 麗しい顔に似つかわしい柔らかい声をもって、私を抱きしめ、ささやく。

「ねえ、僕のこと好き?」

 私は、かっと頬が熱くなる。
 顔どころじゃない。どんどん全身、耳も含めて熱くなる。

 殿下の頬があたしのこめかみあたりにすりよってきた感触があった。


「やっぱり君が一番かわいいね」

 そんな声が聞こえたら、私は小さくなるしかない。


 絶対に言わない。
 私の望みがもうすでに叶っているなんて。

 あの時、婚約破棄してほしかったのは、どこかの国の王子様であって、あなたじゃない。

 自由な第三王子のあなたじゃないから。
 あなたならどこまでも私と自由でいてくれるでしょ。


 
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