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三話
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女王陛下が選んだ婚約者候補との初顔わせの日が決まる。
非公開の茶会までに目を通すようにと、アリシアの元に婚約者候補の釣書が届く。
午前のお茶の時間に、一枚一枚、書類に記された候補者をアリシアはながめる。
本命のジュリアンの釣書もあり、細かな彼の経歴が記されていた。
すぐ横にいるのにね、と微笑みかけると、ジュリアンも目を細め答える。
五枚ある釣書の最後の一枚に目を通した瞬間、アリシアは目を疑った。
アリシアを振ったゲイリーが候補にあがっていたのだ。
釣書を両手でつかみ、顔を近づけ凝視する。手が震え、紙が揺れる。
(ゲイリーって、公爵家の方だったの)
ゲイリーは家の事情と言って、アリシアの元を去っていた。
(もしかして、私がらみのことで、私の元を彼は去ったのかしら)
過去の人が出てきてもらっても困る。
勉強や礼儀作法に追われる日々をこなすうちに、彼のことはすっかり忘れていたぐらいだ。
(どうしよう。昔、ゲイリーの火遊びの相手だってジュリアンにばれたら……)
貴族の娘はとかく身持ちが重要視される。ゲイリーのことがばれて、ジュリアンに愛想をつかされないか。それだけが、心配の種となる。
アリシアは、ゲイリーのことがジュリアンにばれませんようにと心から願った。
釣書に目を通した数日後、四人の貴公子が女王陛下の元を訪れた。
彼らが陛下への挨拶を終えた頃を見計らい、アリシアは遅れて会場入りする準備を整えていた。
隣には、ジュリアンがいる。
いつもなら安心できるところなのに、今日に限ってはまったく落ち着かない。
そわそわし、軽く身震いしたアリシアを、感情の薄いアイスブルーの瞳が見つめる。
最近アリシアは、ジュリアンは面立ちが整っているがために、感情が読み取りにくいだけで、人としての喜怒哀楽をちゃんと備えた人だと分かってきていた。
彼がその瞳にアリシアを深く映す時は、とても心配している時でもある。
ジュリアンの優しさに触れ、アリシアは尚更、この人に嫌われたくないと感じた。
大丈夫という意味を込めて微笑み返すも、不安はどうしても零れ落ちる。
ゲイリーがアリシアを見て、酒場の娘だと気づくかどうか。気づいたうえで、顔に出すかどうか。
最悪は、ゲイリーが付き合っていたと吹聴することだろう。
アリシアの不安をくみ取る清涼感漂うアイスブルーの輝きが陰る。残った煌めきに微笑み返すと、ほんの少しだけ心が落ち着いた。
静かな眼差しの人といると、心が和ぐ。
とはいえ、根底ではジュリアンと気持ちは通じているというものの、護衛の騎士である立場や、女王陛下の意向を汲み、平行線の距離感は変わらずのままであった。
(ジュリアンが好きだと言えたらいいのに……)
気持ちを打ち明けたくとも、立場上、自由な発言は許されない。女王陛下のご意向がどこにあるのか、発言が許されているのか、見定めてからでなくては、この城では滅多なことは言えないのだ。
城に来たばかりの頃、女王陛下からも、直々にそう忠告を受けていた。
時間がきた。
もんもんとした気持ちを抱えながらもアリシアは、ジュリアンにエスコートされ、会場入りする。
陽光降りそそぐ園庭には、色とりどりの花が咲き誇る。蝶が舞う花々を背景に、新進気鋭の美術家が作り出した意匠を凝らした家具が配置され、茶会会場がセッティングされていた。
女王陛下を中央に、四人の貴公子が談話を楽しんでいる。
そこへ、ドレスアップしたアリシアが現れた瞬間、集った四人の貴公子は息をのんだ。
女王陛下もアリシアの姿に満足気な笑みを浮かべた。
つつがなく挨拶し、ジュリアンの横に侍らせ、初対面の貴公子四人と歓談を楽しむ。
小一時間の談話を経て、アリシアはジュリアンとともに去った。
四人のなかにゲイリーがいたものの、彼はアリシアの顔を見ても、顔色一つ変えなかった。
酒場の娘のことはすっかり忘れていたかのようである。
奥に引っ込んだアリシアは胸をなでおろした。
ところが、忘れてくれたと安堵した矢先、いの一番にゲイリーから面会の申し出があった。
届いた直筆の申し込みの書面を見聞し、アリシアは真っ青になる。
そこには、二人で出かけた店や公園などの場所が記載され、『また行きたいものです』としめられていた。
彼は覚えていたのだ。
茶会会場で初対面のふりをしていただけで……。
(どうしよう)
書面を握りしめ、アリシアは苦渋のあまり、眉を潜める。
もうゲイリーへの気持ちは一抹も残っていない。
女王陛下に誰がいいかと聞かれれば、ジュリアンの名を告げる心づもりである。
ゲイリーとは終わったのだ。
(しっかりと断らないと……)
ゲイリーに続き、残りの三人からも面会の申し出があり、これから、四人の男性と順番に会うことになるとアリシアはげんなりした。
気持ちが決まっている以上、気を持たせるのは、悪い気がしてならなかった。
ゲイリーとの面会日。
午後のお茶の時間に合わせて彼がやってきた。
一年前に別れた時は憮然とした態度であったというのに、まるで嘘のようににこやかな笑みを浮かべる。
給仕を終えた侍女を下がらせ、ジュリアンも遠くにいることを確認した。アリシアはほっとする。どうしても、ゲイリーとの会話は聞かれたくなかった。
話をどう切り出していいものか考えあぐねていると、一口紅茶を含んだゲイリーが身を屈め、小さな声で囁いた。
「アリシア。君はアリシアだよね」
違うとも言えずに、アリシアはこくりと頷く。
「やっぱり、茶会会場で会った時は驚いたよ。他人の空似かと思ったが、声で君だと分かった。失礼、今はアリシア王女だね」
「そうね、今は……」
もう昔とは違うと言いたかったが、平民の時のような直情的な物言いも出来ず、アリシアはひとまず、ゲイリーの話に耳を傾ける。
「あの時は、すまなかった。
どうしても、父の命に逆らえなかった。平民の娘に熱をあげていることが父にばれ、清算するように厳命された。逃れようが無かったんだ」
ゲイリーは深く頭を下げた。
アリシアは、こんな風に頭を下げられたら、周囲に何事かと思われると慌ててしまう。
「いいのよ、もう終わったことだわ」
「許してくれるのか」
「ゆるすもなにも。もう一年も前のことだわ」
「昔のように、アリシアと呼んでもいいだろうか」
「それは……、ここではちょっと……」
「そうか、そうだよな。立場がある。とはいえ、ずっとアリシア王女のことはきがかりだったんだ。嫌いで別れたわけじゃない。この出会いは、きっと運命が引き合わせてくれたのだと思う。だから、もう一度、もう一度、やりなおさないか」
真剣な眼差しのゲイリーの告白に、アリシアは視線を逸らす。
もう、それはないと、喉まで出かかっているのに、断る文言が定まらず、声が出ない。
「アリシア王女。これはきっと運命だ」
前のめりに迫るゲイリー。
アリシアは怖くなり、身体をのけ反らせる。
助けを求めるように視線を逸らし、ジュリアンを探す。
さっきまでたっていた場所に姿がなく、心細さを感じた時だった。
「ゲイリー殿」
いつの間にか近寄ってきていたジュリアンが、ゲイリーに呼び掛けた。
ジュリアンが現れたことで、アリシアもほっとする。
「ジュリアンか。邪魔をするなよ。お前はずっとアリシア王女の傍に仕えていたんだろう。この時間は俺が王女と話をする時間だ。邪魔をしてくれるな」
「ええ、しかし、時間となりました。アリシア王女のお茶の時間も終わります。ダンスの講師をお招きしている以上、待たせるわけにはいかないのです」
ジュリアンに向ける高圧的な態度。
アリシアは、(やっぱりこういう人なのね。別れてやっぱり正解だったわ)と思った。
数日かけて、残りの三人との二人きりのお茶会をこなして後、やっと女王陛下とアリシアは話し合う機会を得る。
希望を訊ねた女王陛下に「ジュリアン様と一緒になりたいです」と迷いのない真っ直ぐな目でアリシアは女王に告げた。
貴族間の力関係などを見極めたうえで、女王はアリシアの意向を汲む。
数日後、五人の貴公子を呼び出し、謁見の間にて、ジュリアンを婚約者とすると発表することが決し、事前に知らされたアリシアも、(これで丸く収まるわ)と安堵した。
ところが女王の発表の場で、異論を唱えたゲイリーとジュリアンが決闘することになってしまう。
非公開の茶会までに目を通すようにと、アリシアの元に婚約者候補の釣書が届く。
午前のお茶の時間に、一枚一枚、書類に記された候補者をアリシアはながめる。
本命のジュリアンの釣書もあり、細かな彼の経歴が記されていた。
すぐ横にいるのにね、と微笑みかけると、ジュリアンも目を細め答える。
五枚ある釣書の最後の一枚に目を通した瞬間、アリシアは目を疑った。
アリシアを振ったゲイリーが候補にあがっていたのだ。
釣書を両手でつかみ、顔を近づけ凝視する。手が震え、紙が揺れる。
(ゲイリーって、公爵家の方だったの)
ゲイリーは家の事情と言って、アリシアの元を去っていた。
(もしかして、私がらみのことで、私の元を彼は去ったのかしら)
過去の人が出てきてもらっても困る。
勉強や礼儀作法に追われる日々をこなすうちに、彼のことはすっかり忘れていたぐらいだ。
(どうしよう。昔、ゲイリーの火遊びの相手だってジュリアンにばれたら……)
貴族の娘はとかく身持ちが重要視される。ゲイリーのことがばれて、ジュリアンに愛想をつかされないか。それだけが、心配の種となる。
アリシアは、ゲイリーのことがジュリアンにばれませんようにと心から願った。
釣書に目を通した数日後、四人の貴公子が女王陛下の元を訪れた。
彼らが陛下への挨拶を終えた頃を見計らい、アリシアは遅れて会場入りする準備を整えていた。
隣には、ジュリアンがいる。
いつもなら安心できるところなのに、今日に限ってはまったく落ち着かない。
そわそわし、軽く身震いしたアリシアを、感情の薄いアイスブルーの瞳が見つめる。
最近アリシアは、ジュリアンは面立ちが整っているがために、感情が読み取りにくいだけで、人としての喜怒哀楽をちゃんと備えた人だと分かってきていた。
彼がその瞳にアリシアを深く映す時は、とても心配している時でもある。
ジュリアンの優しさに触れ、アリシアは尚更、この人に嫌われたくないと感じた。
大丈夫という意味を込めて微笑み返すも、不安はどうしても零れ落ちる。
ゲイリーがアリシアを見て、酒場の娘だと気づくかどうか。気づいたうえで、顔に出すかどうか。
最悪は、ゲイリーが付き合っていたと吹聴することだろう。
アリシアの不安をくみ取る清涼感漂うアイスブルーの輝きが陰る。残った煌めきに微笑み返すと、ほんの少しだけ心が落ち着いた。
静かな眼差しの人といると、心が和ぐ。
とはいえ、根底ではジュリアンと気持ちは通じているというものの、護衛の騎士である立場や、女王陛下の意向を汲み、平行線の距離感は変わらずのままであった。
(ジュリアンが好きだと言えたらいいのに……)
気持ちを打ち明けたくとも、立場上、自由な発言は許されない。女王陛下のご意向がどこにあるのか、発言が許されているのか、見定めてからでなくては、この城では滅多なことは言えないのだ。
城に来たばかりの頃、女王陛下からも、直々にそう忠告を受けていた。
時間がきた。
もんもんとした気持ちを抱えながらもアリシアは、ジュリアンにエスコートされ、会場入りする。
陽光降りそそぐ園庭には、色とりどりの花が咲き誇る。蝶が舞う花々を背景に、新進気鋭の美術家が作り出した意匠を凝らした家具が配置され、茶会会場がセッティングされていた。
女王陛下を中央に、四人の貴公子が談話を楽しんでいる。
そこへ、ドレスアップしたアリシアが現れた瞬間、集った四人の貴公子は息をのんだ。
女王陛下もアリシアの姿に満足気な笑みを浮かべた。
つつがなく挨拶し、ジュリアンの横に侍らせ、初対面の貴公子四人と歓談を楽しむ。
小一時間の談話を経て、アリシアはジュリアンとともに去った。
四人のなかにゲイリーがいたものの、彼はアリシアの顔を見ても、顔色一つ変えなかった。
酒場の娘のことはすっかり忘れていたかのようである。
奥に引っ込んだアリシアは胸をなでおろした。
ところが、忘れてくれたと安堵した矢先、いの一番にゲイリーから面会の申し出があった。
届いた直筆の申し込みの書面を見聞し、アリシアは真っ青になる。
そこには、二人で出かけた店や公園などの場所が記載され、『また行きたいものです』としめられていた。
彼は覚えていたのだ。
茶会会場で初対面のふりをしていただけで……。
(どうしよう)
書面を握りしめ、アリシアは苦渋のあまり、眉を潜める。
もうゲイリーへの気持ちは一抹も残っていない。
女王陛下に誰がいいかと聞かれれば、ジュリアンの名を告げる心づもりである。
ゲイリーとは終わったのだ。
(しっかりと断らないと……)
ゲイリーに続き、残りの三人からも面会の申し出があり、これから、四人の男性と順番に会うことになるとアリシアはげんなりした。
気持ちが決まっている以上、気を持たせるのは、悪い気がしてならなかった。
ゲイリーとの面会日。
午後のお茶の時間に合わせて彼がやってきた。
一年前に別れた時は憮然とした態度であったというのに、まるで嘘のようににこやかな笑みを浮かべる。
給仕を終えた侍女を下がらせ、ジュリアンも遠くにいることを確認した。アリシアはほっとする。どうしても、ゲイリーとの会話は聞かれたくなかった。
話をどう切り出していいものか考えあぐねていると、一口紅茶を含んだゲイリーが身を屈め、小さな声で囁いた。
「アリシア。君はアリシアだよね」
違うとも言えずに、アリシアはこくりと頷く。
「やっぱり、茶会会場で会った時は驚いたよ。他人の空似かと思ったが、声で君だと分かった。失礼、今はアリシア王女だね」
「そうね、今は……」
もう昔とは違うと言いたかったが、平民の時のような直情的な物言いも出来ず、アリシアはひとまず、ゲイリーの話に耳を傾ける。
「あの時は、すまなかった。
どうしても、父の命に逆らえなかった。平民の娘に熱をあげていることが父にばれ、清算するように厳命された。逃れようが無かったんだ」
ゲイリーは深く頭を下げた。
アリシアは、こんな風に頭を下げられたら、周囲に何事かと思われると慌ててしまう。
「いいのよ、もう終わったことだわ」
「許してくれるのか」
「ゆるすもなにも。もう一年も前のことだわ」
「昔のように、アリシアと呼んでもいいだろうか」
「それは……、ここではちょっと……」
「そうか、そうだよな。立場がある。とはいえ、ずっとアリシア王女のことはきがかりだったんだ。嫌いで別れたわけじゃない。この出会いは、きっと運命が引き合わせてくれたのだと思う。だから、もう一度、もう一度、やりなおさないか」
真剣な眼差しのゲイリーの告白に、アリシアは視線を逸らす。
もう、それはないと、喉まで出かかっているのに、断る文言が定まらず、声が出ない。
「アリシア王女。これはきっと運命だ」
前のめりに迫るゲイリー。
アリシアは怖くなり、身体をのけ反らせる。
助けを求めるように視線を逸らし、ジュリアンを探す。
さっきまでたっていた場所に姿がなく、心細さを感じた時だった。
「ゲイリー殿」
いつの間にか近寄ってきていたジュリアンが、ゲイリーに呼び掛けた。
ジュリアンが現れたことで、アリシアもほっとする。
「ジュリアンか。邪魔をするなよ。お前はずっとアリシア王女の傍に仕えていたんだろう。この時間は俺が王女と話をする時間だ。邪魔をしてくれるな」
「ええ、しかし、時間となりました。アリシア王女のお茶の時間も終わります。ダンスの講師をお招きしている以上、待たせるわけにはいかないのです」
ジュリアンに向ける高圧的な態度。
アリシアは、(やっぱりこういう人なのね。別れてやっぱり正解だったわ)と思った。
数日かけて、残りの三人との二人きりのお茶会をこなして後、やっと女王陛下とアリシアは話し合う機会を得る。
希望を訊ねた女王陛下に「ジュリアン様と一緒になりたいです」と迷いのない真っ直ぐな目でアリシアは女王に告げた。
貴族間の力関係などを見極めたうえで、女王はアリシアの意向を汲む。
数日後、五人の貴公子を呼び出し、謁見の間にて、ジュリアンを婚約者とすると発表することが決し、事前に知らされたアリシアも、(これで丸く収まるわ)と安堵した。
ところが女王の発表の場で、異論を唱えたゲイリーとジュリアンが決闘することになってしまう。
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