クロエ・モーリアの非日常

千川あおい

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第二部:第2章(シュレル魔法伯領

8.馬車旅

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「おや、お出かけですかモーリア嬢。なるほど、シュレル魔法伯のご領地へ。美しい土地ですからな。ご旅行にはもってこいでしょうとも。…そうだ、陛下もご一緒なされるのが良い。――お仕事ですか? なあに、数日のことです。不肖ローレンス・ローリー、老骨に鞭打って、陛下のご休養の一助となりましょう!」



 クロエ・モーリアがグーサノイドに来てから、ひとつの季節が過ぎている。それが長いか短いかは判断に迷うところだが、濃密さに関しては議論の余地などない。先祖返りで「半精霊」として生を受けたクロエも、数多の時に存在し続ける「精霊」であるポーも、揃って認めるところである。

 とはいえ人は慣れる。

 どんなに強い感情も…むしろそうであればこそ、繰り返すほどに惰性に取り紛れ、ガラクタの一つに成り下がる。

 しかしなぜだろう、と、正面に座る困惑の温床にジト目を向ける。狭い馬車内で、崇敬の的である「精霊様」と同席することになり、恐れ多さのあまりクッションに突っ伏しているノア。そんな自分の醜態を自覚し、小声で怒涛の懺悔を繰り広げているノア。一見すれば怒声一つで吹き飛びそうなこの人物が、いつまで経っても新鮮な驚異なのである。

 クロエはここ数日の出来事を思い返してみる。
 約束通り、三日の後には訪問の約束を取り付けてくれた。それは良い。
 ローレンスがよく分からない提案をしてきた。いつものことだ。
 ノアはそれに乗った。なぜだ。

 聞くところでは、シュレル領の主たるラザール・シュレルにとって、王室は親の仇どころか一族郎党の仇である。間違っても、はにかみながら「美しい土地ですし、簡単なガイドもできますよ」などと言い添える場面ではない。

独自のルールで「王」に仕えるローレンスは、その為とあらば道徳も人倫もあったものではない危険人物だ。
 そんなことは百も承知のノアだというのに、「では任せました」などと首肯一つで流しているのも異様である。

 当日になり馬車を目にしたノアは、一瞥するなり困ったように小首をかしげ、別の馬車を用意させた。クロエの視線に気づいて言うには「バルティルス家の紋章がついていましたからね。あのままシュレル領に入ったら石を投げられますよ」。…ふふっと微笑むところではない。

「…馬なのかも怪しいくらい立派な馬だけど、この国の馬はみんなこうなの?」
「クロエさんは初めてでしたか! これはシュレル領の特産の名馬で、断崖絶壁を駆け、逆巻く急流も渡りきるという強い子です!」
「…どこからつっこんでほしいの?」
「お手を煩わせましたか!? すぐに別の馬をご用意します! ただ通常の品種では旅程が二倍になりますので、長時間の移動を強いることになってしまいますが…」

 それはすごいで済む話ではない。

「…この馬あれば国が盗れるんじゃない?」
「えと、国の規模によりますかね」
「ああ、そう。うん。もう国盗りでも世界征服でも好きにしなよ」

 こんな調子で旅が始まったのが昨日の早朝。途中の街に一泊し、翌日も早々に出発。一行は、既にシュレル領に到達していた。
 ショック療法をかねて、ポーも同乗したのであるが、その甲斐あって目は合わないものの会話は成り立つようになった。…どうしても目が合わないが。
 ポーは諦めた。クロエは端から興味がない。

「ところで、この恐ろしく魔術師への理解が薄い国で、魔法伯ってどういう立場なの?」

 この国では、知識階級のトップであるノアやアラン、ローレンスたちですら、基礎的な魔術の知識すらない。おかげでクロエは、軽い講義なんぞをしてお給料をもらえたりする。

「そうですね。シュレル家についていえば、学者一族という認識でしょう。魔術に限らず学問全般に秀でた家系です。三百年前に聖サティリス王国から独立した際に叙爵され、それ以来続く名門ですね」
「なるほど。そもそもサティリスだったわけだから、その時点での魔術への認識はもう少し普通だったわけだ。じゃあそのあと何があったの?」
「その後というか、その少し前にあったというか。この国、十年ほど前まで、ほとんどの国土で魔術が使えなかったんです」
「はい?」
「そもそも、そのような不毛の土地だからこそ、精霊信仰の根強いサティリスから忌み地扱いをされて、たいして家格が高くもなかったバルティルス家に押し付けられたというか」そこで、クロエの表情に気が付くノア「…これはサティリスでは一般的な知識ではないのでしょうか?」

 眉間をもんでいるポーと、きょとんとしてるノアを見比べ、天を仰ぐクロエ。

「…分かった。話が進まないから、一旦置いておこう。それじゃあ、バルティルス家の龍退治伝説って嘘なの?」
「あ、いえ、それは本当です。まさしくシュレル魔法伯家の存在意義も、そこにあるんです。龍は実際に、初代国王のアスター・バルティルスに退治されました。ですが、その遺骸は腐ることもなく、燃やすこともできず、その地に留まり続けたんです。その遺骸の監視と管理こそが、歴代シュレル伯の役目ですね」

 ポーが白目をむいている。クロエは叫んだ。

「それじゃん! 魔物が出る原因、絶対それじゃん!」



 とにもかくにも昼時であった。
 気を取り直すべく、街の食堂に乗り込んだ。

「うん、分かってた。分かってたんだけど、分かってなかったんだ」

 水をあおって吐き捨てるクロエに、ノアは頑是なく瞬いている。それがさらに癪に障る。カップをテーブルに叩きつける。

「ノア君は変だし、無茶苦茶だし、お天気のテンションでヤバい話がぼろぼろ出てくるし、ぶっ飛び過ぎで収集がつかない。私、わかるもん。一つ聞いたら、三つくらい爆弾が投下されるんだよ。あれもこれも気になるんだけど、殺傷率が高すぎて安易に手出しができないよ。なにこれ、生殺し?」
「へ?」
「まずはシュレルさん家で、もう少し穏当な常識を仕入れるよ。初手でノア君は無理だよ。あそこで給仕してるおじさんが、フライパンと包丁で単身城攻めするくらい無理だよ。しばらく自重して」
「ご、ごめんなさい」
「お嬢ちゃん、俺は馬鹿にされてるのかい?」

 件の人物からは少し距離があったのだが、声はしっかり届いていたらしい。怒ると言うよりは窘めるような様子である。その世話好きそうな顔付のせいか、上背のあるしっかりした体格ながら、威圧感よりも愛嬌を感じさせた。
 クロエは心底からの気持ちを込めて答えた。

「違うよ。人をいたずらに混沌にさらさない平和の代表格だって褒めてるんだよ」
「お、おう。そうか。ありがとよ?」気圧されたらしく、やや身を引いていた。「まあなんだ。つまり喧嘩か。喧嘩は良くないぞ。腹が減ってるから気が立つんだ。さあほら、食え食え」
「まだ何も注文してないんだけど」
「大丈夫だ。上手いから」
「まあ注文の手間が省けたしね」
「…あんまり簡単に受け入れられると、それはそれで微妙な気持ちだな」
「で、これ何」
「ラムとキャベツの煮込みだな」
 クロエの視線を即座に受け止めるノア。「羊ですよ。シュレルは織物業が盛んで、羊は衣食の大切な糧なんです」
「ん、おいしい」聞きもせずに、既に口に入れているクロエである。
「お二人は旅行かい? 見ての通り何もない村だが」
「違うよ。シュレルさんに会いに来たの」

 一瞬のことではあるが、食堂の端にいた客がクロエたちに視線を向けた。そのこと自体は、別段おかしなことではない。無造作に出て来た領主の名前に、興味をひかれるのは普通のことだ。
 だが彼らは「普通」ではなかった。一見したところ、厳格な宗派の修道士のように見える。こげ茶色のローブを麻ひもで締め、深くマントをしている。三人組ながら、会話をしている様子はなく、それでいて、視線を向け、外す動きは、気味が悪いくらいにぴたりと揃っていた。

 クロエも相手を一瞥したが、特に興味は引かれなかったので、目の前の相手に意識を戻した。彼は素直にびっくりした様子で、物珍しそうに二人を眺めている。

「へえ、お忍びかとは思ったけれど、嬢ちゃんたち、実は結構偉いのかい?」
「うん、まあ、そうかもね」

 偉いどころか、自国の国王陛下である。
 まさかそんなこととは想像もできまい。男はうんうんと頷いて、嬉しそうに言った。

「金の心配はなさそうだな! 待ってろ、デザートも持ってくる」

 クロエは黙って見送った。それから店の中をひとしきり眺め、頷いた。

「たしかに、シュレルさんは良い人っぽいね」

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