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出産
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「出産には立ち会いたいんだけど」
ユウさんの言葉に、耳を疑った。平成の世では分娩室に夫が入ってくるのが普通になっているらしい。
昭和の世で二回出産した時にはそんなことをする人はいなかった。というより、医者以外の男性が入ってくるなんてとんでもないことだった。
「本気なの?」
「もちろん。珍しくもないじゃない」
そうなのかもしれないが、本来昭和の人間である敬子にはその「常識」はすぐには受け入れ難い。
敬子の強張った顔にユウさんはかえって驚いた様子。
「そうか。そんな記憶も失くしているのか。何だか「お袋世代」の女性みたい」
実際そうなのだが、一瞬ぎくりとする。
「でも、いつ生まれるかなんて分からないわよ」
二回の出産では生まれる2週間くらい前から入院していた。当時は何が起きるか分からないからそれも普通だった。
今はそうでもないらしい。
「陣痛が来たな、と思ったら来てください。いつでも対応できるようにしておきますから」
20年も経つと随分と変わるもののようだ。敬子からすれば保を出産して5年しか経っていないのだが。
そして、その日がやって来た。
出勤前のユウさんに話す。
「多分、今日くらい生まれると思う。時間が取れるようなら来て」
「じゃあ、今日は休むよ」
「急にそんなことしてもいいの?」
「大丈夫。講義といっても僕が教えるようなことはそんなにないから。僕以上に才能がある子ばかり集まっているし」
でも、おかげで病院に行くのが楽になった。自分で運転する必要が無いだけでも違う。
病院に電話を入れておく。準備はできているので、いつ来てもいいという返事。ユウさんの両親にも電話を入れる。
すでに準備してあった「入院セット」を持ち、ユウさんの運転で病院に向かう。
分娩台はリクライニングシートみたいな椅子。歩、泰代の時はベッド、保の時は畳の部屋だったのとは大きく違う。
保を出産した産院はそんなに遠くないので、妊娠が分かった時に自動車で行ってみたことがあるが、跡形も無くなっていた。当時でも結構な歳の院長だったから、後を継ぐ人がいなくて廃業したのだろう。同室で、敬子(当時は慶子だが)より2日くらい前に出産したイシイさんという女性を思い出した。もう孫がいてもおかしくない齢のはず。
若い助産師が息継ぎやいきみ方の説明をしようとするので、
「自分のペースでしますから」
と言ってしまった。こっちは三人も産んでいるのだから分かっている。
「出産経験がある人みたいなこと言うのね」
実際そうなのだが。こればかりは忘れようがない。敬子は二回とも通常出産で、無痛分娩や帝王切開ではない。
「記憶には無いですけど、経験があるのかもしれません」
そう言っておく。
慣れない白衣を着たユウさんは不安そうな顔でやりとりを見ている。出産の立ち合いなど初めてだろうから無理も無いか。
保を出産した時を思い出しながら、いきみを続ける。だいぶ降りてきたな。自分でもわかる。ユウさんは敬子の呼吸に合わせて掛け声を入れてくれているけど、はっきり言って何の役にも立っていない。陣痛に耐えるのは自分だけなのだから。
4時間ほどで、生まれた。保を出産した時は2時間くらいだったので、それよりは時間がかかった。年齢が年齢なので無理も無いか。以前いた昭和50年頃なら間違いなく「高齢出産」である。
ともかく1998年春、敬子は「敬子」として初めての出産を無事に終えた。「慶子」の時から通算すれば、3回目、4人目だが。
分かってはいたことだけど、生まれたのは女の子。本来昭和の人間である敬子には不思議な気がする。
助産師がタオルにくるんで抱かせてくれた。
「メイちゃん、こんにちは。おかあさんですよ。こんなおばさんだけど」
胸をはだけ、乳首を幼子の口に吸わせる。こちらも手慣れたもの。
3回目の出産なのに、涙が止まらない。ユウさんも涙を浮かべている。
ユウさんの両親も入ってきた。
「敬子さん、お疲れさま。大変だったわね」
昭和の子供たちのことを思い出しそうになって、慌てて思いを逸らせる。こんな時に昭和50年に戻ってしまったら大事だ。
急に疲れが出てきた。赤ん坊を助産師に託す。
「すみません。少し眠らせてください」
そのままの姿勢で眠りに落ちていった。
ユウさんの言葉に、耳を疑った。平成の世では分娩室に夫が入ってくるのが普通になっているらしい。
昭和の世で二回出産した時にはそんなことをする人はいなかった。というより、医者以外の男性が入ってくるなんてとんでもないことだった。
「本気なの?」
「もちろん。珍しくもないじゃない」
そうなのかもしれないが、本来昭和の人間である敬子にはその「常識」はすぐには受け入れ難い。
敬子の強張った顔にユウさんはかえって驚いた様子。
「そうか。そんな記憶も失くしているのか。何だか「お袋世代」の女性みたい」
実際そうなのだが、一瞬ぎくりとする。
「でも、いつ生まれるかなんて分からないわよ」
二回の出産では生まれる2週間くらい前から入院していた。当時は何が起きるか分からないからそれも普通だった。
今はそうでもないらしい。
「陣痛が来たな、と思ったら来てください。いつでも対応できるようにしておきますから」
20年も経つと随分と変わるもののようだ。敬子からすれば保を出産して5年しか経っていないのだが。
そして、その日がやって来た。
出勤前のユウさんに話す。
「多分、今日くらい生まれると思う。時間が取れるようなら来て」
「じゃあ、今日は休むよ」
「急にそんなことしてもいいの?」
「大丈夫。講義といっても僕が教えるようなことはそんなにないから。僕以上に才能がある子ばかり集まっているし」
でも、おかげで病院に行くのが楽になった。自分で運転する必要が無いだけでも違う。
病院に電話を入れておく。準備はできているので、いつ来てもいいという返事。ユウさんの両親にも電話を入れる。
すでに準備してあった「入院セット」を持ち、ユウさんの運転で病院に向かう。
分娩台はリクライニングシートみたいな椅子。歩、泰代の時はベッド、保の時は畳の部屋だったのとは大きく違う。
保を出産した産院はそんなに遠くないので、妊娠が分かった時に自動車で行ってみたことがあるが、跡形も無くなっていた。当時でも結構な歳の院長だったから、後を継ぐ人がいなくて廃業したのだろう。同室で、敬子(当時は慶子だが)より2日くらい前に出産したイシイさんという女性を思い出した。もう孫がいてもおかしくない齢のはず。
若い助産師が息継ぎやいきみ方の説明をしようとするので、
「自分のペースでしますから」
と言ってしまった。こっちは三人も産んでいるのだから分かっている。
「出産経験がある人みたいなこと言うのね」
実際そうなのだが。こればかりは忘れようがない。敬子は二回とも通常出産で、無痛分娩や帝王切開ではない。
「記憶には無いですけど、経験があるのかもしれません」
そう言っておく。
慣れない白衣を着たユウさんは不安そうな顔でやりとりを見ている。出産の立ち合いなど初めてだろうから無理も無いか。
保を出産した時を思い出しながら、いきみを続ける。だいぶ降りてきたな。自分でもわかる。ユウさんは敬子の呼吸に合わせて掛け声を入れてくれているけど、はっきり言って何の役にも立っていない。陣痛に耐えるのは自分だけなのだから。
4時間ほどで、生まれた。保を出産した時は2時間くらいだったので、それよりは時間がかかった。年齢が年齢なので無理も無いか。以前いた昭和50年頃なら間違いなく「高齢出産」である。
ともかく1998年春、敬子は「敬子」として初めての出産を無事に終えた。「慶子」の時から通算すれば、3回目、4人目だが。
分かってはいたことだけど、生まれたのは女の子。本来昭和の人間である敬子には不思議な気がする。
助産師がタオルにくるんで抱かせてくれた。
「メイちゃん、こんにちは。おかあさんですよ。こんなおばさんだけど」
胸をはだけ、乳首を幼子の口に吸わせる。こちらも手慣れたもの。
3回目の出産なのに、涙が止まらない。ユウさんも涙を浮かべている。
ユウさんの両親も入ってきた。
「敬子さん、お疲れさま。大変だったわね」
昭和の子供たちのことを思い出しそうになって、慌てて思いを逸らせる。こんな時に昭和50年に戻ってしまったら大事だ。
急に疲れが出てきた。赤ん坊を助産師に託す。
「すみません。少し眠らせてください」
そのままの姿勢で眠りに落ちていった。
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