クロエ・モーリアの非日常

千川あおい

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第一部:第1章(聖サティリス王国)

4.訓練場

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「なあクロエ」
「なあにポー」
「思うに、俺たちには責任があると思うんだ」

 クロエは立ち止まる。しばらく逡巡していたが、やがて、重々しく頷いた。「今日はポーが正しいね」背筋を伸ばし、決然と告げる。「拾った動物は最後まで面倒を見ないといけない」
 子狐も深刻な様子を隠さない。「俺の忠告はこうだ。――拾った場所に捨ててきなさい」

「そうだねママ」
「ママではない」

 クロエは身を翻し、元来た道を戻った。早々と人だかりが生じ、好奇と怯えの入り混じった熱に場は浮足立っている。人騒がせに鎮座ましますのは、陽光を飲み込んだ宝玉のごとき美の化身――王女レベッカ様だ。レベッカは頭を抱えてしゃがみこみ、メイドは扇であおいでいる。

「聞いていませんわ!」
「言っておりませんからね」
「お黙りなさいな! どうして言いませんでしたの!?」
「……」
「なんとか仰いよ!」
「黙れということでしたので」
「お黙りなさいな!」

 足が鈍るクロエである。今度はポーも咎めず、襟巻のフリをきめ込んだ。非難を込めて尻尾を引っ張っていると、どこからかざわめきが起こる。「モーリア嬢だ!」

 逃げ道を見つけた熱気は、待ってましたと爆発する。「なんですかあれ人間ですか!?」「俺はついに精霊様を目にしたのか…」「クロエさん案件だ。考えるな感じろ」「いやあれってレベッカ様なんじゃ…」「レベッカ様って言うとあれだろう…婚約者候補を片っ端から埋めたり吊るしたりしたっていう…」「サティリスの魔王!」「馬鹿聞こえるぞ!」

 クロエは空を見上げ、大きく息をついた。投げやりに指を鳴らす。「?」
 たった一言が、心臓に針を突きつけられたような、絶対的な強制力を示す。みな、はたと黙り込み、レベッカは顔を上げた。青白い顔はいつにもまして人間離れしていたが、クロエの心は全く動かない。「それで、ツン子さんは何をガタガタ騒いでるの」

「だって、聞いてなかったんですわ!」
「何を」
「魔術師がこんなに汗クサ集団だなんて聞きませんでしたわ! 魔術師でしてよ!? ひょろひょろの貧弱な裏生りだと思うじゃありませんの! それがまさか、こんなにもむさくるしいなんて…!!」

 魔術師たちは、思わず我が身を嗅ぎ回った。先ほどとは違う沈黙が落ちる。レベッカばかりが、にぎやかに騒ぎ立てている。

「あんたって何しにきたの?」

 と言い放つクロエに、魔術師たちは凍り付く。王女様は急に焦点が定まり、頬を押えて「まあ」と仰った。はにかんでおられた。場には疑問符が飛び交った。

「クロエの雄姿をこの目に収めにきたのですわ!」と叫んだ後、はっと顔を背けて「なんていうのは冗談ですのよ! 冗談…冗談を言って、皆さんの緊張を解いて差し上げようと思いましたの。本当ですのよ!?」
「はいはい」

 王女を引き連れていくクロエを、残された一同は呆然と見送った。

「猛獣使い…?」

 というつぶやきが、全ての心を代弁していた。



 訓練場に足を踏み入れると、今度はクロエが囲まれる番だ。目を血走らせた魔術師が殺到し、修羅の形相でくじ引きに挑む。あれよあれよという間に、その場は阿鼻叫喚の体をなし、勝ち残った三名が感涙にむせんで抱き合った。

 三名とクロエは、回廊で仕切られた空き地の一つで向かい合う。周囲の通路では見学者が鈴なりになり、隣接する空き地には足場が組まれた。レベッカはしばらく呆気に取られていた。正気付くと、メイドに人波を駆け分けさせ、前列に踊り出た。周囲はぎょっとしたが、関心は長続きしなかった。

「あなた、そこのあなた」

 しかしこの度は、レベッカ様の方から干渉した。中年の魔術師は飛び上がる。逃げ場か助け舟を求めたが、どちらも得られず、観念して笑みにも似た引きつれを作った。「俺ですか?」
「他に誰がいますの?」
 たくさんいるだろうとは思ったが、誰がそんなことを口にできよう。「…おっしゃるとおりで」

「それよりわたくしに説明なさいな! これはどういう状況ですの?」
「どういうって、モーリア嬢に稽古をつけてもらうところですよ。俺たちはその見学です」
「これが稽古ですの? 野花のほころぶがごとき可憐な少女を、むさくて暑苦しくて汗臭くてやたら図体と声の大きいしつけの悪い熊のようなひげもじゃつるっぱげ三人組でよってたかっていじめるのを稽古と言いますの!?」

 勢いに圧倒されつつ、活舌に関心してしまう一同である。男は気を取り直し、咳ばらいをした。仲間の名誉の為にも、一言くらいは言い返さねばなるまい。「お言葉ですが…」

 だが、振りかざされたナイフのような眼光でにらまれ、決意は儚く散った。散りはしたが、三人のうち一人は女性だし、もう一人は学者のような風貌で、最後の一人についてはだいたい当っていたものの、頭皮にはまだ闘志が残っている。

「いつまで黙っていますの! 早く説明をなさい」

 地団太を踏む王女様に詰め寄られ、身を反らしながらふと気が付く。彼女の苛立ちの奥には、紛れもない不安の影が射している。

「…もしや殿下は、モーリア嬢の魔術を見たことがないんですか?」
「まあなんて失礼な! ありますわよ! 消えたり飛んだり、広間中の人間から声を奪ったり、庭園の池の水をすべて浮かせてしまったり…あなたなんかよりたくさんたくさん見ていましてよ!」と胸を張る。

 男は発言の内容が気にかかり、もはやレベッカどころではなくなった。可能なのか、いや無理だろう、などと一人で言い合い唸っている。周辺の魔術師たちも道連れになった。しつこく問うレベッカには「見ればわかるさ」とおざなりに答えた切りで、もはや揺すっても突いても応えない。

 万策尽きたレベッカは、じっとクロエを見据えた。水と空気の間のような、艶のある膜が隔たり、現実離れした趣を作り出す。クロエが手を打つと、内部の会話が聞こえるようになった。

「そろそろ始めようか。制御できなくなっても私が止めてあげる。せっかくだから、思いっきり、全力でね」

 少女はあっけらかんと言い、年嵩の魔術師たちは緊張に慄いている。三人はクロエを囲んで円を作った。杖を握りしめ、大きく息を吸う。

「《精霊様に願います。炎の力をどうか一時お与えください。炎はこの杖に宿り――》」
「《精霊様に乞います。氷の力をどうか一時お与えください。御身を一時この杖に――》」
「《精霊様、どうぞお聞き届けください。風の力をどうぞ一時お与えください――》」

 魔術師協会編纂の魔術概論第一ページは、こんな記述で始まる。
 ――魔術とは精霊への祈りである。発動を働きかけるのは術者であるが、実際に現象を具現させるのはその場に満ちる精霊である。精霊に干渉するには、言語、文様、儀式、それに類するもの、またそれ以外のあらゆる手段があるが、これらを作用させる人間内部の力を魔力と呼ぶ。

 三人は長く丁寧な詠唱を続ける。クロエは手を出さない。クロエは酔ったようになり、うっとりと聞き惚れている。それが自分だけではないことを感じている。

「《――どうか祈りをお聞き届けください!》」

 まずは熊男氏の魔術が完成した。輝く風がうねり、瞬きの間にぞっとするほど鮮やかな緋色に燃え上がる。果てが見えないほど高く膨れ上がり、一帯が赤黒く照らし出された。見物から歓声が上がる。

 ひと際はしゃいだ声を上げていた不運なる魔術師――その肘辺りが、べしべしと叩かれる。見れば再びのレベッカ様。その取り乱した様子に、男の興はすっかりそがれた。

 やれやれと首を振る。「…殿下はご存じないのかもしれませんが、魔術師の中にクロエ・モーリアを知らねえ人間なんていないんですよ」
「それは、どういうことですの?」

 男は自身が――その場の誰もが――身にまとうマントをつまみ、ひらひらと振って見せた。

「魔術師協会に所属する魔術師は、ある程度認められればこのマントを与えられます」

 炎が練られて熱風を吹き上げ、巨大な切っ先がいくつも生まれる。クロエは腕を上げ目元を庇った。ふと垣間見えたその表情に、レベッカはぞっとする。――笑っていた。でも、妙に感情がなかった。そしてそれを、自失するほどに美しく思った。
 滅茶苦茶になぶられる濃紺のマントが、またたく間にその夢を隠す。

「首元には、左右に一輪ずつアザミの花の刺繍があります」

 示す男の左の花には、3枚の葉の刺繍。

「葉の数は魔術師のランクです」

 淡々と凶器を眺める――その様までが赤く染まって、まるで、もう一つの炎だ。

「最高は10枚。ですが、普通の魔術師ならば1枚もあれば上等です」

 見れば、辺りにいるのは2枚か3枚のものばかり。

「左の葉をそろえ、右の花に刺繍を持つ者を高位魔術師と呼びます」

 するすると手を伸ばす少女のマントには、6枚の葉の意匠。

「クロエ・モーリアは、史上最年少の高位魔術師ですよ」

 薄い唇をなめ、彼女は囁く。

「《》」

 炎が硬直した。時間が凍りついたように。
 その場の全ての脳が、あまりに理外の事態に混乱し、思考も動作も奪われる。

「《》」

 解けていく炎が、ぱらぱらと粒をこぼす。それを手の平に受け、柔らかな熱を弄ぶ。そのうちに、だんだん、だんだん、色を失い、最期には陽炎のように揺れ、見ればそこには、元の青空だけだった。
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